美しい心

美しい唇である為には、

美しい言葉を使いなさい。

美しい瞳である為には、

他人の美点を探しなさい。

オードリー・ヘプバーンの名言ですが、

聖書に

たとえわたしが人のことば、また天使のことばを語っても、愛がなければ、響くどらや騒がしいシンバルに過ぎません。

とあるように、

ただ美しい言葉を使うだけでは

(そこに美しい心が伴っていなければ)

それはただの雑音でしかありません。

ただ他人の美点を探すだけでは

(そこに美しい心が伴っていなければ)

瞳は嫉妬で知らぬ間に曇ってしまうでしょう。

心のこもっていない

「誠にありがとうございます」

心のこもっていない

「誠に申し訳ございません」

は相手の心に響きません。

心のこもった

「ありがとね」

心のこもった

「ごめんね」

が心に響くのです、

目は心の窓

と言われるように

心が美しければ

自然と言葉も美しくなり

自然と他人の美点に目が行くようになり

自然と瞳も美しく澄んでキラキラと輝くものです。

氣を付けるなら

言葉遣いより

まず

遣い✨

美しい言葉を使うこと

よりもまず

美しく澄んだ心を持ち

一つ一つの言葉に

その美しく澄んだ心を込める…

それを心掛けたいものですね✨

(彼女のように素敵に歳を重ねたい…(˘ᵕ ˘人)ஐ:*)

・:*:・Happy New Year・:*:・

misae2019FB
今年は
マリアは東京、ミハーリはユトレヒト、わたしはアムステルフェーンで
新しい年を迎えました・・・(オランダはまだですが とりあえず日本時間で (^_−)−☆  )

オランダでの年越しでしたが
年神様を迎えるために身を清め(←お風呂です)、
せっかくなので日本で着ようと思っていた準備していた着物を着、
除夜の鐘を聴き(←YouTubeです)、
瞑想をして、
いつも家族でしていたように
今年の抱負を思い描きました (*⌒―⌒*)
(↑ これ実現します、おすすめです)

今年の抱負は
1.(外面内面共に)年齢設定を戻す
30歳を過ぎたあたりから実年齢は氣にならなくなっていたのですが、
ここ数年氣にするようになった途端に
体力が落ちたり体調を崩すようになったので、
実年齢は氣にせず、
年齢が氣にならなくなったあたりに年齢設定を戻す・・・
語呂がいいので33歳とする
2.体力&体型保持のために運動する(フラメンコ&卓球&独自のエクササイズ)
3.あとは今までどおり=心のまま
愛(=感謝&ゆるし)と光(=希望&信仰=ワクワクすること&信じること)を持って
平和に心穏やかに 笑顔で生きる.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))
です♪

2019年も
皆さんにとって感謝に満ちた幸せな良い一年となりますように…!

チャチャ遠藤〜亡き叔父のこと

(今日は…書きかけになっていた叔父の話を)

昨年7月末、18歳の誕生日を迎えて(=オランダでは成人して)すぐ日本へ移住し、
日本で女優を目指す!
と日大芸術学部映画学科演技コースのAO試験を受けていた娘から、
合格したとの知らせを受けた時、
感無量になりながら、
日大芸術学部OBだった叔父のことを思い出していました。

叔父はもう15年以上前に肺癌で59歳の若さで亡くなったのですが、
アメリカで本格的にダンスを学び、
帰国後、映画やテレビにも出て活躍していたJazzダンサー&振付師でした。

叔父のことで印象に残っているのは、

① 体型…50歳を過ぎてもまるで20代の青年のようだったこと…自分も50代になって、
それがいかに難しいか実感し、改めて衝撃を受けています。

② NHKのJazzダンスのレッスン番組で「ズルしない!」と生徒さんを叱ったこと…
テレビ越しにわたしまでドキっとして「わたしもズルしないようにしよう!」と思いました。

③ 赤やピンクの服は妹に譲ってブルー系の服ばかり着ていたわたしに
「misaeには赤が似合うよ」と赤い服をプレゼントしてくれたこと…それまで(ほぼ自動的に妹=赤・ピンク系、わたし=ブルー系でしたから)自分自身も含めて、わたしに何色が似合うかなんて考えてくれた人はいなかったので、後になって改めて感激し、似合う色だけじゃなくてもっともっと色々相談に乗ってもらいたかった…!と思うのでした。

オランダでサルサやフラメンコを踊るようになってから、
(踊っている時はいつも叔父がそばにいてくれているような氣がして)
叔父のことを度々思い出していたのですが、
今回、娘が叔父の後輩になることになり、なんだか無性に懐かしくなって…

ネットがなかった時代の人なので
10年前にわたしが少しだけ叔父のことを書いたフライト日記以外
検索しても何も出てこないだろうと思ったら、
松本 誠さんと仰る俳優さんのブログがヒットしました。

2015年6月25日に「お疲れ様でした」というタイトルで、
叔父のJazzダンススタジオを引き継いだ山本先生という方にダンスを習っていらしたと。
叔父に「一度お会いしたかったな…」と書いてくださっているのを読んで、
「あぁ本当に是非会って欲しかった!」と思いました。

松本誠さんのブログ記事が上手くリンクできなかったので写真を撮りました↓IMG_4398

昨夏、台風の高波で半壊してしまった館山の別荘は
元々は叔父の別荘でした。
星が綺麗で、UFOも良く現れたと叔父が話していました。

その別荘で叔父と一緒に撮った写真がどこかにあったはず…と思って
探したら出てきました…多分30年前の写真 ↓img561.jpg

今朝、急にこの書きかけのブログを思い出して
(なかなかまとまった時間を作れず
書きかけのまま下書きに残っているブログが沢山あります(^^ゞ)
もう一度、叔父の名前で検索してみたら、今回は沢山ヒットしました。

ドライフラワー雑記139
(2002年8月7日)
『伝えたかったこと』
チャチャ遠藤さんはダンサーで振り付け師だった。
個人的な思入れもあるのかもしれないが日本人ダンサーというと、彼の顔が浮かぶ。
しばらくの間、レッスンスタジオに通っていとことがあり
彼の動きを目の前で見ることが出来た。
舞台で踊るチャチャ先生に感動した記憶の一部も鮮明に残ってる。
あるラジオの番組で、映画評論家のおすぎが
すごい才能と絶賛してるのを聞いたことがある。
ボクはそれを言わなくちゃと思っていたのに、それっきりになってしまった
演出家の宮本亜門は
チャチャの才能は認めるけど、今日は気分が乗らないから、って帰って行っちゃうんだよ、、
と言っていた。
そうそう、キミには出来ないだろう、と
ボクは不思議にうれしい気分になったもんだ。
101でのレッスンの時、彼が手本を示し、その回転技のすごさに
思わずみんなで拍手したこともあった。
こんはことはめったにないことだ。
いなくなってみると、伝えておけばよかったと
残念で仕方がない。
ステージ101がNHKの番組に出ることになり
久しぶりで集った
そこで、チャチャさんが亡くなったことを聞いた
肺がんだったそうで、背中が痛いと言った時にはもう手遅れだった
今ごろは天国で踊っているんだろうか?
なんて言ったら、恥ずかし過ぎるけれど
背中に羽根が生えてたに違いないジャンプを想い浮かべると
天使も嫉妬するような振り付けを
自作自演してるに違いないとボクは思う

チャチャ遠藤先生とマイケル
(2009年6月29日)
マイケルの音楽と言えば真っ先に思い出すのは 
チャチャ遠藤先生の事だ 
チャチャ先生は一世を風靡したジャズダンスの振り付け師だ 
そのチャチャ先生も7、8年前 すでに他界している 
わたしが養成所時代その前後 チャチャにレッスンを受けていた
チャチャが踊って見せるととてつもなく格好良く あこがれて一生懸命やったが マッチョな私には限界があった 
でも頑張った。 チャチャもそれを認めて 
少数レッスンクラスにも入れてくれた。 
そりゃ叱られた。期待されてるのはわかるがあまりにも厳しく叱られた。竹下通りを一度だけ泣きながら帰った事がいい思い出だ。
レッスンはほとんどソウル系の音楽 マイケルも多かった。 
今追悼でマイケルの曲がいっぱいかかるが 
体が踊りモードに入って動きだす 
オールザットジャズ 
ロイ・シェイダーが全盛の頃だった 
ジャズダンスの衰退と共にチャチャ先生も大きい仕事をしなくなってきた。 
亡くなる二年前くらいに偶然会ったんだよねチャチャと 
もう一回 あの頃みたいな情熱的な踊りを作りたいって言ってた 
あれが最後の会話になってしまったなあ
僕に初めて芸能の厳しさを教えてくれたのは紛れもなくチャチャ遠藤先生です 
チャチャ先生 ありがとうございました。 
マイケルもそっち行ったよ 
一緒に踊ってください。チャチャ先生はひけをとらないと思いますよ 

おみつ55リハ前の上北タップリーグ
(2014年8月18日)
チャチャる。
大事な専門用語を忘れてました。
チャチャ遠藤という、有名な振付師がいて、
いつも『見て覚えろ』と、細かく教える事はせず、
ダンサー達に瞬発力と、芸は見て盗むもの、
という大切な基本を背中で教えたところから、
憲一、いや! この稽古場の先生も、
急に『チャチャ遠藤!』と叫びます。

帰ってきたFOOL’S PARADISE BBS
(2016年7月20日)
  黒柳徹子さんが司会をやっていた時代は、チャチャ遠藤さんもいた時代。
それが残っていたら、日本のモダンダンサーは泣いちゃうよ。
ほとんど映像が残ってないから。

50周年その3
(2016年10月16日)
 ジャズ界の大御所 笈田敏夫パパ、ジャズダンスのクイーン名倉加代子先生、
今は亡き素晴らしいダンサー、チャチャ遠藤さんなど・・・・
そうそうたるメンバーの中で主役!

叔父は本当にスゴイ人だったんだなぁと改めて思う。

叔父の誕生日は1月1日。
生きていたら明日何歳になっていたんだろう・・・
80歳になる父と3つ違いだから77歳?
喜寿だったのかな・・・

生きて新しい年を迎えられる・・・
(当たり前に思いがちですが)ありがたいことですネ

今年は病欠中のため
生まれて初めて家でたった一人で年越ししますが
やっぱり「おめでとう!」と乾杯できる相手がいないのは寂しいので
来年は体調に氣を付けて
家族or(乗務が入ったら)同僚と
あるいは
願わくばパートナーと一緒に
新年を迎えられますように (˘ᵕ ˘人)ஐ:*

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言霊実験

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(今日は・・・スピリチュアルなお話を)
子ども達には、正しく美しく優しい日本語を教えたいと
言葉遣いにはいつも氣を付けていましたが、
ミハーリがアムステルダム日本語補習授業校小学部5年生の時、
学習発表会ガイア・ハート・プロジェクトに向けての授業の一環として
今は亡き田原先生が、子ども達に授業で『水からの伝言』のビデオを見せてくださり、
保護者も後から見せていただいたのですが、
以来、それまで以上に、言葉を選んで、心を込めて話すようになりました。

下の記事は
(Facebookの友人)亀山雅充さんのFacebookでの投稿です。
_____________________________

〔 文字による波動実験 〕


言霊実験1

3つのタッパにご飯を分け、蓋をしてベランダで放置。

1.ポジティブな言葉を書いた紙をタッパに貼った。
(「ありがとう」「愛」「感謝」「統合」「赦す」「LOVE」)
2.ネガティブな言葉を書いた紙をタッパに貼った。
(「死ね」「殺す」「憎む」「怨む」「分離」「バカ」「HATE」)
3.何も書かない。

11日後、
それぞれカビが生えていたがタイプが全く違った。

言霊実験2

「何も書かない」→ よくあるダーク・グリーンのカビ。
「ネガティブ」→ 真っ黒。
「ポジティブ」→ 白とピンク色。

言霊実験3

※ 「想い」のエネルギーは一切送らず放置しました。
※ 途中で一度も開封していません。

文字自体が発するエネルギーが物質に与える影響は
「水からの伝言」の江本勝さんの実験が世界的に有名ですね。

http://www.ne.jp/asahi/aquarius/messenger/books_002.htm
http://ishii-juku.jp/blog/watermessage/

でも、それより「想いのエネルギー」の方が大きいとされています。

次元が変わっている今、この、言葉から発せられるエネルギーの影響は増大して来ている、
だからこれからは言霊(想いは当然)には慎重に!!
と実際に能力者の人達からよく聴きます。
(牧好成くんもこのことを強調していました。斉藤一人さんもよく言ってる。(笑))

敢えて、波動を挙げる言葉を発するのか、波動を下げる言葉をいい続けるのか、
どの世界へベクトルを向けるのか、重要なことだと思います。(。◠‿◠。)

日本人がこの基本的なことだけでも知ったら世の中が変わるんだけどな~。
みんなで拡げちゃおーー!! \(^-^)/
シェア希望~~!!

《Tomorrow Never Comes(最後だとわかっていたなら)》 & 近況報告

空.jpg

“Tomorrow Never Come”
(広く知られるようになったのは9.11同時テロの後ですが)
アメリカ・ケンタッキー州出身の詩人Norma Cornett Marekが
1989年に10歳で亡くなった息子サムエルに捧げた詩です。

そして同じ1989年にこの仕事に就いて以来ずっと
毎日わたしが意識していることです。

家族にも友達にも
また逢えるなんて保障はないから
逢えた時には感謝して
真心込めて笑顔で接したい….:♪*:・'(*⌒―⌒*)))

“最後だとわかっていたなら”

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

(原文 http://www.jhardaker.plus.com/pdf/Tomorrow%20Never%20Comes.pdf)

そして近況…
今年は(1回しかフライト日記を更新できなかったほど)
とても充実した(嬉しい楽しいことで多忙な)一年でした♪
① 今春から日本路線にも導入された
ビジネスクラスの新しいサービスAnytime For Youのプロモーションに
ひょんなことから関わることになって
YouTubeや新聞雑誌に出ることになったり、

https://www.traicy.com/20180420-KLbusiness
http://news.livedoor.com/article/detail/14761792/
http://www.jwing.net/news/1007
https://news.arukikata.co.jp/column/eating/Europe/Netherlands/AMSTERDAM/133_157986_1524465866.html#section1
https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1118100.html
http://crea.bunshun.jp/articles/-/15555
(YouTubeの方は翻訳の仕事だけの予定が急遽出演することになり、
新聞雑誌の方は掲載されることになるとはつゆ知らず説明会のお手伝いへ…
後になって、掲載を知りました(^^ゞ
教えてくださった皆さま、ありがとうございました!)
乗務の合間には、
② 昨夏のAmstelveenへの引越しと同時期に始めたヨットサークルや
アンサンブルグループMiMoSaの広報担当として
それぞれのTwitter、Facebook、ブログの更新作業をしたり、
https://jahoyacht.wordpress.com/
https://mimosamuziek.wordpress.com/
③ 音楽活動は
前述のアンサンブルグループMiMoSaでの演奏の他、
KLMのオーケストラAirchestraのコンサートでのIntermezzo
駐在員の方々と始めたバンド活動(キーボードからボーカルに転向)、
④ オランダ語レッスンやフラメンコレッスン
それから日本語の個人レッスンの生徒数も思った以上に増えて、
新しい素敵な出逢いも沢山あり
あっという間に年末を迎えてしまいました(^^ゞ
(来年はフライト日記更新の時間も作れますように…!)

皆さんの2018年が(例え辛いことや悲しいことがあったとしても、それでも)
良い年だったと微笑むことができる一年でありましたように…!

今年もどうぞ笑顔でクリスマスと新年をお迎えください(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

ジェラルド・G・ジャンポルスキー

(フライト日記をなかなか更新できなくてゴメンナサイ!)


(↑ これは先月ブレーメンで撮った写真)

ジェラルド・G・ジャンポルスキー博士(Gerald G. Jampolsky)をご存知ですか?
沢山の著書があり
多くの名言を残されています。

http://earth-words.org/archives/16723
http://www.meigennavi.net/kw/g/gerald-g-jampolsky.htm

ジャンポルスキー博士の言葉から…

*・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

ゆるすことは、幸せになるための処方箋
ゆるさないことは、苦しむための処方箋

苦しみの原因が何であれ
苦しみにはすべて「ゆるさない」という種が
宿っていないだろうか?

復讐の念を燃やしつづけ
愛や共感を出し惜しみすれば
健康を害し、
免疫が低下することはまちがいない

当然だと思われるような怒りでも
こだわりつづけていれば
神の安らぎを味わえなくなる

ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を見逃すことではない

ゆるしとは
怖れに満ちた過去に
こだわり続けるのをやめること

ゆるしとは
古傷を引っかいて
血を流し続けるのをやめること

ゆるしとは
過去の影に惑わされることなく
今この瞬間に
百パーセント生き、百パーセント愛すること

ゆるしとは
怒りからの開放であり
攻撃的な思いにさよならすること

ゆるしとは
誰に対しても愛を拒まないこと

ゆるしとは
許さないという思いから生じた、
心の空洞を癒すこと

ゆるしとは
過去に何をした人でも
すべての人の中に神の光を見ること

ゆるしとは
相手のためだけでなく
自分自身のためであり
自分が犯した間違いのためであり
くすぶりつづけている罪悪感と
自分を恥じる気持ちのためである

もっとも深い意味でのゆるしとは
愛に満ちた神から自らを
切り離してしまった自分を、ゆるすこと

ゆるしとは
神をゆるすことであり
神は自分を見捨てたという
おそらくは間違っている考えを、ゆるすこと

いまこの瞬間にゆるすということは
もう先延ばしせずに、ただゆるすこと

ゆるしは心の扉を開け
感情をスピリットと一体にし
すべての人を神と一体にする

ゆるすのに
早すぎることはない、遅すぎることもない

ゆるすにはどれだけの時間が必要だろうか?
それはあなたの価値観しだい

絶対に無理だと信じるなら、
絶対に起こらない

半年かかると信じるなら、半年かかる
一秒ですむと信じるなら、一秒ですむ

私は心から信じている
一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になるということを

ジェラルド・G・ジャンポルスキー

*・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

わたしはクリスチャン(カトリック)ですが
世界の
どの宗教もスピリチュアルな考え方も
”神様”の名称が異なるだけで
人々が
”心穏やかにより良く生きる為”
にあるのだと感じているので
他の宗教を否定したり
皆がキリスト教を信じるべきだと思ったりしません。

でも、わたしが
”愛”と”ゆるし”と”感謝”
を学ぶことができたのは
キリスト教との出逢い
聖書との出逢い
がきっかけなので
とても感謝しています(*⌒―⌒*)

「全ては愛、愛が全て」
「愛は感謝とゆるし」

いつからか(恐らく小学校にあがる前には既に?)わたしは
腹を立てなくなっていました。
友人達に
どうやったら腹を立てずにいられるのか
よく聞かれ、
「”腹を立てるには、喜ぶ以上にエネルギーを必要とする(←ただし、喜びのエネルギーが”ポジティブなエネルギー”であるのに対して、怒りのエネルギーは”ネガティヴなエネルギー”ですが)…わたしはエネルギー不足なのでしょう、嫌だな…と感じることがあっても、怒りに達する前に、身体の横からプシューッと空氣が抜けるみたいになって、腹を立てるに至らないのです」
と答えていましたが、
ジャンポルスキー博士の言葉を読んで
もっと簡単なことだったと氣付きました。

「ゆるすから腹が立たない」

わたしは
どんな相手でも
その相手のことはゆるしていました。

その相手に
されたことや言われたこと
が嫌だったら
それはきちんと伝えますが、
(嫌だと伝えるのは腹を立ててなくてもできることです)
「罪を憎んで人を憎まず」
その相手のことはゆるす…だから
腹が立たないのです。

本当はゆるしたくないのに
無理をしているわけではありません。

ほぼ即時に
ごく自然に
ゆるしてしまっている
…というより
ゆるすもなにも
ゆるさない/ゆるせない
という状態になっていることがない感じ?

わたしが怒らないことを知っている人達にそれを逆手に取られて悪用されることも時々ありますが(そういう時は、それは酷い…と残念に思いますが、腹を立てることはありません)

一番勘違いされやすいのは
「ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を見逃すことではない」
という部分ではないかしら…?

そこに氣が付いて
「一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になる」
…わたしもそう信じています.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))

夏の休暇2016&2017

今日は
(下書きに残されたままになっていた)昨年の夏休みと、
(オランダ在住25年目にして初めて日本に帰らなかった)今年の夏休みのお話を・・・ (*⌒―⌒*)

昨夏の休暇はセビリアへ(フラメンコ)旅行に行ってきました。

セビリアは、前世をみていただいた際
「今までで一番幸せだったのはスペインで踊り子だった時代」
と聞いた時から
(訪れたいというより)戻りたいと思っていた場所…
ようやく念願が叶いました.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))

偶然通りかかった(→偶然=必然)タブラオLa Taberna
連日美味しいサングリアを飲みながら踊らせていただき
本当に幸せでした ♪(˘ᵕ ˘人)ஐ:*


そして今年の夏は、約10年ぶりに、
離婚するまでの15年間、毎夏訪れていたギリシャ北部テサロニキとカッサンドラ半島へ・・・

この10年でお洒落なホテルや新しいお店ができて、すっかり観光地化されていましたが、
変わらず美しい海に感激しました ♡(˘ᵕ ˘人)ஐ:*


初めて訪れた頃は、道路も砂利道&停電したり断水したりで大変だったのに、
今では他の欧米の国々同様
どのカフェバーでもレストランでも無料Wifiまで使える・・・!
(↑ 日本は、便利なようで、海外から訪れた人が無料Wifiを使えるお店、本当に少ないですよね・・・)

今回驚くほど沢山
ゾロ目のナンバープレートを付けた車を見ました♪
(1番多かったのは333/3333、写真には撮れませんでしたが他に777や999も)

久し振りに食べた本場のギリシャ料理がとっても美味しくて、
食べ過ぎて7kg太りました(^^ゞ
(わたしのお氣に入りのギリシャ料理はこちら

テサロニキの港に近いギリシャ料理レストラン街では
各お店でそれぞれ別のミュージシャンがギリシャ音楽のライブをやっていて
昔すごく好きだった曲を
(タイトルが思い出せなくてメロディーを歌って)リクエストしたら
「あぁ!『オラ カラ』だね!」と
すぐに歌ってくださって感謝感激でした ♪(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

咄嗟に思い立って
レストランの紙ナプキンでバラの花を作り
お礼に差し上げたら
お二人ともとても喜んで
胸ポケットに入れて演奏を続けてくださいました (*⌒―⌒*)

それを見ていたレストランの女性客(恐らく観光客)が
「この子達にもバラの花を作っていただけますか?」
と、小さな女の子2人を連れていらしたので、
更に2つ作りました。
こんな小さなささやかなことで喜んでいただけて
とても嬉しかったです (*⌒―⌒*)

紙ナプキンのバラの花は、
(機内でお客様や同僚の為に作る時もそうですが)
ただただ、感謝の氣持ちを伝えたかったり
ただただ、喜んでもらいたかったり
という
本当にごくシンプルな、素直な氣持ちで作っているのですが、
人によっては
“目立ちたいからやっている”
と見る人もいる…と知ってちょっとショックを受けました…
でも、色々な見方、受け取り方がありますものネ (*⌒―⌒*)

…そう考えると、
セビリアでのフラメンコもただ踊りたかったから踊り、
フライト先でピアノを弾くのもただ弾きたいから弾いているのですが、
これも
“目立ちたいからやっている”
と見る人もいるのかしら…
(これはどういう心理なのかしら…自分が同じことをするとしたら”目立ちたいからやる”ので他の人も同じだろうと考えるのかしら…)

“目立ちたいからやっている”のではないことは自分が一番よくわかっているので
(親しいや大切な人から誤解されたら悲しいですが)
知らない人達から誤解されるのは(氣にしていたらキリがないので)
仕方ないと、氣にしないようにしようと思います (*⌒―⌒*)

ところで、
テサロニキのタベルナ(ギリシャ語でレストランのこと)で演奏していただいた
『Όλα καλά (Ola Kala) オラ カラ』 は
Γιώργος Νταλάρας (Giorgos Dalaras) ヨルゴス ダララスの
1975年のヒット曲・・・ギリシャの懐メロです。
どうしてそんな昔のギリシャの曲を知っているのかというと、
早くに亡くなったギリシャ人の元義父(元夫の父)が(面白くてとっても優しい義父でした…)車の中でよく聞いていたのです。
オリジナルはこちら ↓

ずっと書けずにいたフライト日記も
(フライトセイフティの試験が終わり次第)また少しずつ時間を作って書きますね (*⌒―⌒*)

近況報告《マリア》

無事、オランダの高校卒業試験に合格したマリアが
7月末に日本へ移住し、東京都民になりました (*⌒―⌒*)

現在、志望大学のAO試験を受けています。
日本で女優を目指すそうです。
夢が叶った折には、是非応援してあげてくださいネ♪

これはマリアが自分で作詞作曲して
高校の音楽の卒業試験コンサートで弾き語りした時の動画です。
(最初、マイクがoffになっていた為、最初の部分、歌が聞こえません)
(歌詞を最後に記載しました)
(マリアの他の動画はこちら

明るいメロディーに悲しい歌詞・・・涙ぐむお母さん達が続出した曲。

離婚するまでわたしが受けていた暴力を
離婚してからは
(わたしが乗務に出ている間だけだったとはいえ)
(そして幸い言葉の暴力だけだったとはいえ)
子ども達が受けていた…
子ども達から聞いてはいたけれど
胸が痛みました…(´;д;`)
そしてこれが、
オランダ大好き&洋食派だったマリアが
日本への移住を決めた理由の一つでもあるのです…

歌詞:

Little girl thinking she’s gonna die
Cuz her daddy looks as if he wants to bite
So mad angry big scary eyes
Why give that girl a reason to cry

When you, yeah you
Should be the one protecting her
When you, yeah you
Should be the one makes her feel safe

Why do you keep hurting her?
Why don’t you see the things you do?
You’re her father, she’s your daughter
Why do you treat her that way?

Yelling at her, screaming at her,
Do you really think that’s OK?
When she goes back crying in her room…

Little girl she’s growing up
And sees that she’s strong
No more scared and a little less pain
But the sadness still remains

Until you, yeah you,
Stop denying what you’ve done
Until you, yeah you,
Stop saying that you don’t understand

But you just keep hurting her
Why don’t you see the things you do
You’re her father, she’s your daughter
Why do you treat her that way?

Yelling at her, screaming at her,
Do you really think that’s OK?
When she goes back crying in her room…

Not so little anymore
Yeah she can shout back
Grabs her stuff and leaves the prison of her past

And says goodbye, to you
The one that always thinks he’s right
Goodbye, to you,
The one that won’t ever learn

Why did you keep hurting her?
Why couldn’t you see the pain she felt?
You were her father, she’s your daughter,
Why did you treat her that way?

Yelling at her, screaming at her,
Don’t you have a lot of regrets?
When she leaves home
To never come back…

Oh, she leaves home to never come back…
(F♯m-B-E-C♯m)

日本へ発つマリアを空港で見送った夜、
元夫からメッセージが届きました。
「ぼくの大切な娘が日本へ行っちゃった…涙」
…やっぱり彼にはわからない
…多分一生わからない

近況報告《引っ越し》

1993年4月から24年余り住んだ
美しい街ユトレヒトから
今年6月、空港に近いアムステルフェーンという街に引っ越しました。

引っ越し業者に騙されたり
インターネットが約3週間つながらなかったり
寝室が水浸しになったり
今回はトラブルが多かったのですが
それでもわたしは
(酷いなぁ、困るなぁ、嫌だなぁと思っても)
腹が立たないものですから
(↑ 悲しくはなる)
クレームの電話やメールをするのが一苦労で…
クレームをするには多少腹が立ってないと相手に伝わらないものなんだな(^^ゞ
ということに氣付きました(笑)

改装工事もまだまだ終わっていないので
落ち着くのはまだまだ先になりそうですが、
お蔭様で元氣に暮らしております。

頚椎ヘルニアを発症して暫く書けなくなってしまってから
フライト日記もすっかり滞ってしまっていますが、
フライト先からはTwitterでつぶやくようにしていますので、
よろしければTwitter(@misaeklm)をご覧になってくださいネ(*⌒―⌒*)

本当にとっても住み心地の良かったユトレヒトの家

 
(4階、北東の角部屋で、とても明るく、バルコニーからは西~北~東のパノラマを楽しめる)


(20年以上お世話になった優しい音色のU1)


(日当たりも良く、使い勝手の良かったキッチン)

 
(シンプルで落ち着けたバスルームとトイレ)

今回は引っ越し前に大々的な断捨離(=感謝して手放す)をしました。


(学生時代や日本語講師時代に使っていた辞書)


(沢山の子ども用の絵本や図鑑)


(同僚達から貰ったカードや手紙28年分)

ずっと大切にとってあった子ども達の服なども
友人に譲ったり、寄付に出したりして全て処分。

さてそれで、

4月中にユトレヒトの家を売りに出し
5月中にユトレヒトの家が売れ
6月中にアムステルフェーンに新居を買い
7月中にアムステルフェーンに引っ越す

…という予定だったのですが、

4月中に(売りに出してたった5日で)ユトレヒトの家が売れてしまい、
予定を早めて(→1ヶ月前倒し)新居探しを始めたものの
なかなかご縁がなく…

不安になりそうになった時もありましたが、
「ベストなタイミングでベストな物件にめぐり逢えるはず…!」
という
“根拠のない確信”がありまして…

この”根拠のない確信”は、今のところ外れ知らずで、
CAを目指してがんばっていた時にも
(「自分はきっとCAになれる…!」という”根拠のない確信”)、
オランダベースに移る為(=乗務を続ける為)のオランダ語の資格試験の勉強をしていた時にも
(「きっとオランダベースで残れる…!」という”根拠のない確信”)、
妊娠中にも
(「きっと男の子…!」「きっと女の子…!」という”根拠のない確信”)
等々…
本当に何の根拠もないのですが、
いわゆる直感です、感じるのです。

…だから今回もきっと大丈夫!と信じて探し続けていました。

①車を運転しないので
(空港までの所要時間15分のバスが約10分おきに出ていて、
スーパーやドラッグストアを含む大きなショッピングセンターに隣接した)
アムステルフェーンのバスターミナルにできるだけ近い物件

②ピアノを弾くので
できれば下に誰も住んでいない1階の物件
(音は下へ伝わりやすいらしいので)

…を探していたのですが、
本当に見事なタイミングで、
バスターミナルの目の前(!)の高層マンションの1階(日本でいうところの2階)の角部屋
が売りに出され、
迷わずそれを購入しました♪

ユトレヒトの家から見えたような美しい朝焼けや夕焼けは楽しめませんが、
バス停まで歩いて1分もかからず、
メトロやトラム駅もあるので交通の便も非常に良く、
買い物も全て徒歩で済ませられ、
(10:00~22:00の時間を守れば) ピアノの音も心配しなくて良い、
という
まさに希望通りの家 (˘ᵕ ˘人)ஐ:*

ただ…
ずっと賃貸の物件だった為か
それまで住んでいらした方々が
あまり大切に使ってくださっていなかった様で…
また
長らくインド人ファミリーが(2家族一緒に!)住んでいたとのことで
(部屋に入るとカレーの香りがする、というのは構わないのですが)
インテリアの趣味が…なんというか…派手というか…



家具付きだったのですが、家具はお断りし、
金色が至る所に使われていてなんだか落ち着かないバスルームとトイレは改装することに、
また、
リビングと寝室(2つあるうちの1つ)、リビングとキッチンの間の壁を取り壊し、
タイル床の上から木の床を張っていただくことにしました。


見取り図の右上が玄関、
右下がリビング(小さなバルコニー付)、
居間の左隣が寝室1、
寝室1の上がキッチン、
その上が寝室2、
寝室2の右隣がバスルーム、
バスルームの右隣(玄関入ってすぐ右手)がトイレ。

 
(リビングと寝室、リビングとキッチンの間の壁を取り壊したところ)

 
(床は白いフローリングに)

(念願のグランドピアノC2X…ベーゼンドルファーのような優しく柔らかい音色のピアノです♪)

バスルームとトイレはほぼ完成しましたが、
キッチンの改装は業者がまだ決まっておらず…
年内には工事が終わって落ち着けるといいのですが…

最後に
引越し前に感謝を込めて眺めた美しい朝焼け(˘ᵕ ˘人)ஐ:*
 
(※ ユトレヒトの自宅バルコニーで撮影してきた美しい空の写真はこちら

引越し前最後のユトレヒトからの電車出勤時に感謝を込めて眺めた
ユトレヒト~スキポール空港間の美しい風景(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

(運河の水位が線路より高い…25年経っても新鮮な驚き)
を皆さまとシェアして・・・

ユトレヒト、沢山の素敵な思い出をありがとう♡
アムステルフェーン、これからよろしくね♡

Huis te koop (家を売ります) (*⌒―⌒*)

‪今年に入ってから、夏までの引越しを目標に、引越し準備を始めました。

乗務の合間に、不動産屋探しをし、
断捨離(=使わなくなった品々を感謝して処分する)をすすめています。

この週末、ユトレヒトの家がfunda (オランダの住宅情報サイト)に掲載されました♪

空港が近かったら離れなくなかった、
ユトレヒト最高のロケーション&住み心地抜群のペントハウスです♡‬

‪バルコニーから眺める空(特に朝焼け夕焼け)が、それはそれは美しいのです(˘ᵕ ˘人)ஐ:*‬

本当に素敵な空間でした…この家との出逢いに感謝 ♡(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

新しくこの家で暮らす方々も、わたしと同じように幸せを感じていただけますように…!

頚椎ヘルニアの痛みが再発したこともあって
半年間休んでいたAirchestra (KLMのオーケストラ)の練習も
(7月のコンサートに向け)今月から再開し、
6月には(フライトが入らなければ)
オランダでのピアノ演奏会や会社の日本企業対象ゴルフイベントのお手伝いもあり、
(最近頻繁に入るヨーロッパ路線のスケジュールはフライト・リーブが短いため)
相変わらずなかなかフライト日記の更新ができないでいますが、
乗務の方も変わらず楽しくがんばっています。

フライト日記は書けずにいますが、フライト先からTwitterに簡単な写真のツイートはしていますので、
よろしければそちらをご覧ください(*⌒―⌒*)

Twitter →misae (@misaeklm)