体温の違い

 
この前のブログで
「ちょっとでも暖かくなると途端にオランダ人は夏のような格好をするので見ている方は寒くなる
と書きましたが、実はこれには訳があるのです。
 
オランダ人の方が日本人より体温が高い
・・・って知ってました??
 
日本人の平熱は36~37度ですが、オランダ人は平熱37~38度なのです。
(これは他の欧米諸国やアジアの人々も同じだと聞きました。 日本人だけが体温低いのかしら・・・?)
 
だから日本人が寒いと感じる温度でもオランダ人は全然平気で、
春先に半袖を着たり(←寒いデス)
シャワーやお風呂の温度が38度だったり(←風邪ひきマス)
温水プールの水が冷たかったりする訳。
 
オランダに引っ越してきたばかりの頃は、こんなこと知る由もありませんでした。
初めて風邪をひいた時、熱が38度を超えたので(薬を処方して欲しくて)ホームドクターに電話したのですが、
「38度だったら問題ないですよ(笑)」
と全く取り合ってもらえず、夫に相談しているうちに
平熱異なることに気付いたのでした。
 
以前から
「日本人客が毛布を余分に欲しがる」
のが日本路線の特徴だったことを不思議に思っていたのですが、
体温が低かったからだったんですネ・・・
最近は、毛布の予備を搭載していないことが多いので、
日本路線客室の温度が他の路線よりも2~3度高く設定されています・・・
 
風邪で思い出したのですが、
オランダ人成人のほとんどが子供の頃に扁桃腺を取ってしまっていて、
扁桃腺がないそうです。
(今は、特に問題がない限り、扁桃腺を切除することはないそうですが。)
初めてオランダで扁桃腺の熱が出た時は、本当に大変でした・・・
ホームドクターに電話で
「喉が痛く、熱が高い」
と訴えても
「2~3日安静にして様子を見て下さい」(←どんな症状でも大抵こう言われるxxx)
と言われ、そうこうしているうちに唾液を飲み込むのも辛くなり・・・
子供がまだ小さく、夜遅かったので、往診に来てもらったら
「あれっ?! 扁桃腺があるんですかっっ?!
と驚かれ、
(なんで驚く???と)こちらもビックリ・・・
扁桃腺の熱じゃあ抗生物質飲まないとダメですね。」
やっと薬を出してもらえました・・・ε=(-_-;)ホッ
 
(↑ オランダ人は自然治癒を好むので、基本的に薬をなかなか出してもらえません。)
(ちなみに出産も自宅出産が多いデス。)
 
外国で暮らしていくには、文化の違いを理解しただけじゃダメなんだ・・・
と思い知らされた事件(・・・の一つ)です。

温暖化

 
14年前、オランダに引っ越して来て驚いたのは、8月の末に暖房を入れる程寒くなる日があったこと。
だから暖房はあってもクーラーのない家がほとんどで、
日本ベースで乗務していた頃滞在していたホテルも、暖房だけでクーラーはありませんでした。
 
太陽に飢えているのか、気温が20度前後になると人々は一斉に夏服になって日光浴を楽しみます。
ちょっとでも暖かくなると、(20度くらいだと日本人の私にはまだ肌寒く感じられる気温ですが)
オランダ人は半袖もしくは袖なしの服でテラスに集い、街のカフェがあたかも「ここはビーチ?!」という格好の人々でいっぱいに(笑)
自宅のベランダでビキニ姿で寛ぐ人も(驚)
見ているだけで寒そ~~~
 
日本同様、温暖化でオランダの気候も随分変わりました。
今年は例年に増して暖かく、1月に気温が15度を超える日が続いたりしたので、花々が狂い咲きしています。
庭に、(プラム)、(さくらんぼ)、林檎の木があるのですが、今年はいつもよりも1ヶ月くらい早く満開になりました。
 
いつもは2月末くらいにクロッカスが春の訪れを告げ、スイセンチューリップ林檎・・・と順番に咲いて、ゆっくりと春らしくなっていたオランダでしたが、今年はクロッカスの前にスイセンが、そして林檎はほぼ同時に咲いて、一気に春に・・・!
5~6月に咲くはずのマロニエの花も、今年はもう咲き始めています。 
このまま夏になってしまいそうな勢いです(笑)
 
温暖化のお陰でオランダも大分住みやすくなりました・・・(✿ฺ^-^✿ฺ)
地球のことを思うと温暖化は決して良くないのでしょうが、オランダはこの調子で暖かいままだと嬉しいなぁ~
 

フライト日記 (Osaka) つづき

 
虚ろな目でこちらを見つめる青白い顔をしたオランダ人のおじいちゃまの横に、奥様と思われるオランダ人女性が立っていらっしゃいました。
(↑おじいちゃまは通路側のお席)
医師呼び出しのアナウンスに応じて下さった日本人のお医者様がおっしゃることをオランダ語に訳して伝え、
おじいちゃまが息も絶え絶えに答えること、奥様と思われる方がおっしゃることを日本語に訳してお医者様に伝えました。
 
急に具合が悪くなられたそのお客様は、もともと心臓が悪く、心臓病用のお薬を何種類も飲んでいらしたところに、
機内で良く眠れるようにと、睡眠薬を服用されたそうです。
が非常に弱くなっているので、念の為、メディカル・キット(=機内で治療が必要になった際に医師が使用する救急道具)とAED(=自動体外式除細動器)を準備し、到着後は車椅子で空港内のメディカル・センターへお連れした方が良いでしょう、とのこと。
 
その旨パーサーに伝え、お医者様に深くお礼をし、
(万が一、AEDを使わなければならない事態になったら、もしかしたら別の空港に緊急着陸することもあるかもしれない・・・)
と覚悟しつつ、ビジネスクラスのサービスに戻りました。
 
私が通訳をしている間、今回エコノミークラス担当だった2本線(=制服の袖口の白線が2本あるCA=ビジネスクラスのサービスの訓練を受けているCA)のオランダ人同僚が代わりにサービスをしてくれていたので、そのお陰で、お客様をお待たせすることなくサービスを終えることができました。
 
毎フライト、いつも思うのは、この会社は本当に
チームワークが素晴らしい!
・・・ということ。
 
入社して間もなく18年が経ちますが、湾岸戦争や911テロがあり、乗務人数の削減経費節約スケジュールの短縮などで乗務環境が厳しくなっているにもかかわらず、入社当時と変わらず楽しく乗務できるのは、同僚想いの同僚達のお陰。
 
日本人の同僚達も魅力的な方ばかりで、終身雇用の先輩方からは今でも多くのことを勉強させていただいていますし、新しい方々も、日本ベース3年契約になって入れ替わりが激しくなってしまったにもかかわらず、本当にいつも、一緒に働きやすい人達が入ってくるなぁ・・・感心しています。 3年で退社させてしまうのは実にもったいない(→EU内の法律が変わって以来、契約終了後のオランダベース移行はできなくなってしまったのです)・・・と心から残念に思います >_<)。。。
 
同僚達への感謝の気持ちを忘れずに、これからも楽しく乗務したいと思っています・・・
 
朝食のサービスが終わってからエコノミークラスに様子を見に行くと、おじいちゃまの顔色が幾分良くなってる・・・よかった、大丈夫そうです。
 
出発は2時間近く遅れていましたが、飛行時間が短かったので、大阪到着は1時間弱の遅延で済みました。
お客様が皆様お降りになった後、私達も降機し、空港内を歩いていると、先程のおじいちゃまが車椅子でメディカル・センターへ向かっていました。
何事もなく日本で楽しく滞在できるよう祈りながら、クルーホテルへ向かいました。
 
ホテルで2時間仮眠を取った後、ホテル前の川沿いの並木をしばらく歩きました。
きれいですねぇ~日本の・・・はやっぱり日本で見るのが一番趣きがあります。
周りの風景空気とマッチしているのでしょうね。
チューリップはオランダで見るのが一番美しい・・・と思うのと同じ感じ?
 
見とれているうちに梅田行きのシャトルバスに乗り遅れ(恥)、タクシーで梅田へ。
駅の近くにある専門店で、ミハーリ用の新しい柔道着と帯を買いました。
 
その後、友人M子さん、TさんとE~maの最上階にある卯乃家というお店で関西風創作野菜料理の数々を堪能しました♡
素敵なお店に連れて行っていただき、ありがとうございました、Tさん♡
M子さんは、以前、ユトレヒトでご近所だった方。 わざわざ京都から会いに来て下さいました。 
子供達に美味しい&珍しい関西のお菓子のお土産ありがとうございました♡
(「イカの姿焼き」おいしかったデス)
 
M子さんは小さいお子さん連れだったので、先にお帰りになり、
Tさんと、今回初めてお目にかかるOさんと一緒に、タクシーでクルーホテルへ。
オランダ人の同僚達とホテルのバーで合流予定だったのですが、副操縦士から電話があり、彼らの待つレストランへ向かいました。
 
ホテルから歩いて10分くらいでしょうか・・・
(オランダ人だけでよく見つけたなぁ・・・)
ご親切にも店長さんがお店の外に出て待っていて下さいました(感動)
TさんとOさんは大のKLM+オランダファンということで、オランダ人同僚達もお二人の話を聞きながら「光栄だな~」と喜んでいました。
Tさん、Oさん、遅くまでありがとうございました。 本当に楽しかったです♪
 
ここでお知らせ
Oさんは神戸で、エアラインデザインをテーマにした
『NOTAM』という雑貨屋さん
を経営していらっしゃるのですが、
今月25日~5月8日
大阪の梅田LOFTにて
KLMオランダ航空オフィシャル・イベント
『Travel Style Market ~Hello Netherlands 』
を開催されるそうです。
旅をテーマにオランダにスポットをあてたイベントで
KLMオランダ航空のデザインの遍歴をポスター中心に
ステッカー、バッグなどのヴィンテージコレクションなど
貴重なアイテムを特別展示するとのこと。
Oさん、ご成功をお祈りしています!
 
翌朝は7時に起きて支度をし、7時55分のコーリング(=Wake Up Call)の後、朝食に下りました。
日本では、白いご飯とお味噌汁の日本の朝御飯をいただけて、とても嬉しい!(✿ฺ^-^✿ฺ)
ふと見ると、昨日の心臓病のおじいちゃまが!・・・同じホテルに滞在されていたのですねぇ。
すっかりお元気そうで安心しました。
 
クルーバスの中で、前の晩に買っておいたリポビタンDを飲み、Tさんの差し入れの美味しい胡麻パンをいただきながら(←ホテルの朝食でお腹いっぱいだったのにもかかわらず・・・)、関西空港到着。
ゲートで大阪ベースの日本人同僚達と合流。
日本路線には3人の(日本ベースの)日本人CAが乗務するのですが、この日は一人急な病欠で、一人欠員のまま飛びました。
 
ドリンク・サービスが終わって、最初のお食事のチョイスを伺いに出ようとメニューを見たら・・・
鶏肉のお料理のはずの和食メニューが、「刺身と金目鯛の幽庵焼き」になってる・・・( ̄_ ̄|||)
 
お客様お一人お一人にメニューの間違いをお詫びしながらチョイスを伺い、オーブンのセットをして、前菜のサービス。
 
いざ、温まった主菜オーブンから取り出して・・・と思ったら、
オーブンの(タイマーだけセットして)スイッチ入れ忘れてました・・( ̄_ ̄|||)
 
オーブンのスイッチ入れ忘れ・・・
オランダ人の相棒が忘れたことは何度かありましたが、自分が忘れたのは初めて・・・(;-_-)
「ごめんなさい!」
と謝りながら、オーブンのスイッチを入れると、相棒の日本人の同僚が
「大丈夫ですヨ。 ミールを温めている間に、日本茶をお出ししたり、パンワインのおかわりを持って行ったり、前菜のお皿を下げたりすれば、きっと丁度良いタイミングでミールが温まりますヨ。」
・・・いつも相棒にかける言葉そのままorz
でも、全くその通り・・・慌てない、慌てない。
 
そして、お客様には(オーブンのスイッチ入れ忘れに)気付かれることなく、主菜のサービスを始めることができたのですが・・・
 
オーブンで温めたにもかかわらず)凍ったままのミールが!?
相棒のエリアのお客様だったのですが、オランダ人のお客様だったので行ってみると、ローストチキンの、中が赤く、確かに凍ってる・・・( ̄_ ̄|||)
そのミールをオーブンで更に10分加熱している間に、それまでに主菜をお出ししたお客様方に、ミールが凍っていないか確認。
そうしたら、今度は「和食のご飯が凍っている」というお客様が・・・( ̄_ ̄|||)
それもギャレーに持って行って再加熱
それ以降は、お一人お一人、主菜をお出ししては「ミールが凍っていないか」確認しながらのサービスとなりました。
 
サービスがすっかり遅れてしまったので、(とっくにサービスが終わっていた)エコノミークラスの同僚達に手伝ってもらってデザートのサービスを終え、休憩時間になりましたが、メニューの件と冷凍の件のサービス・リマークス(=機内で搭載ミスなどがあった際、特別な用紙に記入して会社に提出します)を書いていたら、結局OCR(=Over head Crew Rest=機内にある乗務員用休憩室)に行く時間はなくなってしまいました。
 
到着前のサービスは何事も無く順調に終え、アムステルダム到着。
帰宅後、メニューの間違いに関して、翻訳会社と会社(オランダ本社と日本支社)、それから日本ベースの同僚にメールしました。
横だけでなく、縦のつながりも大切・・・連絡を取り合って、皆で協力し、より良いサービスを目指したいと思っています。
 
次はまた大阪便です♪
(到着後、仮眠を取って、夕方から私も梅田LOFTへ行く予定です!)
 

フライト日記 (Osaka)

2007年4月
(KIX)
 
大阪便のリポーティングは午後1時45分。
本当は午前10時くらいまで休めたら嬉しかったのですが子供達の学校がありますので、
(日本語補習校は春休みですが、オランダの学校はお休みではありません
いつもどおり朝は7時に起きて朝食とお弁当(←パンなので楽です♪)の用意をし、
子供達を学校へ送り出すとなんだかんだ9時になってしまい、
1時間仮眠を取るのも億劫で、早めに乗務の準備を始めました。
 
空港にはお昼前に到着。 
リポーティングするには早過ぎたので(→コンピューターが受け付けてくれないのデス)、スーツケースだけ預けてクルー・サービス・センターへ。
 
今度、機内で着用する女性用エプロンが変わるのですが、会社からのお知らせには
「もう大半の女性乗務員の自宅に、新しいエプロンが届いていることと思いますが、万が一、サイズが合わなかった場合は、クルーセンター内の仮設ルームで取り替えて下さい。」
としか書いておらず、私の家にはまだ届いていなかったので、
①いつから新しいエプロンになるのか確認し、
万が一今月からなら、
②どこかでエプロンを借りないといけないのか、
③あるいは今までのエプロンを使用してもよいのか、
知りたかったのです。
 
サービス・センターに入ると
「misae! ケーキ食べる?」
ここでサービス・エージェントとしても働いている、パーサーのペーター
(以前、ランディング中に急に親指が内出血をした時、到着後メディカル・センターまでのアテンドと、ユトレヒトまでの車の手配をしてくれたのがペーターでした→http://fromholland-withlove.spaces.live.com/?_c11_BlogPart_FullView=1&_c11_BlogPart_blogpart=blogview&_c=BlogPart&partqs=amonth%3D1%26ayear%3D2006参照)
が話しかけてきました。
「ペーター、お誕生日なの? おめでとう!!」
オランダでは、誕生日の本人が、家族・友人・知人を招いてケーキや飲み物をご馳走するので、職場でもケーキを配ったりするのです。
サービス・センターの奥に腰掛けて、オレンジ・ムース・ケーキとカプチーノを頂きながらペーターとおしゃべりしていると、これから乗務でサービスするはずがサービスしてもらって、なんだか変な気分でした(笑)
 
エプロンが新しくなるのは来月、と聞いて安心し、再度リポーティングを試みましたが、まだ Too early の表示が出てダメ・・・
今度は、Schiphol Plaza (=空港内のショッピング・センター)へ。
大阪で会う予定の友人から頼まれていたレオニダス・チョコレートを購入し、クルー・センターに戻り、既に預けてあったスーツケースに入れることができるか聞きに行くと、
「本当は一旦(クルー・センター内の)税関を通してスーツケースを出し、チョコレートを入れた後再びセキュリティー・チェックを受け直して預けないといけない」
のですが、
「チョコレートだけセキュリティー・チェックを受け、係官が見ている前でスーツケースに入れればよい」
とおっしゃって下さったので、係官の前でスーツケースにチョコレートを入れ、新しいセキュリティー・シール(=セキュリティー・チェックを受けると貼られるシール)を貼っていただきました。
 
日本(東京・大阪)ベースの同僚達も到着し、リポーティングアローワンスの引き出しを済ませ、パーサーに挨拶。
 
ブリーフィングを終え、ゲートへ。
東京便のゲートF02で、東京ベースの同僚達に手を振ると、お客様にも手を振る人が・・・? 同じオランダベースのY子さんでした。 お子さん達と一緒に一時帰国されるとのこと。
 
大阪便のゲートF06で日本語アナウンス担当の職員(日本人2人と日本語を話す外国人2人がシフト制で勤務していらっしゃいます)に挨拶を・・・と思ったのですが、どなたもいらっしゃらず、「ディレイがないといいけれど・・・(*)」と思いながら機内へ。
 
(*) 以前、一人で一時帰国する際、ディレイのアナウンスが
英語オランダ語でしか入らず、
アナウンスを聞いた外国人客が次々ゲートを離れて行く中、
日本人客だけいつまでもゲートで待機しているのを見て、
思い余って、近くにいたオランダ人地上職員に
クルーのIDを見せながら、
日本語アナウンスをいれましょうか?」
と申し出たのですが
「この便は自分の担当ではないから」
と断られ、
(担当の地上職員とトランシーバーで連絡を取ってくれることを
期待したのですがそれもなく)
気になりつつも、夫と子供達がいた空港内のレストランへ向かった・・・
ということがあったので。
 
機種は、ボーイング777。
担当は、日本人の同僚と組んでのビジネスクラスです。
(日本語で仕事ができて、とっても楽でした♪♬♫) 
 
機内では、まず、プリフライト・チェック(=自分が担当するドア付近の非常用設備の確認)、キャビン・チェック(=客室内に不審な物がないか確認)、ケータリング・チェック(トローリーやコンテイナー内に不審な物がないか確認)などを済ませます。
以前は、私達乗務員はプリフライト・チェックだけをすればよかったのですが、2001年のテロ以降、キャビンやケータリングも私達が再チェックするようになりました。
良いサービスも、安全飛行あってのことですからネ。 しっかりチェックします!
 
ウェルカム・ドリンクの準備なども全て終えた頃、コックピット・クルーが搭乗し、各ギャレーを回って皆に挨拶(=握手をして自分の名前を伝える)。
日本路線の操縦士は3名のはずが・・・7名???
4名は、デッド・ヘッド・クルー(=乗務はしないクルー)とのこと。 内3名は翌日私達がオランダへ戻る便に乗務し、もう1名は大阪からの貨物便に乗務するとのことでした。
パイロットが大勢いるのは心強い(笑)
 
お客様を迎える準備はとっくに整っていたのですが、なかなかパーサーからの"お客様搭乗開始"のアナウンスがない・・・ 
パーサーに聞くと、どうやら機体に故障箇所が見つかったらしい・・・そう言われて見れば、操縦士と整備士がコックピットを出たり入ったりしています。 
副操縦士がギャレーを回って説明しに来てくれました。 
「故障が見つかったのは操縦室のコンピューターで、新しいソフト・ウェアをインストールし直している」
「出発できるまでどれくらい時間がかかるか、今の時点では全くわからない」
とのこと。
 
やっとリクエストが通った日本路線なのに、どうして出発が遅れるかなぁ・・・ただでさえ1泊しかないのに・・・(T_T)
 
お客様へのアナウンスはどうしているんだろう・・・
と思っていたら、パーサーが
「misae! ゲートで日本語のアナウンス入れてきて!」
 
オランダ人の地上職員とゲートへ戻り、オランダ人職員のオランダ語・英語のアナウンスに続き、遅延をお知らせする日本語のアナウンスを入れました。 すぐに「お手洗いへ行きたい」というお客様が続出したので、地上職員の指示で
故障箇所の修理・点検作業が終わり次第搭乗開始となるので、なるべくゲートで待機し、お手洗いに行きたい場合は、地上職員に搭乗券を預け、少人数ずつ順番に行くように」
というアナウンスも。
 
機内アナウンスとはまた異なったアナウンスで、もちろんマニュアルもありませんでしたから、その場で訳してのアナウンス・・・注意深く聞いたら、可笑しな言い回しをしてしまった箇所もあったかと思いますが、とにかくをこめて、ゆっくりと、お客様全員に話しかけるように、アナウンスしました。
 
一旦機内に戻り、待機し、出発予定時間を1時間半程過ぎたところで、再びゲートへ。
オランダ人地上職員に
「10分くらい前に、"あと10分程で詳細がわかる"とアナウンスしたのだけれど、10分たった今、まだ詳細がわかっておらず、整備の方からは"あと10分"と言われた。 そうアナウンスすべきか否か・・・」
と聞かれ、
「詳細がわかっていないのなら、かえって混乱を招く恐れがあるので、アナウンスは入れない方がいいでしょう。」
とアドバイス。
 
「他からの乗り継ぎで、朝から何も食べていないのですが・・・」
というお客様もいらして、
ゲート軽食をお配りするか」
「お客様ご自身で、ゲートの外で軽食を買って来ていただき、ゲートに戻って食べていただくか」
地上職員の間で話し合われましたが、
故障箇所の修理・点検作業が終わり次第、搭乗開始となる」
という状況は変わっていないので、
「あと10分、このまま待機」
ということになりました。
朝から何も食べていない、というお客様には、たまたまポケットにチョコレートが入っていたのでそれを差し上げました。
 
そして10分後。
インストールしなおしたソフト・ウェアが正常に作動したらしく、搭乗が開始されました。
搭乗開始のアナウンスを日本語で入れ、私も大急ぎで機内へ戻りました。
 
満席でしたが、最前列の4名はデッド・ヘッドのパイロット。 
ミールのチョイスで不足が出ても、彼らに変更してもらったらいいと思うと、気が楽です。
 
最初のドリンク・サービスの時、相棒のエリアにお座りの、カップルで乗っていらした外国人の男性客が
ピンク・シャンパンを頼んだのに違うものを注がれた」
と怒ってグラスを差し出してきました。
ここ数ヶ月、特別シャンパンとして、Piper-Heidsieck Rose Sauvage という、ワインのロゼのような濃いピンク色シャンパンを搭載しているのですが、
「メニューに"pretty pink colour"とあるが、これはピンクではない! 味もフランスのシャンパンと違う! これは違うシャンパンだ!」
とおっしゃるので、
「いいえお客様。 こちらがピンク・シャンパンでございますよ。 確かにお色はピンクというよりバラ色ですが・・・。 もう1種類のシャンパンは、ご搭乗いただいた際にお持ちした、中国産スパークリング・ワイン(←今、中国フェアーをやっていて、ワインも、珍しい中国産のものを載せています)となりますが・・・」
と申し上げると、
「ボトルを見せろ!」
そのお客様はビジネスクラスの最後列にお掛けだったのですが、ボーイング777ではサービスを最後列から始めるので、私が担当するお客様が後にまだ15名もお飲み物のサービスをお待ちでしたから、
(あら困ったわ・・・)
と思いながらも、ギャレーに戻って中国産のものと、相棒がそのお客様に注いだピンク・シャンパンのボトルを持って行きました。
ボトルを見比べて暫く黙っていらっしゃったので納得して下さったのかと思いきや、
「パーサーを呼んで来い」
とのこと。
パーサーに事情を説明し、お客様のところへ行ってもらい、私はドリンク・サービスに戻りました。
程なくしてパーサーが
シャンパン2種類のボトル貸してくれる?」
と再びボトルを取りに来ました。
まだ「違うシャンパンだ!」とおっしゃっているらしい・・・(;-_-)
 
ドリンク・サービスを終えてからパーサーに様子を聞くと
「ボトルを見せて、目の前で改めてグラスに注いでもまだ、これはピンク・シャンパンじゃない、と言い張るので、
それではシャンパン以外のサービスで、アップ・グレードの旅をごゆっくりとお楽しみ下さい!
って言っちゃったよ(笑)」
そのお客様は、エコノミークラスからのアップ・グレード(=エコノミークラスが満席でビジネスクラスに空席がある場合に、エコノミークラスのお客様の中からマイレージ・プログラムの会員の方を優先してビジネスクラスにお席をご用意することがあります)だったのでした。

(こちらがPiper-Heidsieck Rose Sauvage

 

お食事のサービスも終わり、相棒がOCR(=Overhead Crew Rest)に休みに行っている間に、朝食のサービスの準備をしました。
今回、ケータリングのミスが多く、ただでさえ大変な"朝食アラカルト"(→日本路線の朝食サービスは、お客様ご自身でアレンジできる"アラカルト・スタイル"で、お一人お一人ご希望通りのトレイをご用意します)の準備に余計に時間がかかりました。
出発前にチェックした時点で、ミールトローリーに搭載されているはずのリネン(=テーブル・クロス)、日本茶の湯呑茶碗、朝食アラカルト用のオーダー・フォーム(=注文カード)が全くなく、また朝食用のスモーク・サーモンチーズの数が足りなかったので、ケータリングに電話して搭載をお願いしてあった(+2時間ディレイした分時間もあった)のに、結局搭載されなかったのです。
 
オーダー・フォームがなかった為、(ホットミールのチョイスだけは、口頭でお一人ずつ伺いましたが)シリアルヨーグルトジャムなどのチョイスはお伺いできないまま、トレイをご用意することに。
「あのお客様はきっとコーンフレーク・・・こちらのお客様はきっとミュズリ・・・あちらのお客様は苺ジャム・・・そちらは杏ジャム・・・」
と、それまでのサービスで受けた印象を元にお好みであろうものを選んで、またお隣同士が同じ内容になるように考慮しながら、トレイを作りました。
 
ボーイング777とMD-11ではビジネスクラス担当者、ボーイング747ではアッパー・デッキ(=2階席)担当者が忘れてはならない、もう一つの重要な仕事が、コックピット・ケア
操縦士の飲み物や食事を用意する他、30分毎にインターフォンで無事を確認することになっています。
満席の時は、客室のサービスが忙しく、30分毎のケアは大変です。 
毎フライト、出発前に操縦室に運んでおくミネラル・ウォーター(1ℓボトル)とオレンジ・ジュース(500mℓボトル)とクルー・ボックス(=乗務員用のお弁当箱のようなもの)で、最初のミールサービスが終わるまで「何もいらない」と言ってくれる(ありがたい)操縦士もたまにいるのですが、こちらのサービスの進み具合に関係なく色々注文してくる場合の方が多いですxxx今回も然り。
 
朝食トレイ作成中に頼まれた副操縦士用の食事をコックピットに運んでギャレーに戻ると、相棒の担当エリアの最前列の窓側におかけのベルギー人のお客様が眠たそうに、且つ、超不機嫌そうに立っていらっしゃいました。
お話を伺うと、
「隣に座っているデッド・ヘッドのパイロット達がいつまでも起きていて、うるさくて眠れない! 明日は到着後仕事で、機内で寝ないといけないんだ! パーサーを呼んで来い!」
少々お待ち下さい♡と微笑んで、パーサーを呼びに行くと、休憩でOCRへ行ってしまっている・・・それで、ジュニア・パーサー(=シニア・パーサーの補佐をしながらエコノミークラスを仕切るパーサー)に代わりに行ってもらいました。 が・・・
「飛行中、寝ようが寝まいが、それは自由なので、文句をおっしゃられても・・・」
と、ますます怒らせてる・・・(;-_-)
 
OCRから戻ったパーサーが引き継いで、きちんとお詫びし、お客様もご機嫌を直して一件落着・・・ε=(-_-;)ホッ
流石だな、パーサー・・・と感心。
 
大阪到着の1時間半前から、朝食のサービス開始。
ホット・タオルに続いて、フルーツ・ジュースヤクルト(←余った時は私も1本いただきます♪)、ヨーグルト・ドリンクビタミン・ドリンクなどをお配りし、これからミール・トローリーキャビンへ・・・
というところで、パーサーが慌てた様子で
「misae! 通訳を頼む! エコノミークラスでオランダ人の急病人だ! でも、呼び出しに応じて来てくれた医師が日本人なんだ!」
急いでエコノミークラスの客室へ・・・すると、60~70歳と思われるオランダ人男性客が真っ青な顔虚ろな目をこちらへ向けていました。
 
(つづく・・・)

長男とデート♡

無事、大阪から戻りました。
フライト日記、執筆中です。 もうしばらくお待ち下さい・・・m(_ _)m
先日、夫が友人と旅行に出かけていた時に、マリアがお友達のお誕生日会に呼ばれて、
ミハーリと一緒にマリアをお友達の家へ送り、その帰り道、お天気がものすごく良かったので、ミハーリと近所を散策することに・・・
歩いていたら、第1回ノーベル物理学賞を受賞したヴィルヘルム・レントゲンが住んでいた家を発見。
ユトレヒトに住んでいたこともあったのですね・・・

 

その近くには、私のお気に入りの家があります。
1958~1962年に、オランダ王室第二王女イレーネ(=現女王ベアトリクスの妹)が住んでいた家です。

この家の前を通ると
「ここなら余裕でグランド・ピアノが置けるのになぁ・・・」
といつも思います(笑)
(↑ 夫に「大き過ぎる」という理由でグランド・ピアノの購入を渋られているものでxxx)
ミハーリとのデート♡中に撮った、春らしい写真を、何枚かフォトアルバムにアップしましたので、見てみて下さい。
家の庭では、今、梅(プラム)の花が満開です。
桜(さくらんぼ)も咲き始めました。
オランダが、いつも、こんな喉かなお天気だったらいいのになぁ・・・

結婚記念日

オランダでは、どういう訳か、結婚12年半の記念日を祝うしきたりがあって、私達は今日がその日に当たるのですが・・・

4月1日・・・エイプリル・フール結婚記念祝いというのも・・・

 (夜、二人でシャンペンを飲みました♡)

 

今日から丁度12年6ヶ月前の1994年10月1日、
ユトレヒト郊外のザウレン城/Slot Zuylen/Oud Zuylen
私達は結婚式を挙げました。 

 

(Slot Zuylen)

同じユトレヒト郊外にあるデ・ハール城/Kasteel de Haar/Haar Zuylenの方が観光地としては有名なのですが、

森の奥にひっそり佇む古城ザウレン城の方が趣があって、私は気に入っています。
 
お城に絡まるツタの葉が、秋になると美しく色づいて、まるでおとぎ話に出てくる古城のようなんですヨ!

MS 多発性硬化症

前に、病院で検査を受けている、というお話をしたことがあったと思うのですが・・・
MS』かもしれないそうなのです、私。
Multiple Sclerose
日本語名は『多発性硬化症
(あ、これはエイプリル・フールの冗談ではありません・・・)
発症したのは、恐らく2004年の9月、急に左目の裏側が(目を開けているのでさえ辛いくらい)痛くなった時です。
痛みは数日でなくなったのですが、それ以降、ものが2重に見えたり、水の中にいるかのように景色がユラユラ揺れたり(→歩いているだけで船酔しそうでしたxxx)・・・
というのが約1ヶ月続き、眼科で検査を受けても何も見つからないまま・・・
2カ月経った(忘れもしない)11月13日の朝、目覚めたら、右の肩から右手の指先まで、ビリビリに痺れていました。
夫は
「右腕を下にして寝てたんじゃない?」
と笑いましたが、私は寝相がとても良いのです(笑)
卒業旅行や合宿などではよく友人達に
死んでるのかと思った・・・
と言われたものです・・・(^^ゞ
そう言う夫も、
夜中に私の口の上に手をかざして何をやってるのかと思ったら
ちゃんと息してるか確かめてた
と・・・(^_^;)
痺れは結局何日たっても何週間たっても取れず、
「安静にしていた方がいいのかな?」
と思って右手を使わないでいたら、硬直して箸が使えなくなってしまい・・・
思い切って日本の実家に電話を入れ、父に相談したら、
「すぐ帰ってきて日本で検査を受けなさい!」
(↑昔、吉永小百合演ずる少女が脳腫瘍で死んでしまうという映画があって、それも最初は目の痛みから始まったらしく、父は私も脳腫瘍かもしれない!・・・と心配になったのだそうデス)
と言われて、検査の為に急遽一時帰国し、CTスキャンMRI検査を受けたものの、結局原因がわからないまま(巨額の検査費だけ払って)オランダへ戻りました。オランダでは、ユトレヒトの大学病院(ベアトリクス女王様の旦那様も入院していた病院です)で、日本の脳外科でやったのと全く同じ検査と、血液検査(試験管8本分!)ならびに髄液検査(日本では1日入院するそうですが、オランダでは直後に普通に歩いて帰らされますxxx)をした結果、
MSの疑い』という診断がおりたのでした。
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多発性硬化症の診断基準(厚生省、1988年)
① 中枢神経内の2つ以上の病巣に由来する症状がある。(空間的多発)
② 症状の寛解や再発がある。(時間的多発性)
③ 他の疾患による神経症状を鑑別しうる。臨床的診断確実例: 上記3つをすべて満足するもの
疑い例: 上記3つを完全に満足しないが、
強く多発性硬化症が考えられるもの
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私は後者で、①の「中枢神経内の病巣」が1つしか見つからなかった為、
確実とは言えないけれど、恐らく『MS』であろう、ということでした。病名を聞いたオランダ人の友人が(夫はギリシャに遊びに行っていていなかったので友人に付き添ってもらっていたのです)ひどくショックを受けていたので、一体どういう病気なのか先生に聞くと・・・
オランダ語の医学用語がさっぱりわけわかりませんでしたが、
「症状が人それぞれで、病気の進行も人それぞれで、進行が早い人は3ヶ月程で車椅子になる」
というのと
「今現在、原因も治療方法もわかっていない病気である」
ということだけは理解できました。「治らないんですか?」
「治りません。」
3ヶ月で車椅子ですか?」
「病状によります。 進行が遅い場合は、それ程悪化しないこともあります。
・・・が、良くはなりません。」・・・と聞いて、最初に頭に浮かんだのは、
「悪化したら、もう乗務はできなくなるな・・・仕事どうしよう・・・」
意外と冷静だったんですが、
「・・・ピアノも弾けなくなるのか・・・」
と思ったら流石に動揺しました。実は、私は先天性股関節脱臼で、毎年検診に行かなければならなかったり(←全然行ってませんがxxx)、股関節に負担がかかるスポーツはもともとしてはいけなかったりした(例えばスキーはできません)ので、”“が使えなくなることに対してはあまり抵抗がなかったのですが、”“が使えなくなるということはそれまで考えたことがなかったのです。「指が動くうちに=ピアノが弾けるうちに、いつか弾きたいと思っていた曲を、できるだけ沢山弾きたい・・・!」

と思って、その翌週からピアノのレッスンを再開ました。
2年以上経った今、右腕の痺れにも(痺れていなかった頃の感覚が思い出せないくらい)慣れてしまったのですが、
半年ほど前から、朝(あるいは乗り物内で眠った後)目が覚めると、右腕だけでなく左足も(足の付け根から指先まで)(まるで寝てる間ずっと正座していたかのようにビンビンに)痺れていることが多くなって・・・常に痺れている右腕と違い、幸いこちらは起きてしばらくするとスーッと解けて動かせるようになるのですが。
右腕の痺れも時々悪化するようになり、(ダラリと下に下ろしている分にはジンジンしているだけで支障はないのですが)ピアノを弾いているうちに、腕を上げていることも辛くなってくる&右手の指の動き(反応)が鈍くなってくる・・・ことに気が付きました。
右腕&右手が自分のものではないような、まるで義肢でも付けている様な感覚で・・・取り外せるものなら、ちょっと取り外して横に置いておきたい!と思うくらい痛くなることも。
病状が悪化したら再検査に来て下さい
と言われていたので、再びユトレヒト大学病院へ。
病院で、先生に
「今は”MSの疑い“があるだけなのに再検査を受けて”MS“と確定してしまってショックを受けるより、病状が悪化するまで検査を受けずにいた方が、気が楽なのでは?」(←オランダ人らしいご意見?)
と言われたのですが、
「私は早く病名がはっきりした方が嬉しいです」
と申し上げて、MRIの再検査を受けたのですが・・・結局結果は変わらず、
多発性硬化症の疑い
のままでした・・・(;-_-)
先月は、針筋電図検査(←痛かったデス)、誘発筋電図検査脳誘発電位検査というのを受けたのですが、
予想としては、今回もまた原因不明のまま
病状が悪化したら再検査に来て下さい
(悪化したから検査をお願いしたのに・・・)
と言われるんだろうなぁ・・・(_ _;)何度検査をしても決定的なものが見つからず、原因不明病名不明のまま2年も経つと、なんだか慣れてしまって(+オランダの病院の検査はザツで怖いので)
「もう原因や病名を追究しなくってもいいか!」
という気になってきました。手が痺れている状態にもすっかり慣れてしまって、痺れていなかった頃の感覚が思い出せないくらいだし・・・

痺れが悪化している時は辛いですが、それ以外は生活に支障も出ていないので、このことはなるべく考えないようにして、明るく過ごした方がいいかな・・・と最近思うようになりました。

考えてみれば、『MSの疑い』という診断がきっかけで、(夫を説得して)ピアノのレッスンも再開できたのですしネ!
「もしかしたら、いつか弾けなくなるかもしれない・・・」
という不安をバネに、ピアノの練習に励もう!
そして
「もしかしたら、定年まで飛べないかもしれない・・・」
という不安をバネに、乗務も精一杯頑張ろう!
・・・と思っています。
明日は大阪便の乗務♪ 桜の花が待つ日本へ・・・!