夏の休暇2016&2017

今日は
(下書きに残されたままになっていた)昨年の夏休みと、
(オランダ在住25年目にして初めて日本に帰らなかった)今年の夏休みのお話を・・・ (*⌒―⌒*)

昨夏の休暇はセビリアへ(フラメンコ)旅行に行ってきました。

セビリアは、前世をみていただいた際
「今までで一番幸せだったのはスペインで踊り子だった時代」
と聞いた時から
(訪れたいというより)戻りたいと思っていた場所…
ようやく念願が叶いました.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))

偶然通りかかった(→偶然=必然)タブラオLa Taberna
連日美味しいサングリアを飲みながら踊らせていただき
本当に幸せでした ♪(˘ᵕ ˘人)ஐ:*


そして今年の夏は、約10年ぶりに、
離婚するまでの15年間、毎夏訪れていたギリシャ北部テサロニキとカッサンドラ半島へ・・・

この10年でお洒落なホテルや新しいお店ができて、すっかり観光地化されていましたが、
変わらず美しい海に感激しました ♡(˘ᵕ ˘人)ஐ:*


初めて訪れた頃は、道路も砂利道&停電したり断水したりで大変だったのに、
今では他の欧米の国々同様
どのカフェバーでもレストランでも無料Wifiまで使える・・・!
(↑ 日本は、便利なようで、海外から訪れた人が無料Wifiを使えるお店、本当に少ないですよね・・・)

今回驚くほど沢山
ゾロ目のナンバープレートを付けた車を見ました♪
(1番多かったのは333/3333、写真には撮れませんでしたが他に777や999も)

久し振りに食べた本場のギリシャ料理がとっても美味しくて、
食べ過ぎて7kg太りました(^^ゞ
(わたしのお氣に入りのギリシャ料理はこちら

テサロニキの港に近いギリシャ料理レストラン街では
各お店でそれぞれ別のミュージシャンがギリシャ音楽のライブをやっていて
昔すごく好きだった曲を
(タイトルが思い出せなくてメロディーを歌って)リクエストしたら
「あぁ!『オラ カラ』だね!」と
すぐに歌ってくださって感謝感激でした ♪(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

咄嗟に思い立って
レストランの紙ナプキンでバラの花を作り
お礼に差し上げたら
お二人ともとても喜んで
胸ポケットに入れて演奏を続けてくださいました (*⌒―⌒*)

それを見ていたレストランの女性客(恐らく観光客)が
「この子達にもバラの花を作っていただけますか?」
と、小さな女の子2人を連れていらしたので、
更に2つ作りました。
こんな小さなささやかなことで喜んでいただけて
とても嬉しかったです (*⌒―⌒*)

紙ナプキンのバラの花は、
(機内でお客様や同僚の為に作る時もそうですが)
ただただ、感謝の氣持ちを伝えたかったり
ただただ、喜んでもらいたかったり
という
本当にごくシンプルな、素直な氣持ちで作っているのですが、
人によっては
“目立ちたいからやっている”
と見る人もいる…と知ってちょっとショックを受けました…
でも、色々な見方、受け取り方がありますものネ (*⌒―⌒*)

…そう考えると、
セビリアでのフラメンコもただ踊りたかったから踊り、
フライト先でピアノを弾くのもただ弾きたいから弾いているのですが、
これも
“目立ちたいからやっている”
と見る人もいるのかしら…
(これはどういう心理なのかしら…自分が同じことをするとしたら”目立ちたいからやる”ので他の人も同じだろうと考えるのかしら…)

“目立ちたいからやっている”のではないことは自分が一番よくわかっているので
(親しいや大切な人から誤解されたら悲しいですが)
知らない人達から誤解されるのは(氣にしていたらキリがないので)
仕方ないと、氣にしないようにしようと思います (*⌒―⌒*)

ところで、
テサロニキのタベルナ(ギリシャ語でレストランのこと)で演奏していただいた
『Όλα καλά (Ola Kala) オラ カラ』 は
Γιώργος Νταλάρας (Giorgos Dalaras) ヨルゴス ダララスの
1975年のヒット曲・・・ギリシャの懐メロです。
どうしてそんな昔のギリシャの曲を知っているのかというと、
早くに亡くなったギリシャ人の元義父(元夫の父)が(面白くてとっても優しい義父でした…)車の中でよく聞いていたのです。
オリジナルはこちら ↓

ずっと書けずにいたフライト日記も
(フライトセイフティの試験が終わり次第)また少しずつ時間を作って書きますね (*⌒―⌒*)

ギリシャ

東京便乗務から戻った翌々日から昨日まで、子供達に会いにギリシャへ行っていました。
約2週間ぶりに会った子供達、すっかり日焼けして真っ黒になっていました。
ウォータースキーにもトライして、ミハーリもマリアもとても上手になっていてビックリ。
高校生の従姉兄達(元夫の姉の子供達)も一緒。
こちらの高校生は、見た目はもう大人・・・圧倒されます(笑)
写真をアップしました。
マリアとお揃いのビキニ・・・いつまで着れるかな・・・(^^ゞ
別荘の庭に、洋梨、ざくろ、プラム、イチジク、オリーブ等々鈴生りでした。
毎年ギリシャでは5kg太って帰っていたのですが、
今回はダイエットの途中だったので、野菜中心メニューで頑張りましたヨ。
野菜中心でも十分美味しくて大満足(*^-^*)
一日だけうっかり食べ過ぎて2kg増えた日がありましたが、
ちゃんと戻してプラスマイナス0kg♪
ギリシャ料理の私のお気に入り&お勧めメニューはこちらです↓
子供達からちょっと早めの誕生日プレゼントをもらいました。
十字架のネックレス・・・良く見ると一つ一つはハート型のジルコニアです。
いろいろ大変なことがあっても、この子達がいてくれるだけで私は幸せなんだなぁ・・・(>_<。。。
と改めて感激しました。 神に感謝。
そして今日、再び日本へ。
8月15日(日)の2台ピアノコンサートの為の帰国です。
     日時: 2010年8月15日(日) 開場13:30開演14:00 
     場所: 横浜みなとみらい小ホール (主催 ミュート・リート)  
15日までは連日ピアノの練習と右腕の治療に専念する予定。
(↑実は半年ほど前から再び右手に痺れが始まり、1ヶ月ほど前から右腕全体に痛みが・・・手と指は長時間正座した後のようにジンジン痺れ、腕は肘の上下共ふくらはぎが攣った時のような痛みが常にあり、数日前から洗顔・歯磨き・食事・タイピング等全て左手で代行しています。 鎮痛剤も全く効かないので、フィジオセラピーや気功整体、霊気など、いろいろ試しているのですが・・・)
コンサートが終わったら、19日にあるフライト・セイフティーの試験第2弾の試験勉強。
20日から乗務なのですが、右腕の様子によってはお休みせざるを得ないかもしれません・・・(T_T)
東京便のフライト日記も書かないとxxx
(左手打ちなので、時間かかりそうです・・・ご了承下さい・・・m(_ _)m)

一時帰国

 
今年は、子供達の秋休み中に確実に一時帰国できるように、秋休みに合わせて有給休暇を取りました。
 
秋休みは、10月17日(土)~25日(日)。
通常はお休みが始まる前日(=金曜日)にオランダを出るのですが、
土曜日に大切な友人の結婚式(←オランダ人の旦那様、のお父様とご友人への通訳を頼まれていました)があり、
また、父にもなるべく早く&長く会いたかった(子供達と会わせたかった)ので、
子供達の学校にExtra Verlof (=エクストラのお休み)の申請をして
(↑ オランダでは、義務教育の期間に、学校の許可なしで欠席したことが発覚すると、多額の罰金を支払うことになっています)
(↑ 長期休暇前には空港に調査員が配置され、Extra Verlof の許可が出ていないことが発覚すると、罰金 and/or 出国させてもらえなかったりするという噂)
2日前の15日にオランダを出るプランを立てていました。
が、15日以降は満席とのこと・・・それで予定を一日早めて14日に出発しました。
 
その日は偶然にも、日本ベースの先輩方(←終身雇用)の中で最も在籍年数が長い(←38年間!)Oさんのラストフライトの日でした。
定年退職される日本人乗務員第一号です。
オランダベースになってからは、なかなかお目にかかる機会のなかった大先輩Oさん。
日本人らしくない面を沢山お持ちのユニークな先輩で、オランダ人クルーからとても人気のある方でした。
ラストフライトにご一緒させて頂けることになり、しかも、Oさんが担当されるエリアにお席を頂き、
大先輩の最後の仕事ぶりを、しっかり目に焼き付けることができ、本当に光栄でした。
クルーセンターで、会いたかったオランダ人の同僚達みんなに、偶然会うことができた。
 ご縁なんだなぁと思った。」
とおっしゃっていたOさん。 同感です。
このご縁に感謝!
これから制服姿のOさんにお目にかかれないのは淋しいですが、ご縁があれば、またいつかどこかでお目にかかれるはず。
Oさん、長らくお疲れ様でした。 どうぞお元気で・・・!!
 
今回の滞在中、両親と子供達と妹&甥っ子と一緒に、Tokyo Disney Sea へ行きました。
放射線治療跡が痛々しかった父・・・もう70歳だというのにジェットコースターものの激しい乗り物にもガンガン乗って、ちょっと驚きました(O.O;)
私も昔は得意だったはずのジェットコースターもの(←3歳の頃から父と一緒に乗りまくっていたらしい)・・・今回あまりに久し振りで不覚にも声を上げてしまいました。
話題の(←私は知りませんでしたがxxx)『タワー・オブ・テラー』も(待ち時間が長くて大変でしたが)良かったです♪
両親と一緒のお出かけ・・・次回は日本科学未来館のプラネタリウムに一緒に行けたら・・・と思っています。
 
実家では普段二人きりの両親・・・共通の趣味は映画のビデオ鑑賞。
私達の一時帰国が近付くと、子供向けの映画を沢山録画しておいてくれます。
夕食後にみんなで一緒に映画を見るのも、(全然特別なイベントではありませんが)本当に楽しいひと時。
 
オランダに戻る前日は、いつも、家族で集まってお食事+合同誕生日会をします。
今回は、9月10月生まれの甥っ子、妹そして私の誕生日会をしました。
日本の美味しいショートケーキの誕生日ケーキを食べるのがまた楽しみで・・・(*^-^*)
 
そして、秋休み中の一時帰国時に、毎年必ずやることがもう一つ。
それは、年賀状用の写真撮影です。
末っ子だった妹が結婚して以来、毎年、孫達と一緒に撮った写真で年賀状を作っている両親も、この時期に一緒に年賀状用の写真撮影をします。
私は毎年なるべく子供達と一緒に着物を着て写真を撮るようにしているのですが、今年も3人着物で・・・私は母の着物、マリアは叔母が子供の頃着ていた着物、ミハーリは父の着物で撮影。
昨年は3人だけで撮りましたが、今年は、元夫達ての願いで、2年ぶりに4人で撮りました。
元夫とは住所が違うので、どんな風に年賀状を作るか考えなくては・・・
 
昨年の年末年始は乗務が入らなかった為、今年は基本的には年末年始に乗務しないといけないので、
(↑ クリスマス年末年始は、前年度お休みをもらえた人は乗務、乗務した人はお休み・・・という規則があるのです)
今年はお正月に帰れないかもしれません。
次の私の有給休暇は4月(←ちょっと遅い冬休みです)。
その前にまた子供達と一緒に帰れるといいのですが・・・
やっぱり日本は(=家族は)心休まります LOVE
 
今回会えなかった友人達にも、次回は会えますように・・・!
 
 

スロヴェニア~ギリシャの旅

7月初めのシンガポール便乗務の後、7月末まで子供達と一時帰国し、
一時帰国から戻った翌日から東京便乗務。
(→1ヶ月の間に70時間以上飛行機に乗っていた計算・・・ 飛行機 )
そして東京便から戻った翌日から、
今度は車でスロヴェニアへ向かいました。
運転手は元夫です。
今年の4月で、離婚して1年が経ったのですが・・・
「昔のこと、本当に後悔し、反省している。
 どうして君に暴力を振るったりしたのか、今ではわからない。
 もう二度と暴力は振るわないと約束する。
 本当に心から愛している。
 僕には君しかいない。
 これから、今まで辛い思いをさせた17年間を償うように努力する。
 君と一緒に年をとりたいんだ。
 結婚して欲しいとは言わない。
 でも、どうか僕とまたやり直して欲しい。」
と、まるでねるとん紅鯨団(←古い?)の告白タイムのように、
ひざまづいて手を差し出されました。
「・・・離婚する前にそう言って欲しかった。
 もう暴力は振るわないという言葉を信じたいけれど、
 昔受けた心の傷はまだ癒えていなく、
 やっぱり怖い。
 ストレスでまた病気になるのも怖い。」
と、私がためらうと
「もしもまた暴力を振るったり、
 君がストレスで病気になるようなことがあったら、
 すぐに別れていいから。
 今まで傷付けて本当にごめん。」
本気だと感じました。
だから、
「一緒には暮らさない」
という条件で、OKしました。
実際、穏やかになりました。
フライト先でプレゼントを買ってくるようになりました。
(↑・・・あ、決して物に釣られている訳ではありません)
まだ、心のどこかで警戒はしているものの、
彼を信じられつつある自分がいます。
何人かの友人には報告したのですが、
ほぼ全員から反対されました。
暴力癖は治らないと。
でも、チャンスは与えたいと思うのです。
それで、今回、
(当初は、父の体のこともあったので、緊急時にはすぐ日本に戻れるように8月中はオランダで待機していようと思っていたのですが)
父の手術予定日の8月12日まで、
2年ぶりに一緒にギリシャ(←彼はギリシャ人とオランダ人のハーフなので、離婚前までは毎夏ギリシャへ行っていたのです)へ行くことにしたのです。
行きは車だと聞いたので、高校時代の友人Yちゃんがいるスロヴェニアを経由してもらうことにしました。
スロヴェニアでは、Yちゃんお勧めのブレッド湖Bled湖)のある村のホテルに1泊。 家族4人で泊まれる大きな屋根裏部屋風のお部屋でした。
夕食はYちゃんお勧めの湖畔のレストランで。
デザートには(やっぱりYちゃんお勧めの)ブレッド名物のクリームケーキ ( kremna rezina あるいは kremšnita と呼ばれています) を頂きました。
翌朝は、朝食を頂いた後、手漕ぎの舟で、湖に浮かぶブレッド島に建つ教会マリア教会へ。
「この教会の鐘を鳴らすと願い事が叶う」
というYちゃん情報です。
家族4人、順番に願い事をしながら鐘を鳴らしました♪
湖の色がまるで翡翠のような神秘的なグリーンで印象的でした。
それからスロヴェニアの首都Ljubljanaへ。
Yちゃんと合流し、お勧めのレストランでランチをいただき(デザートのマンゴーケーキと苺ケーキがまた格別に美味しかったです!)、
その後、街を案内してもらいました。
詩人の恋のお話や街のシンボルのドラゴンのお話etc.も、とっても面白かったです。
最後にYちゃんお勧めのアイスクリーム屋さんで、これまたとっても美味しいアイスクリームをご馳走になりました。
Yちゃん、本当にありがとう!!
短い時間だったけれど、とっても楽しかったし、久し振りに会えてとっても嬉しかったです。
彼女は近々、ご主人のお仕事(→スロヴェニア大使をなさっていらっしゃいます)の関係でインドニューデリーにお引越し・・・
デリー便が付いたら、今度はインドで会いましょうと約束しました。
スロヴェニアを後にして、クロアチアを通り、セルヴィアへ。
首都ベオグラードに1泊。
ホテルモスクワというホテルが(「ベオグラードに行くなら1泊はホテルモスクワに泊まれ」と言われる程・・・なんて聞いたことありませんがxxx)
有名らしいのですが、
元夫が
「20年くらい前にユーゴスラビア人(当時)の元カノと泊まったことがあるから・・・」
と気にするのと(私は全然気にならないのですが)(・・・でも気遣ってくれて嬉しかったです)、
有名なだけあってちょっとお高かったので、
ホテルモスクワのお向かいにあるホテルバルカンに泊まることにしました。
ホテルに荷物を置いてから、夜遅かった(午後10時くらい)のですが、みんなでちょっと街へ。
元カノが住んでいた街だけあって、元夫が街に詳しく、いろいろ案内してくれました。
ちょっとモスクワに感じが似てたかな・・・(と言っても、私がモスクワに行ったのは20年近く前の話なので、今は全然違うと思いますが)
翌朝早くにホテルをチェックアウトして、セルヴィアからマセドニア(←ギリシャの英雄アレキサンダー大王のマケドニア王国を誇りに思っているギリシャの人々は、ギリシャでない国がマセドニアと名乗っていることを良く思っていなく、彼らはマセドニアと呼ばずにスコッピェと呼んでいます)を経由してギリシャへ。
オランダドイツオーストリアスロヴェニア 約11時間
スロヴェニアクロアチアセルヴィア       約5時間
セルヴィアマセドニアギリシャ          約7時間
オランダスロヴェニアは、オランダ日本の飛行時間とほぼ同じ!)
 トータル約23時間かかってギリシャに到着。
1992年から毎夏行っていたギリシャ
去年は行かなかった(←離婚したばかりだったので同行しなかったのです)ので、
今年は2年ぶり。
ギリシャの親戚も友人達も(←彼らはギリシャ語しか話さないので、ほとんど会話はできないのですが)
再会をとても喜んでくれているのが(目を見れば)わかり、私も嬉しかったです。
特に伯母(亡くなった義理父のすぐ上のお姉さん)は、初めて会った時から私にとても気を掛けてくれていた人で、

目に涙を浮かべて抱きしめてくれ、感動しました・・・(>_<。。。
生前オランダで 「外国人同士だね♪」と言ってやっぱりとても優しくしてくれていたギリシャ人の義理父を思い出しました。

2年ぶりに美味しいギリシャ料理を沢山食べましたレストラン
(3年前にギリシャ料理を紹介するブログを書いてありますのでよかったら見てみて下さい→ http://fromholland-withlove.spaces.live.com/blog/cns!945B0BC82EE67D38!1622.entry 

離婚前と打って変わって、掃除、洗濯、料理、全部一緒に手伝ってくれた元夫。

こんなに平穏に楽しく過ごせたギリシャは初めてでした。
後ろ髪惹かれる思いでしたが、
父の手術日にはオランダに戻っていたかったので(←万が一の時、ギリシャからは日本への直行便がないので)、私だけ先にギリシャを後にしました。
子供達はあと10日間程パパと一緒にギリシャに滞在します。
追伸
お陰様で、父の手術は無事終了しました。
8月20日までは声を出してはいけないらしいので大変そうですが、
元気にしているとのこと。
心配して下さった皆様、ありがとうございました!
・・・お父様、話せなくて辛いと思うけれど、がんばってね!!

大阪・京都・奈良・姫路・広島・長崎 (つづき)

 
広島到着後、駅から歩いて5分程の旅館へ。
久し振りの旅館・・・ホテルじゃなくて旅館です・・・畳にお布団。 お風呂、お手洗い、洗面所は共同。
修学旅行みたいでした。
マリアの夜中のトイレに毎回付き合うのがちょっと大変でしたがxxx
 
夕食はもちろん広島風お好み焼き♪
ワンフロアーに15件ものお好み焼き屋さんが連なる、『駅前ひろば』という所に行ってみました。
エレベーターを6階で降りると、もういい香りが・・・♡
子供達と3人でとりあえず2周ほど歩いてみました。
マリアが「ここがいい!」と決めたお店"HOPE"へ。
広島風お好み焼き、初めて食べましたが、美味しいですねぇ!!!
好き嫌いの多いマリアが「美味しい!」とたいらげた、数少ないメニューの一つとなりました。
 
翌日は早朝から宮島へ。
フェリーに乗って、子供達は大喜び (*^-^*)
きれいでした、厳島神社・・・これは世界に誇れますね・・・ぴかぴか(新しい)
子供達は、そんなことより、鹿(←宮島にも鹿が沢山!)とフグ(←厳島神社からふと海を見たら、フグだらけでした・・・ご存知でしたか???)に夢中でしたが(笑)
清盛神社発見♪ 折角なのでミハーリを入れて記念撮影。
お昼は名物あなごめしをいただきました♪
厳島神社参拝中、どんどん潮が引いていっていたので、あと数時間ねばったら、鳥居まで歩いていけたのかもしれませんが、時間切れxxx
 
宮島から、今度は世界遺産航路で平和公園へ。
マリアが見たがっていた原爆ドーム(←一時帰国中に見たドラマ『広島・昭和20年8月6日』の影響)・・・迫力ありました。
広島平和記念資料館見学後、路面電車で旅館へ一旦戻り、
宮島で買った紅葉饅頭(12種類!)を食べた後、
駅前の床屋さんでミハーリ散髪。
夕食はまた前日と同じお店で広島風お好み焼き・・・マリアが、店員さんから Hello Kitty グッズを沢山お土産にいただき、それはもう大喜びでした。
二晩連続で食べても、とっても美味しかったです、広島風お好み焼き♡
 
その翌朝、新幹線で博多へ。
ミハーリの補習校の担任の先生であるM先生と合流し、折角なので博多ラーメン(美味しかったデス!)を頂いてから、長崎へ。 
 
ホテルにチェックイン後、(数年前に日本に本帰国した)マリアの補習校のお友達Rinちゃんご一家と合流。 Rinちゃんのお父様が偶然にもM先生と同級生だったことが判明。
皆でまずは出島へ。
ユトレヒトのディック・ブルーナ・ハウス(=ミッフィー美術館)では英語とオランダ語に加えて日本の表示もあるのに、
出島の展示物の表示が、英語と日本語だけだったのが、なんだか非常に残念でした。
 
夕食にはM先生お勧めのお店、九州最古の喫茶店ツル茶んへ。
念願のトルコ・ライス+長崎名物のミルクセーキを頂きました♪
美味しかったデス 指でOK
 
ホテルに戻って、部屋でテレビを見、マリアを先に寝かせて、翌日のプランを練っていると、
23時45分頃だったでしょうか、
廊下で物音がして、部屋のドアの前に人影が・・・(←ドアの下に少し隙間があって廊下の光が漏れているので、ドアの前に人が立つと陰が映るのです)
隣りの部屋のミハーリ(←ミハーリはM先生と同室)が来たのかと思って
「ミハーリくん?」
と声をかけたのですが無反応。
もう一度、もう少し大きな声で
「ミハーリくん?」
と声をかけたけれど無反応。
代わりにマリアを起こしてしまい、
「どうしたの・・・?」
と聞くマリアに、事情を説明すると
「ママ、絶対ドア開けちゃ駄目だよ。」
と冷静なアドバイス。
ドアの前の人影は、時々左右に動きながらも、まだドア前にいる・・・
(ミハーリが、私達がもう寝てしまっているかと思って躊躇してるのかな・・・)
(必要な時は夜中でも何でもノックしていいと、ミハーリに伝えておけばよかった・・・)
などと思いながら、マリアに
「部屋の中で話してる声って、廊下に聞こえる?」
と聞くと、
「隣りの部屋からは聞こえないけど、廊下からは聞こえるよ」
・・・ということは、人影がミハーリなら、中から声が聞こえる=起きている=躊躇する必要なない
訳で・・・ということは、ミハーリじゃない・・・???
だれ~げっそり???
 
午前0時をまわる頃、人影はようやくどこかへ行ってしまったのですが、
一体誰だったのでしょう・・・
 
翌日、フロントで、同じ階に他に宿泊客がいるかどうか念の為聞いてみたら、
いる、とのこと。
でも、別の宿泊客だったにせよ、オバケだったにせよ、どっちにしても不気味デス・・・げっそり
 
長崎二日目のプランは、以下の通り:
 
大浦天主堂→石のお店(石ころ館 長崎)→ガラスの絵付け(グラスロード1571)→長崎ちゃんぽん(四海楼)→原爆資料館→平和記念公園→Rinちゃん一家と合流→夕食→夜景
 
 
大浦天主堂の近くに、(尊敬してやまない)コルベ神父様の記念館を発見! 
 
お昼は、ちゃんぽん発祥の店、四海楼へ。
『ちゃんぽん』『蓋付きちゃんぽん(=大正~昭和初期の出前用ちゃんぽん)』『皿うどん』『炒麺(=細麺の皿うどん)』の4つを注文。
『ちゃんぽん』は流石100年を越える伝統の味!・・・大変美味しかったデス ぴかぴか(新しい)
 
メニューの説明を読んでいて「へぇ~!電球」と思ったのは、
 
「皿うどん」は、
四海楼初代、陳平順が
ちゃんぽんのバリエーションとして創ったもので、
ちゃんぽん麺を強火で焼き、
少なめのスープを加え残らず麺にしみ込ませた料理です。 
うどん状のものを皿にのせて出したことから
皿うどんと名付けられました。
一方「炒麺」は、
極細の油揚げ麺に五目あんかけをかけた、
カタ焼きそばのことです。
いつの間にか
この炒麺も皿うどんと呼ばれるようになり、
今日に至っています。
 
私も『皿うどん』=『カタ焼きそば』だと勘違いしていましたが、本場長崎出身のM先生もそう思っていらしたのは意外でした (O.O;)
 
昼食後、同じ建物内のちゃんぽん博物館見学後、原爆資料館へ。
その後、閉館時間ぎりぎりで浦上天主堂も見学。
 
長崎の夜景もとても素晴らしかったです。
Rinちゃん一家のお陰で、子供達もとても楽しく過ごせたようです。
 
この日の夜は、ホテルの部屋のエントランスの電気を消し忘れ(=廊下の光が漏れず)、
前の晩の謎の人影の再訪問があったかどうか、わかりませんでした。
テレビで、
「カナダのブリティッシュ・コロンビア州から帰国した横浜の高校生が、新型インフルエンザ感染の疑い」
というニュースを見て
「ブリティッシュ・コロンビア州・・・
 って、フライト先だったバンクーバーがある州?!( ̄□ ̄;)!!」
前の晩とは別の理由で少々ビビリながら就寝。
 
5月1日、あっという間の3人旅を終え、博多&姫路経由で東京へ。
この日は8時間以上電車に乗っていました・・・新幹線
車窓から見えた富士山がとてもきれいで感動しましたぴかぴか(新しい)
 
またいつか、子供達と日本国内旅行をしたいです。
(頑張って貯金せねば!手(グー)) 
 

大阪・京都・奈良・姫路・広島・長崎

子供達と一緒に
西日本を旅してきました♪
日程は以下の通り:
4月24日 オランダ発
   25日 関空着 (大阪泊)
   26日 京都・奈良 (大阪泊)
   27日 姫路・広島 (広島泊)
   28日 広島 (広島泊)
   29日 博多・長崎 (長崎泊)
   30日 長崎 (長崎泊)
5月 1日 博多・東京
4月21日にバンクーバーへの乗務から戻り、22日は日本語レッスンのアルバイト、23日はユトレヒトでのツアーガイドのアルバイトをし、
少々風邪気味のまま日本へ・・・
関空は初めてだったマリア。 しきりに「きれい~ぴかぴか(新しい)」と感動。
JRパスをゲットし、大阪市内へ。
滞在予定のホテルが、『泉の広場』という所の近くだったのですが、近くのレストランを検索していたら、
『泉の広場の都市伝説』
というのが沢山出てきて・・・これがまた結構恐い(←しっかり全部読んでしまったあせあせ(飛び散る汗)
興味がおありの方はどうぞ・・・↓
>その時は友達と待ち合わせをしていた。
>友達より早く大阪梅田の『泉の広場』についたオレは、暇なので通り過ぎる人々を何気なく見ていた。
>すると20m程向こうから、うつむいた女性がオレの方に向い、ゆっくりとした足取りで向ってくる。
>オレはその女性を見ながら内心、
>『このまま、うつむいたまま歩くとオレに当るな!』
>心の中で少しほくそえみながら、そう思った。
>しかしその女は下を見たままこっちに向ってくる。
>一切、前を見ようともしない。それ所か、通行人がその女を避けるような形で上手く道が出来ていた。
>内心、「こりゃ、可愛い人なら声かけてナンパやな」と、冗談半分思いながらニヤニヤして、その女がオレに当るのを楽しみにしていた。
>どうせ気が付き、オレには当らないはずだとも思っていた。
>しかし女はゆっくりだが確実にこっちに向ってくる。やはり通行人はその女を避けるような形で道が開かれている。
>10m程近くに女が寄ってきた時、背中に何とも言えない寒気を感じた。
>かなりヤバイと言う感覚がとっさに感じた。
>オレは金縛りとまではいかないけど、その女が近づいてくるにつれ、いてもたってもいられない様な感覚に陥ってしまった。
>取り合えず、女と接触するのだけは避けたい。そう思いながら動かない体を必死に動かし、その場から離れた。
>離れると嘘のように体は動く、振り返りその女の方を見ると、立ち止まり女もこっちを見ていた。
>そしてその女の目を見てオレは凍りついた。
>その女の目には白目が全く無いのだ。
>真っ黒な目をしていた。
>まるで人間味を全く感じない、暗闇に引きずりこまれそうな真っ黒な目だった。
>オレはまっ昼間にも関わらず、友達と待ち合わせしている事さえどうでもよくなり、泉の広場から走って逃げた。
>人ゴミの中、通行人にぶち当たろうが全く関係ないくらい、全速力で走り続けた。

>数年前の出来事だ。

>全て本当の話だ。あまりこんな話をすると気持ち悪がられるし、人に言った所で信じて貰えないので今までは嫁さん以外には話をした事がなかった。
>そしてつい最近の事、Deep関西の取材のネタを拾う為に、よく『2ちゃんねる』を見る。『2ちゃんねる』は都市伝説や、様々なエピソードの宝庫でもある。
>ふいにこの真っ黒な目をした女の事を思い出し、早速、検索してみた。
>(2ちゃんねるからの抜粋)
>三年近く前、泉の広場のところで、ヘンな女がうろついていた。
>通勤の帰りによく見かけた。

>三十前後で、赤い色のデザイン古そなドレスっぽい服着てて、小柄で、
>顔色悪く目がうつろ。髪は背中近くまであって、伸ばしっぱなしに見えた。
>目立つ服の色となんか独特の雰囲気があって目がいってしまう。

>でも怖い(キ印っぽい)感じして、
>何気なく観察はしても目はあわせんようにしてた。
>女はいつも広場の中をうろうろしてた。

>ある日の仕事帰り、広場内の薬局の店頭で
>コスメの安売り見てた。私は買い物するの時間かけるほうで、
>そん時も多分一時間近く店にいたと思う。

>その夜も女は広場をうろついていて、
>いつものことなんで特に気にとめてなかった。

>でも、店から出た時、視線感じて顔上げると、
>広場の真ん中の噴水を隔てて、女がこっち見てた。

>なんかヘンな感じがした。私は目が悪くて、眼鏡かけてても
>少し離れた場所だと相手の顔とかよく見えないのに、
>女は妙にくっきり見えたんよ。3Dみたく。
>目があった途端、気持ち悪くなった。
>何か本能的に怖くて、びしぃ!とチキン肌立って。(うわ、ヤバい)(でも何が?)

>自分でも思考回路謎のまま、それでも反射的に
>店内に戻ろうとしたけど、金縛りかかったみたいに身体が動かん。
>助け求めようとして声すら出ないことに気付いた。

>いつもふらふら歩いてるはずの女が、すっと素早く近寄ってくる。
>明らかに普通じゃない様子で、髪振り乱してドレスの裾ゆらしてこっち来るのに、 誰も気付いてくれない。

>もの凄い顔で笑ってて、その表情の怖さにふーっと気が遠くなった。
>だって、目のあるとこ、全部黒目にかわってるんやで。

>怖い、もうあかんって思ったときに、
>いきなり誰かが後ろからぎゅっと腕を掴んできた。

>驚いて顔上げる(ここで身体の自由が戻った)と、男の人で、
>話しかけようとしたら「静かにして」って小声で注意された。

>呆然として顔見上げてると、男の人はますます手をぎゅーっと
>握ってきて、怖い顔で前を見てる。吊られて視線戻したら、
>女がすぐそばに立ってて、男の人を呪い殺しそうな目つきで睨んでた。

>すごい陰惨な顔してて、怖くて横で震えてたけど、
>女はもううちのことは眼中にない感じで、

>「…………殺す……」

>って、つぶやいて、男の人の横をぶつかるみたいに通りすぎて店内に入ってった。

>男の人はその後、私をぐいぐい引いて、駅構内までくると、
>やっと手を離してくれた。

>駅が賑やかで、さっきあったことが信じられんで呆然としてると、
>「大丈夫か?」って声かけてきたんで、頷いたけど、
>本当はかなりパニクってたと思う。相手の名前聞いたりとか、
>助けてもらった?のにお礼言うとか、まともにできなかった。

>男の人は改札まで見送ってくれた。
>別れ際に、「もうあそこ通ったらあかん」
>とか言われて、
>「でも仕事あるし」
>「命惜しかったらやめとけ」

>答えようがなくて黙ってると、
>「今日は運よかったんや。あんたの守護さんが俺を呼んで
>あんたを守ってくれたんやで。
>たまたまやねん。わかるか?
>あんたが助かったの、たまたま守護さんがわかるもんが、たまたまそばにおった、それだけやで。
>あいつにとり殺されたくなかったら、 もう通らんとき」
>(守護さんって何やのん。守護霊のことか?)

>霊なんて見たことなかったから、自分の体験したのが何なのか
>わからなかった。(正直、今もわからない)

>女はどう見ても生身の人間に見えた。
>それで返答に困ってると、その人は私に何度も一人で通るなよと繰り返して行ってしまった。
>                      
>少し長くなったけど、こんな書き込みを見つけた。
>これを見た時、背筋が凍りついたのは言うまでもない。
>オレが見たのは赤い服ではなかった。白っぽいブラウスにスカートだったと思う。
>共通点と言えば白目の無い真っ黒の目、瞳もなかったように思う。
>病気なのかこの世の物では無いのかは分からず終いだけど、同じような体験をした人がいたのには恐怖を感じまくっている。

>大阪梅田の繁華街、泉の広場、
>ここは何となく嫌な雰囲気を感じているのはオレだけではなかった事、すでに都市伝説と化していたエピソード、
>後の書き込みを見ると尾ひれが付いてたり、ガセだと言う書き込みが書かれているが、
>オレが体験した事は間違えようのない真実。

>今は凄く悩んでいる。
>泉の広場には近づかないようにしている。
・・・げっそり
そんな訳で、超ドキドキしながら『泉の広場』を通ってホテルに到着。
(黒目の女の人には出会いませんでした・・・ε-(^。^;)ホッ)
仮眠を取って、その日は懐かしい大阪支店の方々とお食事。
日本ベースで乗務していた頃に社員旅行で仲良くなった同世代の方々で、大阪便が2泊あった頃は大阪ステイ中に毎回のように会いに行っていた面々です。
大阪便のスケジュールが1泊になってもう大分経ちますので、もう10年くらいお会いしていなかったかもしれません。
再会、本当に嬉しかったです (*^-^*)
ホテルへの帰り道、
『変身カラオケ なりパラ』なるものを発見♪
マリアが行きたがっていたのですが、大阪支店の皆さん曰く
「これは恐らく子供が行ってはいけない、怪しいお店ではないかと・・・(^^ゞ」
とのことだったので、そのままホテルに戻りました。
(後から検索したら、結局コスプレ用の衣装が置いてあるだけの普通の?カラオケボックスだったようですあっかんべー
翌朝は、早朝、関空にミハーリを迎えに。
ロンドンでの英語研修があった為(←ミハーリは、英語とオランダ語の2ヶ国語教育の中学に通っています)、一日遅れでの帰国。
一人でアムステルダムから関空まで飛行機で来させるのはちょっぴり不安でしたが、成田にはもう既に2回一人で行っていましたし、本人も平気だと言っていたので、やらせてみました。
関空でミハーリが出口から出てきた時は、ホッとしたと同時に、本当にしっかりしてきたなぁ・・・と感動(>_<。。。
オランダ人、そして日本人の同僚達にお礼を言って、空港駅でミハーリの分のJRパスをゲットし、そのまま京都へ。
京都では、(3年前に本帰国してしまった)ミハーリの補習校の友達のAkiraくん&お母様、マリアの補習校の友達のHirokiくん&お母様、そして元ユトレヒト在住だった私の友人Motokoさんと一緒にランチレストラン
今回は、(子供達もまだお寺には興味なさそうだし)京都の観光はナシ。
お友達との再会を楽しみました♪
京都から奈良へ。
奈良も、今回は観光はせず、
“鹿に鹿煎餅をあげる”
ことだけが目的だったのですが、
やっぱり折角だからと東大寺だけは見学しました。
境内の新緑と本堂とのコントラストが美しかったです。
でもやっぱり子供達にとっては(食いしん坊の)鹿達の方が印象的だったようです(笑)
奈良から大阪に戻り、風月でお好み焼きを頂きました。
翌朝、新幹線で姫路へ。
姫路城見学。
お菊という女性の亡霊が皿を数えることで有名な怪談『皿屋敷』。
お菊井戸が姫路城にあったなんて、知りませんでした。
マリアが大喜び。
日本語補習校で、ボランティアで子供達に本の読み聞かせをしているのですが、
昨年、マリアの学年に読んでいた『落語』の本の中に、
丁度このお話が入っていたのです↓
>町内の若者達が番町皿屋敷へお菊の幽霊見物に出かける。
>出かける前に隠居から
>「お菊の皿を数える声を九枚まで聞くと死んでしまうから六枚ぐらいで逃げ出せ」
>と教えられる。
>若者達は隠居の教えを守り、六枚まで聞いたところで皿屋敷から逃げ出してきたが、
>お菊があまりにもいい女だったので若者達は翌日も懲りずに皿屋敷へ出かけていく。
>数日もすると人々に噂が伝わり、見物人は百人にまで膨れ上がった。
>それだけ人が増えると六枚目で逃げるにも逃げられず、九枚まで数える声をまで聞いてしまう。
>しかし聞いた者は死なず、よく聞くとお菊が九枚以降も皿を数え続けている。
>お菊は十八枚まで数えると
>「これでおしまい」
>と言って井戸の中に入ろうとするので見物人の一人が
>「お菊の皿は九枚と決まっているだろう。何故十八枚も数えるんだ」
>と訊くと、お菊は
>「明日はお休みだから明日の分まで数えた」
(Wikipediaより)
姫路城見学後、再び新幹線で広島へ。
(つづく)

ギリシャ

2度目のアクラ便の乗務(←フライト日記もなるべく早くアップできるように頑張りマス)から戻った当日、
空港で着替えて、夫と子供達の待つギリシャへ行ってきました。
ギリシャの別荘があるPaliouri(パリウリ)に関しては、
http://fromholland-withlove.spaces.live.com/blog/cns!945B0BC82EE67D38!1425.entry?&_c02_owner=1を見て下さいネ。
以前はアムステルダムからテサロニキまで直行便があったのですが、今年はなくなってしまったので、まずKLMでアテネに飛びました。
「あなたはもしかして社内誌の・・・?」
と同僚達。
実は、今月の社内誌に私のインタビュー記事(ピアノのお話)が載っているのデス・・・Beschaamd
アテネからは、エージアン航空(Aegean Airlines)(”エージアン”とは、”エーゲ海の”という意味)(ギリシャ初の民営航空会社)でテサロニキへ。 
RJ100という初めて聞く機種にちょっとビビリましたが、約30分の飛行時間、乗務の疲れで爆睡しているうちに到着。
10日振りに会った子供達はすっかり日に焼けて真っ黒でした。 
夫の兄一家、姉一家もいて、子供達の従兄弟達も勢揃い。
ギリシャ人の親戚の子供達も一緒に写真を撮りました・・・一番下が8歳(=マリア)、一番上が15歳(=ジジという男の子)です・・・が、外国人の子供達は大人っぽい!
小中学生とはとても思えません・・・(→写真を見て驚いて下さい)
毎日、ヨーロッパ風の休暇を過ごしました=毎日同じ時間に起き、同じビーチへ行って数時間のんびりし、別荘に戻ってシャワーを浴び、夕食をとった後に村のカフェでお茶をし、寝る・・・最初の数年は、この”毎日同じ”スケジュールに辟易したものですが、”何もしない休暇”にももうすっかり慣れました。
夫と子供達は毎年3週間(去年は6週間)ギリシャに滞在するのですが、私は数年前から約1週間だけ滞在することにしています。
1週間以上いると、ものすご~~~く太ってしまうのデス・・・ギリシャ料理、と~~~っても美味しいので!
今回も6日間だけの滞在。 6日間で食べたいものは食べつくしました(笑) 今年は3kg増くらいで済んだはず(?!)
お勧めのギリシャ料理に関しては、
http://fromholland-withlove.spaces.live.com/blog/cns!945B0BC82EE67D38!1622.entry?&_c02_owner=1を見て下さいネ。
そして今日、またアテネ経由でオランダに戻ってきました。
アテネまで、エージアン航空とどちらにしようか迷ったのですが、乗りなれたオリンピック航空で。
今日は眠らずに、外の景色を楽しみながらアテネへ。
途中で、ものすごい量の煙が上がっている場所があったのですが、後で、例の山火事だったと知りました。
アテネでは、KLMのアムステルダム行きの便が込んでいた為すぐにチェックインができず、
しばらく出発ロビー内のカフェで待機することに。
すると、お向かいの席に50歳代くらいのアジア人(私の勘では恐らく韓国人?)男性が座って、おもむろに携帯電話を取り出しました。
メールでも打ってるのかな・・・と思ったのですが、それにしては携帯電話の向きが変・・・写真を撮ってる?! まさかね・・・と思いきや
カシャリ写真
という音と同時に、膝あたりまで下ろした彼の携帯電話の画面に私の顔が!!(驚)
数分おきに3~4枚撮っていらっしゃいました・・・びっくり
誰かに似ていたのかしら・・・?
KLM便もなんとか席をいただけて、無事戻ってきました。
帰りの便でも

「あなたはもしかして社内誌の・・・?」

と同僚達・・・しばらく続きそうですxxx
行きの便同様、機内食が美味しくて・・・感激!

空の上から見ると全体的に茶色っぽい(←気候が暑いせいか、山肌が茶色っぽいのです)南ヨーロッパから戻って来ると、

オランダは本当に緑が眩しい!
・・・どこまでも続く緑の平原に、日の光が反射してキラキラ輝く水(=運河・湖・沼etc.)・・・
そして、青い機体がズラリと並ぶスキポール空港・・・Lovely♡
夏でも夜は20度前後に気温が下がるオランダも、暑いギリシャから戻った今日は、その涼しさが心地よかったです。

一時帰国

 
飛行機が満席で乗れず、予定より一日遅れでオランダに戻って参りました。
オランダは寒い~・・・
日中の最高気温は10度、夜は2度・・・既に日本が恋しい私です。
 
さて、今回の一時帰国、メインイベントは長女マリアの七五三のお祝いでした。
最終日に着物のレンタル予約をして、記念写真、ついでに年賀状用の写真も撮ってしまおう♪というプラン。
 
もう一つのイベントは、長男ミハーリの友達のイムル君と彼のお母さんのヴェロニカさんの観光案内
 
成田到着当日(土曜日)から日本食をいろいろ召し上がっていただき(イムルの好物は「たこ焼き」)、夜はカラオケ
イムル君は、(お母さんの趣味なのでしょう→)イーグルスやポリスの曲を、

ミハーリは、Earth, Wind and Fire の「ファンタジー」やディズニーの「アラジン」「ライオンキング」の曲などを英語で歌い、

(オランダでは、子供番組も英語放送+オランダ語の字幕だったり、PlayStationなどのゲームにオランダ語版がなく英語版で遊ばなければならなかったりするので、小学校5年生で英語を習う頃には、既にかなり理解できているようで、カラオケでも英語をスラスラ読んで歌ってしまいます・・・感心!)
マリアは、「学生街の喫茶店」(←なぜかこの歌が大のお気に入り・・・)「セーラームーン」の曲や「魔女っ子メグ」「ケロッコでめたん」などを歌ったのですが、
最後にミハーリとマリアが私の父と一緒に「上を向いて歩こう」(←今、日本語補習校で朝礼時に歌っている)(ミハーリはハモリ)を歌うと
ヴェロニカさんが突然
「この歌はオランダできっとヒットするわ! オランダでCDを出しましょう!」
どうやらそういう関係のお仕事をされていたらしい・・・(知らなかった)
来年の2月発売を目指して準備したいとのこと・・・(本気らしい)
・・・私はピアノ伴奏でもするかしら・・・
 
翌、日曜日は朝から秋葉原へ。
ヴェロニカさんはデジタルカメラ、子供達はゲームソフトなど、そして私は(今夏の落雷で感電死してしまったPCの保険が全額おりたので)新しいPCを購入。
 
なか日は、私の両親も一緒に1泊2日で鬼怒川へ。
初めて見る畳の部屋に大感激のヴェロニカさん。
早速、浴衣に着替えてお風呂へ・・・
(体の大きいヴェロニカさん用には特大サイズを注文したのですが・・・前が重ならず、Tシャツの上から羽織っていただくことに・・・
久し振りの温泉、気持ちよかったデス
 
翌日は、日光江戸村へ。
入場料が高くてビックリ・・・一日借りられる貸衣装もあったのですが、これまた高くて断念。 
(貸衣装は、もっと安くすれば、もっと着る人が増えて、江戸村も一層江戸らしくなるのに・・・!)
「忍者」や「水芸」などのショーを見学した後、写真館へ。
イムルは「忍者」、ミハーリは「新撰組」、マリアは「お姫様」に変装して記念撮影しました。 私も「舞妓」で写真を撮っていただいたのですが、鬘が似合わずxxx
 東京に戻って駅前で「ラーメン」&「餃子」(=オランダ人の好物)を食べました。
 
金曜日は朝から浅草へ。
もちろん雷門前で写真を一枚。
あの巨大な提灯が、ヴェロニカさんが前に立つと全然大きく見えず、ちょっと感動(?)
お寺のあとは、当然(?)神社・・・明治神宮へ。
の中を散策しているような気分にさせる明治神宮は、オランダ人のお気に入りです。
トトロがいそうだねぇ~」と言えば、子供達も大人しく歩いてくれマス♪)
丁度、結婚式もあって、ヴェロニカさんも子供達も喜んで見ていました。
(肝心の神社よりも喜んでいたかも・・・)
菊花展もやっていてよかったです。
 
土曜日は、午前中髪のセットへ行き、午後から着付け&写真撮影。
マリアが来た着物とドレスは、夏に一人で帰国した際に私が選んだのですが、とっても似合っていてヨカッタ!
 
今回は、観光案内で忙しくて連絡できないままになってしまった友達も沢山いました・・・ごめんなさい!
次は(いつ帰国できるかな・・・)きっと会いましょうネ!!
 
 
 
 
 

ギリシャ料理

PCが落雷(前のブログ記事をご参照下さい・・・)で壊れてしまい、
保存してあった(ギリシャ滞在中に撮影した)ギリシャ料理の写真も消滅してしまったのですが・・・(T_T)
折角ですから、お勧めのギリシャ料理をご紹介したいと思います♪
ギリシャ料理で有名なのは、多分・・・
スブラキはオレガノ風味の串焼き、ムサカはパスタの代わりに茄子を使ったラザニア風のお料理です。
スブラキは村のレストランにもありますが、ムサカは観光地のレストランでないとないようです。
私達が村のレストランでいつもオーダーするのはスブラキムサカではなく・・・
ツァツィキ(Tzatziki)

ヨーグルトにニンニク、キュウリなどをいれて作ったペースト。
タラマ(Tarama)

ジャガイモと鱈子で作ったペースト。
メリザノ(Melitzano)

ナスで作ったペースト。
これらはパンに付けていただきます。
 
ホリアティキ(Horiatiki) 
たまねぎ、にんじん、トマト、オリーブ、フェタ・チーズが入ったサラダで、塩、胡椒、オリーブオイルとビネガーをお好みでかけていただきます。
カラマリ(Kalamari)

いわゆるイカ・リング。 世界中で食べられるのに、ギリシャで食べると何故か特別美味しい!
オフタポディ(Ohtapodi)

ゆでダコのグリル。
ミディア サハナキ(Mydia Sahanaki)

ムール貝のマスタード・トマト・ソース煮で、あまったソースもパンに付けていただきます。
ヴリタ(Vlita)

ビタミンAがたっぷり入っていそうな野菜(ホウレン草の仲間らしい)料理。
クリタマ(Kritama)

海岸で取れる野菜。 海草に近いのだそう。 さっぱりしていて美味しい!
そして、私が一番好きなギリシャ料理は・・・
村に住んでいる伯母が作ってくれるイエミスタ(Gemista)
 
大ぶりなトマトなどの中に調理した米を詰めオーブンで焼いたもので、
私は特に茄子のイエミスタが好きなのですが、
レストラン(これも大抵観光地のレストランでしか頼めません)にはトマトとピーマンのイエミスタしかないことが多いです。
 次に好きなのは、アヴゴレモノ スープ(Soupa Avgolemono)

卵とレモンのスープで、スープの中にご飯も入っています。
ちょっぴり酸っぱくて不思議な味ですが、一度飲んだら忘れられない美味しいスープ。
このスープも置いてあるレストランが少なく、私はアテネのシェラトンホテル内のレストランとアテネの空港内のレストランでいただきました。
・・・こんなところでしょうか。
また何か思い出したら追加するかもしれません。
それから写真も・・・
さて、明日で長かった夏休みも終わり、明後日から乗務に出ます 飛行機
今年4回目のボネール島・・・もうこれ以上日焼けしないように、夕方から出歩こうと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

高校時代の友人さぶのお陰で、落雷で消滅したと思っていた写真が生き返りました♪ (さぶ、本当にありがとう♡)

但し、TzatzikiとMelitzanoの写真は借り物です・・・(写真を撮る前にうっかり食べてしまって・・・(^^ゞ)

ギリシャから戻りました

すっかりご無沙汰してしまい、失礼しました・・・
昨晩、休暇先のギリシャから戻りました。
別荘のあるPaliouri(パリウリ)という村は、未だに時々水や電気が止まる長閑な(?)所で、
当然インターネットなどなく(隣村までは来てるらしいのですが・・・)、
一週間、ビーチで波の音を聞きながら、子供達の笑顔と美味しいギリシャ料理を楽しむ以外は”
何もせず”に過ごして参りました。
飛行機でギリシャ第2の都市Thessaloniki(テサロニキ)(=ギリシャ北部にある、その昔マケドニア王国があった場所で、海辺にアレキサンダー大王の銅像が建っています)へ飛び、
そこから車でHalkidiki(ハルキディキ)地方(=「海神ネプチューンの三叉鉾」の鉾先のような形の半島で、先端がカッサンドラ、シトニア、アトスの3つの半島に分かれています)へ向かいます。 
その3つの半島の一つ、Kassandra(カッサンドラ)半島の先端辺りにある村がPaliouri(パリウリ)です。
以前はカッサンドラ半島一の大きな村だったそうですが、今は隣村のPefkohori(ペフコホリ)の方が(ドイツや東欧諸国からの)観光客で賑わっているとのことです。


(テサロニキの斜め右下にあるのがハルキディキ半島)
(ハルキディキ半島の3つに別れた先っぽの一番左側にあるのがカッサンドラ半島です)

初めて訪れた1992年の夏から1999年までは、テサロニキの空港(マケドニア空港)での入国審査の度に
日本人は初めてだ
と毎年(!))言われ
ていましたが、
シェンゲン協定が実施された2000年以降は、オランダからギリシャへ入る際の入国審査がなくなった為、珍しがられることもなくなってしまいました。
空港も、オリンピックとサッカーのヨーロッパ・カップ開催を機に、随分キレイになって・・・目に見えて開発が進んでいます。
そんな中で、14年前とほとんど変わらないパリウリの村・・・
人口400人にも満たないこの村の村人達は、親戚同士の人達も多く、
み~んな知り合いです。
ギリシャでは、子供に祖父母の名前を付ける“しきたり”がある(=長男には父親方の祖父、長女には父親方の祖母、次男には母親方の祖父、次女には母親方の祖母の名前を付けることになっています)ので、
同じ名前の人がうじゃうじゃいて、ややこしい反面、覚え易くて便利です(?!)。
ちなみにMichali(ミハーリ)とMaria(マリア)も、ギリシャのしきたりに従って、夫の両親と同じ名前になっています。
もしも、次男、次女が生まれていたら、私の両親と同じ名前(MitsuoとSadako)になることになっていたので、「そうなっていたら面白かっただろうなぁ・・・」と思う一方、「そうなっていたらやっぱり変な気分だっただろうなぁ・・・」とも思う(^^ゞ
驚いたことに、Mitsuoという名前はギリシャ名にもあって、Dimitoriという名前の略称らしいのですが、
「父の名前はミツオです」と言うと「君のお父さんはギリシャ人なのか??」とよく聞かれます(笑)
別荘では今年も巨大ムカデ(長さ20cm、太さ1.5cmくらい)が出たり(シャワーを浴びている時に排水溝から這い出てきた)、毎年スリル満点・・・!?
(台所にサソリが出たこともありマス・・・)
後日改めて、美味しいギリシャ料理の紹介をしますネ・・・お楽しみに♪