ずっと書けずに中断してしまっていたフライト日記を、これから少しずつ、遡って書いていきたいと思います (*⌒―⌒*)
まずは、今から約1年半前、ステイ先で頚椎ヘルニアを発症したトロント便・・・がんばって思い出します!
~~~♪~~~♪~~~♪~~~♪~~~♪~~~
2014年6月
(YYZ)
2014年10月末に引退した懐かしのMD-11(˘ᵕ ˘人)ஐ:*
残り2機となり、乗務暦20年以上のTweebander (制服に白線が2本入っているCA=ビジネスクラスの訓練を受けたCA) だけが最後まで乗務資格を持ち続けられたMD-11・・・
(それ以外のCAでMD-11の乗務資格を持っていた人達は皆A330やB777に移行)
だから、MD-11は毎回、客室乗務員は全員乗務暦20年以上のベテランTweebanderというフライトでした。
就航先もモントリオールとトロントの2都市となり、この2都市ばかり、嫌というほど何度も何度もアサインされていたことが、今となっては懐かしいです (*⌒―⌒*)
KLMのMD-11には著名な女性の名前が付いていたのですが、
リストを発見したのでご紹介しますネ↓
PH-KCA Amy Johnson
PH-KCB Maria Montessori
PH-KCC Marie Curie
PH-KCD Florence Nightingale
PH-KCE Audrey Hepburn
PH-KCF Annie Romein
PH-KCG Maria Callas
PH–KCH Anna Pavlova
PH-KCI Mother Theresa
PH-KCK Ingrid Bergman
最後の2機は確かFlorence Nightingale とAudrey Hepburn で、
2014年10月末にラストフライトを飾った飛行機は(お母様がオランダ人だからかしら・・・)Audrey Hepburnでした (*⌒―⌒*)
(↑ 離陸直後のオランダ上空・・・夕暮れの空が美しい(˘ᵕ ˘人)ஐ:*)
(↑ いつMD-11ラストフライトになるかわからないからと撮っておいた写真でしたが、
本当にこれがわたしのMD-11ラストフライトになってしまいました(><))
クルーホテルの部屋に入った時ふと時計を見たら午後5:55で、
珍しい!と思って
(111 とか1111 とか 222 とか2222 とか333 はよく見るのですが、555 は滅多に見ないので)
撮った写真・・・
ゾロ目555の意味→大きな人生の変化がやってきます。この変化は「肯定的」「否定的」というふうに見るべきではありません。なぜならすべての変化は人生の流れの自然の一部に過ぎないのです。この変化はあなたの祈りへの応えかもしれません。ですから心を静かにして自分自身を見つめ、感じ続けてください。
そしていつものように同僚達とクルードリンクに出掛け・・・
GINGER ROGERS という、とっても美味しいカクテルをいただき・・・
とても美味しいサラダをいただいて、
ホテルに戻り、就寝・・・
数時間経って、
左の首から肩にかけての強い痛みで目が覚めたのが午前3時過ぎ。
悪い予感がして、
動けるうちに着替えようと、シャワーを浴びている間にみるみる痛みが増し、
痛みで左腕は使えなくなってしまったので、
右手だけで着替えているうちに4時半を回り・・・
ゾロ目444の意味→あなたの周囲の至る所に天使が居ます!あなたは沢山の天の存在によって愛され、支援され、導かれています。ですから、何も恐れることはありません。
ちょっと安心しました・・・痛みは増すばかりでしたが (^^ゞ
トロントは1泊のスケジュールでしたので、
「これはもう帰りの乗務は無理」
と判断し、
痛みと戦いながら片手で荷作り開始。
まぁ例え荷作りできていなくても、恐らく他の同僚が代わりに荷作りしてくれるとは思いましたが、
きっとぐちゃぐちゃに詰め込まれるだろうと想像したら、自分でできるなら自分でやってしまおうと思って (^_−)−☆
それに、この時間では機長もパーサーも皆寝ているでしょうし、乗務当日の夜明け前に電話で起こすのは氣が引けたので、
先に荷作りを終えてから、パーサーに連絡しようと考えたのです。
ふと時計を見たら、また555・・・
荷作りを終えたら午前7時を回っていたので
(激痛に耐えながら、片手で荷作りしていたので、2時間もかかってしまいました)
パーサーに電話。
「企業医に連絡して、折り返し電話するので待っているように」
とのことだったので待っていたのですが、なかなか電話がこない・・・
30分くらいしてから
「企業医と連絡が取れないので、もう少し待つように」
と言われ、待っていたのですが、
いよいよ痛みが尋常ではなくなり、
体は震えだすは呼吸は速くなるはで、そのうち話もできなくなりそうだったので、
話せるうちにとホテルのフロントに電話をし、救急車を呼んでもらいました。
パーサーにその旨伝えると、朝食をとり次第部屋に向かうからと言われたのですが、
間もなく救急隊員が部屋に到着し、パーサーは間に合わず、
予め用意しておいた(財布とパスポートと会社のIDだけ入った)バッグを持って、
担架でホテルの外の救急車に運ばれ、一人で救急病院へ・・・
救急隊の方々はとても親切だったのですが、
救急病院のスタッフは・・・
担架の上で、激痛で体が震え、更に呼吸も速くなっていて、とても話などできない状態なのに、
(お仕事だから仕方ないのでしょうけれど)
名前は?住所は?電話番号は?
と矢継ぎ早に聞いてくる (><)
お答えしたいのは山々なのですが、もう、本当に痛くて、息も苦しくて、話せないのですよ・・・
ということさえ伝えられず、
すみませんがパスポートに全部書いてありますから見てください・・・
と心の中で言いながら震える手でパスポートを渡しました。
それから待合室で待たされること30分・・・(←パーサーに報告する為、時間はチェックしていたのです)
ようやく受付で名前が呼ばれ、車椅子が受け付け前に運ばれたものの、わたしは相変わらず、
激痛で体が震え、更に呼吸も速くなっていて、とても話などできない状態・・・
なのに、
受付のスタッフは容赦なく色々質問してくる(><)
お答えしたいのは山々なのですが、もう、本当に痛くて、息も苦しくて、話せないのですよ・・・
ということさえ伝えられず、
ただただ痛みに悶えていると、
「はい、パスポート」
って・・・
車椅子から立ち上がらないと受け取れないのですよ・・・
でも、とてもじゃないけど立ち上がれないのですよ・・・
「・・・ごめん・・・なさい・・・立ち上がれ・・・ない・・・」
なんとか伝えられて、
そうしたら身を乗り出して手渡してくださいました ε=(-。-;)
それから更に待たされること1時間・・・
誰一人いない廊下に車椅子のまま放置されていました。
これって・・・もしかして、わたしが外国人(アジア人)だから???
と疑いたくなるくらい完全放置でした。
陣痛以来の激痛に耐えるのに力尽きて氣を失いそうでしたが、
氣が遠くなるとまた激痛で意識が戻り・・・を繰り返していました。
車椅子の上で悶え苦しみながら途方にくれているところにパーサー到着。
どうして先に一人で行ってしまったのかと苦言を言われ・・・
それはあなたが朝食を取っていたからです、とは言いませんでしたが (笑)
8時くらいに救急隊が到着して、8時半には救急病院に着いていたのだけれど、10時を回った今も、まだ診察を受けていない旨
なんとか報告。
パーサーが受付に行って色々説明してくださった途端にお医者様登場。
オランダ人のパーサーの一言ですぐに診ていただけるのって・・・
ありがたいけれど・・・
やっぱり欧米人だと優先される・・・ということなのかしら???
差別を徹底的に嫌うオランダ人との違いを垣間見た氣がしました。
お医者様が
「これは頚椎ヘルニアかもしれませんね・・・」
と仰っているのに、
30分おきの体温測定と血圧測定以外は何の処置されず・・・
力尽きてぐったりしていましたが、激痛は続いていたので、せめて鎮痛剤をくださいとお願いしました。
モルヒネと同じくらい強い薬だと説明された鎮痛剤を飲み、痛みから解放されたのは、
救急病院に到着してから約4時間後、痛みで目覚めてからは約10時間後でした。
そうしている間にパーサーがホテルで待機中の機長と連絡を取り、
機長がトロントの空港や会社と連絡を取り、
許可が出たので、わたしはデッドヘッドで帰れることに。
こんな扱いを受けるなら、ここには残りたくない・・・オランダに帰ってオランダの病院へ行きたい・・・
と切に願っていたのでホッとしました。
パーサーと一緒にタクシーでホテルに戻り
(意識朦朧としているわたしの代わりに、パーサーが、わたしの財布からタクシー代を払い、「申請すれば会社から払い戻されるから」 とパーサーに説明されたのですが、申請することなどすっかり忘れたまま1年以上経ってしまいました(^^ゞ)
丁度Calling Timeが過ぎ、ロビーに集まっていた同僚達に出迎えられました。
「よかった一緒に帰れて!このまま入院してしまうのかと思って、皆でカードを書いたのよ」
と、”元気になってねカード”を受け取りました。
前日ブリーフィング・ルームで初めて出逢って、たった1回、片道一緒に乗務しただけの同僚達なのに、
本当に温かい・・・(感動)。・゚・(ノД`)・゚・。
鎮痛剤で弱まってはいましたが、痛みが全くなくなった訳ではなく、左腕にまだ強い痛みがあって、
何故か、腕を上にあげると痛みが和らぐので、右手で支えるように左腕を上げていたら、
ホテルのスタッフが枕を持ってきてくださって、車椅子の肘宛に置いたら、大分楽になりました(感謝)
(↑ 今も家にあります♪)
空港では車椅子で機内まで連れて行っていただき、ほぼ満席だったビジネスクラスの1席に座らせていただきました。
この鎮痛剤・・・非常に強い薬で、飲むと知らぬ間に氣を失います。
飛行中は、鎮痛剤を飲んでは氣を失い、鎮痛剤が切れては痛みに悶え苦しみ・・・を繰り返しながらアムステルダム到着。
(薬が切れては座席からずり落ちるほど悶え苦しみ、薬を与えられた途端に気絶するわたしに、周りのお客様はさぞ驚かれたことでしょう・・・)
ゲートから車椅子でスキポール空港内の救急医療室へ。
カナダの救急病院で出してくださった鎮痛剤は機内で飲みきってしまったので、
空港からユトレヒトまでの鎮痛剤を出していただき、
会社の車(有料)でユトレヒトへ。
ユトレヒト大学病院の救急に連れて行っていただいたのですが、
最初にちょっとだけ年配のお医者さまが診てくださって
「あぁ多分頚椎ヘルニアだね」
とカナダのお医さまと同じことを仰ったきり、
待たされること3時間・・・鎮痛剤なしで廊下で放置だったカナダの救急病院よりはマシでしたがw
定期的に体温と血圧だけは測ってくださっていたので、命に別状がないから後回し・・・ということなのでしょう・・・か??
強い鎮痛剤でますます意識朦朧としてぐったりしているところに、
今度は若い(20代前半くらい?の)女医さん(大学病院なので、もしかしたら研修医?)がいらして、
わたしの両腕を左右順番に上げたり下げたり動かした後
「大丈夫、なんでもありません、帰っていいですよ」
って・・・(;ーдー)
他の先生方はお二人とも
「多分頚椎ヘルニアだろう」
と仰っていたのに?
MRIも何も撮らずに大丈夫だってわかるものなの??
この尋常でない激痛でもなんでもないの???
いやいやいや、これでなんでもないなんてことはあり得ない・・・ヾ( ̄0 ̄;ノ
と心底思いつつ、
鎮痛剤で意識朦朧な上、カナダから戻ったばかりで時差もあり、痛みを堪え続けた疲れも出て、
反論する気力など残っておらず、已む無く帰宅。
翌日、やはり、せめてMRIを撮って本当になんでもないか確認して欲しいとホームドクターへ行こうと思ったものの、
たまたま聖霊降臨祭の週末、月曜日もお休みで、
火曜日まで待って(大学病院で出してくださった鎮痛剤も月曜日の分までの3日分しかなかったので)
(鎮痛剤でフラフラしながら)ホームドクターへ。
まずは新しい鎮痛剤を出していただき、
事情を説明して、
「なんでもないと言われたが痛みが尋常でないので念の為MRIを撮って確認したい」
と伝え、大学病院に連絡してもらったのですが、
2ヶ月待ちで、8月以降でないとMRIは撮れないとのこと・・・(;ーдー)
(あの時MRIを撮って欲しいと頼んでいれば・・・と悔やむ)
日本の友人の好意で、7月初めに東京でMRIを撮っていただき、
頚椎ヘルニアであることが確定した写真を持ってユトレヒト大学へ戻り、
手術が必要だと言われ、予約をとろうとしたら、これまた
2ヶ月待ちで、9月以降でないと手術できないとのこと・・・(;ーдー)
再び友人の好意で、8月に東京で手術・・・と帰国したのですが、
日本のお医者さま方は
「手術はしない方がいい」
と仰るので、
手術の成功率が70%しかない(=30%の確立で失敗する)ことを考慮して、
結局手術はせず、気功や整体、そしてメタトロンでの治療を試みることに。
その時の治療・病状の詳細はこちら→『手術の為の一時帰国でしたが…』
気分転換が効果あると聞き、モデル体験等、治療の合間にしたことはこちら→『ストレス発散.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) 』
そして約1年半経った今、
両手指に痺れがあるものの、日常生活や乗務には支障なく暮らせています(感謝)
趣味のピアノとフラメンコだけ、以前のようにはできなくなってしまいましたが、
できる範囲で楽しめていますので、十分幸せです (*⌒―⌒*)
なんだかフライト日記というより医療日記みたいになってしまいました(^^ゞ
misaeさま・・・いつも動画ありがとうございます。思わず涙がこぼれました。理由は・・・人生いろいろな事があるもので私は思いもかけない詐欺にあったのです。投資詐欺です。引越しするつもりで用意していた家の購入資金全て失いました。もともと親の代から株式投資はしていたのですが今年の年初から日経平均が6日間連続で暴落しその後日銀がマイナス金利導入発表後また暴落しました。為替も10円以上も急激に円高になり今年の春闘も賃上げが危ぶまれ年金や保険も減額の可能性ありと安倍総理が発言しました。年金資金や保険機構は株式で運用しているからです。世界的に経済が不透明なのです。それでも日本国内で運用していれば全て失う事はないのですが私の場合今回海外の証券会社に運用任せでゼロになり仲介の担当者と連絡が取れず気がついたときには・・・詐欺だったのです。1ヶ月ほど立ち上がれず5キロ体重が減りました。今は少し食事も取れるようになりやっとmisaeさまにもメールできるようになりました。自分のしでかした事です。当分家は買えません。車は手放しました。いくら乗ってもタクシ-の方が経済的だと判断しました。毎年シーズン毎に購入していたブランドの服とバッグも当分休みます。この数年は良いことがなく今回で心がシンとしてしまっていますが生きなければと思っています。また次のフライト日記までには少し元気になろうと思います。misaeさまの美しい生き方にいつも感心しています。健康だけは注意して。三坂瑞枝より
瑞枝さん、
コメントありがとうございました (*⌒―⌒*)
詐欺・・・大変でしたね(><)
嫌な目に遭った時にわたしがいつも思うのは、嫌な目に遭わせる方でなくてよかった!ということ。
誰かを嫌な目に遭わせることの方が、嫌な目に遭わされることより、もっと心を黒く濁らせると思うのです。
嫌なことの後には必ず良いことが起きます・・・楽しみですネ.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))
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