2010年9月
(JFK)
右手右腕の痛みと痺れで約1ヶ月乗務を休んだ後の、本復帰乗務はニューヨーク便でした。
機種はボーイング777-200。
担当はエコノミークラス。
エコノミークラス前方のギャレーに、オランダ人の同僚と3人で入ります。
今回の相棒は恐らく同世代のヘレーンとマルラナの二人。
今回は、ブリーフィング中にパーサーから注意があった機内の手荷物の収納(←緊急で離陸中止があった際、きちんと収納されていなかった手荷物が中に舞って通路に散乱し、緊急脱出時にその荷物に躓いた人々がドミノ状態に倒れてしまったことがあったので、手荷物は荷物入れに収納するか、前の座席の下に入れる場合は、きちんと奥まで入れるように!との注意・・・皆さんも注意して下さいネ)に特に気を付けて・・・。
赤ちゃんの多いフライトでしたが、これが不思議と泣き止むんです、泣いてる赤ちゃん。
前にも書いたことがあったと思いますが、やっぱり私の肩の辺りをジッと見つめて、笑顔になる・・・赤ちゃんにしか見えない何かがのっかってるのかな・・・???
サービスの合間は相棒達と世間話をするのですが、
今回の話題はちょっと衝撃的というかちょっと勉強になりました。
相棒の一人ヘレーンは私の一つ年下で、私とほぼ同じ頃(約2年半前)に離婚。
離婚の数ヶ月前にフライト先のボネール島で知り合った現地の方と恋に落ち、子連れでボネール島に移住(←確か子供はまだ小さくて3歳くらい?)。
1年ほど同棲したが上手くいかず、子供と一緒にオランダに帰国。
間もなくして再びフライト先で知り合った副操縦士と現在恋愛中だが、彼は妻子持ち。
しかしながら、前のフライトで魅力的なビジネスクラスのお客様(オランダ人)と知り合い、偶然にも今ニューヨークに出張中で、偶然にも帰りの便に搭乗予定なので、今夜は彼とデートすることになっていて、フライト中もずっとそわそわしていました。
離婚して同じく2年半経つ私といえば、新生活に慣れるのに手一杯で、恋愛している暇なんてなかったというか、子供達との3人暮らしがあまりに平和で快適で、すっかり満足していたというか。
そうこうしているうちに元夫にLAT relation (Living Apart Together=別居でお付き合い) という形での復縁を申し込まれて、なんとなくOKして今に至る・・・
なんて対照的・・・ヘレーンを見習うべきなのか・・・???
ニューヨーク到着後は、買い物がある同僚達は早々に出かけ、残った者で夕食へ。
夕食組みは、機長と副操縦士とヘレーンと私の4人。
夕食後に、例のビジネスクラスのお客様とのデートがあるヘレーンは、スパンコールの付いたゴージャスで、胸元がざっくり開いて激ミニの超セクシ~な黒のワンピースで登場・・・彼女は平均的なオランダ人女性の体型(=身長180cm弱、がっちり型)なのでそれはもう、ものすごい迫力デス・・・(^^ゞ
同世代(=ぎりぎりアラフォー?)の私は「あり得ない・・・(^_^;)」とちょっと引きましたが、コックピットの二人はあからさまに嬉しそうだったので、またちょっと勉強になりました(笑)
夕食後、ホテルに戻ると、アムステルダムへ向けて出発予定のクルーが、ホテルpick up 予定時間を1時間も過ぎているというのに、まだロビーに。
事情を聞くと、なんでも、私達が到着した直後に大嵐が来て、空港閉鎖になり、私達の次の便(←ニューヨーク便は一日2便あるのです)はニューヨークに降りられず、ボストンに臨時着陸し、まだ、いつニューヨークに到着できるかわかっていない、とのこと。
私達の到着があと5分でも遅くなっていたら、私達もニューヨークに降りられず、どこかに臨時着陸することになっていたのかもしれません・・・毎度の事ながら、ギリギリのところで災難を免れることが多い私・・・(*^-^*)
ようやく彼と連絡が取れたと、ヘレーンは嬉しそうに彼の泊まるホテルへと出掛けて行きました。 一回機内で会っただけのお客様と・・・勇気あるなぁ・・・私にもできるだろうか。
翌日は、同僚達と一緒にホテルで朝食をとってから、行きつけの楽譜屋さんへ・・・
向かったはずが道を間違え(恥)、偶然見つけた紀伊国屋書店へ。
子供達が(私もですが・笑)ハマっていたアニメ『Death Note』の実写版の映画のDVDが売っていたので購入。 日本国外で買うと、確実に英語の字幕が付くので、子供達も友達と一緒に観られていいかなと思って。
その後、いつもの楽譜屋さんへ。 前回も名刺を下さった、奥さんが日本人だという店員さんから今回も名刺を頂く。
Callingの2時間前にホテルに戻り、30分ほどマリアとスカイプで話し(スカイプは便利ですねぇ!)仮眠を取って、帰りの乗務。
ホテルから空港まではクルーバスで1時間くらいかかるのですが、外の景色を見ていてビックリしました・・・高速道路沿いの大木が、ことごとくなぎ倒されていて・・・それはもうまるでゴジラか何かが踏み倒していったのかと思えるくらいの凄まじさで・・・同僚達も声を失くしていました( ̄□ ̄|||)
一体どんな大嵐だったのかと想像しかねていると、日本の友人からこんな画像が・・・↓
マジで???