今日は、カイロ滞在中に訪れたメンフィス(Memphis)とサッカラ(Saqqara)のお話を・・・
MEMPHIS メンフィス
メンフィスは、エジプト第一王朝(BC3100~BC2100年頃)の首都として建設された古王国時代の首都。 新王朝時代トトメス三世によって都がテーベ(=ルクソール)へ移されるまで、政治・経済の重要都市として栄えていました。 残念ながら、度重なるナイル川の氾濫により破壊し尽くされ、現在ではプタハ神殿の跡地にこじんまりとした遺跡が残っているだけとなっています。
メンフィスのスフィンクス
(ニコニコ顔のスフィンクス)
BC1200年頃に作られた、体長10mのアラバスター(雪花石膏・せっかせっこう・Alabaster)製。
ギザのスフィンクスには鼻もヒゲもないけれど、こちらのスフィンクスは、付け髭もある非常に端正な顔立ちのとても美しい像(ニコッと笑っています!)です。
ラムセス2世の巨像
(18年ぶりの再会!)
(相変わらず大きい・・・)
BC1290~BC1224年頃に制作された新王朝のラムセス2世の像です。
高さ15m(1000t.くらい)の花崗岩製。
プタハ神殿の前に立っていた巨大な立像で、体の各部の筋肉の様子など細部まで精巧に造られています。
現在ある場所で,、畑の中から横たわった形で発見されたそうです。
かつての立像は、メンフィスの遺跡の入口を入ってすぐ右の建物内に横たえて保存されており、2階の回廊から見下ろして全容を眺められるようになっています。
(天井はありますが、二階の窓にガラスが入っておらず、いわゆる”吹きさらし”状態になっています・・・これではいくら掃除してもすぐ砂埃まみれになるのでは・・・?)
(一生懸命お掃除なさってますが・・・)
同時に2体発見されたこの像のもう1体は、カイロ市内のラムセス中央駅前に建っているそうです。
SAQQARA サッカラ
カイロの西南約20キロ、ギザの南約15kmにある、砂漠に囲まれた町サッカラ。 ギザ台地に連なる石灰岩の台地にあり、第一王朝のころから数多くのマスタバ(土や日干し煉瓦製の墓。 平面は長方形で、死者はその地下室に葬られたそう) やピラミッドが造られた、古代エジプトの都メンフィスのネクロポリス(死者の町)でした。
階段ピラミッド
(犬が沢山いました)
サッカラにある多数のピラミッドの中で、最も有名なのは、古王国第三王朝時代(BC2686~BC2613年)の2代目のファラオ・ジョセル王の階段ピラミッドです。
階段ピラミッドは、世界最古(=ギザのピラミッドより古い)の石造建造物。
6重の階段状になったこのピラミッドは、(第一、第二王朝の王達の墓が土や日干し煉瓦製のマスタバ墳であったのに対し)初めて石灰岩の石材が使用されました。 高さ約60m、底辺は140×128m(=長方形)(ギザのピラミッドより少し小さい)
階段ピラミッドは、BC2650年頃、臣下の有名な建築家イムホテプが、王を埋葬する為に建造したものと言われています。
イムホテプは、従来からあったマスタバ墳(地下深くに墓を作りその上に日干し煉瓦を積み上げたもの)の上に石を4段積み重ねて最初の階段ピラミッドを造り、その後設計をやり直して西側を拡張し、最終的に6段の階段ピラミッドになった、ということです。
ジォセル王のピラミッド・コンプレックス
(葬祭殿柱廊・ピラミッド・コンプレックス入り口)
ジョセル王の階段ピラミッドは、ピラミッドを中心として中庭、葬祭殿、神殿etc.が作られたピラミッド・コンプレックス(複合建設)となっており、周りは高さ10mの周壁で囲んでありました。
テティ王のピラミッド
(昔は四角錐だったテティ王のピラミッド)
第六王朝最初の王・テティ王のピラミッドは、外から見ると、(はっきり言って)”単なる砂山”にしか見えませんxxx
・・・が、このピラミッドの中には「ピラミッド・テキスト(王が死から蘇生して来世で復活する時の儀式で唱えられる呪文)」があるのです! (ちなみに、ギザにある第四王朝の王達のピラミッドには、「ピラミッド・テキスト」はありません。)
最初に書かれた「ピラミッド・テキスト」は、ジョセル王のピラミッド・コンプレックスの南隣にある、第五王朝最後の王・ウナス王のピラミッド(こちらも崩れかけて、まるで”瓦礫の山“のようになっていますxxx )内にあります。
(ウナス王のピラミッド)
・・・でも、「ピラミッド・テキスト」を見学できるのは、テティ王のピラミッドだけだそうです!
天井の低~い下降通路を下りると、左右に部屋があります。
右側の部屋の奥に、黒い石棺が置かれていました。 (石棺の蓋が壊れていて、中を覗けます・・・何も入っていませんがxxx)
(よく磨かれた石棺)
この玄室(=古墳の中の棺をおさめる室)の壁には「ピラミッド・テキスト」がぎっしりと書かれていて、テティ王の名前がた~くさん彫られてあります。 もちろん読めませんが、なんとなく、王を称える詩のように見えました。
(読めたら面白かったんでしょうねぇ・・・)
玄室の天井は切妻屋根で、一面に星が彫り込まれています。
(一見ヒトデのような星)
ぐるりと見渡すと、所々天井部分の石がずれていて(=地震で崩れてしまったのだそう・・・)ドキッとします。
次に左側の部屋に入りますと、こちらは何もありません。 玄室に比べると天井も低く、湿った匂いがしました。
現地のガイドさんは、「右側が王の墓で、左側は王妃の墓」だとおっしゃっていましたが、ピラミッドの中にいたガイドさんは、左側の部屋を「王が食事をする部屋」だと説明していました(・・・どっちなの???)
メレルカのマスタバ
(マスタバの入り口)
テティ王のピラミッドの入り口の向かい側に、テティ王の宰相であったメレルカのマスタバがあります。 なんでも、テティ王の長女の旦那様だったとか(・・・と現地のガイドの方がおっしゃっていました・・・ホントかな?)。 古王国時代最大の墓で、サッカラで一番規模が大きく、32部屋から構成されており、各部屋の壁には、メレルカの肖像画が描かれています。 隣に必ず(!)奥様も描かれているのですが、メレルカの威厳を示す為に、奥様の方は彼の膝下(!)くらいの背丈で描かれ、奥様は片手に必ず蓮の花を持ってその匂いを嗅ぎ、もう片方の手は必ずメレルカのふくらはぎの辺りに添えられていて、面白いなぁ~と思いました。 メレルカの肖像画以外には、ナイル川での漁の様子(網の中には様々な種類の魚が沢山描かれていました)や、カバ狩の様子、水辺の植物やカエルなどの生き物の絵などが非常に精密に描かれていました。
(ナイル川での漁の様子を描いたレリーフ)
玄室近くの部屋になると、奥様と手をつないだ肖像画に変わり(ここからは奥様もメレルカと等身になります・・・でないと小さ過ぎて手がつなげないからだそうです)、メレルカの指揮に合わせて奥様がハープを奏でる絵があったりして、胸にジ~~ンときました。
(本当は私も、夫と一緒に音楽を楽しみたかったなぁ~・・・)
隣接して奥様用のマスタバがあり、各部屋に奥様の肖像画(彼女の両隣には、ミニサイズで描かれた子供達の肖像画)が描かれ、また、子供達用のマスタバでは、玄室前の部屋に、「死の国を恐れるな」と勇気付ける父メレルカと手をつないだ子供達が描かれていました。 これまた感動的!
部屋によっては、絵(レリーフ)が下手(まるで子供の絵のよう?)だったりしたので、「この部屋の絵は完成していないのですか?」とガイドさんに尋ねると、「部屋によって担当アーティストが異なったので、あまり上手でないアーティストが担当した部屋の絵はいまいち」なのだとか。
サッカラは、ネクロポリスですから、有名なピラミッド・マスタバのまわりに、まだまだた~くさんのマスタバがあって、それらも見学できるようになっています。
(あるマスタバの中で、
現地ガイドに勧められて撮った
レリーフの写真)
(また別のマスタバの入り口前で)
(「もっと中に入っていいよ」とガイドに言われましたが、
とっても狭くて暗くて気味が悪かったので
やめておきました・・・お墓ですし・・・)
エジプト遺跡に興味のある方は、こちらのサイトも面白いですヨ!
(http://www.ohba.co.jp/poper/bunmei/egpt/egpt_03.htm)
(http://www.geocities.jp/kmt_yoko/WHE_MemphisPyramids-2.html)
いつもながらmisaeさんのレポートの内容の濃さには感心しますね!時間ある時、しっかり読ませていただく習慣になっています。なので、今日はコメント控えます。かんたんにコメントだすのは失礼。いや、自分が納得しないのでね♪とりあえずCairo乗務、お帰りなさい♪
>がんぶぅさん
ありがとうございます。
学生時代、古代史に本当に興味があって、「海外旅行へ行くならエジプト!」とずっと思っていた(のに結局初めての海外はハワイでしたが・・・)ので、エジプトの遺跡は何度見に行っても飽きません。
でも、時が経つにつれ、勉強したこともどんどん忘れてしまって・・・今回、ガイドさんの説明を聞きながら、記憶と一致しなくなっていることを反省して、帰ってからいろいろ調べたのです。 (本当にレポートを書いてる気分でした!?)
古代史はやっぱり面白いです!
いつか南米の遺跡も見に行きたいなぁと思っています。
南米!同感です。古代の遺跡、世界遺産も含めてもっとも興味のあるのは南米です。まずは空中都市マチュピチュ。とんでもなく高くて険しい山の上、ワイナビチュの頂上にさえ築いている、まさに天空の城。見渡す限りアンデスの山々。
砂漠に描かれたナスカの地上絵。空を飛べなかった古代人が、なぜにこのような芸術が描けたのか。その地に立ち、その空を飛んで自分の目で見てみたいものです。
巨大なインカ帝国の中心、クスコ。精緻な石垣、巨石で出来た建造物、豊富に金を使った装飾。スペインからの侵略者が無残にも取り壊さなかったら、素晴らしいものが見られたはず。
エジプトも同様ですがピラミッドを荒らした心無い盗賊たちがいなければ後世にもっと感動を呼ぶ光景があったのです。
最近でもアフガニスタンのバーミヤン遺跡。ソ連の進行での被害、そしてビンラディンらテロ組織による破壊!彼らにも言い分はあるのでしょうが、世界中の人たちと祖先への冒涜、そして、我々の子供たちへの大きな損害。悲しいものです。
チラッと書かれているように夫婦の間でも芸術、文化、なかなか同調できない寂しさって空しいですね。
>がんぶぅさん
そうなんです、私もマチュピチュ、ナスカ、そしてクスコに、いつか行ってみたい!と思っているんです! (いつか、子供達が大きくなったら・・・一緒に行きたいと言ってくれたら一緒に。)
謎だらけの古代遺跡、いつか謎が解明される日がくるのかしら・・・