フライト日記(Dubai)

2005年10月
(DXB)
ドバイへ行って参りました。
機種はMD-11。 
イスラム教圏の国々へのフライトは年に数回付きますが、ラマダン中に行ったのは初めてでした。
もちろん、私達はイスラム教徒ではないので断食する必要はなかったのですが、日が上ってから沈むまで、屋外での飲食・喫煙は私達も禁じられていました。
いつもは屋外プールサイドでランチやフルーツジュースをいただくのですが、今回は屋内のレストラン(しかもカーテンでぐる~っと覆われている!)でしか日中は飲み食いできませんでした。

2泊4日のスケジュールだったので皆でバスに乗ってビーチクラブへも出かけたのですが、ここもやはり日中は屋外での飲食・喫煙は禁止でした。
夕方、日が沈むと同時に、モスクから
「さぁ~日が沈んだぞ~食べてもいいぞ~」
とでも言っているかのようなアラビア語放送が流れ、途端に人々は外で一服し始めるのでした。
一日目の夜、クラウン・プラザ・ホテルの1Fにある「わがまま」という日本食レストランへ行きました。
ロンドンとアムステルダムにも支店があるとかで、ヨーロッパ人観光客で賑わっていました。
ここの4Fにある日本食レストランには、以前クルーホテルがここだった頃に2度食べに行ったことがあった(と~っても美味しかったです!)のですが、この「わがまま」は初めて。
ものすごくワクワクしながらメニューを見てガックリxxx
日本食“もどき”だったのです・・・
「やきうどん」を頼んだ同僚が(日本の「やきうどん」とは程遠い)「やきうどん“もどき”」を、
「餃子」を頼んだ同僚が(日本の「餃子」とは見た目からして全然違う)「餃子“もどき”」をインドネシア甘い醤油と一緒に食べて、
「美味しくない・・・」
と言うのを聞いて、
「ここのお料理は日本食とは違うからね! 日本では食べられないメニューばかりだからね!」
と弁解しながら、心の中で
「本物の日本食を出さないなら、ジャパニーズ・レストランなどと名付けるな~!!」
と叫んでいました。
これを食べて
「日本食って、美味しくないじゃん・・・」
とか思われたら、やっぱり悲しいじゃないですか・・・
名付けるなら、そうですねぇ
アジアン・クリエイティブ・オリジナルフード・レストラン
とか?
・・・まぁ、メニューはクリエイティブでなかなか面白く(「わさび入り(!)ホワイト・チョコレートケーキ」とか)、
それに、日本の味を期待せずに食べれば結構美味しいのですから
帰りのフライトは夜中に出発して早朝にアムステルダムに到着する便だったのですが、電車(通勤は大抵電車です)を待っている時、夜明け間じかの空に赤く輝く火星(2年2ヶ月ぶりの地球接近で10月30日に最接近して-2.3等星)が見えて、とてもきれいでした。
 

スペイン旅行記 その2

ドバイへの乗務から戻って来ました。 フライト日記を書く前に、まずはスペイン旅行記のつづきを・・・
 
グラナダ編
特急TALGOからの景色を楽しみにしていたのですが、あいにくの雨模様で何も見えぬまま6時間後にグラナダ到着。 
両親は・・・よ~く眠っていました。 私は車内映画を2本(音声はスペイン語で字幕無し)見ました。 (ほとんどわかりませんでしたがxxx)
 
どしゃぶりの雨だったので、グラナダ駅前にはタクシーを待つ長~い行列ができていました。 そこで、とりあえず駅の食堂で昼食をとることにしました。 
 
ふと見ると、カウンターで中国人青年が注文しようとしています。
カウンター内には若い(アフリカ系?の)女性スタッフが一人。
様子を見ていると英語は全く通じず、その上、中国人青年が注文している最中でも後から白人客(スペイン人であったり、アメリカ人観光客であったり)が来ると、あからさまに彼らを優先しています。
でも、ど~も、意地悪をしている、というのとはまた違うのです。 まるで「
本能(?)で、知らず知らずのうちに有色人種よりも白人を優先」してしまっている・・・といった感じでした。
中国人青年が注文を終えたので、私達もチョリソー入りサンドイッチ・トルティージャ(スペイン風オムレツ)入りサンドイッチなどを頼みました。 英語は通じないことがわかっていたので、スペイン語入門を片手にスペイン語で注文しました。
頼んで間もなく、
トルティージャ入りサンドイッチを手渡されましたが、中国人青年も同じものを先に注文していたのを知っていたので、そのまま彼に手渡しました。 
・・・悪い予感はしていたのですが、心配していたとおり、私達の分のトルティージャ入りサンドイッチはきませんでした。 でも、他のメニューでもうお腹がいっぱいになっていたのでお会計を頼みました。
・・・心配していたとおり、トルティージャ入りサンドイッチもちゃんと加算されていました。 忘れられたのは、中国人青年の分だったのです(・・・やっぱり意地悪されていたのかしら??)。 お店の人に言っても理解してもらえないと思い、中国人青年に事情を話して彼から直接代金をいただき、(彼が再度請求されては気の毒なので)レシートは彼に渡しました。 
 
外を見ると、いつの間にか雨も上がり晴れ間が見えていました。 が、タクシーを待つ人々の行列は相変わらずで、私達もしばらく並んで待っていましたが1台も来ない(!)ようなので、地図を頼りに歩いてホテルまで行くことに。
地図の上では、「やっと半分まで来た」というところだったのですが、もうホテルの看板が見えるのです。 試しに行って見るとそれが宿泊先のホテルでした・・・(旅行代理店からもらった)地図が間違っていたのです。 (ホテルの看板に気付いて本当によかった・・・)
 
3つ星のホテルでしたが、マドリッドとうって変わってスタッフのにこやかなこと!!
グラナダは1泊2日。
翌日の
アルハンブラ宮殿見学しか予定していませんでしたが、折角なので、夕食をタブラオ(フラメンコ・ショーを見ながら食事ができる)でとることに。 その昔ジプシーの隠れ家だったという洞窟をタブラオに改装したというロス・タラントスを予約しました。
 
タブラオは午後8時からだったので、その前にグラナダの街を散策することに。
カテドラル教会を見学した後、教会から四方にのびる路地を気の向くままに歩き回りました。
独特だなぁと思ったのは、お土産屋さんに
スペインのもの(フラメンコの衣装など)と並んでアラビアのもの(モロッコの民族衣装?)が置いてあったこと。
グラナダイスラム時代最後の王朝、ナスル朝の王都だったところ・・・それに、ジブラルタル海峡を渡れば、モロッコはすぐそこですからネ・・・(*⌒―⌒*)
タブラオはホテルからの送迎付きだったのですが、20分遅れで(でも平然とした顔で)お迎えが来ました。
遅れるのは普通のことのようです。 
白い家の間を迷路のように入り組んだ急な細道(これは、敵の侵入を防ぐ為、イスラム都市構造の特徴なのだそうです)をしばらく進むと、闇の中に、ライトアップされたアルハンブラ宮殿が。
タブラオは
アルハンブラ宮殿に対面する丘の上に掘られた洞窟跡にありました。

アンダルシア地方独特のお料理を楽しんだ後、いよいよフラメンコ・ショーが始まりました。
初めて見ましたが、思っていたよりも
素朴で”質素な中に情熱が込められた踊り”という印象でした。
(ここでのフラメンコは、
ジプシーの影響もあったりするのかもしれません・・・)
翌日は早朝からアルハンブラ宮殿見学へ。 
英語のガイド付きの見学ツアーだったのですが、ガイドのホセさん、地元の方なのですが、もう10年以上、ほぼ毎日、アルハンブラ宮殿のガイドをなさっているそうで、
「毎日ガイドをしていて飽きませんか?」
と伺うと、
四季の移り変わりや天候によって宮殿も表情を変えるので、全然飽きない。 アルハンブラは本当に美しい!
と目を輝かせておっしゃっていました。
各所でじっくり時間を取って、とても詳しく、(裏話などを入れて)楽しく、(
アルハンブラ宮殿に対する)愛情あふれる説明をして下さり、
本当に良かったです!

それに引き換え・・・
(途中、日本人の団体客に追い越された際驚いてしまったのですが、)
日本語のガイドは相当ヒドそうでした・・・(^^;
追い越し際に私達のグループの隣でしばらく止まっていたかと思ったら
「ハイ、今の説明、聞きましたか?」(英語のガイドの説明ですから、説明は英語だったのに・・・)
しか言わないのです。
その後、私達のガイドを指しながら
ハゲ、ツルツル、ピカピカ、バカ
と言っただけで(確かにホセさんは頭の薄い方でしたが)、
日本人の団体客が大笑いすると、他には何の説明もなく、さっさと私達を追い越して行ってしまいました。
唖然・・・(◎-◎;)!!
「日本語のガイドだったら、いちいち両親に訳さなくて済んで楽だったかもしれないな・・・」
と思っていましたが、とんでもない!
英語のガイドで良かった!! 
見学ツアーの後、アルハンブラ宮殿敷地内にあるパラドール(=古城や修道院、貴族の館をホテルに改装したもので、歴史の重みを感じさせる壁画やシャンデリアなどの内装も楽しめ、地元の食材を使った郷土料理をいただくことができる)で昼食をいただきました。 
食後に父がアイスコーヒーを飲みたいと言うので聞くと、
カフェ・フリオ(=アイスコーヒー)はないが、カフェ・コン・イエーロ(=氷入りコーヒー)なら・・・」
とのことだったのでそれを注文すると、(普通の、小さいカップに入った)
エスプレッソ・コーヒーに続いて氷入りのグラスが運ばれてきました。 コーヒーを氷入りグラスに移してアイス・コーヒーにしていただきました。 
最近は、(スターバックスの進出に伴い?)ヨーロッパでもアイスコーヒーを置くお店が増えてきましたが、基本的にはヨーロッパ(ただしギリシャを除く=ギリシャには、フラッペというアイスコーヒーがあります)では「コーヒーは当然ホットで飲むもの」のようです。
(日本へ初めて来たオランダ人の同僚達も「アイスコーヒー」と聞くと最初は口々に「気持ち悪~い」と言いますから・・・) 
昼食が済むと外は再びどしゃぶり・・・。
一旦ホテルに帰り、雨でもOKのショッピング・センターへ。
母は暖かそうなピンクのカーディガン、父は(スペインに来てから探し続けていた)”スペインらしい(?)”シャツ(本来20代くらいの男性が着ると思われる黒いシャツ)を、(お店の人に「えっ!? お客様がお召しになるのですか・・・?!」という顔をされながら)購入。 
その後、夜10時5分発の夜行列車バルセロナへ向かいました。 (つづく・・・) 

スペイン旅行記 その1

昨日、日本からオランダへ戻って来ました。 
オランダは朝から雨です・・・今日の最高気温は12度(・・・北海道と同じくらい?)。 
 
では、先日両親と行ったスペイン旅行のお話を忘れないうちに・・・
 
アムステルダム~マドリッド
10月8日(土)、成田から到着するKL862便の到着予定時刻をTELETEKST(=オランダの文字放送: とっても便利!)でチェックし、午後2時過ぎに夫に来るまでスキポール空港まで送ってもらい(夫はそのまま、日本語補習授業校へ通っている子供達を迎えにアムステルダムへ・・・)、チェック・インと出国手続きを済ませて、KL862便の到着ゲートへ。 数分後に到着した飛行機から降りてきた両親を出迎えました。
 
マドリッド行きの便の乗り継ぎまで4時間近くあったので、両親を連れて入国手続きをし(・・・私は出国しないまま再入国した形になりますが・・・)、到着ロビーで夫と子供達と合流。 
しばらくお茶した後、空港に隣接しているシェラトンホテルのレストランで皆でお食事しました。
 
夫と子供達に見送られながら(乗務以外で子供達を置いて家を離れるのは初めてだったので、ちょっと辛かったです・・・学校がなかったら子供達も一緒に連れて行きたかったナ・・・)両親と出国手続き(・・・といってもヨーロッパ内は搭乗券だけでパスポートは見せず、あとは手荷物のX線検査を受けるだけなのですが・・・)をして、マドリッド行きKL1707便の出発ゲートへ。
幸いそれ程混んでいなかったので、両親の隣のシートをいただくことができました。 離陸してから見えるアムステルダム近郊の景色を説明したり、機長のアナウンスを訳したりしながらマドリッドへ。
アムステルダム出発時、チェック・インしたのに搭乗していらっしゃらないお客様がお一人いらして、その方の荷物の積み下ろし作業(単に出発時間を間違えたり空港で迷子になっていたりした為だったりもするのですが、爆弾テロなどの可能性を考えて、搭乗して来ない乗客の荷物は、どんなに時間がかかっても探し出して飛行機から降ろすことになっているのです)に時間がかかり、出発が1時間近く遅れたのですが、飛行時間が短かったたのでマドリッドには定刻に到着しました。 
 
到着ロビーに、両親と同じツアーのロゴが入ったボードを持った旅行代理店の現地スタッフ(日本語を話せるスペイン人)が何人か立っていました。 空港~ホテル間の送迎サービスです。 両親も送迎サービスを頼む予定だったのですが、片道一人8300円(=二人で16600円=約120ユーロ)もするというのでやめて、タクシーで行きました。 案の定、空港からホテルまで(チップも入れて)55ユーロで済みました。 
 
マドリッド編
宿泊したホテルは、Gran Via 沿いの4つ星のホテルだったのですが、スタッフが笑顔を見せないことにビックリ。 受け答えは親切なのですが笑わないのです。 いろいろ面白いことを言ってみても、ちょっとニヤリとするくらい。 後から聞いたのですが、スペイン北部の人達は南部の人達に比べて愛想が悪いとか・・・ニコリともせずに親切にしてくれる人々・・・面白いくらい、本当にその通りでした。 
もう一つビックリしたのは、このホテルのエレベーター。 小さくって三角なのです。 広さは畳半分くらい? 両親と私の三人、伸び上がってやっと乗れる大きさでした。 義理母(夫の母)が一緒だったら、多分一人でも乗れなかったでしょう・・・義理母はバスト100cm以上、ウェストはそれ以上あるのです・・・
マドリッドでは、(夜遅く到着し、早朝に出発したので)中一日フリータイムがありました。 朝食では朝からチョリソー(スペインのソーセージ)を食べ、ここ特製だというトースト(トーストの上にまずガーリック入りオリーブオイルをかけ、その上にトマトのみじん切りにハーブを加えたようなものをのせたもの)をいただき、それからプラド美術館へ。 
日曜日だったので入館料は¥0! 美術にはあまり興味がなく途中で「疲れた」と言って外に出てしまった父をよそに、母と二人でベラスケスやゴヤの絵を鑑賞しました。 私はいろいろ見た中で、ムリーリョの絵が一番好きでした。
そういえば、入館する際に手荷物検査があり、壁にも「カメラにバツ印」の表示があったので、てっきり手荷物検査でカメラを没収されるのかと思いきや、没収されたのは母が持っていたバナナとペットボトル入りジュースだけで、館内でもみんな写真やビデオを自由に撮っていました。 いいのかなぁ~?と思いつつ、私も数枚撮ってしまいました。
 
マヨール広場で昼食(ガイドブックに載っていた写真を見せながら、いろいろなタパスを注文しました)をとり、スペイン広場にてドン・キホーテ像の前で写真を撮り、父が楽しみにしていた闘牛見学へ。
ラス・ベンタス闘牛場~スペインで最も歴史があり、闘牛士であれば誰しもここで闘牛をしたいと願い、ここで闘牛をしたということがステータスになる、スゴイ闘牛場だそうです。 その日は、闘牛祭りの最終日で、スペインで最も優秀な闘牛士&最も強い牛が出場するとのことで、闘牛場は満々席でした。
闘牛を見たのは初めてでしたが、ルールの説明を受けてから見たので一層楽しめました~観客席が10のエリアに分かれていて、エリアに主賓が座り、エリアには”ブーイング”(緑色のハンカチを振りながら「牛替えろ!」コールをするらしい)専門の観客が座るとか~実は、闘牛は、マタドール(難しい資格試験にパスした闘牛士で、金色の刺繍が施された衣装はマタドールにならないと着てはいけないそう)一人に、二人のピカドール(騎馬の闘牛士)・三人のバンデリリェーオ(マタドールの助手)で一チームのチーム戦で、マタドールが怪我をしたり死んでしまったりすると助手達は仕事が無くなってしまうので、マタドールが不利になる(=牛にやられそうになる)と助手がヘルプに飛び出してくる、といった裏話とか~
面白かったです。
 
翌朝は6時起きで、8時10分発の特急TALGOに乗ってグラナダへ。 (つづく・・・)

年賀状といえば・・・

去年、友人との会話の話題にあがるまで
それが普通(=みんなそうしている)”
だとばかり思っていたのですが、
毎年450枚年賀状を書いているのって
“普通”ではないんですってね~
(友人に「おまえはどこかの社長か?!」
と大笑いされました・・・)
 
住所も全部手書きです。
正直すっごく大変です。
「来年は住所だけは印刷にしよう」
と毎年思いつつ
気が付くともう秋も終わり・・・
毎年友人が増えるので、
なんとか枚数を抑えられるようにと
調整を試みるのですが、
それでもやっぱり毎年10枚ずつくらいは
増えていってしまいます。
特にオランダに引っ越してからは、
「年賀状くらい出さないと
忘れられてしまうのでは・・・」
という不安も(心のどこかに)あるのかもしれません。
 
そういえば・・・
オランダに来て間もない頃、
気が付くと
「さっちゃんがね~ 遠くへ行っちゃうって本当かな~ 
だけどちっちゃいから 僕のこと忘れてし~まうだろ~
淋しいな さっちゃん・・・」
(童謡「さっちゃん」の3番)
という歌詞がいつの間にか頭の中に流れていて、
勝手にシュンとしていたものです。
 
「気が付くと頭の中に流れているメロディー」
ってありますよね~

年賀状用の写真

今日、両親の年賀状用の写真を撮りました。 

両親&孫達(=私の子供達+妹の子供)
の写真です。
 両親は結婚以来、毎年、家族写真で年賀状を作って
います。 
年賀状は1枚ずつ保存してあって、パネルに入れてアトリエ
に飾ってあります。
 
1年目は二人きり
2年目に私が生まれて三人
4年目に弟が生まれて四人
6年目に妹が生まれて五人
・・・と人数が増え、
年々子供達が成長する過程/家族の歴史
年賀状に残されています。
 
11年前に私が結婚して一人抜け、

 その3年後に弟が結婚してまた一人抜け、そのまた
3年後に妹が結婚してもう一人抜けて、
(結婚式の年だけは、新郎も加えて家族全員の写真で
年賀状を作っていましたが)
ついにまた”二人っきり”の年賀状に戻ってしまったか!?
と思われたのですが、
やはり二人きりでは寂しいと、
その年から孫と一緒に写真を撮るようになったのでした。
私達はほぼ毎年、子供達の学校の秋休み(10月末頃)
に一時帰国しているので、
それに合わせて両親も年賀状用の写真を撮ってます。
一昨年より妹の長男が加わって、
とても賑やかになりました。
 
両親の影響で、私も弟夫婦も妹夫婦も
家族写真で年賀状を作っていて、
実家に帰ると、
みんなの年賀状が壁にズラ~っと貼ってあります。 
 
 私も年賀状作成は
一時帰国中に日本でお願いしています。
「あけましておめでとうございます」日本語で入れ、
写真もなるべく着物で撮るようにしていて、
オランダ人はじめ外国人の友人達からも毎年
「楽しみしてるヨ!」と言われるので
止められなくなってしまった・・・
というのも多少ありますが、
子供達の成長記録にもなるので
毎年楽しんで作っています。

綾瀬より愛を込めて

台風が近づいているとかで東京は連日雨・・・普段は雨の多いオランダでは秋晴れが続いているとのこと・・・
お天気が悪くても、それでも日本はやっぱりいいです!! 
スペイン旅行も楽しかったし(旅行記はまた改めて・・・)、乗務で訪れる国々も魅力的だし、オランダでの生活も悪くはない・・・けれど、やっぱり住むのは母国・日本!とつくづく思います。 
 
旅行や仕事で”観光客・ビジネスマンetc”として一時的に滞在するのと、”在O外国人”として外国に住むのとでは、居心地(観光客として外国に滞在するのが居心地としては一番いい=楽かも?)が全然違いますし・・・
外国に永住するに当たり一番つらいなぁと思うのは、母国にいたら当たり前のように存在している人や物をmiss(=恋しく思う)しなくてはならないこと。 家族、親戚、友達、食べ物、飲み物、テレビ番組、雑誌、言葉、そして習慣etc…..
 
だから、たった一日でも日本へ帰って来られたら、私は心底Happyなのです!
今回は子供達の学校の秋休みに合わせて帰国しているので約一週間の滞在です。
オランダへ戻る日まであと5日・・・家族との会話、食事、テレビ(昔は敬遠していたNHKが今では一番面白かったりします)と、エンジョイしたいと思っています。 
 
昨日「つくばエクスプレス」に乗りましたヨ! 秋葉原まで乗り換え無しで行けるのは本当にありがたいことです。
帰りに久し振りに北千住に寄ってみたら、あの北千住がまるで新宿のようになっていて(大袈裟?)驚きました。 (前日に、新宿の高島屋へ行って「オ~!東急ハンズと紀伊国屋もある!」と感動したばかりだったので、北千住駅前の丸井に同じように東急ハンズと紀伊国屋が入っていたのを見て、余計に感動してしまったのです。) ルミネにはディズニーショップまであって本当にビックリ。 
綾瀬もがんばれ!! 隣町に負けるな?!
 
明日は家族(子供達、両親、妹一家)とカラオケに行きます
以前は苦手だったのですが、オランダに引っ越してからカラオケが良いストレス発散になることに気付いて、今では帰国する度に歌ってます。 (・・・実はオランダの自宅にもカラオケがあったりする・・・)
(渋谷のカラオケボックスで100点満点を出したことも何度か・・・私の数少ない自慢の一つです?!)
歌う曲は~(高校にあがるまでクラシックしか聴いていなかった上、日本を離れてしまった為、最近の日本の曲はほとんど知らないので) 母に撮ってもらった「紅白歌合戦」のビデオに出てきた曲や、友人から貰った「テレビドラマ」のビデオで主題歌として歌われていた曲、あるいは自分が小さい時に見ていたアニメの主題歌が主です・・・
明日は、妹と「万華鏡キラキラ」のデュエットに初挑戦予定です。 
いつか一緒にカラオケする機会があったら披露しますのでお楽しみに!

いよいよ明日から・・・

いよいよ明日、両親とのスペイン旅行に出発します。
明日の午後、東京から到着する両親と空港で落ち合って、一緒にスペインへ・・・以前から闘牛を見てみたいと言っていた父、絵画が好きな母、の二人を満足させることができるようにと、
数ヶ月前からプランを練っていました。 

IDのチケットを利用するので「満席で乗れなかったりしたらどうしよう・・・」とか、「”エクスプレス・スペイン語”を一通りさらってみたものの、果たしてしゃべれるかしら・・・」という不安はありますが、
ま、何とかなるでしょう。

スペインの後は、(夫に子供達をアムステルダム・スキポール空港まで連れてきてもらって)両親が帰国する便と同じ便で子供達と一緒に帰国したいと思っているので、
今日はこれから、自分のスペイン旅行用のスーツケースの他に、子供達用にも荷造りしておかなければなりません。
たいへん
・・・だけど楽しみ!です。
しばらく書けないので、ここでまとめて・・・

10月生まれの皆さん、お誕生日おめでとうございます!!

洋子さんは2日だったね!
綾小の幹事の面々も今月お誕生日の人多いよね~大野くん、かんみん、三輪くん、鈴木くん、オメデトウ!
小学校時代のピアノの先生・目黒先生、Oxfordの見佳さん、そしてまゆたんは私の妹Kozue-sanと同じ日・・・
てるちゃん、大先輩の坂上さんもおめでとうございます。
ふっきーオマもおめでとうございます!
私の尊敬する叔母、正子おばちゃん、1週間早いけどオメデトウ!
Beth、元気にしてるかな・・・おめでとう!
素子さん、旦那様のお誕生日おめでとうございます!
尚子さん、おめでとうございます!
戸石さんも今月でしたネ!
楽しいお誕生日を過ごされましたように!! 

フライト日記(Tokyo)

2005年10月
(NRT) 
 
昨日東京便の乗務から戻りました。
 
例年、年1回しかリクエストが通らない東京便ですが、今年は2回目の乗務! 相変わらず成田1泊のスケジュールですが、それでもやっぱり日本路線に乗務できるのは、と~っても嬉しいです!! 
他の路線ももちろん楽しいのですが、日本路線に乗務すると、日本人乗務員として「日本人乗客」と「オランダ人の同僚」の橋渡し役ができるので、仕事の遣り甲斐がてんで違うのです。 
 
機種は、行きはB747-400、帰りはB777でした。
 
行きの便はコンビ(飛行機の後方に貨物エリアがあるタイプ)で、シニアパーサー・ジュニアパーサー+オランダ人乗務員4名+日本人乗務員3名で乗務するのですが、今回はオランダ人乗務員の一人が日本人(=私)だったので人数が逆転して日本人の方が多くなっていました。 
ブリーフィング・ルームでは最初、私がオランダベースでオランダ人乗務員として乗務しているとは知らないオランダ人の同僚達が「いつから日本人乗務員が4人も乗るようになったの?!」等オランダ語でヒソヒソ話して(いるのを、「・・・って言ってるヨ」と私が日本人の同僚達にヒソヒソ訳して)いました。 
もう12年以上オランダベースで飛んでいますが、客室乗務員8000人以上という会社ですから、「オランダベースで乗務している日本人」の存在を知らない人も当然まだまだ沢山いるのです。 
ブリーフィング中に"正体(?)"を明かすと、オランダ人の同僚達はとても興味を示して、「オランダと日本の文化の一番違っているところはどんなところか?」とかいろいろ聞いてきます。 それをオランダ語で説明するのは(大変ですが)いつも良い勉強になっています。
 
東京までの飛行時間10時間10分。 これは私が乗務した中で最短記録です。 東京へ直行便が飛び始めた頃(1989年)は平均12時間でしたから。 でも最近は飛行高度や飛行航路、偏西風の影響などで、東京まで10時間かからないこともあるそうです・・・ヨーロッパも近くなりました!
 
さて、今回は成田到着後、ちょっとしたアクシデントがありました。 
到着ロビーを出たら、正面のバス乗り場が工事中で、どこからクルーバスに乗ったらいいのか誰もわからなかったのです。 私もそうそう来ないので全くわからず、どこかに表示が出ていないかと辺りを見渡していたら、「クルーバス12番」という看板を発見。 皆を引き連れて12番乗り場へ向かいました。 すると、その看板の近くに立っていた交通整備の方(?)が、「KLさん? バスはこっちですよ」と案内して下さるので行ってみると、オレンジ色のリムジンバスが停まっていました。
「いつもはクルーホテルのホテルバスなのに変だな・・・」とは思ったのですが、運転手さんが「12番がいっぱいで停められなかったので、ここでお待ちしていました」と言いながら降りて来て皆のスーツケースをバスに積み始めたので、私達もそのままそのバスに乗り込みました。
運転手さんに「皆様お揃いですか?」と尋ねられ「はい、揃っています」と答えると、バスは走り出しました。 いつものように、パーサーからの今日のフライトに関するコメント等のスピーチが終わると皆雑談を始め、私は座席前のポケットに入っていた冊子に目を通していました。
15分くらい経った頃でしょうか、日本路線によく乗務すると言っていた副操縦士が「いつもと道が違う気がするんだけど・・・」と言うので外を見ると、確かに道路がやたらに綺麗で幅も広く、いつもの田園風景とは違います。 恐る恐る運転手さんに聞いてみると、バスは高速を東京へ向かって走っていました。 行き先は品川のAF航空のクルーホテル。 運転手さんは私達をAF航空の乗務員だと思っていらしたそうです。 すぐに高速を降りていただきました。 オランダ人の同僚達は「(富里の)クルーホテルに自分達を降ろしてから空港へ戻ってくれ」としきりに頼んでいましたが、願い叶わず結局そのまま空港へ戻りました。
往復約50分くらいのツアー(?)を終え空港に着くと、AFの乗務員が・・・(彼らはどのくらい待たされていたのかしら・・・でも、私達のせいではないのよ~!!) 私達のホテルのバスも幸いちゃんと(12番乗り場で)待っていて下さったので、無事ホテルへ。
「Misaeがいなかったら、運転手さんと話が通じなくって、今頃AFのクルーホテルに行ってたよ~」とオランダ人の同僚達は感謝していましたが、「変だな」と思った時すぐに確認すべきだった・・・と反省しました。
 
ホテルに着いてチェックインした後、18時にホテルのバーで待ち合わせをして(パーサー以外)皆ベッドへ。 パーサーだけ「私は夕方まで寝ない。」とおっしゃるので、「3時間くらい仮眠を取って夕食を食べてから日本時間のベッドタイムに休まないと、夜中に目が覚めて眠れなくなってしまいますヨ」と忠告したのですが・・・
翌朝、7時35分にウェイクアップ・コールがあって(私は4時くらいから目が覚めてしまってNHKを見ていましたが)、8時頃ロビーに降りると、パーサーが「昨日夕方5時に寝たら午前2時に目が覚めて、それから一睡もできなかった」と怒っていらしたので、(そりゃ9時間も寝たら目が覚めた後一睡もできなくて当然でしょう・・・と内心思いながら)「夕方5時から一体何時まで寝ようと思ってたんですか?」と聞くと、「コーリング(=ウェイクアップ・コール)(=7時35分)まで」と言うので、他のオランダ人同僚と「マジで?!」と大笑いしてしまいました。 笑って涙が出たのは久し振りでした。 大笑いするのって良いストレス発散になるんですよね。 イルスカ(=パーサーの名前)、ありがとう!
 
このパーサーは機内でもいろいろ笑わせてくれました。 こんな"トンチンカン"なパーサーは初めてです。 聞きたい? でも会社のイメージが・・・(悩)
 

サッコお誕生日おめでとう

今日(10月1日)は、小学校の時の親友サッコのお誕生日です。
おめでとう!
 
私にとって小学校には特別な思いがあります。
地元の友人達は、(今は大人になっていろいろと取り繕っている私の)”本来の姿・素の自分”を知っていますから、久し振りに会っても、ごく自然にふるまえる・自分らしくしていられる、そんな安心感を感じるのです。
卒業して四半世紀経った今でも同窓会が続いているなんて、スゴイと思いませんか?!
 
中学から私立の女子校へ進学した為、小学校は貴重な”共学”の学校でもあります。
小学校3年の時、学級委員長をやって「男の子も女の子もみんな仲良く一緒に遊べるクラスにしたい」と抱負を述べたことを覚えていますが、今でも「男性・女性関係なく、人間として、多くの人々と素敵なお付き合いをしていきたい」と思っています。
中学・高校とカトリックの学校だったので、洗礼も受けてカトリックの信者になったのですが、カトリック教会で「同姓同士の結婚」を認めていないことに関しては、とても残念に思っています。 
オランダでは、同姓同士でも結婚できます。 「人間同士の愛」と考えれば、「愛」には変わりないのだから、同じように尊いものだと私は思うのですが・・・
 
今日は「都民の日」。
中学・高校の時は毎年街頭に立って「赤い羽根の共同募金」をしていましたが、今年も後輩達は募金運動をしているのでしょうネ・・・懐かしいなぁ。