ギリシャ料理『Gemista(イエミスタ)』の作り方

 

ギリシャへ行くといつも、伯母が私の為にイエミスタ(Gemista)を作ってくれるのですが、
今回、作るところを見学&お手伝いさせて頂きました。
( 写真はフォトアルバムをご覧下さい 写真 )
 
材料: 大き目のトマト 9個(うち1個は丸々すりおろしてピュレーにしておく)
     大き目のピーマン 9個
     大き目の茄子 4個
     大き目の玉ネギ 1個
     牛ひき肉 500gくらい?(ギリシャ語で質問できなかった・・・(^^ゞ)
     (Trachanaという名前らしい・・・トルコのクスクスに似てる?) 
                          片手大盛り3杯分くらい?
     イタリアンパセリ(葉が縮れていないパセリ) 1株(細かく刻む)
     オリーブオイル 適量
     バター 適量
      適量
     塩・コショウ 適量
     砂糖 適量
 
(伯母さん、全く量らず全て目分量だったので分量が適当ですみません)
 
作り方: 
① 玉ネギをみじん切りにして、フライパンでしばらく水に浸しておく。
 
② ナイフ(=ヘタの部分を切る)とスプーン(=中身をくりぬく)を使って、
   トマトピーマン茄子の容器を作り、オーブン用のトレイに並べる。
  (注: トマトピーマンは、蓋の部分を切り取らないように注意して切り込みを入れます。)
  (注: 茄子の中身をくりぬく作業はかなりの力仕事です。)
 
③ くりぬいた中身で具を作る。 トマトピーマン(種は除く)はおろし器ですりおろし、茄子はナイフで小さく刻む。
 
(伯母さんが作っているところをビデオに撮らせて頂きました↓)
(WMPの音楽をとめてから再生して下さいネ♪)
 
            
      
④ 玉ネギが入ったフライパンをそのまま火にかけ、煮たったら火を弱めてオリーブオイルを回し入れる。
  (注: 玉ネギは、炒めるのではなく、煮ます。 煮える前にがなくなりそうな時はを足します。)
      
⑤ 玉ネギが煮え、水気がなくなったら、ひき肉をちぎり加え、一緒に煮る/炒める。
      
⑥ お肉の赤みがなくなってきたら、③の具を加えて、塩コショウし、バターを一切れ入れ、よく混ぜる。
  (注: バターは、溶けやすいように、ちぎって入れます。)
      
⑦ バターが溶けたら、を加え、よく混ぜながらしばらく煮る。
  (注: は、手で、撒くようにして入れます。)
      
⑧ パセリを加え混ぜ、砂糖を少々ふりかける。
      
⑨ ひき肉野菜から出た水分がなくなるまでよく煮る。
      
⑩ フライパンを火から下ろし、オーブン用トレイに並べてあった野菜の容器の中に、具を詰める。
 
(動画は、玉ネギにお肉を加えるところから ↓ )
 
(どういう訳か、時々動画が落ちてしまうので、
動画が見られない場合は・・・http://www.youtube.com/watch?v=RogZK_aLPcA )
 
⑪ 空になったフライパンに少しを入れ、一回しして、野菜の容器にかからないように注意しながら、オーブン用トレイに流し入れる。
 
⑫ すりおろしてあったトマト1個分のピュレーを、野菜の容器にかからないように注意しながら、オーブン用トレイに流し入れる。
 
⑬ 野菜の容器、それぞれの蓋の上にオリーブオイルrをかける。 蓋のない茄子だけは、具にかからないように、茄子の部分にだけかける。
 
⑭ 野菜の容器、それぞれの蓋の上にバターを少しずつのせる。 蓋のない茄子だけは、具の上でなく、茄子の部分にのせる。
 
⑮ 塩コショウして、オーブンへ
 
(動画が見られない場合は・・・http://www.youtube.com/watch?v=1l1hV9S6KJ0 )
 
古いオーブンだったので、オーブンの温度が何度だったのかわからないのですが、中温(180~200度くらい?)で1時間30分くらい焼くようです。
(注: 出来上がった時のオーブン用トレイが、最初のトレイと違っているのは、出来上がってすぐ、伯母さんが先にピーマン2個と茄子1個食べて、小さめのトレイに移したからデス・・・(^^ゞ)
    
ギリシャの家庭料理の一つであるイエミスタ。 
それぞれの家庭で少しずつレシピや作り方が違う(→ニンニクを入れたり、チーズをのせたり、オーブンでなく鍋でつくったり・・・)そうですが、私は、どこのレストランで食べたイエミスタよりも、伯母が作るイエミスタが一番美味しい!と思うので、この作り方をマスターしたいと思っています♪
 
追伸
ところで・・・イエミスタの英語の綴り、どうしてYemistaではなくGemista?・・・と思われた方、いらっしゃったでしょうか???
ギリシャ語のスペルが Γ(gamma/ガンマ)=Gから始まるのです。
ギリシャ語のG、ガンマは、単語の頭文字になっている時は、英語のYのような発音になり、
例えばGeorge(ジョージ)という名前はギリシャ語だとΓεοργο(ヨルゴ)と発音されます。
 

スロヴェニア~ギリシャの旅

7月初めのシンガポール便乗務の後、7月末まで子供達と一時帰国し、
一時帰国から戻った翌日から東京便乗務。
(→1ヶ月の間に70時間以上飛行機に乗っていた計算・・・ 飛行機 )
そして東京便から戻った翌日から、
今度は車でスロヴェニアへ向かいました。
運転手は元夫です。
今年の4月で、離婚して1年が経ったのですが・・・
「昔のこと、本当に後悔し、反省している。
 どうして君に暴力を振るったりしたのか、今ではわからない。
 もう二度と暴力は振るわないと約束する。
 本当に心から愛している。
 僕には君しかいない。
 これから、今まで辛い思いをさせた17年間を償うように努力する。
 君と一緒に年をとりたいんだ。
 結婚して欲しいとは言わない。
 でも、どうか僕とまたやり直して欲しい。」
と、まるでねるとん紅鯨団(←古い?)の告白タイムのように、
ひざまづいて手を差し出されました。
「・・・離婚する前にそう言って欲しかった。
 もう暴力は振るわないという言葉を信じたいけれど、
 昔受けた心の傷はまだ癒えていなく、
 やっぱり怖い。
 ストレスでまた病気になるのも怖い。」
と、私がためらうと
「もしもまた暴力を振るったり、
 君がストレスで病気になるようなことがあったら、
 すぐに別れていいから。
 今まで傷付けて本当にごめん。」
本気だと感じました。
だから、
「一緒には暮らさない」
という条件で、OKしました。
実際、穏やかになりました。
フライト先でプレゼントを買ってくるようになりました。
(↑・・・あ、決して物に釣られている訳ではありません)
まだ、心のどこかで警戒はしているものの、
彼を信じられつつある自分がいます。
何人かの友人には報告したのですが、
ほぼ全員から反対されました。
暴力癖は治らないと。
でも、チャンスは与えたいと思うのです。
それで、今回、
(当初は、父の体のこともあったので、緊急時にはすぐ日本に戻れるように8月中はオランダで待機していようと思っていたのですが)
父の手術予定日の8月12日まで、
2年ぶりに一緒にギリシャ(←彼はギリシャ人とオランダ人のハーフなので、離婚前までは毎夏ギリシャへ行っていたのです)へ行くことにしたのです。
行きは車だと聞いたので、高校時代の友人Yちゃんがいるスロヴェニアを経由してもらうことにしました。
スロヴェニアでは、Yちゃんお勧めのブレッド湖Bled湖)のある村のホテルに1泊。 家族4人で泊まれる大きな屋根裏部屋風のお部屋でした。
夕食はYちゃんお勧めの湖畔のレストランで。
デザートには(やっぱりYちゃんお勧めの)ブレッド名物のクリームケーキ ( kremna rezina あるいは kremšnita と呼ばれています) を頂きました。
翌朝は、朝食を頂いた後、手漕ぎの舟で、湖に浮かぶブレッド島に建つ教会マリア教会へ。
「この教会の鐘を鳴らすと願い事が叶う」
というYちゃん情報です。
家族4人、順番に願い事をしながら鐘を鳴らしました♪
湖の色がまるで翡翠のような神秘的なグリーンで印象的でした。
それからスロヴェニアの首都Ljubljanaへ。
Yちゃんと合流し、お勧めのレストランでランチをいただき(デザートのマンゴーケーキと苺ケーキがまた格別に美味しかったです!)、
その後、街を案内してもらいました。
詩人の恋のお話や街のシンボルのドラゴンのお話etc.も、とっても面白かったです。
最後にYちゃんお勧めのアイスクリーム屋さんで、これまたとっても美味しいアイスクリームをご馳走になりました。
Yちゃん、本当にありがとう!!
短い時間だったけれど、とっても楽しかったし、久し振りに会えてとっても嬉しかったです。
彼女は近々、ご主人のお仕事(→スロヴェニア大使をなさっていらっしゃいます)の関係でインドニューデリーにお引越し・・・
デリー便が付いたら、今度はインドで会いましょうと約束しました。
スロヴェニアを後にして、クロアチアを通り、セルヴィアへ。
首都ベオグラードに1泊。
ホテルモスクワというホテルが(「ベオグラードに行くなら1泊はホテルモスクワに泊まれ」と言われる程・・・なんて聞いたことありませんがxxx)
有名らしいのですが、
元夫が
「20年くらい前にユーゴスラビア人(当時)の元カノと泊まったことがあるから・・・」
と気にするのと(私は全然気にならないのですが)(・・・でも気遣ってくれて嬉しかったです)、
有名なだけあってちょっとお高かったので、
ホテルモスクワのお向かいにあるホテルバルカンに泊まることにしました。
ホテルに荷物を置いてから、夜遅かった(午後10時くらい)のですが、みんなでちょっと街へ。
元カノが住んでいた街だけあって、元夫が街に詳しく、いろいろ案内してくれました。
ちょっとモスクワに感じが似てたかな・・・(と言っても、私がモスクワに行ったのは20年近く前の話なので、今は全然違うと思いますが)
翌朝早くにホテルをチェックアウトして、セルヴィアからマセドニア(←ギリシャの英雄アレキサンダー大王のマケドニア王国を誇りに思っているギリシャの人々は、ギリシャでない国がマセドニアと名乗っていることを良く思っていなく、彼らはマセドニアと呼ばずにスコッピェと呼んでいます)を経由してギリシャへ。
オランダドイツオーストリアスロヴェニア 約11時間
スロヴェニアクロアチアセルヴィア       約5時間
セルヴィアマセドニアギリシャ          約7時間
オランダスロヴェニアは、オランダ日本の飛行時間とほぼ同じ!)
 トータル約23時間かかってギリシャに到着。
1992年から毎夏行っていたギリシャ
去年は行かなかった(←離婚したばかりだったので同行しなかったのです)ので、
今年は2年ぶり。
ギリシャの親戚も友人達も(←彼らはギリシャ語しか話さないので、ほとんど会話はできないのですが)
再会をとても喜んでくれているのが(目を見れば)わかり、私も嬉しかったです。
特に伯母(亡くなった義理父のすぐ上のお姉さん)は、初めて会った時から私にとても気を掛けてくれていた人で、

目に涙を浮かべて抱きしめてくれ、感動しました・・・(>_<。。。
生前オランダで 「外国人同士だね♪」と言ってやっぱりとても優しくしてくれていたギリシャ人の義理父を思い出しました。

2年ぶりに美味しいギリシャ料理を沢山食べましたレストラン
(3年前にギリシャ料理を紹介するブログを書いてありますのでよかったら見てみて下さい→ http://fromholland-withlove.spaces.live.com/blog/cns!945B0BC82EE67D38!1622.entry 

離婚前と打って変わって、掃除、洗濯、料理、全部一緒に手伝ってくれた元夫。

こんなに平穏に楽しく過ごせたギリシャは初めてでした。
後ろ髪惹かれる思いでしたが、
父の手術日にはオランダに戻っていたかったので(←万が一の時、ギリシャからは日本への直行便がないので)、私だけ先にギリシャを後にしました。
子供達はあと10日間程パパと一緒にギリシャに滞在します。
追伸
お陰様で、父の手術は無事終了しました。
8月20日までは声を出してはいけないらしいので大変そうですが、
元気にしているとのこと。
心配して下さった皆様、ありがとうございました!
・・・お父様、話せなくて辛いと思うけれど、がんばってね!!

フライト日記 (Tokyo)

 
先月末、一時帰国から戻ってすぐの東京便のフライト日記です。
 
2009年7月
(NRT)
 
ようやくリクエストが通りました。
前々日に子供達と一時帰国から戻ってきたばかりでしたが、
それでも嬉しい日本路線です♪
 
機種はボーイング777-200型機。 (日本路線にはB777-300型機は就航していません)
担当はビジネスクラス。
大大大先輩のSさんが相棒です。
緊張しました。 
日本人乗務員だった頃は、日本人同士で同じギャレーになることはありませんでしたからね。
 
大先輩のサービスを間近で見ながらの乗務、いろいろ勉強させて頂きました。

乗務歴20年とはいえ、まだまだ学べることは沢山ありますから。
「自分もいつか先輩のようなプロの日本人乗務員になりたい・・・!」
と夢見ていた頃を思い出しました。
 
オランダベースオランダ人乗務員としてしか会社に残ることができないことになり、
ベースを移してからは、路線毎に、その国の習慣に合わせて臨機応変に対応するというサービスをするようになって、
日本路線ならではのサービスの仕方を、やはりだんだんと忘れてきてしまっているのだなぁと思い知らされ、
「本当は、先輩方のように日本路線のプロになりたかった!
・・・(>_<。。。」
とちょっと悲しくなりました。
 
私が外資系のCAを希望していたのは、
外資系航空会社で、日本人CAとして、外国人の同僚と日本人のお客様の間の"橋"の役目がしたかったからです。
16年前、日本人乗務員としての4年の契約が終了した時、
他社に移ることもできました。 
他社に移っていたら、もしかしたら、今もまだ日本人乗務員として日本路線を専門に乗務できていたかもしれません。
でも・・・
辞められなかった。
この会社が、オランダ人の同僚達が、本当に好きだったから。
日本路線になかなか乗務できないのは本当に本当に残念だけれど、
こうして今もこの会社で乗務を続けられていることは本当に本当に嬉しいです。
 
20年前に入社した私の期から、日本人乗務員は契約社員となり、
契約終了後オランダにベースを移すというオプションもなくなってしまった今、
終身雇用の先輩方(←私の期の前の期までは、終身雇用の採用だったのです)以外の日本人の同僚達は
契約が終わると辞めていってしまいます・・・本当に悲しい(T_T)
 
航空業界もこれからいろいろ変動がありそうですが、
65歳の定年まで、この会社で乗務が続けられるように、体調管理をしっかりしながら頑張りたいと改めて思いました。
 
さて、成田でのステイは、カラオケをしなかった(←行き付けだったクルー・ラウンジが2月で閉店してしまった為)以外はいつもと同じ。
仮眠を取った後、ホテルで自転車をレンタルし、同僚達を引き連れて100円ショップへ。
2時間程で戻ってホテルのバーでクルードリンク
夕食はホテルの近くの和食レストランで。
ここでは毎回、豚の生姜焼き定食と梅酒をいただきます♡
 
フライト先では時々、ジョークで青いカラーコンタクトレンズを入れることがあるのですが、
今回も入れてみたら、パーサーのマルクが
「色が制服にとても良く合うじゃないか! そうだ、明日の乗務の時も入れてみなさい!」
「・・・でも、パスポートの写真の目の色と異なったらいけないのでは?」
「何か言われたら取ればいいヨ。」
「・・・でも、先輩がご一緒だったらちょっと・・・」
「明日はみんなジュニアだから大丈夫。」
「・・・でも、機長に何か言われるかも・・・」
「制服の規則にも違反してないし、何か言われたら僕が責任を取るから、心配しないで。」
食後の別れ際に
「明日、ちゃんとコンタクト入れるんだぞー!」
と再度念を押されて、一晩悩み、
翌朝もcallingの後、悩みに悩んだ末、
今回初めて、乗務の時にカラーコンタクトをしてみました。
 
成田空港の地上職員の方々に何か言われるかしら・・・とドキドキしましたが、
(明るい場所でないとあまり色が出ないようで)どうやらお気付きにならなかったご様子?
 
帰りの便の機種はボーイング747-400型機。
満席。
担当はAゾーン(=1階のビジネスクラス)です。
ここは18名のお客様を一人で担当するので、相棒はなし。
 
ドアの前は暗くて見えなかったコンタクトレンズの青い色も、明るいキャビンではよく見えるようで、
度々お客様方から目を見つめられましたが、
もともと目の色が人それぞれのヨーロッパからのお客様方は、
「普通に青い目の日本人なんだ」
と思ったのか(?)、何も言われず。
日本人のお客様お一人だけ、
「とても綺麗な色の目ですねぇ! 魅力的ですよ!」
と度々褒めて下さいました。
 
OCRで休む時にはコンタクトを外さないと・・・と思っていたのですが、
サービスリマーク(←日本語訳、特に、離陸後最初に上映する機内サービス紹介ビデオの日本語字幕があまりにヘンテコなので)を書いたりしているうちに時間がなくなり、
結局、そのままアムステルダムに到着。
クルー用のパスポート・コントロールで何か言われるんじゃないかとビクビクしていたのに、
「おっ! 綺麗な目だね!」
と、ここでもまた褒められ、なんだかちょっと気が抜けました(笑)
 
カラーコンタクトを入れて乗務しても全く問題ないということがわかったフライトでした(笑)
でも、今回のようにパーサーからリクエストがない限り、やめておくつもりデス(笑)
 
次のフライトはモントリオール便(なんだか今年はカナダ便が多い?)。
その前日に、年に一度のフライト・セイフティーの試験があるので、来週は試験勉強に励みます!
 

フライト日記 (Singapore)

先月末、一時帰国から戻り、東京便の乗務を終えた翌日から、車でスロヴェニア~ギリシャへ行き、
昨日、飛行機でオランダに戻って来ました。
ギリシャの村にもいよいよインターネットが開通したと聞き、PCを持って行っていたのですが、
村に落雷があり、インターネット不通となってしまいました・・・
そんな訳で、すっかり遅くなってしまいましたが、これから
シンガポール便東京便のフライト日記と
スロヴェニア~ギリシャ旅行記、
できるだけ急いで書き上げたいと思います!
2009年7月
(SIN)
久し振りのシンガポール便
機種はボーイング777-200型機。
 
担当はビジネスクラス。 満席。 
相棒のカリン、笑顔が魅力的なのですが・・・仕事が荒いというか雑というか・・・(^^;
ビジネスクラスでは、ドリンクサービスミールサービス時に、乗客リストを持参し、お客様をきちんとお名前でお呼びしてサービスすることになっているのですが、
(きちんと毎回そうしていると、到着する頃にはもう皆様のお名前を覚えてしまって、リストは不要になったりもしますが)
「面倒くさい」
と言って持っていかないカリン・・・(^^; 

なんだかやたらに彼女のエリアだけサービスが早いと思ったら、
紙ナプキンを差し上げていなかったり、お皿の下に受け皿を付けずにお出ししていたり・・・(^^; 

でも、話術に長けているのか、お客様からクレームが来るような様子もないので、
これが”彼女のサービス”なのでしょうネ(*⌒―⌒*)
シンガポールまでは飛行時間が12時間を越えるので、休憩時間があります。
各ギャレーに必ず1名はCAが残るように全体を2グループに分けて、順番にOCR(=Overhead Crew Rest)で休憩を取ります。
休憩に入る順番は、CAML(=CAの名前と担当ドア、担当エリア、担当ギャレーなどが記載されたシート)に、
AまたはBで表示されており(←Aグループが先に休憩に入ります=ファーストシフト)、同じギャレーのCA同士で交換することも可能です。
大抵の場合、行きの便で最初に休憩に入った人が、帰りの便では後に休憩に入るので、
遠くから通ってきている同僚の中には、帰りの便でのセカンドシフト(=後に休憩に入るグループ=グループ)を希望する人が多く、
その場合は大抵、行きの便で自らファーストシフトを取ります。
カリンも、本当はB(→行きの便がセカンドシフトで帰りの便がファーストシフト)でしたが、シンガポールから戻った当日、3歳の娘をピックアップしないといけないから・・・と、
帰りの便でのセカンドシフトを希望し、行きの便では最初に休憩に入りました。
カリンが休憩に入っている間に、到着前の朝食のサービスの準備をできる限りやっておくようにしました。
(彼女の仕事ぶりからして、彼女の準備してもらうのはちょっと不安・・・というのも正直ありました・・・苦笑)
お客様、それからコックピットのケア(←ビジネスクラス担当のCAは、コックピットクルーの飲み物や食事の用意もします)をしながら、
お客様がそれぞれ記入された朝食オーダーフォームを見ながら、朝食トレイを準備し、
朝食のホットミールの数を確認し、
朝食用のパンをコンテイナーからオーブンに移し(ミールの方は、ギリギリまで冷蔵庫に入れておいた方がよいので、休憩から戻ったカリンにお願いすることにして)、
別のギャレーに搭載されている、朝食用のアイオープナー(=ヤクルト、ヨーグルト・ドリンク、野菜や果物のビタミン・ドリンクetc.)を予めビジネスクラスのギャレーに移しておきました。
余った時間で、到着前にお配りするデルフト焼きのミニチュア・ハウスの準備もし、不要になったトローリーの入れ替えもして、
「ファーストシフトの休憩から戻ってきた時に、同僚がここまでやっておいてくれていたら、感激!」
と自分が思えるだけの準備を完了。
休憩を終えて戻ってきたカリンに、
「あとは、ホットミールをオーブンに入れて、新しいコーヒーを入れ、おしぼりを準備するだけヨ」
と伝えて、私も(普段は滅多に行かないのですが、今回は乗務から戻った翌日から子供達と一時帰国予定だったので久し振りに)OCRへ。
数時間後・・・休憩を終えてギャレーに戻ると・・・
朝食のサービスの準備(=ミールトローリーを出して、上にコーヒーカップやコーヒーポット、ジュース、ミルクなどをセットしたり、アイオープナーをトレイに並べたり、おしぼりを温めておいたりetc.)が全然できてない・・・( ̄_ ̄|||)
満席でなければ、エコノミークラスよりも少々遅れてサービスをスタートしても差し支えありませんが、この日は満席。
それに、単純な朝食サービスではなくアラカルトのサービスなので、コーンフレークやミューズりを召し上がるお客様には牛乳を注いで差し上げたりと、時間も余計にかかるし、
朝食のサービスの後にはデルフト焼きのミニチュア・ハウスをお配りしなければならないし(・・・カリンが休憩中に準備をしておいてよかった)、
シンガポールは到着前に、全てのアルコール飲料の数を(栓が開いているものと開いていないものと別々に)数えて、特別な用紙に記入するという面倒な作業もあるのに・・・
カリンはというと・・・
パーサーとお隣のギャレーの同僚に慰められながら、泣いてる…(T_T)
とにかく、とりあえずサービスの準備を始める私。
準備が整ったところで、カリンに
「どうしたの? 大丈夫?」
と声をかけてみたけれど、
「何でもない」
とだけ言って、お化粧室へ行ってしまった・・・
それで、その場にいたパーサーに
「私は彼女の相棒です。 チームワークが大切なこの仕事、相棒が泣いている訳を教えて下さい。」
と言ってみたところ
「・・・旦那さんから離婚を切り出されて、今、辛い毎日を送っているのですって。」
とのこと。
・・・思い切り公私混同( ̄_ ̄|||)
仕事に家庭を持ち込むなんて、日本ではあり得ませんが、こちらではよくある光景・・・
カリンを心配したパーサーや他のギャレーの同僚の助っ人を得て、なんとか時間通りサービスを終えることができましたが、
自分は同僚にこういう私的な迷惑をかけるようなことはしないようにしたい、と心から思いました。
シンガポールでは、客室の同僚達はほとんど皆お買い物に出かけてしまったので、私は残ったコックピットの同僚達と相棒のカリンとで
クルードリンクの後、お食事へ。
川沿いの、とってもロマンチックなレストランIndoChine
シンガポール便がよく付くという副操縦士フーベルトのお勧めのレストラン。
さり気なく流れるボサノヴァやジャズのLive Musicを聴きながら、
多国籍料理風の凝ったお料理を頂きました。
ワインも美味しかったです!
夕食後は、(やはりフーベルトお勧めの)シンガポール名物Night Safariへ。
夜、開園している動物園です。
これが予想以上に面白かったです。
昼間の動物園では動いている姿を見ることができない夜行性の動物達を、間近で見ることができます。
オオコウモリ(←本当に大きい)がミニバナナを食べるところとか・・・
それからムササビがよかった!
意外と大きくて、一見アライグマのようなのですが、木々を伝って高いところに登っては、見学している人間達の頭スレスレのところを、
ビューーーーン!!!
と飛んでいきます。 非常にスリリングでした。
フェレットのようなの(暗くて良く見えなかったxxx)の赤ちゃんが2匹でジャレ合ってる姿も可愛かった♡
ここはいつか子供達を連れて来たいです。
副操縦士のフーベルトがまたとっても紳士で優しくて、
シンガポールへ来るのは今回が初めてだという後輩、セカンド・オフィサーのヨルンの面倒を本当に良く見ていて、感心しました。
彼がゲイでなかったら恋をしてしまいそうでした(笑)
KLM フーベルト&ヨルンと
(左がヨルン、右がフーベルト)
2日目の夜は、夕食後、(これまたフーベルトお勧めの)、InsomniaというBar/ClubでLive Musicを楽しんだのですが、2組目のバンドに見覚えが・・・
2006年の2月(←ブログを遡って確認)、香港のWan Chai(灣仔)にある”Dusk till Dawn“というBar/Club(←Insomniaと同系列のBar/Clubらしい)で演奏していたバンドでした!!
(普段クラシックしか聴かない私でさえ感動するくらい)ものすごく上手な演奏だったので、とても印象に残っていたのです。
とっさに近くにあった紙ナプキンで薔薇の花を作ってボーカルの人に差し上げたら(←我ながら思い切った行動でしたがxxx)ちゃんと受け取って下さって、耳にかけて歌って下さってました。
バンドの演奏が終わって、お化粧室に行った帰り、丁度そのバンドのメンバーの方々が立ち話をされていたので、(思い切りついでに)話しかけてみました。
 
皆さんとっても気さくな方々で、香港がベースの方々らしいのですが、バンドのメンバーの方々の名前やら、メールアドレスやら携帯電話の番号やら書いて下さいました。
バンド名は、charcoal。 日本で演奏したこともあるとか。
「hk charcoal band」で検索すると、YouTubeに動画も載ってました。
ご親切にも打ち上げパーティーにまで誘って下さったのですが、他の同僚達も一緒でしたし、遠慮しておきました。
いつかまたどこかで彼らの演奏を聴く機会があることを願っています♪
今回いろいろお勧めの場所に連れて行ってくれたフーベルトが、10月にヨルンと二人で一緒に東京便をリクエストするかもしれないとのこと。
私が丁度秋休みで一時帰国中だったら、お礼に東京を案内してあげようと思っています (*^-^*)