過去のフライト日記をまとめて・・・(別サイトより移動しました)

2005年2月

(NBO)

今年の初仕事は2月に入ってから。
2月5~7日、ナイロビへ行きました。 飛行機の機種はMD11です。

セカンドオフィサー(機長、副操縦士、に次ぐパイロット=入社間もない、若い・・・とは限らないパイロット)が
この便で初めて赤道を越えるとかで、機長が「彼に内緒で何か用意して祝ってやろう!」というので、
わたしはビジネスクラスのメニューカードに雑誌の切り抜きを貼って(←911テロ以来、機内にハサミがないので、ちぎり絵状態でしたが)「赤道通過記念カード」を作り
パーサーは(スナック菓子が入っていた)ダンボールをプラスチックナイフで必死になって切って「海神ネプチューンの杖(?)」を用意しました。

到着後、クルーバスに乗ってから
副操縦士がそのセカンドオフィサーの顔にシェービングフォームであごヒゲ(海神ネプチューンにはサンタクロースのようなヒゲがあるので)を付け
パーサーが作ったダンボールのを持たせてネプチューンに変装させ(おりしもオランダでは皆が仮装して祝うカーニバルの真っ最中

機長の音頭で乾杯しました。

このしきたりは
昔、飛行機がまだ無かった頃、船が(初めて?)赤道を通過する際に、海神ネプチューンに航海の無事を祈ったことからきているらしいです。 

クルーホテルは、インター・コンチネンタル・ホテルです。
BAと一緒のクルールームがあって、そこへ行くと酔って変貌したBAのCA達の姿(成人向け)を楽しめるそうですが、怖くてまだ行った事ありません。

ここのプールサイドでのランチ、特に、「アボカドと海老のサラダ」がすっごく美味しいです。
が、注文を聞いてもらえるまで&注文してからお食事がテーブルに運ばれてくるまで、ひじょーに時間がかかります。
ここでは普通のことなので怒ってはいけません。

日本では、待たせてなくても「お待たせしました」と言って持ってきますが、ここでは、どんなに待たせていても「お待たせしました」とは言いません。
でも、ニコニコして持ってきますので、悪気は全くないのです。 こちらもニコニコするほかありません(*⌒―⌒*)

(MEX)

ナイロビから戻ってから12日間お休みがあって(ちなみに100%で飛んでる人は、1泊3日のナイロビ便のフライトリーブは4日間)、2月20~24日はメキシコへ行って来ました。
機種は、B(ボーイング)747-400です。

パーサー(インドネシア系オランダ人)が、日本のお笑いのナインティナイン(?)のおサルさんみたいな方(岡村??)に、も~そっくりで(多分、顔だけでなく性格も)で、 「Roy(彼の名前)、あなた、日本の有名なコメディアンにそっくり!」と誉めた(?)ら、みんなに「ボク、日本の有名な俳優(違うがな)に似とるんやってぇ~(なぜか関西弁)」と自慢しまくっていました。

ピラミッドもポポカテペトル火山も博物館も、以前訪れた事があったので、今回のメキシコステイ中は、ず~っと・・・食べてました。
メキシコまで飛行時間約11時間、メキシコ到着がオランダ時間で午前2時(現地時間では午後7時)と遅いので、いつもどおり到着後は全員そのまま就寝かと思って「到着前にしっかり食べておかねば!」と機内でクルーミールをしっかり(2食分)食べてあったのにもかかわらず、到着したらお腹空いちゃって・・・コックピットクルーと一緒に女一人で(他は皆様お休みになってしまったものですから・・・)タコスを食べに行きました。
 
クルーホテルは、シェラトンホテルです。 他の国では、しょっちゅうクルーホテルが変わるのに、メキシコのクルーホテルは、もう何十年も変わっていません。
ここの朝食ビュッフェがまたと~っても美味しいのです。
標高が高いせいで眠れなかったり、時差のせいで早起きしてしまっても、ここでは苦になりません。 6時から11時の朝食終了時間まで、食べっぱなしです。

帰りの便は夜間フライトだったので、サービスの後、コックピットに星を見に行きました。
あれが木星だのあれが火星だの言っていたら、副操縦士が
「以前、君に、何時何処にどの惑星がどの星座の辺りに見えるか、別紙に書いてもらったことがある」
と…それは、確かにわたしです(1年しか在籍していませんが)もと天文部ですから(*⌒―⌒*) 

おまけ・Max(夫)のフライト

私がメキシコから戻って10日後、Maxがスタンバイで呼ばれてメキシコへ飛びました。
私にメキシコ便が付いた時「いいなぁ、美味しい朝食・・・」とうらやましがっていたので、それはそれは大喜びで出掛けて行きました。
 
メキシコから戻ってきたMaxの話を聞いていたら・・・
Max: そういえば、君がメキシコ行った時のパーサーがいたよ。
僕より1日前に着いて1日前に出発するクルーのパーサーだったんだけど、よろしく言ってたよ。

わたし: あぁ! ちょっとおサルさんみたいな人!
Max: 僕と一緒のクルーのスチュワーデスに「あなたの奥さん、日本人の同僚でしょ?」と聞かれて「そうだよ」と答えたら、
隣のテーブルにいた彼が「misaeか??この前メキシコ便で一緒だったよ」って。

わたし: 私のこと覚えてるんだ(*⌒―⌒*)
Max: 「細いのによく食べるから驚いた」って。
わたし: ・・・・・。
(あ、でも、)「細い」だなんて親切!

Max: 「実際はそんなに細くない」って言っといたから。
わたし: ・・・・・。
他に知ってる人いた? (16年も飛んでると、毎フライト、一人や二人、前に一緒に飛んだことがある人と再会するので)

Max: あ、「Misaeなら、ヒューストン便で一緒だった」っていうキャプテンがいたよ。
     「レストランのメニューにのってたカクテルを順番に頼んで全種類飲んでた」って感心してたよ。
わたし: ・・・・・。
昔は「札幌便で温泉に連れってもらった」とか「クルーホテルでピアノ弾いてた」とかで覚えていてくれる人が多かったんだけど・・・。

最近は、飲食方面で記憶に残るらしい・・・

2005年3月

(DXB)

31214日、ドバイへ行ってきました。 
今回は、とってもスペシャルな体験をしました! こんな体験をすることは、まずもう二度とないと思うので、ちょっと自慢していいかしら??? 

ドバイ到着は、現地時間22時30分(オランダ時間2030分)頃。 クルーホテル(ノボテル)到着は午前0時過ぎでした。 
夕方以降に到着する便の時は、就寝前にホテルのバー、あるいは、ホテル内にクルールームがある場合はそこで、みんなで飲みます。
急いでシャワーを浴び、着替えて(ドバイのノボテルにはクルーホテルが無かったので)ロビーのバーへ。
コックピットクルー2名+キャビンクルー5名(内スチュワード1名)で閉店(午前2時)まで飲んだ後、
1年前までクルーホテルだったホリデイ・イン・ホテル内に新しくクラブ(語尾を上げる)ができた」
というので皆でそこへ向かいました。
(オランダ人は倹約家なので、タクシーは使わず、徒歩で。)

クラブに着くまでにもジロジロ見られ
「エッチな格好をしてるわけでもないのに(藤色のコットン・アンサンブル+藤色のスカーフ+黒のストレッチパンツ)何ゆえ???」
と思っていたのですが、店内に入ってからが、それはそれはもう大変だったのです!

23歩進む毎に、次々と「一緒に踊りませんか」と男性の手がのび、右へ左へとひっぱられ、異常なモテよう・・・23歩毎ですよ! ホントに! 何人だったか数え切れません。
一緒にいたオランダ人の同僚達に、次々振り払ってもらいながら歩いてました。
映画のワンシーン、あるいは、マドンナのプロモーション・ビデオか何かのようで、今思い出しても信じられない・・・夢でも見たことが無い経験でした。

オランダ人の同僚達に「君は中東の人に大人気だねぇ!」と散々からかわれ「ドバイには何度も来てるけど、こんなの初めてなのよー!」と笑って見せましたが、嬉しいような嬉しくないような・・・

クラブが閉店(午前4時過ぎ)になって外に出ると、今度は外でタクシーを待っていたフランス人観光客に誘われ、断ると、
「せめて一緒に写真を」と写真を撮られました。 一体どうなっているのでしょう?? 

翌朝(現地時間ではもうお昼でしたが)も、同僚達とプールサイドで朝食を取っていると、同僚の一人が
「あの人達、あなたの写真を撮ろうとしてるわよ・・・」と言うので見ると、イギリス人(イギリス英語を話していたので多分イギリス人)青年(20歳くらい?)が10人程そろってこちらを見ています。 そして、その一人が本当にカメラを構えていました。
私以外の同僚達は太陽の方を向いて寝そべっていて、青年達の方から見ると、わたし以外は全員後姿になるので、わたしを撮ろうとしているのは明らかです。
同僚が「手を振ってあげたら?」というのでそうすると、早速シャッターを切って皆で歓声を上げていました・・・
プールの反対側を歩く男性が投げキッスしてくるわ、プールの中から「君も一緒に泳ごうよ」と誘われるわ、前日に引き続きスゴイです。

夕方から同僚達と街に出たら出たで、やっぱり尋常でない注目度で、人を見ると目が合ってしまう為、ひたすら回りの景色を眺めながら歩いていました。 

「もしかしたら、日本人を見た事ないのかも?」と同僚達。
ドバイにも日本企業は沢山入っていると思うし、日本人と他のアジア人の区別がついているとは思えないけれど・・・

「日本人を見た事がない」といえば、帰りの便にそういうお客様がいらっしゃいました。
「ご出身は?」と聞かれて(日本路線以外で日本人が乗務している事は普通はないので、これはよく聞かれます)「日本です」と答えたら
握手を求められ「初めて日本人に会ったよ。光栄だなぁ。」と手を握り締められました。
アメリカ・ミシシッピ-州からご旅行中のアメリカ人老夫婦でした。
飛行機を降りられる時も「本当に会えて嬉しかったよ!」と再び満面の笑顔で握手されました。 

こういうこともあるのですね(*⌒―⌒*)

(NRT)

3
2224日、13ヶ月振りに東京便に乗務しました。
東京便が数年前からデイリー(毎日1便、週7便)になり13日のスケジュールになってしまってからは、乗務で帰国した時に実家へ帰ったことは一度もなかったのですが、今回初めてトライしてみました・・・やっぱりシンドかった・・・

さて、フライトは、行きはボーイング777型機、帰りはボーイング747型機。
今回は、パーサーから乗務中チェックされ、5段階評価のレポート(=いわゆる通信簿)をもらう、エヴァルエーション・フライトでした。
ブリーフィングで、飛行中にオーブンから火が出た場合の対処方法を聞かれ、マニュアルどおりに「ギャレーの電源を切り、ハーロン消火器で消火する」と答えると(通常はこれでOKなのですが)「消化後、オーブンの中身を確認し、火災の原因をパーサーと機長に伝えること」「機内のどの消火器を使用したのか同僚に伝えること」とパーサーに付け加えられました。(厳しい〜)

機内での準備が済んでお客様も搭乗しドアが閉まると、機長よりドアモードをマニュアルからオートマティックに変える(ドアモードがオートマティックになっている時にドアを開けると、自動的=オートマティックに脱出用スライドが出る仕組みになっており、出発準備が整ってから到着まで、緊急事態が発生したら即脱出できるように、ドアモードはオートマティックになっている)ようアナウンスが入ります。
各自担当ドアのモードを変えた後、クロス・チェックをする(反対側のドアの担当者もきちんとモードを変えたか、お互いに確認し合う)のですが、私の反対側ドアの担当は・・・パーサー。
で、彼が全然クロス・チェックしない。 パーサーがクロス・チェックをし忘れたことなんてこの16年間一度もなかったのと、(「クロス・チェック忘れてるヨ!」とパーサーでない人になら注意した事も何度かあったのですが、)パーサーにすぐ忠告していいものか、やっぱりしばらく猶予を与えてからの方がいいのか、と躊躇していたら「君、僕がクロス・チェックし忘れたのに、注意しなかったね!」と一言。 (・・・わざとクロス・チェックしなかったのか(T_T)・・・厳し~)

このパーサー、サービスの合間にクルー用にスープを作って各ギャレーに置いていってくれたり、休憩(東京便では2時間ベッドで休めます・・・私はいろいろ食べてるうちに時間がなくなって休まない事が多いけど)から戻ってくるクルーの為に、フルーツカクテルとトースティー(オーブンで作るオランダ風ホットサンド)と紅茶まで用意してしまうお方で・・・。 男性なのですが、自分がフライトに出る時には、家を空ける日数分の夕食を作って冷凍庫に用意して行くのだそう・・・なんと幸せな奥様! 

機内アナウンスも「フランス人とスペイン人のお客様が多いから」とオランダ語・英語に続いて仏語と西語も入れてました。 超熱心なパーサーなのです。 私も(お別れのご挨拶のみですが)日本語の後、オランダ語と(ポーランド人のお客様も多かったので、お客様に教えていただいて)ポーランド語のアナウンスを入れて頑張ってみました。

成田到着後、京成線で青砥へ向かい、そこからタクシーで、お昼頃実家に辿り着いた時には、もうヘロヘロでしたが、スーツケースの中身(両親へのお土産)を(両親から私の子供達への贈り物に)取り替え、お昼ご飯を両親といただき(やっぱり美味し~い、母の味!)、実家が撮影に使われ母も通行人として出演している「3年B組・金八先生」のビデオを見ているうちに夕方になってしまいました。 
そのまま実家に泊まって翌朝直接空港へ行くという案もありましたが、話しているうちに夜更かしして翌寝朝坊しそうな予感がしたので、それは断念。 成田のクルーホテルに戻るにしても、本当は数時間仮眠を取ってから戻りたかったのですが、(あまりに疲れていたので)数時間で起きられるか不安になり、もっとゆっくりしていきたい気持ちを押し殺して、成田へ。
ユニホーム姿(実家で着替える間も無くおしゃべりしていたので・・・)で空港へ向かっているというのにドロドロに疲れ切っている私を見て、乗客はさぞ不安に思われたことでしょう・・・

ホテルに着くと、バーで飲んでた同僚達が、まだユニホーム姿の私を見てびびってました。 

長いフライトの後、今回は到着後夜まで一睡もしなかったので、翌朝は心も体もど~んよりしていましたが、これが不思議と、ユニホームを着ると(まるでアドレナリンが自然に涌き出てくるかのように)パワーが漲ってきます。 ファーストフライトの時から16年経った今まで、これは変わりません。 ほんと、不思議。 ユニホームよ、ありがとう。

行きと帰りで機種が違った為、担当ドアが変わり、ボーディング・ポジション(お客様がご搭乗される間お迎えするドア)を間違える等、うっかりミスも相次いだのですが、(意表を突いて)とても良い通信簿を書いていただけました。 (会社に提出されるのでとっても重要なのです・・・よかった~!)
感想記入蘭(大抵、レポートに不満な人がその旨書くらしい)に正直に「超完璧なパーサーのあなたから見たら、私の仕事っぷりなど全然なっちゃいないだろうと思っていたので、こんなに良いレポートを書いていただき大変光栄です。 毎フライト、同僚から何かしら学びたいと思いながら乗務していますが、今回は本当に沢山の事をあなたから学びました。 ありがとう。」と書きましたら、「パーサーになって14年。 君のが今までで一番良いレポートだ。 喜んでもらえたかい?」と満足そうに微笑み、握手。 めでたし、めでたし。

2005年4月

(KIX)

一年ぶりに大阪へ行って参りました。
機種は、東京便同様、行きはボーイング777、帰りはボーイング747-400。
行きの便では、久々に、“変わった”お客様がいらっしゃいました。 今回はその方のお話。

その方(Aさんとします)は、オランダ人クルーが担当していたエリア(エコノミークラス)におかけだった為、異常に気付いたのは、お食事のサービスが終わって、機内の照明が落ち、お客様の大半がお休みになられた頃でした。 
私が担当していたビジネスクラスのお客様で「機内販売で買い忘れた物がある」とおっしゃる方がいらした為、セールストローリーのある後部のギャレーへ取りに行った帰り、日本人の同僚がお客様に引き止められている所に通りかかりました。
日本人男性客(Aさん)の口調が荒々しかったので、同僚に事情を聞くと、Aさんの前におかけの日本人女性客(Bさん)から「後ろの客が背もたれをドンドン叩いたり、ギューギュー押したりするので困っている」と苦情があり、Aさんに話を伺ってみると「自分は、後ろの人に悪いからと思って背もたれを倒さないようにしているのに、前の客は平気で背もたれを倒してくる。自分勝手だ!」とお怒り、とのこと。 
(マジで?! でジマ?! マジでジマ?! ・・・って皆様ご存知? もう古い? 私はつい最近ビデオで見て知りました・・・と、振り付きで言いそうになりました)
「背もたれを倒すことは禁じられていない。 全てのお客様は、ご自由に背もたれを倒していいことになっている。」(という当たり前の)ことを同僚が説明すると、「教育がなってない!」と今度は私達に対してお怒りに。 
そうやって話している間も、AさんはBさんの背もたれを足でグイグイ押し続けています。 (丁度、車の後部座席に座っている5歳くらいの子供が、運転席のパパに怒られながらも、前の座席を足でグイグイ押している・・・まさにあんな感じ)
A
さんはこちらがいくら(笑顔で)ご説明申し上げても全く聞く耳持たぬご様子で、「自分はライセンスを持っている!」と怪しげなIDカード(写真が付いていたのですが、30年くらい前のものと思われ、まるで別人=特に髪が=でした)を自慢げに見せられました。 何のライセンスだったのか、もっとよ~く見ておけばよかった・・・

全然悪くないのに「申し訳ありません・・・」と謝り始めたBさんが気の毒になり、同僚と二人で空席を探し、Bさんを別のお席に移すことにすると、今度は「自分勝手な客の言いなりになって他の席を用意するなんて間違ってる! 自分も別の席に移せ!」とお怒りに。 
B様を別のお席にご案内致しましたのは、B様がご希望されたからではなく、私共がその方が良いと判断したからです。 お休みになっていらっしゃる他のお客様にもご迷惑ですし。 A様も他のお席にお移りになられたいのでしたらお探し致しますが・・・」と(笑顔で)申し上げると、「教育がなってない!」と再び。 「私共は皆、この様に教育されております。 パーサーを呼んで参りましょうか。」と(笑顔で)申し上げると、「パーサーは呼ばなくていいから、お前の名前を教えろ!」(ネームプレートは付けていましたが、私の苗字、難しくて読めなかったようです)
(・・・さては、パーサーとか、上の者が出てくると大人しくなるタイプだな・・・)と思い、「では、少々お待ちくださいませ。」と(笑顔で)答え、パーサーに相談に。 
こういう時、頼りになるパーサーだと、すぐに「自分が行って話しを聞いてくるから」と言ってくれるのですが(そして大抵、体の大きいオランダ人パーサーが登場すると、あっという間に解決してしまうものなのですが)、今回のパーサーは「愛想はいいが、仕事はしない」で有名なエリザベス。 案の定「名前は教える必要ないわよ。 後で行ってみるから・・・あなた達はもう近寄らないように。」と言って、ギャレーでつまみ食いをし続けています。
「お願いだから、本当に後で行ってね。」と念を押し、Aさんのいるエリア担当のオランダ人クルーにも事情を説明して、やりかけだった機内販売の仕事に戻りました。
(商品をお待ちだったビジネスクラスのお客様は「長時間かけて苦労して商品を探してくれた」のだと勘違いして、あんなにお待たせしてしまったのにもかかわらず、感謝されてしまいました・・・m(_ _)m

機内販売が終わって、Aさん担当のオランダ人クルーに、その後どうなったか聞きにいったら、大変なことになっていました。

・・・Aさん、ギャレーに私を探しにいらしたようなのです。 「日本人乗務員はどこにいる?」と聞かれたので(もう一人の日本人同僚がいる)後ろのギャレーへ行ってもらった、というので、慌てて同僚にインターホンで連絡。 
A
さんは「OO分から待っていたのに(ちゃんとメモっていたらしい)、名前を教えると言った日本人乗務員が戻ってこない!」とお怒りだったとのこと。
そりゃそうです。 あの時パーサーが直ぐに行って「背もたれを倒すのは自由だ」と説明し「乗務員の名前を教える必要はない」とはっきり言ってくれていたら・・・ ( ̄ー ̄;  

A
さんが後ろのギャレーに来た時、たまたまパーサーも(つまみ食いに来て)いて、バシッと言ってくれるのかと思ったら「その日本人乗務員は今休憩中だから、休憩から戻ったら伺わせる」などど言い、日本人の同僚
には(私に)「行かなくていい」と伝えるよう指示したと聞き唖然・・・それではさっきの二の舞・・・。
そこへパーサーが来たので「私には行くなと言いながら、何故、Aさんに(私が)後で伺うなんて言ったの?」訊くと「じゃあ、何と言えばよかったというの?」(って、そんなことパーサーなんだから自分で考えてよ~と嘆きながら)「Aさんのようなタイプは、多分、貴女や機長の言うことなら大人しく聞くはず。 貴女が行きたくないなら、機長に頼むから。」

そう私が言った途端、たまたまそばにいた同僚(男性)「機長のフリして」と頼み、二人でAさんの所へ。
数分後には「僕が、<私は機長だが何か問題があるのかね?>と聞いたら、<ノー・プロブレム、ノー・プロブレム>と言って、握手を求められたよ」と同僚、エリザベスも「ずっと着用していた(花粉症用?SARS用?)マスクも外して、急にペコペコしてたわよ!」と意気揚々と戻って来ました。

その後、無事に関空に着いたのですが、このお客様、背もたれの件が本気なら、毎フライト問題を起こしているはずなので、(私も、こういうお客様にお目にかかるのは実は二度目で、何年か前の大阪便で、全く同じ文句をおっしゃっていた方がいらして、その時はパーサーが直ぐに対処してくれたので大事にはなりませんでしたが、今思えば、あれもAさんだったのかも・・・)地上職員にAさんの座席番号を伝え、他の便で問題を起こしていないか調査を依頼しました。 

いつかまた機内でAさんにお目にかかることがあったら、直ちに、前に座席の無い最前列にご案内しなければ・・・
 

2005年5月

22日までお休暇でした。

お休暇は、年に2回、夏休み(4月から9月の間に約3週間)と冬休み(10月から3月の間に約3週間)があります。 今回のは、ですから、夏休み。

子供達の学校のお休みに合わせてあったので、(本当は、私も子供達も日本へ行きたかったのですが)夫の希望でギリシャへ行ってきました。

(こちらで不要になった服や食器類を別荘の方へ運ぶ為)今回は、オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ・フランス・スイス・イタリア経由、車とフェリーで行きました。 「飛行機でひとっ飛び!」よりも何倍も時間はかかりましたが、同じヨーロッパでも国によってそれぞれ景色や雰囲気が違うことが体感できて、子供達にとっても良かったな~と思っています。


(GRU)

休暇明けのフライトはブラジルへ。 23~26日までサンパウロ便に乗務しました。
機種は、ボーイング777。 
飛行時間は約11時間。 
今回もビジネスクラス担当です。
行きの便は、16名しかお客様がいらっしゃらなかった(ビジネスクラスには35席シートがあります)ので、ゆったりサービスできました。  

そういえば、お一人、ちょっとへそ曲りなおじいちゃまがいらしゃっいました( *´艸`)
お隣りにお掛けだったお連れの方(同じ会社の部下?)とお席を交換されていらしたのですが、最初のお飲み物のサービスの時に、いきなりクイズを出されました。 

最初のサービスの時、お客様リストを持っていって、実際にお掛けのお客様とリストのお名前を確認するのですが、「A様とB様でいらっしゃいますね。」と伺うと、「どっちがAで、どっちがBだと思う?」とおっしゃるので、「お席を換わられたのですか?」と言うと、「どっちがAか当ててみなさい」・・・見事にはずれて、おじいちゃまはご不満そうでした。 お隣の部下の方が「いつもこうなんだよ~」とすまなそうに笑っていらっしゃいました。
その後、一緒にビジネスクラスを担当していた相棒が、お食事のチョイス(ビーフ・チキン・魚からの選択)を伺いに行くと、「水」とおっしゃるので、再度相棒がお食事のチョイスを伺うと、「とにかく水を持ってきなさい」としか答えないとのこと。 他にもいろいろあったらしく、相棒は「もう、あのお客様の所には行かない」と怒っていました。

サンパウロに着くと、滝のような大雨・・・夜遅い到着だったので、ホテルのロビーで同僚達と一杯飲んで、休みました。 現地時間の午前1時くらいだったと思います。 

翌朝9時に朝食をみんなで食べる約束をしていたので、8時に目覚ましをかけていたのですが、目が覚めて時計をみると、まだ5時。 思いっきり時差ボケです。 フライト先で時差ボケたのは初めてです。
再度ベッドに入って眠ろうと試みたのですが全然ダメで、諦めてシャワーを浴び、8時までテレビで映画(英語の音声でスペイン語の字幕でした)を見て、朝食に降りました。

他の同僚達も早起きしてしまったらしく、ほとんど全員揃っていました。 話題はもっぱらサンパウロの洪水。
昨日(まで?)の大雨で、街が洪水になっているらしいのです。 私達はもう1泊ありましたが、その日の晩に出発予定のクルーは「無事帰れるのだろうか・・・」と不安そうでした。 が、午後には天候も回復して、皆でショッピング・モールへ。 
サンパウロは3回目でしたが、1回目はイグアズの滝というのを見に行き、2回目は夜はディスコ、昼はビーチで遊び、街中に出たのは今回が初めて。 サンパウロがこんなに都会だったとは!と驚きました。
ショッピング・モールでは、皆が買い物している中、私は密かに30分マッサージをしてもらってました。
そして、初めて“ペディキュアをしてもらいました。 今まで、(カイロ、バンコク、メキシコシティなどで)他の人がやってもらっているのは何度か見たことがあったのですが、ここの担当者は、甘皮の取り方も丁寧で、しかも4ユーロ!でした。

翌日は、朝食後から夕方まで、ロビーに置いてあったピアノを弾かせてもらい、一眠りしてから乗務。
帰りの便は満席でしたが、夜の便は皆様お休みになられるので、(自分も眠くなるのさえ堪えられれば)楽です。

 
2005年6月

(DEL)

15~17日、デリーへ行って参りました。

1泊3日のスケジュールで、機種は(2年前はボーイング777でしたが今回は)MD11。

8割方インド人という客室で、近くを通る度に私の顔を凝視しながら「You have happy face!」と言い続ける、妙なインド人のお客様がお二人いらっしゃいました。 お一人はワインレッドのターバンでいかにもインド人という格好、もう一人はグレーのスーツ姿でした。
そのうちのお一人(スーツ姿の方)が、ミールサービスが終わる頃になって「僕達は占い師なんだ。 君は幸運な顔をしている。 来月いい事がある。」とおっしゃる。 後からギャレーにまでお越し下さって、顔の相と手相を見てくれました。 

最初は(「手相を見る」とか言って、お触り目的か?と)ちょっと疑いましたが、いろいろ話を聞いているうちに、2年前にロンドンの占い師に言われたこととほぼ同じ事を言っていることに気付きました。
二人とも、「近々(インド人占い師曰く来月)素晴らしい男性に巡り合って、今とは雲泥の差の幸せが訪れる」と言っているのです。 今とは雲泥の差の幸せは嬉しいですが、私、既に結婚してるのに、一体?!・・・しかも、インド人占い師は、来年懐妊(生まれてくるのは男の子)とまで!・・・でも、できたらこれは堪忍していただきたいなぁ・・・子供は好きだけと、やっと下の子も小学校へあがって手が離れたというのに・・・

デリーへ行くのは二度目でしたが、前回は大晦日到着便でクルールームで翌朝まで年越しパーティーがあった為、結局ホテルから一歩も出ないままになっていました。
ですから今回は、外がどんなに暑かろうが(摂氏50度を超える暑さと聞き少々怖気づきながらも)街に出よう!と心に決めておりました。

ホテル到着後、クルールームで皆でワインをいただき、(インド人と結婚した友人お勧めの)「ドーサ」というカレー料理を(同僚達の「こんな時間=現地時間で午前2時過ぎに、こんなに食べるの・・・??」という視線を浴びながら)たいらげ、午前3時半ごろベッドへ・・・午前8時半起床、翌朝9時に朝食を取って、同僚2人とタクシーで街へ繰り出しました。 

「ビーズが安い!」というので期待していたのですが、材料としてのビーズはあまり売っておらず、既にできあがった作品(パリに出荷予定の品など)が、埃まみれのビニール袋に入れられて、ドッサリありました。 娘と娘の友達用にドッサリ買いました。 カラフルなビーズ細工の施された手鏡も、「一袋(30個入り)単位でしか売らない」と言うので一袋・・・と、気が付いたら、娘が喜びそうな物ばかりドッサリ買っていました。
ちなみに同僚達も同じような小物をドッサリ買っていたのですが、彼女達はそれをいつもフリーマーケットで売るそうです。 陶器でできたドアノブを何十個も買っていたので聞くと、「ここでは一個50ユーロセントだけど、オランダでは4ユーロで売ってる(8倍!)」とのこと。 それでつい、私も3個買ってしまったのだけど・・・誰か欲しい人いませんか?? 白地に(赤、あるいはブルーの)お花と緑の葉っぱの絵付けがしてあるのですが・・・

ホテルに戻ってまた「ドーサ」(ものすごく辛いのですが癖になる味です)をルームサービスで頼みました。 
(帰宅したら体重が2kg増えてました・・・)

(CAI)

6月29日~7月1日、カイロ便に乗務しました。
機種はボーイング777。

5年振りくらい、4度目(うち1度はプライベート)のカイロだったのですが、お客さまをお迎えしている時に驚いた事が二つありました。

1. エジプト人のお客様が多い!!
2. そのエジプト人がみんなオランダ語をしゃべる!!!

最後にカイロ便に乗務した時は「観光客」が多かった(日本人の団体客もいて、日本語のアナウンスも入れました)のに、今回はオランダに移住したエジプト人客「エジプト移民客」がほとんどでした。
そして、以前はエジプト人のお客様には英語で(あるいは片言のアラビア語で)サービスしていたのに、今回は皆様オランダ語を流暢にお話になる・・・

先日「日本にアフリカ人が増えている」という記事を読んで、へぇ~と思ったのですが、何年かしたら、そのアフリカ人も日本語ペラペラになってJALで里帰りしたりするのかしら・・・

行きの便も帰りの便も満々席でしたが、行きの便ではお子様連れのお客様が異様に多くて、なんと子供が80人以上も! 子供客が20~30人、ということはたま~にあっても、80人を超えたのは、私にとっては過去最高記録でした。

カイロでは、夕方から久し振りに「ピラミッド」を見に行きました。

同僚達とタクシーで行ったのですが、ここもデリー同様、車の運転がスリル満点で、2車線の道路を3~4台の車が車線変更を繰り返しながら猛スピードで進んで行きます。 
同僚達は「危ないっ!」「ぶつかるっ!」と青くなっていましたが、私は自分が運転しないせいか(コンピューター・ゲームみたい!)(運転手さん、上手!)などと思いながら結構楽しんでいました?!

ピラミッドの少し手前で急にお土産屋さんの前に止まったので、(ここで強制買い物?)と思いきや、「この先は車両通行止めなので、ここからラクダで行ってもらう。」と運転手。
途端に同僚の一人が「僕は前回この手で騙されてエライ目に遭った。 通行止めなんて嘘。 このままタクシーで行こう。」というので、「行ける所まででいいから。」と行ってみると、本当に、通行止めというのは嘘でした  (⌒_⌒;   

Light and Sound Show」というのを見たかったのですが、入り口で「今日はライブ・コンサートがあるからShowは無い。」と言われてガッカリ。

日本人同士ならここで諦めて退散するところでしょうが、外国人は違います。 そのままコンサート会場の入り口へ。
当然チケットの提示を求められましたが、「あっちにいた人が、ここから入るように言っていた。」と、そ知らぬフリで入場。 (皆、割りときちんとした格好をしていたので、招待客だと思ってもらえたらしい・・・?)
空港であるようなセキュリティーチェックを受け、奥へと進んで行くと、見覚えのあるピラミッド&スフィンクスの前にコンサート会場が設置され、リハーサルが行われていました。

コンサート会場の脇から(会場が写らぬように)ピラミッド&スフィンクスの前で写真を撮って、テラス・レストランへ。 お食事が届く頃、「Italy meets Egypt Concert (イタリア・ツーリズム100周年記念か何か)」が、両国の大使の挨拶に続き、始まりました。 満天の星空の下で、ライトアップされたピラミッド&スフィンクスをバックに、イタリアとエジプトの著名なアーティストによる演奏を楽しみました。 
Light and Sound Show」は以前にも見たことがあったので、今回、こんな素晴らしいライブコンサートを聴くことができて、本当に幸運でした!!

 
2005年7月

(HKG)

7月1日にエジプトから戻り、同日の夜の便で(6月29日から夏休みに入っていた)子供達と日本へ飛び、一週間滞在して9日に(子供達は実家においたまま)一人オランダへ。 掃除、洗濯etc.を済ませ、乗務用+再帰国用(乗務の後、すぐに日本へとんぼ返りする予定だったので)の計2個のスーツケースの荷造りをして、7月11~14日、香港へ行って参りました。

機種はボーイング747-400。 中国人スチュワード君とアッパーデッキ(2階席)のビジネスクラスを担当しました。 
ほとんどが中国人客というエコノミークラスと違い、ビジネスクラスには中国人客が少なかったので、中国語を話せなくて申し訳ない気持ちになることもなく仕事ができました。

香港ではいつものように、(早朝)到着後夕方まで休み、午後6時から皆でホテルのバーで飲んだ後、タクシーに分乗して町へ出て、夕食(今回はマレーシア料理)。
夕食後、ホテルへ戻る組(主に年配の同僚)飲みに行く組(主に20代の同僚)に別れ、私は若人達と共にライブ・ミュージックが有名なクラブへ。

前回行ったクラブとは別の所でしたが、同様にバンドのレベルが高く、ボーカルも魅力的で、演奏も上手くて、楽しめました。 
クラブで、香港滞在のスペイン人男性から名刺をいただき、ふと「7月に素晴らしい出会いがあって、今までとは比べものにならない幸せが訪れる」というインド人占い師の予言を思い出しましたが、結局、特別これといった出会いもなく、いつもどおり乗務を終えました。
今までとは雲泥の差の幸せは是非味わってみたいと思いましたが、もう結婚もしてるのに新しい出会いなんて厄介だし、3人目の妊娠の予言はあまり嬉しくなかったので) 「ガッカリ半分+安堵半分」という感じかな・・・

 
2005年8月

(KUL)

クアラルンプールに行って参りました。

8月2~8日、4泊7日(クアラルンプールで4泊+行きも帰りもナイトフライトだったので2晩分機内=7日間)のトリップです。
ステイ中に一日、ジャカルタへの往復乗務がありました。

機種はボーイング747-400。 
担当は、パイプラー(とオランダ人クルーが呼んでいる)のエコノミークラス。 パイプラーというのは、1階客室の左側一番前のドアと二番目のドアの間に位置するエリアで、右側がギャレーになっている為、他のエリアと比べてパイプのように細長くなっていることからそう呼ばれているようです。 
エコノミークラスではありますが、フリークエント・フライヤーのお客様が優先的にお座りになるエリアであること、それから、ギャレーをビジネスクラス担当者とシェアーする為、手が空いた時にはビジネスクラスとエコノミークラスの両クラスを臨機応変にサポートしなければならないことから、このパイプラーこそ、他のどのエリアを担当するよりも「仕事(サービス面とギャレー・ワークの両方)の腕前を問われる(?)」氣がして、アサインされた時は一層プレッシャー(=やり甲斐!)を感じます。

フライトはオーバーブック。 ゲート前のカウンターはスタンドバイのお客様で溢れていました。
ステイが長いフライトだったので、乗務員の中にも夫・子供連れの人がいて、乗れるか乗れないか、出発までハラハラドキドキでした。
最終的に、入社間もなかった同僚のご主人&二人のお子さんは残念ながら乗れませんでした。 (彼女のスーツケースには、お子さん用のミルクやオムツ等も入れてあったそうで、ちょっと気の毒でしたが、これが社員割引チケットの宿命なのです)

二人がけのジャンプシートの私の隣には、私の相棒(1階ビジネスクラス担当)の旦那様が座りました。 「奥様とドア・ポジションを替わることができたらご夫婦で並んで座れますよね。 後でパーサーに聞いてみますね。」と申し上げましたら、「いやぁ、別に家内でなくても、スチュワーデスさんの隣に座らせてもらえるなんてとっても光栄だから、全然構わないよ。」ですって!・・・ま、そういうものかしら。


クアラルンプールに到着し入国審査の順番を待っていると、会社からスケジュール・チェンジのFAXが・・・!
ステイ中に一日ジャカルタの往復乗務があったのですが、「3人だけ、もう一日、ジャカルタ往復乗務をしなければならない」とのこと。 FAXにあったリストに私の名前はありませんでしたが、リストに名前があった同僚の一人は、旦那様を連れて来ていたのでとてもショックを受けていました。 
「私、代わってもいいですよ。」とパーサーに申し出たのですが、「会社はエエン・バンダー(制服の袖口に一本線の付いた乗務員=エコノミークラスのみ担当できる乗務員)同士なら構わないが、トゥベー・バンダー(制服の袖口に二本線の付いた乗務員=ビジネスクラスも担当できる乗務員)”“アシスタント・パーサー(制服の袖口に三本線)”“パーサー(制服の袖口に四本線)は交代不可と言っている」とのことでした。 (ちなみに私はトゥベー・バンダーです。)
実際、その余分に入ったジャカルタ往復乗務は、オランダへの帰国乗務の前日に当たっているので、万が一ディレイでもして翌日の乗務までの休息時間が規定よりも短くなってしまった場合、彼女達は帰国便に乗務できないことになってしまい(ロングホール・フライト=飛行時間が12時間を越えるフライト・・・?だったと思う・・・の前には24時間以上の休息時間が保証されているのです)、エエン・バンダーの代わりはトゥベー・バンダーアシスタント・パーサーでもできますが、その逆はできませんので、(「融通が聞かないな~」と怒っている人もいましたが)万が一のことを考えると、会社が言っていることは正しいのです。

その同僚は、一日余分に独りぼっちになってしまう夫をいたく心配していましたが、なんということはない、当のご本人は、他の旦那様達(全部で4人の同僚が旦那様連れだったので)とすっかり意気投合し、私達がジャカルタ乗務で一日いなくっても、男4人で仲良くゴルフをしたり、プールで泳いだりして楽しんでいらしたご様子。 ま、そういうもんです。

クアラルンプールでのお食事も美味しかったですよ~ インド料理と中華料理の間の子のようなお料理でした。
私のお気に入りは、(魚介の辛口カレーの中に中華麺が入ったカレー・ラーメン?)「ミー・カレー」。

デリーで食べた「ドーサ」、パラマリボの「サオト・スープ」に並ぶ大ヒットです。 毎日でも食べられます。

本来私は、フライト先では、現地のお料理をいただく主義なのですが、クルーホテルに日本食レストランがあって、毎週土曜日は「和食バイキング」をやっているというので、相棒とその旦那様、そして、(1回余分にジャカルタ往復便の乗務をすることになってしまった)同僚の(そのせいで独りぼっちの)旦那様を連れて行ってみました。

予想通り、日本人の従業員は一人もいませんでしたが、お食事の方は、お寿司もお蕎麦も天麩羅もお好み焼きもすき焼も、と~っても美味しかったです。 でも、何より嬉しかったのは、生酒があったこと。 ただの日本酒じゃなくって「生」です。
「いままで日本酒は熱燗でしか飲んだことがない。」という彼らに、「ダメダメ! 温めたらアルコールがとんでしまいます。 冷た~く冷やした生酒が一番!」とお勧めしました。 「乾杯!」という日本語も教え(ちなみにオランダ語は、ドイツ語同様「プロースト!」です)、美味しい生酒をいただきました。
翌日、他の同僚達に会った彼らは、口々に「昨日の和食バイキング、すっごく美味しかった! 中でも一番美味しかったのは生酒!」と言っているのを聞いて、(自分が褒められてる訳じゃないのに)なぜか嬉しかったのでした。

帰りの便もオーバーブック・・・しかも、社員割引チケット利用のスタンド・バイのお客様がなんと45人も! ありったけのジャンプシートを提供しましたが、それでも40人近く置き去りです。 クアラルンプールに家族を社員割引チケットで連れて行くのはやめよう・・・とつくづく思いました。

(BON)
 
8月28~30日、カリブ海に浮かぶオランダ領の島、ボネール島へ行って参りました。機種はMD-11。 飛行時間は約9時間半です。

今回のフライトの目玉はシリコン・・・?!
午後3時頃クルーホテルに着いたので、ホテルのビーチ・バーに水着で集合となりました。
女性は、40歳過ぎのおばちゃんクルーもビキニです。 だから私も時々(お腹の出具合を見て、目に耐えられそうな時だけ)ビキニを着ます。 
砂浜に皆で集ってビールやワインを飲んでいると、遅れてきたカローラ(31歳)が「私、先週、胸にシリコン入れたの~! 見て!!」と言って、するりとトップレスに・・・。 それだけでも驚きだったのに、「ほら、触ってみて!!!」と男性クルーに次々触らせているではありませんか!! 
私、相当ビックリ仰天した顔で固まっていたらしく、他の同僚達が「Misaeがビックリしてるわヨ!」「日本人じゃあり得ないでしょ、きっと」と言われて我に返り、動揺してウッカリ「あ・・・私も触っていい?」と触ってしまいました。 ・・・硬かったです。
でも、本当にとても自然な形に綺麗に仕上がっていた(?)ので、「こんな胸をゲットしたら、私もみんなに見せたり触らせたりしちゃうかも・・・」とふと思ったりもしましたが、翌日ビーチで、トップレスで寝そべるカローラのアンダーバストに残っている(痛々しい)手術跡を見て「やっぱり止めとこう・・・」と思い直したのでした。

コメントを残す