こういう話に弱い・・・(>_<。。。

 
日曜日、モントリオールへのフライトから戻り、
今週オランダは『クロッカス休み』(←丁度クロッカスが咲く頃にある約1週間の学校の休暇)で、
子供達と一緒にのんびり過ごしています。
今まで子供達と一緒に一時帰国することが多かったのですが、
今年は予算が足りずあせあせ(飛び散る汗)
久し振りに日本に帰らずにオランダで休暇を過ごしていますが。
子供達と一緒に買い物に行ったり(←近所のスーパーにですがxxx)、お料理したり、洗濯したり、お掃除したり・・・
というのも楽しいものですネ♪
 
昨日は一日、テレビドラマ『宮本武蔵』(1990年/北大路欣也主演)のビデオを見ました。
マリアも時代劇を一緒に見られる齢になったのかと思うと、ちょっと感動(笑)
 
リボン——————————————————————–リボン
で、ここから本題 (*^-^*)
 
冬季オリンピックでの私の一番の楽しみフィギュアスケートも本当は毎日ライブで観たいところなのですが、
今回は時差で(オランダでは真夜中の放送になってしまう為)なかなか観られず・・・涙
ですが、今朝は運良くたまたま目が覚めて、
是非観たいと思っていたカナダ代表のジョアニー・ロシェットの演技を観ることができました。

>2日前に母親が急死する悲劇に見舞われたカナダ代表のジョアニー・ロシェット(24)が、ほぼ完ぺきな滑りを披露。演技終了後に氷上で涙を流した。
>カナダ選手権で6連覇しているロシェットは、21日朝に父親から母親の死を知らされたが、その後も人前では気丈に振る舞っていた。
>落ち着いた演技を見せたロシェットに対し、観客は立ち上がって拍手。涙を抑えきれなくなったロシェットは、右手を胸にあてながらお辞儀で応えた。
>この日のロシェットは71.36点をマークし、78.50点のキム・ヨナ(韓国)、73.78点の浅田真央(日本)に続く3位に付けた。メダルが決まるフリー演技は、25日に行われる。

(ニュースより)

モントリオールからバンクーバーに応援に駆けつけてくれた母親が、本番2日前に心臓発作で突然亡くなってしまったなんて・・・ものすごくショックだったと思います泣き顔
それを乗り越えての演技、本当に見事でした・・・(。♋ฺ‸♋ฺ。)うるるる

リボン——————————————————————–リボン

キム・ヨナと浅田真央の演技は(演技時間に起きられず)ミスってしまいましたが、
最後の安藤美姫の演技は観れました。

私は選手達のことは全然詳しくないのですが、
安藤美姫さんには何か
他の選手にない何かがあるような(←他の選手が持つ"強さ"が少々不足している代わりに) 、
それが彼女の"弱さ"につながっているような(←それを克服できたらものすごく強くなるような) 、
そんな気が、どういう訳か、ず~っとしていました。

モーツアルトのレクイエムでの演技を終えて、
SP4位の採点にも特に喜ぶ様子もなく退席した彼女・・・

オランダはまだ夜明け前だったので、もう一眠りした後、
さっきニュースでこれを読んで甚く感動しました・・・(。♋ฺ‸♋ฺ。)うるるる

>SPの曲は「レクイエム」(鎮魂歌)。天国にいる父、祖母、そして9歳で亡くなった各務(かくむ)宗太郎君にささげる曲だ。

>名古屋市生まれの宗太郎君は、生まれつき腸などが正常に機能せず、生涯のほとんどを病室で過ごした。
>食事ができず、夢は「ハンバーガーを食べること」。
>海外で多臓器移植を受けるための募金を呼び掛ける新聞記事を安藤は読み、08年1月、宗太郎君に手紙を書いた。
>「目がキラキラしていました。こんな重たい病気の子がなぜこんな強い目でいられるんだろうと思いました」。
>安藤も協力を訴えた募金は半月で目標額の1億2000万円に達した。
>宗太郎君の渡米を目前に控えた同年2月、都内の病院で初対面。
>「宗ちゃんにあげる」。3日前に4大陸選手権で取った銅メダルを首にかけた。
>お返しももらった。小さな手で握ったサケ入りのおにぎり。帰りのタクシーの中で食べた。
>移植手術を受けた宗太郎君だが、08年9月下旬、安藤の練習拠点から車で1時間ほどの、ニューヨークの病院で「危篤」に陥った。
>安藤はアイスショーの予定を変更し、病院に駆けつけた。意識がなかった。
>病室を飛び出した。しばらくして戻った。宗太郎君が食べたいと言っていたハンバーガーを手にして…。
>だが9歳の誕生日を迎えたばかりの小さな友人は、もう天国に旅立ってしまっていた。
>安藤の携帯電話には今も、宗太郎君のおにぎりの写真が残っている。
>安藤は空に向かって氷上を舞う。
 
いろいろな想いを"強さ"に変えて、頑張って欲しいと思いましたぴかぴか(新しい)
 
(モントリオール便のフライト日記、今書いてますえんぴつので、もう少々お待ち下さいネ)
 

感謝

 
10月17日に、アムステルダム日本語補習授業校の保護者会役員の任期が満了しました。
 
離婚、引越し(自分の引越しだけでなく日本の実家の引越しもあって)、乗務、生活費の不足を補う為のアルバイトなどで
時間にも気持ちにも余裕がない時に、役員(しかも会長)を引き受けてしまい、
仕事内容もさながら、いろいろな方にご迷惑をかけてしまい、反省しきっての退陣でしたが、
いつもに増して、多くの方に助けて頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
ニューヨーク便乗務の後は、役員の引き継ぎ準備の作業におわれ、そのまま一時帰国。
喉頭癌の手術を終えた父も、放射線治療跡が痛々しかったですが、思ったより元気そうで安心しました。
ご心配下さった皆様、本当にありがとうございました。
 
一時帰国から戻った翌日から昨日まで乗務で、ブログの方がすっかり滞ってしまいました・・・(^^ゞ
明日の補習校(まだ引き継ぎ作業が残っていて今月一杯は忙しそうですxxx)、明後日は日本語講師のアルバイトでまだバタバタしていますが、
来週には、一時帰国のお話とフライト日記の執筆に取り掛かりたいと思っています!
 

引越し完了

 
6月から新居での新生活が始まっている予定したが・・・元夫がギリシャへ休暇に出掛けてしまい、彼が不在の間は荷物を運び出してはいけないと言われてしまった為、結局引越しは終わらず・・・
2度目のテヘランへの乗務戻ってから、引き続き続き、毎日引越し作業におわれていました。
子供達の学校や習い事そして家事の合間に、ひたすら荷造り・荷物運び・片付け・・・
運転免許を持っていなかったことを、初めて後悔しました・・・(T_T)
 
そして昨日(日本時間だともう一昨日ですが)、ようやく荷物運びが完了し、子供達と新居に引っ越して来ました。
丸々3ヶ月かかっての引越しでしたxxx
 
今日(日本時間だともう昨日ですが)7月1日、子供達と新居で目覚め、新生活が始まりました♪
(新居から初めての更新です)
 
朝食の支度をしながらモーツアルトを聴きました。
昨夜はショパンのノクターンを聴いていました。
クラシック音楽がBGMの生活がずっと夢でした。 
 
これからは好きな時に好きなだけピアノが弾けます。 
(↑元夫が家にいる時は彼がテレビを見る為、弾かせてもらえなかったのです・・・(>_<。。。)
 
夕食に、子供達の希望で、ラーメンを作りました。
これからは食べたい物を自由に食べられます。
好きなお花も飾れるし、お香をたいたりもできます。
(↑元夫は匂いにうるさかったのでダメだったのです・・・(>_<。。。)
 
そして何より、いつ爆弾が落ちるか(=元夫の機嫌が悪くなるか)と常に緊張していなくてもよくなった・・・
なんて平和なのでしょう・・・(*^-^*)
 
でも、急に一人になってしまった元夫のことを想うと、やはり心が痛みます。
みんな幸せになれますように・・・
 
(2度目のテヘラン便のフライト日記も、なるべく早くアップしたいと思っていますので、もう少々お待ち下さい・・・m(_ _)m)
(↑写真だけ先にアップしました)

ありがとう・・・(>_<。。。

いよいよ6月から新しい家(=賃貸のアパート)での生活が始まります。
同僚や友人達にも、離婚のこと・引越しのことを報告しておかないと・・・と思い、週末に新住所をお知らせするメールを送信したのですが、
お忙しい中、本当に沢山のお返事をいただいて・・・
優しい励ましの言葉に、思わず涙が出てしまいました。
このところ引越しで忙しく、知らないうちに気が張っていたのでしょう・・・それが一気に緩んで、30分くらい涙が止まりませんでした(>_<。。。
辛かった事も、悲しかった事も、こうして乗り越えて来られたのは、家族と
そして、友人達のお陰です。
「私はなんて、家族と友人に恵まれているんだろう・・・!!」
と、今日改めて思いました。
本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。
なかなか会う機会がないので、(会ってもなかなか直接は言えないので、)
ここに書かせて下さいね・・・
ありがとう!!
  ~~~バラ~~~バラ~~~バラ~~~バラ~~~バラ~~~
 
14年半の結婚生活で、多くのことを学びましたが、中でも考えさせられたのが、
愛とは何か?
ということ。
「見返りを求めない愛情を彼に与えたい」
と決心して結婚しましたが、
日本での結婚披露宴で、尊敬する叔父が書いてくれた
『求めるだけでも 与えるだけでも 
いけないよ 愛は』
というメッセージが、
(「求めるだけ」ではいけないのはわかるけれど、どうして「与えるだけ」もいけないのだろう・・・と)
ずっと心にひっかかっていました。
離婚した今、
「叔父が言っていた事は真実だったんだなぁ・・・」
と、しみじみ思っています。

実は・・・

(ご存知だった方、なんとなくお気付きだった方もいらっしゃるかもしれませんが)
この15年余り家庭内暴力と戦っていました。
DV(←デジタル・ビデオではありませんヨ)&モラル・ハラスメント・・・
(↑本当に、本や雑誌、映画やドラマで見たとおりでした・・・非常に大変です)
暴力癖があるとわかっていながらの結婚。
全ての人同様に、良いところも沢山ある彼・・・そんな彼に暴力癖があることが残念に思えてなりませんでした。
こちらが理解を示してあげられれば良くなるのではないか、愛情を持って「暴力はいけないことだ」と伝えていけば、いつか治るのではないか・・・そう信じて、できる限りのことをしてきたのですが、結婚後、夫の家族と親しくなるにつれ、暴力癖が夫だけの問題ではないことがわかってきました。
義理母が訪ねてきていた時に、彼の機嫌が急に悪くなり殴られた私に
義理母は
「機嫌が良くなるまで口答えしないで黙っていればいい」
とアドバイスしたのです。
それでは彼の暴力癖は良くならない・・・彼がこんな風に育ったのは義理母のせい・・・?
更にわかったのは、暴力癖があるのが夫だけではなかったということ・・・夫の兄、叔父、祖父・・・どうやら義理母方の家系に暴力癖の血が流れているようなのです・・・( ̄_ ̄|||)
義理母は自分自身も暴力癖のある父親の元で成長していた訳です。
でも、だから仕方がない・・・と、何も言わないでいたら、暴力癖が代々引き継がれていってしまう・・・
暴力癖が子供達に引き継がれないように、夫の暴力を何とかしなければ!
そう思って、頑張ってきましたが・・・
「やはり専門家による治療を受けないとダメかもしれない・・・」
と悟った頃には、自分が鬱病にかかっていました・・・(;-_-;)
それまで、心配させてはいけないと思ってずっと話さずにいた実家の両親にも、その時初めて事実を打ち明けました。
テラピーを受けて鬱病が治ったと思ったら、今度は視覚異常に続いて右腕が痺れるようになり、
『多発性硬化症』の疑いがあるということで長らく検査を受けていたのですが(→http://fromholland-withlove.spaces.live.com/blog/cns!945B0BC82EE67D38!2214.entry)、
結局原因も病名もわからぬまま迎えた最後の検査の日・・・
お医者様に
「これは”zielpijn(魂の痛み)”かもしれない・・辛いことを我慢し続けていませんか?」
と言われて思わず
「・・・実は私も、もしかしたらそうなんじゃないかと、うすうす思っていました。 実は、この病状が出る約1年前に鬱病になって治療を受けていたのです。」
と答えました。暴力があまりに酷かった(=子供達の身の危険を真剣に感じた)時に、友人のアドバイスで警察にも届け出ました。

オランダでは、万が一に備えて届けを出しておくaanmeldingと、通報のaangifteの2種類の方法があって、私は前者をするつもりだったのですが、うっかりオランダ語の単語を間違えてaangifte(=通報)をしてしまったら、警察官が即座に夫を逮捕に出動しそうになって・・・慌ててaanmeldingの間違いであることを伝えましたが、お陰で、私が今まで受けてきた暴力は逮捕に値することだったんだ・・・ということがわかりました。
それからはいろいろな専門機関に相談したり、思い付くこと、出来ることは全てやってきたのですが、オランダでは外国人である私には、これ以上どうしていいのかわからず・・・
行き詰っていた頃に、当時小学校6年生だった長男ミハーリが学校の先生に相談してくれ、先生を通じてユトレヒト州の家庭内暴力の専門機関と連絡を取ることができました。
夜中に夫が大声で怒鳴ったり、物が壊れる音がする度に
「ママを助けてあげたいけど、僕はまだ小さくて弱いから助けられない・・・(>_<。。。」
と、いつも布団の中で思っていたのだそうです。
ミハーリが4歳の時、
「ママ・・・どうしてパパと結婚したの・・・?」
と目に涙を浮かべて聞いてきたことがありました。
胸が痛みました。
夫の為にと思って頑張ってきましたが、大切な子供がその犠牲になっているかもしれない・・・と。
でも、ここで夫を否定してはいけない!と思い
「怒りんぼうなのはパパの悪いところ。 パパにもいっぱい良いところがあるでしょ?
人にはみんな、良いところと悪いところがあるのよ。 だから、その人の良いところを見てあげるようにしようネ。
それに、パパと結婚してなかったら、ミハーリくんは生まれてこなかったのヨ。
ママはミハーリくんが大好きだから、パパと結婚して良かった!って思ってるのよ。」
と話して聞かせました。
その4年後、マリアが4歳の時、やっぱり
「ママ・・・どうしてパパと結婚したの・・・?」
と目に涙を浮かべて聞いてきたのです。
ショックでした。
でもその時、
 「怒りんぼうなのはパパの悪いところ。 パパにもいっぱい良いところがあるでしょ?
人にはみんな、良いところと悪いところがあるんだよ。 だから、その人の良いところを見てあげるようにしようネ。
それに、ママがパパと結婚してなかったら、マリアちゃんは生まれてこなかったんだヨ。
ね? ママ?」

と、4年前に私が話したとおりに、ミハーリがマリアに説明してくれたのです。
子供のうちに、こんな風に悟ってしまうことが良いのか悪いのかわかりませんが、
ミハーリもマリアも、相手の気持ちになって考えられる、本当に優しい子に育っています。
神様に感謝するばかりです。
家庭内暴力の専門機関から派遣された職員との面談の結果、
私と同様に、ミハーリの希望も
「パパに暴力癖治療テラピーを受けて欲しい」
というものだったので、その旨、職員が夫に伝えたのですが、
夫は、話し合いの途中で(目に怒りの炎を燃やしながら)席を立ってしまいました。
学校の先生に事実を話したミハーリに対して
「裏切られた」
と言って怒っている夫を見て、
「大好きなパパの暴力がなくなって欲しい」
というミハーリの勇気ある愛情を、この人は理解できないのか・・・
と心底ガッカリし、ようやく決心が付きました。「完璧な人はいないのだから、その人の悪い所ではなく、良い所を見るようにしないと」
と子供達に(そして自分自身に)言い聞かせてきた私ですが・・・
子供達同様、夫(の良い所)が大好きな私ですが・・・
離婚することにしました。

離婚を決心した理由はもう一つ。
体のことです。
鬱病、右腕の痺れ(=多発性硬化症の症状)の他、昨年末は突然の全身関節痛(=リウマチの症状)、そして(寝ている間にものすごい力で歯をくいしばっているらしく)奥歯が割れ・・・
知らぬうちにストレスが溜まっていたのですね・・・ストレスが形を変え場所を変え、体に現れるようになってしまっていました。
彼が笑顔の時は安心し、表情や声色が変わる度にビクっとする。
「いつまた暴力を振るわれるかわからない」
という恐怖に怯えながら暮らすことに、心がほとほと疲れてしまったようです。
びくびくしながら過ごす・・・まるでいつ爆弾が落とされるかわからない”戦場”で暮らしているようでした。
鬱病を乗り越えてから、肝がすわったのか、彼の暴力にもさほど動揺しなくなったのですが、
いつだったか、森英恵さんのインタビュー記事を雑誌で読んだ時、彼女が地震に動揺しないことに対して、
「自分は暢気なのだと笑って答えるけれど、実際は、戦争を体験して以来、怖いものがなくなって、多少のことには驚かなくなったのだ」
とおっしゃっていて、私のもこの感覚に似ているな・・・と思いました。
家庭内暴力のある家庭は、(何事もない時でも、常に、自動的に、緊張して警戒してしまうところが)
いつ爆撃に遭うかわからない戦場と似ているのです。このまま一緒に暮らしていたら、私は本当に病気になってしまう・・・子供達の為にも、私は健康でいなければ・・・!

そう思って、離婚を決意しました。
夫のことは、それでも愛しています。
15年前に比べたら断然穏やかになった夫・・・頑張って添い遂げられず、申し訳ないと思っています。
でも、子供達の為に、自分自身の為に、私は離婚します。
子供達もその方がいい、と言ってくれているのは、本当にありがたいことです。
離婚コーディネーターを介しての離婚(=二人で一人の弁護士を介して、裁判にはせずに、話し合いによって離婚を成立させる)が間もなく成立し、私は子供達と一緒に引っ越します。
生活は苦しくなりますが、子供達と平和に暮らせると思うと嬉しいです・・・(*^-^*)
「君が大変になるだけだよ。 僕がたまにアグレッシブになるのを我慢すれば、今の余裕ある生活が続けられるのに。」
と彼は言います。
「出て行かないで。 暴力癖はテラピーを受けて直すように努力するから。」
とは決して言わない・・・
だからこれでいいのです。
本当は離婚したくなかった夫を、離婚によって悲しませることになってしまったことが、唯一、悲しいです。
もうすぐ新しい生活が始まります。
夫とは、離婚後も協力し合って子供達を育てていくつもりです。
それが夫の暴力癖の快復にも役立てば・・・と願っています。

母の日

 
普段は自分達の部屋で眠る子供達・・・夫がフライトに出ると必ず
私のベッドに入り込んできます(笑)
すやすや眠っている二人の間に割り込んで目を瞑る瞬間が、私の至福の時・・・
この幸せを神に感謝しながら眠りにつきます。
 
一昨日から夫がフライトに出ていたので、いつものように子供達に挟まれて眠っていた私。
朝、ふと目を覚ますと、ミハーリがいない・・・どこへ行ったのかなぁ、と思っているとミハーリが戻ってきて
「ママ、いつもありがとう♡
今日は母の日だから、僕が朝ごはん作ったよ。 
ママ大好き♡」
と、ご飯とスープを寝室に持ってきてくれました。
ご飯の上には、ミハーリの大好物の海苔の佃煮がのっていました。
 
一緒に置かれた手紙には
ママへ
今日は Moederdag(=オランダ語で母の日)だから
僕は あさごはんをママのために作りました。
今は ゆっくり あさごはんを食べてください。
ママ 大好き!!!(←ここだけ大きな文字で)
ミハーリより
 
と書かれていました・・・(。♋ฺ‸♋ฺ。)うるるる
 
早朝で、お腹は全然へってませんでしたが、喜びを噛み締めながら全部いただきました。
ミハーリくん、ありがとう!!!
 
マリアからは昨日、
「本当は明日渡さないといけないんだけど・・・今あげる!」
と、手作りのハートのペンダントのプレゼント♡
 
カードには
まま おせわ ありがとう
すききらい ごめんね。
けんか ごめんね。
まま だいすき!
たいへんだけど
ままは やった (←家事のことらしい)
ありがとう
しあわせだよ!(←大きい文字で)
マリアより
 
と書かれていました・・・(。♋ฺ‸♋ฺ。)うるるる
 
マリアちゃん、ありがとう!!!
 
ママも、ミハーリくんとマリアちゃんが大好きです。
二人がいてくれたお陰で、ママは本当に幸せです・・・!!!
 
 
 

長男とデート♡

無事、大阪から戻りました。
フライト日記、執筆中です。 もうしばらくお待ち下さい・・・m(_ _)m
先日、夫が友人と旅行に出かけていた時に、マリアがお友達のお誕生日会に呼ばれて、
ミハーリと一緒にマリアをお友達の家へ送り、その帰り道、お天気がものすごく良かったので、ミハーリと近所を散策することに・・・
歩いていたら、第1回ノーベル物理学賞を受賞したヴィルヘルム・レントゲンが住んでいた家を発見。
ユトレヒトに住んでいたこともあったのですね・・・

 

その近くには、私のお気に入りの家があります。
1958~1962年に、オランダ王室第二王女イレーネ(=現女王ベアトリクスの妹)が住んでいた家です。

この家の前を通ると
「ここなら余裕でグランド・ピアノが置けるのになぁ・・・」
といつも思います(笑)
(↑ 夫に「大き過ぎる」という理由でグランド・ピアノの購入を渋られているものでxxx)
ミハーリとのデート♡中に撮った、春らしい写真を、何枚かフォトアルバムにアップしましたので、見てみて下さい。
家の庭では、今、梅(プラム)の花が満開です。
桜(さくらんぼ)も咲き始めました。
オランダが、いつも、こんな喉かなお天気だったらいいのになぁ・・・

MS 多発性硬化症

前に、病院で検査を受けている、というお話をしたことがあったと思うのですが・・・
MS』かもしれないそうなのです、私。
Multiple Sclerose
日本語名は『多発性硬化症
(あ、これはエイプリル・フールの冗談ではありません・・・)
発症したのは、恐らく2004年の9月、急に左目の裏側が(目を開けているのでさえ辛いくらい)痛くなった時です。
痛みは数日でなくなったのですが、それ以降、ものが2重に見えたり、水の中にいるかのように景色がユラユラ揺れたり(→歩いているだけで船酔しそうでしたxxx)・・・
というのが約1ヶ月続き、眼科で検査を受けても何も見つからないまま・・・
2カ月経った(忘れもしない)11月13日の朝、目覚めたら、右の肩から右手の指先まで、ビリビリに痺れていました。
夫は
「右腕を下にして寝てたんじゃない?」
と笑いましたが、私は寝相がとても良いのです(笑)
卒業旅行や合宿などではよく友人達に
死んでるのかと思った・・・
と言われたものです・・・(^^ゞ
そう言う夫も、
夜中に私の口の上に手をかざして何をやってるのかと思ったら
ちゃんと息してるか確かめてた
と・・・(^_^;)
痺れは結局何日たっても何週間たっても取れず、
「安静にしていた方がいいのかな?」
と思って右手を使わないでいたら、硬直して箸が使えなくなってしまい・・・
思い切って日本の実家に電話を入れ、父に相談したら、
「すぐ帰ってきて日本で検査を受けなさい!」
(↑昔、吉永小百合演ずる少女が脳腫瘍で死んでしまうという映画があって、それも最初は目の痛みから始まったらしく、父は私も脳腫瘍かもしれない!・・・と心配になったのだそうデス)
と言われて、検査の為に急遽一時帰国し、CTスキャンMRI検査を受けたものの、結局原因がわからないまま(巨額の検査費だけ払って)オランダへ戻りました。オランダでは、ユトレヒトの大学病院(ベアトリクス女王様の旦那様も入院していた病院です)で、日本の脳外科でやったのと全く同じ検査と、血液検査(試験管8本分!)ならびに髄液検査(日本では1日入院するそうですが、オランダでは直後に普通に歩いて帰らされますxxx)をした結果、
MSの疑い』という診断がおりたのでした。
…………………………………………………………………………………….
多発性硬化症の診断基準(厚生省、1988年)
① 中枢神経内の2つ以上の病巣に由来する症状がある。(空間的多発)
② 症状の寛解や再発がある。(時間的多発性)
③ 他の疾患による神経症状を鑑別しうる。臨床的診断確実例: 上記3つをすべて満足するもの
疑い例: 上記3つを完全に満足しないが、
強く多発性硬化症が考えられるもの
…………………………………………………………………………………….
私は後者で、①の「中枢神経内の病巣」が1つしか見つからなかった為、
確実とは言えないけれど、恐らく『MS』であろう、ということでした。病名を聞いたオランダ人の友人が(夫はギリシャに遊びに行っていていなかったので友人に付き添ってもらっていたのです)ひどくショックを受けていたので、一体どういう病気なのか先生に聞くと・・・
オランダ語の医学用語がさっぱりわけわかりませんでしたが、
「症状が人それぞれで、病気の進行も人それぞれで、進行が早い人は3ヶ月程で車椅子になる」
というのと
「今現在、原因も治療方法もわかっていない病気である」
ということだけは理解できました。「治らないんですか?」
「治りません。」
3ヶ月で車椅子ですか?」
「病状によります。 進行が遅い場合は、それ程悪化しないこともあります。
・・・が、良くはなりません。」・・・と聞いて、最初に頭に浮かんだのは、
「悪化したら、もう乗務はできなくなるな・・・仕事どうしよう・・・」
意外と冷静だったんですが、
「・・・ピアノも弾けなくなるのか・・・」
と思ったら流石に動揺しました。実は、私は先天性股関節脱臼で、毎年検診に行かなければならなかったり(←全然行ってませんがxxx)、股関節に負担がかかるスポーツはもともとしてはいけなかったりした(例えばスキーはできません)ので、”“が使えなくなることに対してはあまり抵抗がなかったのですが、”“が使えなくなるということはそれまで考えたことがなかったのです。「指が動くうちに=ピアノが弾けるうちに、いつか弾きたいと思っていた曲を、できるだけ沢山弾きたい・・・!」

と思って、その翌週からピアノのレッスンを再開ました。
2年以上経った今、右腕の痺れにも(痺れていなかった頃の感覚が思い出せないくらい)慣れてしまったのですが、
半年ほど前から、朝(あるいは乗り物内で眠った後)目が覚めると、右腕だけでなく左足も(足の付け根から指先まで)(まるで寝てる間ずっと正座していたかのようにビンビンに)痺れていることが多くなって・・・常に痺れている右腕と違い、幸いこちらは起きてしばらくするとスーッと解けて動かせるようになるのですが。
右腕の痺れも時々悪化するようになり、(ダラリと下に下ろしている分にはジンジンしているだけで支障はないのですが)ピアノを弾いているうちに、腕を上げていることも辛くなってくる&右手の指の動き(反応)が鈍くなってくる・・・ことに気が付きました。
右腕&右手が自分のものではないような、まるで義肢でも付けている様な感覚で・・・取り外せるものなら、ちょっと取り外して横に置いておきたい!と思うくらい痛くなることも。
病状が悪化したら再検査に来て下さい
と言われていたので、再びユトレヒト大学病院へ。
病院で、先生に
「今は”MSの疑い“があるだけなのに再検査を受けて”MS“と確定してしまってショックを受けるより、病状が悪化するまで検査を受けずにいた方が、気が楽なのでは?」(←オランダ人らしいご意見?)
と言われたのですが、
「私は早く病名がはっきりした方が嬉しいです」
と申し上げて、MRIの再検査を受けたのですが・・・結局結果は変わらず、
多発性硬化症の疑い
のままでした・・・(;-_-)
先月は、針筋電図検査(←痛かったデス)、誘発筋電図検査脳誘発電位検査というのを受けたのですが、
予想としては、今回もまた原因不明のまま
病状が悪化したら再検査に来て下さい
(悪化したから検査をお願いしたのに・・・)
と言われるんだろうなぁ・・・(_ _;)何度検査をしても決定的なものが見つからず、原因不明病名不明のまま2年も経つと、なんだか慣れてしまって(+オランダの病院の検査はザツで怖いので)
「もう原因や病名を追究しなくってもいいか!」
という気になってきました。手が痺れている状態にもすっかり慣れてしまって、痺れていなかった頃の感覚が思い出せないくらいだし・・・

痺れが悪化している時は辛いですが、それ以外は生活に支障も出ていないので、このことはなるべく考えないようにして、明るく過ごした方がいいかな・・・と最近思うようになりました。

考えてみれば、『MSの疑い』という診断がきっかけで、(夫を説得して)ピアノのレッスンも再開できたのですしネ!
「もしかしたら、いつか弾けなくなるかもしれない・・・」
という不安をバネに、ピアノの練習に励もう!
そして
「もしかしたら、定年まで飛べないかもしれない・・・」
という不安をバネに、乗務も精一杯頑張ろう!
・・・と思っています。
明日は大阪便の乗務♪ 桜の花が待つ日本へ・・・!

続 子供の心と大人の誤解

*****    *****
ミハーリが日本語補習校のプリクラスに通っていた頃のお話。
ひらがなの「に」を使った言葉を書いて来て下さい
・・・という宿題が出ました。
ミハーリは
「にんぎょ」
と書いて提出しました。
ところが翌週、
「にんぎょ」
バツが付けられ、
「にんぎょ
と直されて返されて来ました・・・
にんぎょであってるヨ (*⌒―⌒*)」
と、家でマルを付けてあげました。
*****     *****
昨年の11月、マリアが補習校で学習発表会の感想を書きました。
「かごめかごめ が たのしかったです。 
 うまくいったとおもうのです。
 わたしは、きもちいいとおもって うたうのわすれて。
 わらって で また うたったよ。」
翌週、保護者あてのお便りに、子供達全員分の作文が載ったのですが、
マリアの分の最後の部分が
「わらって ごまた(ごまかして うたったよ。」
という風に直されていました。
マリアは見ないお便りだったので、放っておこうか・・・とも思ったのですが、
(他の生徒さんに、あるいはマリアに対して)同じ間違いを繰り返して欲しくないと思って、
連絡帳に・・・
「お便りに載せてあった作文ですが、
 『わらって ごまた(ごまかして うたったよ。』
 とあって、おかしいなと思い、本人の作文を見直しましたら、
 わらって で (それで) また うたったよ。』
 でした。
 『ごまかす』という言葉はまだ知らないと思います。
 大したことではないのですが、
『ごまかす』というのがあまり良い言葉ではないので、
 それを使っていないのに、使ったかのように書かれてしまって
 ちょっとかわいそうに思いました。」
 ・・・と記入しました。
「今後気を付けます。」
と先生からお返事をいただきました。
大人の目線で見ていては、誤解してしまうことの多い
子供の心・・・
子供と接する時は、
子供と同じ目線になって接しなければいけないな・・・
と、つくづく思う今日この頃です。
きちんと気にしていないと、気付かぬうちに
子供を傷つけることがあります。
きちんと気にしていると、自分が子供だった頃どうして傷ついたのか、今になってわかることも。
これからも、子供達と一緒に学んでいけたらいいな・・・
と思います

子供の心と大人の誤解

先日、子供達と一緒に、同じユトレヒトのSailさん宅へ遊びに行った時のこと。
その日は、整体師のKさんが出張サービスにいらしていました。
Sailさん宅に集まっていた友人達が順に整体施術を受けているのを見て、
マッサージが得意なマリアが(←本当に上手なんですヨ!)
「マッサージして欲しい人!」
と声をかけ、
整体の順番を待っていたHさんに全身マッサージをし始めました。
「自分で考えた」という頭マッサージ、ハンド・マッサージ、背中や足のマッサージをするマリアに、
Hさんが、
「すごく気持ちいい! C(=彼女の旦那様)が来たらやってあげて!
5ユーロもらったらいいわ!」
と言うのを聞いて、マッサージを続けながら嬉しそうに笑うマリア。
他の友人達も、
「そうそう! 5ユーロもらったらいい!」
私も(内心「マリア、本気にしちゃうのでは・・・」と不安を感じながら)
「そうね、女王の日(=4月30日→自由にお店を出してよい日で、この日は街中が蚤の市になります)に、お金をもらってやってもいいかもネ~♪」
と、笑いながら口を合わせていました。
皆への施術を終えたKさんが、
「子供には特別なエネルギーがあるから、お母さんの体のどこが具合悪いかわかるのよ。」
とおっしゃって、マリアとミハーリに

「お母さんにやってあげてね。」

と、特別なマッサージを教えて下さいました。
二人とも筋がいいそうです・・・(✿ฺ^-^✿ฺ)
右腕の痺れも治るかな・・・
二人が早速
「ママやってあげる!」
と言ってくれたのですが、
「ママはお家でやってもらうから。 今は他の人にやってあげてみて。」
二人から、習いたての特別マッサージを受けたMayitaさんとミツフィさん。
「背中に当てた手がものすごく熱く感じられた」
という感想・・・私が霊気を試みた時の相手の感想と同じ・・・?
二人は霊気治療ができるのかも・・・
しばらくして、仕事を終えた友人達の旦那様方も集まり、皆でお夕食をいただいた後、
「マリアちゃん、5ユーロで、Cにマッサージしてあげて!
きっと泣いて喜ぶから!」
と、再びHさんに言われ、Cさんにマッサージを始めたマリア。
マッサージしながらマリアが小声で
「泣いてないよ?」
Hさんが言った”きっと泣いて喜ぶ“というのを、
本当に”泣いて“喜ぶのだと思っていたマリア。
大人の私達はそれを聞いて大ウケでした・・・ヾ(@^∇^@)ノ
時間も遅くなり、子供達も寝る時間になったので、失礼しようとすると、マリアが
「まだ5ユーロもらってないよ?」
と言うので、慌てて
「あれは冗談ヨ~。 お友達にはお金もらわなくても優しくしてあげないとネ!」
と説明したのですが、
「でも5ユーロもらえるって言ってた」
と泣き出してしまった・・・
Hさんがお金を用意しようとして下さったり、
「代わりにトトロの飾りをあげようか?」
とミツフィさんも気を遣って下さったりしたのですが、
頂くわけにはいきませんので、そのまま失礼しました。
Sailさんのお宅を出てから、またマリアが泣き出したので、再度

「お金がもらえるっていうのは冗談ヨ~。 お友達同士は、お金をもらわなくっても優しくしないとね。」
と言うと、
「お友達にはGratis(=無料)でやった・・・お金もらわなくてもマッサージした・・・
でも、5ユーロくれるって、本当だと思った。 
冗談だって思わなかったから・・・」
お金がもらえなかったこと“ではなくて、
信じていたことが冗談だったこと“が悲しかったみたい・・・
子供ってやっぱり純粋なんだなぁと心打たれました。
大人はついつい「お金がもらえなくて泣いている」と思ってしまうものね。 私もそう思ったし・・・(恥)
子供の頃、私もこんなことがあったような気がしました。
大人の言うことを、こちらは真剣に受け取めたのに、後で冗談だと笑われる・・・
大人にとっては可笑しなことかもしれないけれど、子供にとっては訳がわからず、バカにされたようで悲しい・・・
ここで「いつまでも我侭言って泣いてるんじゃないの!」なんて怒ったりしたら、
信じることができない人間になってしまうかもしれない・・・
フォローしないと・・・と思って、

「他の人を信じられるって、すごいことだよ。 他の人を疑ってばっかりの人が多いからね。 だからマリアちゃん、えらいよ。」
と褒めました。

ふと頭に、
信じ~られぬと~嘆く~よりも~ 人を~信じて~傷つく~方がいい~
という海援隊の『贈る言葉』の歌詞が流れました・・・
(↑この歌詞、人を信じられなくなりそうになった時、よく思い出します・・・)