こちらが理解を示してあげられれば良くなるのではないか、愛情を持って「暴力はいけないことだ」と伝えていけば、いつか治るのではないか・・・そう信じて、できる限りのことをしてきたのですが、結婚後、夫の家族と親しくなるにつれ、暴力癖が夫だけの問題ではないことがわかってきました。
義理母が訪ねてきていた時に、彼の機嫌が急に悪くなり殴られた私に
義理母は
「機嫌が良くなるまで口答えしないで黙っていればいい」
とアドバイスしたのです。
それでは彼の暴力癖は良くならない・・・彼がこんな風に育ったのは義理母のせい・・・?
更にわかったのは、暴力癖があるのが夫だけではなかったということ・・・夫の兄、叔父、祖父・・・どうやら義理母方の家系に暴力癖の血が流れているようなのです・・・( ̄_ ̄|||)
義理母は自分自身も暴力癖のある父親の元で成長していた訳です。
でも、だから仕方がない・・・と、何も言わないでいたら、暴力癖が代々引き継がれていってしまう・・・
暴力癖が子供達に引き継がれないように、夫の暴力を何とかしなければ!
そう思って、頑張ってきましたが・・・
「やはり専門家による治療を受けないとダメかもしれない・・・」
と悟った頃には、自分が鬱病にかかっていました・・・(;-_-;)
それまで、心配させてはいけないと思ってずっと話さずにいた実家の両親にも、その時初めて事実を打ち明けました。
テラピーを受けて鬱病が治ったと思ったら、今度は視覚異常に続いて右腕が痺れるようになり、
『多発性硬化症』の疑いがあるということで長らく検査を受けていたのですが(→http://fromholland-withlove.spaces.live.com/blog/cns!945B0BC82EE67D38!2214.entry)、
結局原因も病名もわからぬまま迎えた最後の検査の日・・・
お医者様に
「これは”zielpijn(魂の痛み)”かもしれない・・辛いことを我慢し続けていませんか?」
と言われて思わず
「・・・実は私も、もしかしたらそうなんじゃないかと、うすうす思っていました。 実は、この病状が出る約1年前に鬱病になって治療を受けていたのです。」
と答えました。暴力があまりに酷かった(=子供達の身の危険を真剣に感じた)時に、友人のアドバイスで警察にも届け出ました。
オランダでは、万が一に備えて届けを出しておくaanmeldingと、通報のaangifteの2種類の方法があって、私は前者をするつもりだったのですが、うっかりオランダ語の単語を間違えてaangifte(=通報)をしてしまったら、警察官が即座に夫を逮捕に出動しそうになって・・・慌ててaanmeldingの間違いであることを伝えましたが、お陰で、私が今まで受けてきた暴力は逮捕に値することだったんだ・・・ということがわかりました。
それからはいろいろな専門機関に相談したり、思い付くこと、出来ることは全てやってきたのですが、オランダでは外国人である私には、これ以上どうしていいのかわからず・・・
行き詰っていた頃に、当時小学校6年生だった長男ミハーリが学校の先生に相談してくれ、先生を通じてユトレヒト州の家庭内暴力の専門機関と連絡を取ることができました。
夜中に夫が大声で怒鳴ったり、物が壊れる音がする度に
「ママを助けてあげたいけど、僕はまだ小さくて弱いから助けられない・・・(>_<。。。」
と、いつも布団の中で思っていたのだそうです。
ミハーリが4歳の時、
「ママ・・・どうしてパパと結婚したの・・・?」
と目に涙を浮かべて聞いてきたことがありました。
胸が痛みました。
夫の為にと思って頑張ってきましたが、大切な子供がその犠牲になっているかもしれない・・・と。
でも、ここで夫を否定してはいけない!と思い
「怒りんぼうなのはパパの悪いところ。 パパにもいっぱい良いところがあるでしょ?
人にはみんな、良いところと悪いところがあるのよ。 だから、その人の良いところを見てあげるようにしようネ。
それに、パパと結婚してなかったら、ミハーリくんは生まれてこなかったのヨ。
ママはミハーリくんが大好きだから、パパと結婚して良かった!って思ってるのよ。」
と話して聞かせました。
その4年後、マリアが4歳の時、やっぱり
「ママ・・・どうしてパパと結婚したの・・・?」
と目に涙を浮かべて聞いてきたのです。
ショックでした。
でもその時、
「怒りんぼうなのはパパの悪いところ。 パパにもいっぱい良いところがあるでしょ?
人にはみんな、良いところと悪いところがあるんだよ。 だから、その人の良いところを見てあげるようにしようネ。
それに、ママがパパと結婚してなかったら、マリアちゃんは生まれてこなかったんだヨ。
ね? ママ?」
と、4年前に私が話したとおりに、ミハーリがマリアに説明してくれたのです。
子供のうちに、こんな風に悟ってしまうことが良いのか悪いのかわかりませんが、
ミハーリもマリアも、相手の気持ちになって考えられる、本当に優しい子に育っています。
神様に感謝するばかりです。
家庭内暴力の専門機関から派遣された職員との面談の結果、
私と同様に、ミハーリの希望も
「パパに暴力癖治療テラピーを受けて欲しい」
というものだったので、その旨、職員が夫に伝えたのですが、
夫は、話し合いの途中で(目に怒りの炎を燃やしながら)席を立ってしまいました。
学校の先生に事実を話したミハーリに対して
「裏切られた」
と言って怒っている夫を見て、
「大好きなパパの暴力がなくなって欲しい」
というミハーリの勇気ある愛情を、この人は理解できないのか・・・
と心底ガッカリし、ようやく決心が付きました。「完璧な人はいないのだから、その人の悪い所ではなく、良い所を見るようにしないと」
と子供達に(そして自分自身に)言い聞かせてきた私ですが・・・
子供達同様、夫(の良い所)が大好きな私ですが・・・
離婚することにしました。
離婚を決心した理由はもう一つ。
体のことです。
鬱病、右腕の痺れ(=多発性硬化症の症状)の他、昨年末は突然の全身関節痛(=リウマチの症状)、そして(寝ている間にものすごい力で歯をくいしばっているらしく)奥歯が割れ・・・
知らぬうちにストレスが溜まっていたのですね・・・ストレスが形を変え場所を変え、体に現れるようになってしまっていました。
彼が笑顔の時は安心し、表情や声色が変わる度にビクっとする。
「いつまた暴力を振るわれるかわからない」
という恐怖に怯えながら暮らすことに、心がほとほと疲れてしまったようです。
びくびくしながら過ごす・・・まるでいつ爆弾が落とされるかわからない”戦場”で暮らしているようでした。
鬱病を乗り越えてから、肝がすわったのか、彼の暴力にもさほど動揺しなくなったのですが、
いつだったか、森英恵さんのインタビュー記事を雑誌で読んだ時、彼女が地震に動揺しないことに対して、
「自分は暢気なのだと笑って答えるけれど、実際は、戦争を体験して以来、怖いものがなくなって、多少のことには驚かなくなったのだ」
とおっしゃっていて、私のもこの感覚に似ているな・・・と思いました。
家庭内暴力のある家庭は、(何事もない時でも、常に、自動的に、緊張して警戒してしまうところが)
いつ爆撃に遭うかわからない戦場と似ているのです。このまま一緒に暮らしていたら、私は本当に病気になってしまう・・・子供達の為にも、私は健康でいなければ・・・!
そう思って、離婚を決意しました。
夫のことは、それでも愛しています。
15年前に比べたら断然穏やかになった夫・・・頑張って添い遂げられず、申し訳ないと思っています。
でも、子供達の為に、自分自身の為に、私は離婚します。
子供達もその方がいい、と言ってくれているのは、本当にありがたいことです。
離婚コーディネーターを介しての離婚(=二人で一人の弁護士を介して、裁判にはせずに、話し合いによって離婚を成立させる)が間もなく成立し、私は子供達と一緒に引っ越します。
生活は苦しくなりますが、子供達と平和に暮らせると思うと嬉しいです・・・(*^-^*)
「君が大変になるだけだよ。 僕がたまにアグレッシブになるのを我慢すれば、今の余裕ある生活が続けられるのに。」
と彼は言います。
「出て行かないで。 暴力癖はテラピーを受けて直すように努力するから。」
とは決して言わない・・・
だからこれでいいのです。
本当は離婚したくなかった夫を、離婚によって悲しませることになってしまったことが、唯一、悲しいです。
もうすぐ新しい生活が始まります。
夫とは、離婚後も協力し合って子供達を育てていくつもりです。
それが夫の暴力癖の快復にも役立てば・・・と願っています。