広島到着後、駅から歩いて5分程の旅館へ。
久し振りの旅館・・・ホテルじゃなくて旅館です・・・畳にお布団。 お風呂、お手洗い、洗面所は共同。
修学旅行みたいでした。
マリアの夜中のトイレに毎回付き合うのがちょっと大変でしたがxxx
夕食はもちろん広島風お好み焼き♪
ワンフロアーに15件ものお好み焼き屋さんが連なる、『駅前ひろば』という所に行ってみました。
エレベーターを6階で降りると、もういい香りが・・・♡
子供達と3人でとりあえず2周ほど歩いてみました。
マリアが「ここがいい!」と決めたお店"HOPE"へ。
広島風お好み焼き、初めて食べましたが、美味しいですねぇ!!!
好き嫌いの多いマリアが「美味しい!」とたいらげた、数少ないメニューの一つとなりました。
翌日は早朝から宮島へ。
フェリーに乗って、子供達は大喜び (*^-^*)
きれいでした、厳島神社・・・これは世界に誇れますね・・・

子供達は、そんなことより、鹿(←宮島にも鹿が沢山!)とフグ(←厳島神社からふと海を見たら、フグだらけでした・・・ご存知でしたか???)に夢中でしたが(笑)
清盛神社発見♪ 折角なのでミハーリを入れて記念撮影。
お昼は名物あなごめしをいただきました♪
厳島神社参拝中、どんどん潮が引いていっていたので、あと数時間ねばったら、鳥居まで歩いていけたのかもしれませんが、時間切れxxx
宮島から、今度は世界遺産航路で平和公園へ。
マリアが見たがっていた原爆ドーム(←一時帰国中に見たドラマ『広島・昭和20年8月6日』の影響)・・・迫力ありました。
広島平和記念資料館見学後、路面電車で旅館へ一旦戻り、
宮島で買った紅葉饅頭(12種類!)を食べた後、
駅前の床屋さんでミハーリ散髪。
夕食はまた前日と同じお店で広島風お好み焼き・・・マリアが、店員さんから Hello Kitty グッズを沢山お土産にいただき、それはもう大喜びでした。
二晩連続で食べても、とっても美味しかったです、広島風お好み焼き♡
その翌朝、新幹線で博多へ。
ミハーリの補習校の担任の先生であるM先生と合流し、折角なので博多ラーメン(美味しかったデス!)を頂いてから、長崎へ。
ホテルにチェックイン後、(数年前に日本に本帰国した)マリアの補習校のお友達Rinちゃんご一家と合流。 Rinちゃんのお父様が偶然にもM先生と同級生だったことが判明。
皆でまずは出島へ。
ユトレヒトのディック・ブルーナ・ハウス(=ミッフィー美術館)では英語とオランダ語に加えて日本の表示もあるのに、
出島の展示物の表示が、英語と日本語だけだったのが、なんだか非常に残念でした。
夕食にはM先生お勧めのお店、九州最古の喫茶店ツル茶んへ。
念願のトルコ・ライス+長崎名物のミルクセーキを頂きました♪
美味しかったデス 

ホテルに戻って、部屋でテレビを見、マリアを先に寝かせて、翌日のプランを練っていると、
23時45分頃だったでしょうか、
廊下で物音がして、部屋のドアの前に人影が・・・(←ドアの下に少し隙間があって廊下の光が漏れているので、ドアの前に人が立つと陰が映るのです)
隣りの部屋のミハーリ(←ミハーリはM先生と同室)が来たのかと思って
「ミハーリくん?」
と声をかけたのですが無反応。
もう一度、もう少し大きな声で
「ミハーリくん?」
と声をかけたけれど無反応。
代わりにマリアを起こしてしまい、
「どうしたの・・・?」
と聞くマリアに、事情を説明すると
「ママ、絶対ドア開けちゃ駄目だよ。」
と冷静なアドバイス。
ドアの前の人影は、時々左右に動きながらも、まだドア前にいる・・・
(ミハーリが、私達がもう寝てしまっているかと思って躊躇してるのかな・・・)
(必要な時は夜中でも何でもノックしていいと、ミハーリに伝えておけばよかった・・・)
などと思いながら、マリアに
「部屋の中で話してる声って、廊下に聞こえる?」
と聞くと、
「隣りの部屋からは聞こえないけど、廊下からは聞こえるよ」
・・・ということは、人影がミハーリなら、中から声が聞こえる=起きている=躊躇する必要なない
訳で・・・ということは、ミハーリじゃない・・・???
だれ~
???

午前0時をまわる頃、人影はようやくどこかへ行ってしまったのですが、
一体誰だったのでしょう・・・
翌日、フロントで、同じ階に他に宿泊客がいるかどうか念の為聞いてみたら、
いる、とのこと。
でも、別の宿泊客だったにせよ、オバケだったにせよ、どっちにしても不気味デス・・・

長崎二日目のプランは、以下の通り:
大浦天主堂の近くに、(尊敬してやまない)コルベ神父様の記念館を発見!
お昼は、ちゃんぽん発祥の店、四海楼へ。
『ちゃんぽん』『蓋付きちゃんぽん(=大正~昭和初期の出前用ちゃんぽん)』『皿うどん』『炒麺(=細麺の皿うどん)』の4つを注文。
『ちゃんぽん』は流石100年を越える伝統の味!・・・大変美味しかったデス 

メニューの説明を読んでいて「へぇ~!
」と思ったのは、

「皿うどん」は、
四海楼初代、陳平順が
ちゃんぽんのバリエーションとして創ったもので、
ちゃんぽん麺を強火で焼き、
少なめのスープを加え残らず麺にしみ込ませた料理です。
うどん状のものを皿にのせて出したことから
皿うどんと名付けられました。
一方「炒麺」は、
極細の油揚げ麺に五目あんかけをかけた、
カタ焼きそばのことです。
いつの間にか
この炒麺も皿うどんと呼ばれるようになり、
今日に至っています。
私も『皿うどん』=『カタ焼きそば』だと勘違いしていましたが、本場長崎出身のM先生もそう思っていらしたのは意外でした (O.O;)
昼食後、同じ建物内のちゃんぽん博物館見学後、原爆資料館へ。
その後、閉館時間ぎりぎりで浦上天主堂も見学。
長崎の夜景もとても素晴らしかったです。
Rinちゃん一家のお陰で、子供達もとても楽しく過ごせたようです。
この日の夜は、ホテルの部屋のエントランスの電気を消し忘れ(=廊下の光が漏れず)、
前の晩の謎の人影の再訪問があったかどうか、わかりませんでした。
テレビで、
「カナダのブリティッシュ・コロンビア州から帰国した横浜の高校生が、新型インフルエンザ感染の疑い」
というニュースを見て
「ブリティッシュ・コロンビア州・・・
って、フライト先だったバンクーバーがある州?!( ̄□ ̄;)!!」
前の晩とは別の理由で少々ビビリながら就寝。
5月1日、あっという間の3人旅を終え、博多&姫路経由で東京へ。
この日は8時間以上電車に乗っていました・・・

車窓から見えた富士山がとてもきれいで感動しました

またいつか、子供達と日本国内旅行をしたいです。
(頑張って貯金せねば!
)

こんにちは(*^_^*) お子様と一緒のご旅行楽しそうですね。きっと、ミハーリー君もマリアちゃんも、いい思い出になったでしょうね。私は“だんご”の方に目がいってしまいましたが(*^_^*)皿うどんって、揚げ麺のあんかけかと思ってましたが違ったんですね。都市伝説のある“泉の広場”の近くにも有名な“ちゃんぽん”のお店があり、よく行くんですが、そこの“皿うどん”も揚げ麺のほうですね~。添乗員のOFFICEが、泉の広場の近くにあるので、その薬局でよくお買い物します(^_^)でも、そんな伝説があるなんて知りませんでした(^o^) 私たちの間では“援交の待ち合わせ広場”の方が有名ですけど(^_^;)宮島の“ふぐ”も知らなかったです。子供のころは、潮干狩りや蝦蛄採りに行ってた記憶はありますが・・・ 小学生のころ夏休みのおやつに、よく“蝦蛄の塩茹で”食べてましたけどね~ なんか、子供のおやつではなく居酒屋メニューみたいですね(*^_^*)でも、食卓によく河豚のお刺身出てたから、私が知らなかっただけなんでしょうね。“もみじ饅頭”いろいろ種類あるんだ~子供のころの比べて種類ふえてます(^_^;)広島風のお好み焼き、マリアちゃん気に入ったんですね(^^♪わたしもたまに食べたくなります(*^_^*)原爆ドームは、マリアちゃんのリクエストだったんですね。8月6日が近づくと、必ず学校で歌わされた歌があります。『原爆ゆるすまじ』って歌なんですが、 ふるさとの街やかれ 身よりの骨うめし焼土(やけつち)に今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を 三度(みたび)許すまじ原爆を われらの街にふるさとの海荒れて 黒き雨喜びの日はなく 今は舟に人もなしああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を われらの海にふるさとの空重く 黒き雲今日も大地おおい 今は空に陽もささずああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を われらの空にはらからのたえまなき 労働にきずきあぐ富と幸 今はすべてついえ去らんああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を 世界の上に 世の中から争いは無くなって欲しいですね。PS インフルエンザで関西は大変です。私たちも、マスク義務付けられ、会社からマスク支給されました(-_-;) おかげ?でこの一週間、スーパー暇でした(^_^;)海外でマスクの集団見たら、日本人のグループですね・・・
>miyoさん広島、本当に良かったです!! 食べ物も美味しかったし、原爆ドームも本当に印象的でした。いつかまた子供達と一緒に訪れたいです。学校で歌われた原爆の歌の歌詞を、今でも全部覚えていらっしゃるのですね・・・(感心)世界から争いごとがなくなる日、いつかくるのでしょうか・・・