ピアノとピアニストのお話

 
関節痛で腕が動かせないと、家事も思うようにできず、
久し振りに時間を持て余しています(笑)
鎮痛剤で痛みを和らげながらピアノを練習していて、
ふと、昔のことを思い出しました。
__ __ 音楽 __ __ 音楽 __ __ 音楽 __ __
 
赤ちゃんが最初に覚える言葉は、普通
ママ♡(あるいはパパ♡
だと思うのですが、私は
おわった♪
だったそうです。
ベビーベッドで毎日聴かされていたドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》(←赤ちゃんに聴かせるにはちょっと渋すぎる選曲だと思うのですがxxx)のレコードが終わったところで
おわった
と言ったのが初めての言葉だったとか(笑)
 
父がクラシック音楽好きで、子供の頃は毎朝、ビヴァルディの《四季》とかモーツアルトの交響曲第40番等がかかっていました。
あまりにも何度も何度も聴かされていた為、子供の頃は、これらの曲はあんまり好きではなかったのですが、大人になった今では、当時聴かされていた曲が一番好きな曲になっていたりします(笑)
 
3歳からオルガン、5歳からピアノを習い始め、発表会に出るようになってからは自分でもピアノ曲のレコードを聴くようになりました。
 
父が持っていたレコードで覚えているのは、ジョルジ・シフラが演奏しているもので、
ショパンのワルツ集チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番そしてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番
 
ピアノ曲はそればかり聴いていましたので、当時の私にとって、
ピアニスト=シフラでした。
同じ曲でもピアニストによって演奏が異なるなんて考えもしませんでした。
 
中学生になって、お小遣いで「ピアノ名曲全集」というレコード集を買い、
そこに入っていたサンソン・フランソワが演奏するショパンを聴いた時、初めて
「何か違う・・・イヤミ
と感じました。 私は、天才ピアニスト・フランソワの演奏が全然良いと思えなかったのです・・・ 
(→「フランソワの特徴はムラ気なことで、気分の良し悪しによる演奏の出来栄えの差が大きかった」というエピソードがありますので、もしかしたら気分の悪い時の演奏だったのかもしれませんが・・・)
その頃(中学高校時代)は、毎日5~6時間ピアノを弾いていて、今よりは"自分が出したい音"を出せていた("つもり"だった)ので、
(技術はまだまだでも)自分の音が一番気に入っていた・・・という幸せな(?)時代(←今思えばとんでもないことなのですが・・・汗)。
だから、曲の好き嫌いはあっても、ピアニストの好き嫌いはなかったのです←なんせ自分が弾くピアノの音が好きだったものですから・・・(^^ゞ
 
高校卒業後、(ピアノの先生は音大も勧めて下さっていたのですが)子供の頃からの夢(=外資系航空会社のスチュワーデスになること)を叶える為にイギリスへ留学。
語学学校内にピアノが置いてあったので、至急日本からピアノの楽譜を送ってもらい、授業の合間によく弾かせていただきました。
他にもピアノを弾く学生が何人かいて、イタリア人で、ショパンのワルツ10番を弾いてくれた青年がいたのですが・・・
ものすごいスピードで、ミスもなく、上手なのですが・・・感情が何も伝わってこない。
上手に弾けても、聴いている人に何も伝わらなかったらダメなんだ・・・と強く感じました。
 
夢が叶ってからは、フライト先でコンサートに行ったり、CDショップへ足を運んでは試聴をしていました。 
を動かされる演奏を聴いてみたくて。
そして最高に気に入って買ったCDは・・・
 
ピアニストの好みはなかった私でしたが、それ以来、アシュケナージの大ファンに・・・
ショパンはこんな風に弾きたい!」
と心底思いました。
が、当時習っていたオランダ人のピアノの先生に、アシュケナージの真似をして弾いていることがバレてしまい
自分らしい弾き方を研究しないとダメだ」
と怒られました。
 
それ以来、自分らしい弾き方の研究中です・・・(^^ゞ
 
昨年は、音大を出られた方(日本語補習校のお母さん友達)と連弾をさせていただき、より美しい音を出す為のコツをいろいろ教えていただきました。
その方のお薦めで挑戦したのがシューベルトファンタジーD940という連弾曲。 心を揺さぶられるような本当に美しい曲でした♡
演奏の参考にしようとユトレヒト市立の音楽図書館(=音楽関連の書籍の他、楽譜、CD、DVDなどが揃っています)でいろいろなピアニストが演奏したCDを借りて来て聞き比べたのですが、心惹かれたのがデュオ・クロムランク(←日本語のリンクが見つけられませんでしたxxx) 
ここまで二人のピアニストが一体となった、熱い演奏は聴いたことがありません。 こういう演奏に憧れます♡
 
また、昨年は、ピアノのコミュニティーで大勢のアマチュア・ピアニストと知り合い、とても良い影響を受けました。
オランダでは、ピアニストやピアノの先生を目指しているのでない限り、小学生以降でピアノを習っている人というのは皆無と思われるのに対し、日本は趣味でピアノを続けている人が多いですよネ。 
アマチュアでもレベルがものすごく高い!びっくり
趣味でピアノを弾いている人達でオフ会や演奏会を開き、お互いに勉強し合っていて、本当にいいなぁ~と思いました。 
私も日本に住んでいたらよかったのに・・・(>_<。。。
 
そのピアノのコミュニティーでMinnesingerinさんという方にお会いしたのですが、この方の音楽の知識の深さには心底驚かされました。 
Minnesingerinさんはブログhttp://minnesingerin.seesaa.net/も書いていらっしゃって、彼女のブログを読んでいるうちに「もっと沢山の違ったピアニストの演奏を聴いてみたい、聴かなくては・・・!!」と思うようになりました。
幸いユトレヒトには、(上にも書きましたが)音楽図書館というのがあるので、このところ時間があると、Minnesingerinさんお薦めのピアニストをはじめ、いろいろなピアニストのCDを借りてきて聴き比べています。
面白いです! 
同じ曲でも、ピアニストによって、自分好みの演奏=聴いていて心地良く感じられる演奏と、そうでない演奏があるのですねぇ~!
 
そして同じピアニストでも、CDによって全く違ったり・・・
アシュケナージも若い頃の演奏と最近の演奏では全然違って、私が好きなの(=私が買ったCD)は彼が若い頃の演奏でした。
 
こうやって、いろいろなピアニストの演奏を聴きながら、いつか私も自分らしい音~できれば誰が聴いても心地の良い音~で演奏できるようになれたらいいなぁ・・・と思っています♪
 
 

シック・リーブ(病欠)

 
今日で休暇が終わってしまいます。
いえ、いつもだったら、またフライトに出られるので嬉しいのですが・・・
休暇明けまでになんとか治って欲しいと願っていた関節痛、上半身(首・肩・肘・手首・手の指)だけまだ治っていません・・・(>_<。。。
特に痛みが酷いのが腕・・・前後左右30度くらいしか上がらないので、着替えたり、髪をとかしたりするのでさえ大変でxxx
これでは、通路から遠いお客様に手を伸ばしてサービスしたり、ギャレーで頭より上にあるコンテイナーから物を取ったり、そして緊急時に非常用ドアを開けたり、といったことができません。
残念ですが、シック・リーブ病欠)を取ることにしました・・・しおれたバラ
 
明後日から乗務予定だったタンザニアのダルエスサラーム
オランダにベースを移して間もない頃、一度だけ乗務したことがあります。
~ 飛行機 ~
当時の機種はDC-10。 便数が少なかった(←恐らく週2便だったんだと思います)ので、8泊10日で、滞在中に一度マラウイのリロングウェへの往復乗務が入る、というスケジュールでした。
DC-10の飛行機には、それぞれ、有名な作曲家の名前が付いていて、行きはベートーベンリロングウェ往復の時はショパンだったことを覚えています。
どうして覚えているかというと・・・ベートーベンは出発前に故障箇所が見つかってディレイし、ショパンも出発前に14番のドア(機体の右側の一番後ろのドア)が故障して閉まらなくなり、お客様をお乗せしたまま何時間もディレイして地上でお食事をお出しし、結局フライトキャンセルになった・・・という苦い思い出があるからデス・・・(^^ゞ
 
飛行機のことだけでなく、このダルエスサラーム便には、いろいろと思い出があります。
白い砂浜に椰子の木が並ぶ美しいビーチに面したクルーホテルは、トロピカルな感じで素敵だったのですが・・・
お部屋は一軒一軒、高床式のバンガローになっていて、壁は、屋根は椰子の葉
部屋の内側の壁も外側同様、大きさも形も異なるを積み上げて造ってあり、隙間にが潜んでいそうで近寄りがたい感じでした。
実際、オランダ人の同僚で何人か、壁のの隙間に得たいの知れない虫が何匹もいた!という人が・・・( ̄_ ̄|||)
 
停電はしょっちゅう。 断水も頻繁だったので、水が出ている時に、空のペットボトルに水を溜めて備えたりしていました。
水が出る、と言っても、思いっきり茶色い水です。 もちろん飲めません。 洗顔や歯を磨いたりする時にはミネラルウォーターで。
 
ホテルのレストランの食事はとっても美味しかったです。
特に、焼き立てのパンアボガド・サラダ! 世界中いろいろな所で食べましたが、この2つは、ここのが一番美味しかった!
 
そして試練の夜(T_T)
ホテルの外には出られないことになっていたので、昼間はビーチで泳いだりしていましたが、夜は本当に何もすることがない・・・
オランダ人の同僚達は皆、クルールーム(ホテルの一室)に集まってボードゲームをしていましたが、オランダのゲームでよくわからない。
・・・困った
これが日本だったら(・・・あるいは日本人のグループにオランダ人が一人だけ混じっていたら) 気を遣って
「私が教えてあげるから、あなたも一緒にゲームしましょう!」
と誘ったり
「このゲームだとオランダ人には難しいから、みんなで一緒にできるゲームにしましょう!」
と皆に呼びかけたりすると思うのですが・・・いくら待てども、誰一人として気を遣ってくれたりしない。
・・・号泣
個人主義の環境にまだ慣れていなかったので、淋しかったですねぇ~あれは。
あの連夜でいろいろ学びました&本当に鍛えられました。
今なら、同じ状況でも
「ちょっと難しいから、誰かと組んで一緒にやっていい?」
とか
「トランプのゲームなら私もわかるから、トランプにしない?」
とか、自らガンガン仲間に入っていけるでしょう(笑)
 
10年以上ぶりに訪れられると楽しみにしていた思い出の地(?)ダルエスサラーム
クルーホテルも変わり、停電断水もなくなったとのこと。
フライトできず、本当に残念!!
 
これから先ですが、12月3日に再びユトレヒト大学病院(感染症科)で検査を受ける予定です。
その後12月5日の便で帰国し、日本の病院でも検査を受けるつもりです。
こちらは膠原病科。 (父が、知り合いの内科の先生に相談したところ、病状から判断すると膠原病が疑わしいのだそう)
 
関節の痛みはありますが、12月8日の2台ピアノのコンサートは、まだ諦めていません。
今まで練習を重ねてきた『モーツアルトのピアノ協奏曲』・・・
痛みを我慢してでも、頑張って演奏したいデス音楽
 

「エアステージ」11月号はご覧になりましたか?

・・・というメールが成田空港から届きました。

添付されていたPDFファイルを開いたらビックリ!
KLMの同僚達が表紙に写った『エアステージ』という雑誌の表紙&インタビューページでした。

彼らのインタビューを読んで、感心してしまいました。
こんな美男美女&優秀な方々が同僚なのかと思うと、本当に誇らしいです。 
JCA(=日本ベースの日本人乗務員の方々)は皆さん素敵な方ばかりで、日本路線に乗務した時はいつもオランダ人の同僚達にこっそり自慢していマス(✿ฺ^-^✿ฺ)

表紙の男性、菅原学さんは日本画家でもあって、毎年銀座で個展を開いていらっしゃいます。
今年の『菅原学展』は明日から!

会場: ぎゃらりぃ朋(とも)
     銀座1-5-1 第三太陽ビル2F
期間: 11月19日(月)~25日(日)
時間: 12:00~19:00
URL: http://www.jpartmuseum.com/jam_live/g_tomo18/index.html
(菅原さんの過去の作品を見ることができます)

ご都合がつく方がいらっしゃったら、是非足を運んでみて下さい。
柔らかいタッチの優しくて暖かい素敵な絵をお描きになる方です。
ご本人に会ったら、よろしくお伝え下さいネ!!

フライト日記 (Dubai)

2007年11月
(DXB)
 
久し振りのドバイ便。
機種はボーイング777。
担当はエコノミークラス。
 
ビジネスクラス担当のオランダ人同僚二人のうち、一人は長い病欠から明けたばかりのパーサー、もう一人の同僚はビジネスクラスのトレーニングを受けたばかりでその日初めて実際にビジネスクラスを担当するというので、ボーディング前の準備からサービスの合間も、時間があるとビジネスクラスのアシストに出向いてお手伝いをしました。
 
今月から(?)ビジネスクラスのアメニティーキットが新しくなっていました。  
エコノミークラスのイヤフォンも新しくなって(こちらは先月末から)、お客様にお持ち帰り頂くタイプの物に。 
これは、MP3プレイヤーやニンテンドーDSにも使える優れもので、我が家の子供達(←日本からのオランダに戻る時の便で頂いた)も大喜びでした。
 
お食事のサービスが終わり、お客様がお休みになられてから、私達もお食事をいただきます。
夜の便だったせいか、お食事を取られないお客様が多くミールが余っていたので、エコノミークラスのお食事をいただきました。
シーフード・リゾットが(ちょっと塩味がキツ目でしたが)美味しかったです。


(手前がシーフード・リゾット)
(見た目は悪いですがxxxとっても美味しいです)

食後、窓の外を見てみました。
同じギャレーのベルギー人同僚のフランキー(←彼は元サベナのクルー)が
「砂漠の上だから何も見えないでしょう?」
と言うので
「そんなことないわヨ~! 街の灯りが綺麗よ~!」
どの辺りを飛んでいるのかインターフォンで機長に聞くと、窓の外に見えているのはバグダッド市とのこと。
「花火(=爆弾)は上がっていないけどね(笑)」
と冗談を言って笑っていましたが・・・ちょっと怖いなぁと思いました。


(バグダッドの街の灯り)

ドバイに到着したのは翌朝。 クルーホテルに着いたのは現地時間の午前6時過ぎ頃です。
しばらくノボテルだったクルーホテルが、昔のクラウン・プラザホテルに戻っていました。
懐かしい! 
 
ここにはピアノがあったはず!・・・と思って、フロントで聞いてみましたら、ロビーにあった白いヤマハのグランドピアノも、4階のピアノ・バーにあった黒いヤマハのグランドピアノも、2台とも処分してしまったとのことでした。 
ここのピアノ(←以前は、フライトで来る度に弾かせていただいていたのデス)はとても素敵な音だったのに・・・残念です(>_<。。。
 
ここの朝食に、お気に入りのアラビア風のお豆のスープ(?)があったことを思い出して、休む前に朝食をいただくことに。
ありました!
「これが大好物なんです♡」
と、朝食ビュッフェのスタッフに言うと、
「これはレバノンの料理なんですヨ」
と教えてくれ、なんと、そのお豆の缶詰をお土産に下さいました!(感激)

  
(レバノンのお豆のスープ)
(スープの上に、トマトとタマネギの微塵切りをのせ、レモン汁をしぼっていただきます)

 
朝食後、部屋で夕方まで仮眠を取り、夕方から、ホテルに隣接したショッピングモールに友人の誕生日プレゼントを買いに行きました。
素敵な、天井から吊るすタイプのキャンドルホルダーを見つけて、それを購入♪
 
もう午後6時になるところだったので、早めの夕食をいただこうと思い、フロントでホテル内の日本料理レストランの開店時間を聞くと、
「午後7時か7時半です。」
午後7時7時半??? どうしてホテルのスタッフがホテル内のレストランの開店時間を知らないのだろう・・・???
「午後7時と7時半のどちらなのですか?」
フロントの人同士しばらく相談(?)した後、
「午後7時から7時半の間です。」
・・・(;-_-)
 
諦めて部屋に戻り、午後7時までテレビ(NHKが入っていました!)を見てから、日本料理レストランへ。
以前も、このホテルに滞在していた時は、毎回ここの日本料理レストランに食べに行っていました。
その頃は、大抵、昼間ロビーのピアノを弾かせていただき、時に夕方からレストランと同じ階にあったピアノ・バーのピアノを弾かせていただき、それからお夕食に伺っていたのですが、
いつも日本人のオーナーの方が話し相手に出て来て下さって、いろいろご馳走して下さったり(!)・・・
今は、ピアノ・バーはワイン・バーに変わり、その日本人のオーナーはどこか別の国へ行かれたとの事。
オーナーが代わって、レストランの内装も随分変わりました。
以前は、淡い色調で、いかにも和風の落ち着いた雰囲気だったのが、
今は、黒と赤が基調のモダンな内装になり、
またウェイトレスの皆さんが・・・以前は着物だったのに、今は黒字にピンクの帯の忍者風の制服に・・・( ̄_ ̄|||)
お食事は美味しかったですが、なんだか居心地が悪くて・・・早々に退散してしまいました。 
 
コーリング(=ウェイクアップ・コールがかかってくる時間=ピックアップタイムの1時間前)は午前5時20分。
午前5時に目覚ましをかけ、コーリングまでにシャワーを済ませ、ゆっくり支度をして、部屋でコーヒー(日本ではコーヒーの代わりにリポビタンD)を飲んでからロビーへ。
チェックアウトをし、ピックアップタイム(=空港へ向かうクルーバスがホテルを出発する時間)まで同僚とおしゃべりをして待ちます。
 
帰りの便では何度か気流の悪い場所を通過し、シートベルト着用のサインが点灯しました。
ギャレー内のコンテイナーやトローリーが全てロックされているか素早く確認し、また、全ての全てのお客様がシートベルトを着用しているかチェックをしにキャビンへ。
ほとんどのお客様がお休みになっていらしたので、毛布でシートベルトが確認できないお客様にはお声をおかけして、シートベルトをしているか確認します。
折角お休みになっているところをお起こしするのは、非常に心苦しいのですが、万が一乱気流に巻き込まれた場合、シートベルトをしていないと本当に危険なのです。
地震と同じで乱気流はいつ起こるかわかりませんので、(幸い私はまだ経験がありませんが、)お休みになる時にはシートベルトは必ず着用して下さいネ。 
毛布をお使いになる場合は、毛布の上からシートベルトをしていただけると(確認の為に起こさないで済みますので)大変助かります・・・m(_ _)m
 
アムステルダムには、定刻よりも約1時間早く到着。
乗務中、足首と膝の関節が痛くなり、数日前からの首の痛みも心配だったので、空港内のメディカル・センターに立ち寄りました。
メディカル・センターでは、最近どこへフライトしたか聞かれました。 
マラリアデング熱を疑ったようでしたが、私の(ドバイの前の)フライト先は、10月は大阪、(秋休み中に行ったのは東京、)その前の9月はニューヨークワシントン
8月には2度、マラリア地域であるアクラへ乗務しましたが、発症するまでの期間を考えると関係なさそう・・・。
結局パラセタモール(アセトアミノフェン=解熱鎮痛薬)をいただいて帰りました。
 
ところがその晩、足の指から手の指まで、全身の関節が強烈に痛みだし、横になるのも、寝返りをうつのも、起き上がるのも辛く・・・
痛みの為になかなか寝付けず、夜中に、手が強張ってグーさえもできなくなっていることに気付いた時は
「痺れだけだったら何とかなったけれど、これが治らなかったら、仕事もピアノも諦める他ないな・・・」
と気が弱くなって涙が出そうになりましたが、
家族・友人に恵まれ、CAになる夢も叶い、可愛い子供達を授かり、有名なピアニストWibiと連弾までさせて頂いた今、
やりたい事はまだまだ沢山あるけれど、考えていたらキリがないし、これから先寝たきりになったとしても、悔いはないかも・・・
そう思ったら、妙に納得し、明け方からやっと眠れました。
 
ユトレヒト大学病院の感染症科で検査を受け、現在、検査結果を待っています。
鎮静剤(→今度は抗炎症作用のある強い薬)で痛みは大分軽くなりましたが、薬を飲んでいるうちは乗務は無理です・・・(T_T)
次のフライトまでに回復するといいのですが・・・
 

フライト・セイフティー試験&訓練

 
日本から戻った2日後、ドバイへのフライトの前日に、Flight Safety Recurrent (General) を受けました。
 
1年に1度のフライト・セイフティー試験。 (フライト・セイフティーの)一般常識とセキュリティーに関する試験と機種別の試験の2種類があります。

今まで同じ日に行われていた一般常識機種別の試験&訓練が、今年から二日間に分かれて行われるようになり、セキュリティーの試験&訓練が加わりました。
 

今回受けたのは、前者の一般常識とセキュリティーに関する試験。 (機種別の試験は8月に合格しています♪)
 
朝、8時30分から試験が始まるので、朝6時30分には家を出て、空港へ向かいます。 訓練所があるのは、空港近くのSchiphol/Oostという場所。
最初の15分間に筆記試験が行われ、その合格者だけがそれ以降(夕方4時過ぎまで)行われるフライト・セイフティー・トレーニングに参加できます。
筆記試験に合格できないと、即、家に帰され、別に日に行われる追試に合格するまで 乗務停止となるので、毎年とても緊張します・・・困った
 
フライト・セイフティーのマニュアルは、分厚い(厚さ5cm以上)ので、毎年試験勉強が大変なのですが・・・どういう訳か、テストは結構好き(←小学校高学年時代、毎週塾でテストを受けていたお陰??)なので、毎年100点満点目指して気合を入れて勉強しています(笑)
 
テストの後のトレーニングも、毎年非常に興味深く、特に、モックアップ(=飛行機の原寸模型)でのシュミレーションでは、毎年新たなヒントを得られます。

  

4種類くらい、別のタイプの緊急時での脱出訓練をするのですが、それぞれ、試験を受けに来ているCA(大抵約20名)のうち、5名が乗務員役、残りが乗客役をします。
 
私が乗務員役をやった時の緊急事態は・・・
   離陸前の滑走中に急ブレーキがかかり、機長が離陸を中止。 
   間もなく客室内に白い煙がたちこめ、「ピー・・・ピー・・・ピー・・・ピー・・・」というアラーム音が聞こえてくる
というもの。
 
冷静にマニュアルに書いてあることを思い起こすと、離陸中止の時は、
① 機長からの「全員着席して待機せよ」というアナウンスが入り、パーサー機長と連絡を取って今後の指示を仰ぐ、というパターン
② 「ピピピピピピ・・・・・」という脱出アラームに続いて機長から「脱出せよ」のアナウンスが入って、(乗客の)脱出を開始する、というパターン
③ 機長からのアナウンスはなくとも、乗務員自身が脱出が必要だと判断した場合は、担当の非常用ドアを開け、(乗客の)脱出を開始する、というパターン
があります。
 
白い煙は、急ブレーキによって焦げたタイヤからのもの。
「ピー・・・ピー・・・ピー・・・ピー・・・」というアラーム音は、脱出アラームではなく、白い煙に反応した煙感知器のアラーム。
これらは離陸中止時によく起こる現象。
よって、脱出の必要はなし。 着席のまま、落ち着いて、機長からのアナウンスを待つ。
 
・・・というのが私の判断でしたので、着席したまま機長のアナウンスを待っていると、反対側のドア担当の乗務員役の同僚が突然立ち上がり、
「緊急事態発生! シートベルトを外して、脱出して下さい!」
と(もちろん日本語ではなく英語で)叫び、ドアを開けて乗客を脱出させ始めたのでちょっとビックリ。
 
どうして?!
煙を見て火災だと思ったのか?
煙感知器のアラームを脱出アラームと間違えたのか??
機長からのアナウンスはまだない・・・
どうする?!
 
他の乗務員役の二人を見ると、やはり困惑していました 考え中
 
間もなくして、脱出アラームと共に、機長から「脱出せよ」とのアナウンスが。
私と他の二人も、乗客の脱出を開始。 乗客役の同僚達が全員、脱出用スライドを滑り降りたのを確認して、乗務員役の私達も機外へ。

訓練が終了すると、その緊急事態について、そして乗務員の対応について、皆で話し合います。
トレーナーから全員へ
「自分は脱出の必要はないと思っているのに、同僚の一人が緊急脱出を始めてしまったら、とうすべきか?」
という質問が。
 
答えは・・・
「誰かが緊急脱出を始めたら、全員それに倣って脱出を開始する。 
One for all, and all for one = 一人は皆の為に、皆は一人の為に」 ( ← 『三銃士』の名文句)
それがチームワークであり、また、そうでないと乗客が混乱してしまうから。
・・・確かに!
 
そして、コックピットあるいはパーサー以外の乗務員が脱出を開始した場合に忘れてはならないのは、パーサーが直ちに脱出アラームのスイッチを入れること。
そうすることにより、客室で緊急脱出が開始されたことがコックピットに知らされ、コックピットは直ちにエンジンを切ることになっているのだそうです。
エンジンを切ることがどうして必要なのか・・・エンジンが切られる前に脱出すると、たちまちエンジンに吸い込まれてしまうからデス・・・( ̄□ ̄;)!!
エンジンが切られたことを確認(=脱出アラームを確認)してからお客様を脱出させるようにしないと・・・φ( . . )メモメモ
 
勉強になりました♪
訓練内容は(乗務員役をする人によっても)毎回異なるので、学ぶことも毎回異なります。 
これは重要ひらめき と思うことを学んだ時は、フライト前のブリーフィング時に同僚達と情報交換します。 
私はこれからしばらく、このお話"One for all, and all for one"をしようと思っています ウインク

秋休み

 
オランダの学校には、10月に秋休みがあります。
夏休みや他の長期休暇同様、混雑防止の為、オランダを北部・中部・南部に分けて、パラパラにお休みが始まります。
 
今年のユトレヒト州(オランダ中部)の秋休みは、10月20日(土)から28日(日)。
丁度フライト・リーブ(=フライトの後のお休み)と重なったので、子供達と一緒に一時帰国しました。
 
例年では、学校にお願いして前日から休ませていただいて金曜日の便を利用するのですが、
今年は、ミハーリの中学校が9月に始まったばかりだったことと、金曜日に大阪から到着予定だった友人に是非ともユトレヒトをご案内して差し上げたかったので、土曜日の便にトライ
(→社員割引チケットですので、予約はできず、空席がなければ乗れないので"トライ")。
 
空席状況を確認した時点で既にかなり混んでいたので、今回はKLだけではなくJLも利用できるチケットを(ちょっと割高なのですが)購入。
・・・しておいて本当によかった。
・・・KLは満席で乗れなかったのです・・・(>_<。。。

それから、子供達と空港で待つこと約5時間。  
久し振りにJLで日本へ。 
(基本的に、風は西→東へ流れているので、日本行きでは追い風が多いのですが)珍しく向かい風で成田へは1時間程遅れて到着。

この日は、12月に控えた2台ピアノのコンサートのパートナーと、夕方5時から代々木で合わせ練習をすることになっていました。
KLだと朝、成田に着くので、仮眠を取った後に出掛けようと思っていたのですが、)京成成田空港駅で時計を見ると、間もなく午後4時・・・実家に寄っていたらとても間に合わないので、両親に頼んで、青砥駅で子供達を引き渡し、私は練習へ直行。
練習の帰り、マリア用にバイオリンをレンタルし、実家に到着したころにはヘロヘロになっていました。 
翌日からは、連日(昼&夜)2つづつのアポイントをこなし、親しい友人達と美味しいものを沢山いただきました。
中でも夢のように美味しかったのは、帰国の翌日に子供達とランチにいただいた
蟹漁師の家カニ味噌トマトスパゲッティ
あのコクのあるカニ味噌トマトソースの味は忘れられません・・・!
これに、カニ肉入りお味噌汁と、サラダと、デザートが付いて1000円・・・のところ、その日は月曜日で900円!
カメラが壊れていて写真を撮れなかったのが残念・・・
(ランチの後、秋葉原で新しいカメラを買いました写真
 
久し振りにサンリオ・ピューロランドへも行きました。 最寄り駅前が開発されていてビックリ!
駅前の開発と言えば、JR有楽町駅前にもビックリ! 行ったのが夜だったので余計に(交通会館の文字を確認するまで)自分がどこにいるのかわからず焦りました(^-^;
 
最終日の27日(土)は、両親が、10月生まれの妹と9月生まれの私の合同誕生日パーティー誕生日を開いてくれました。
弟妹とも会えてとても嬉しかったです♡

そして、28日、日曜日。 朝、両親との別れを惜しみながら成田空港へ。

帰りの便はそれ程混んでいないと聞いていたので、KLだけのチケット(←幾分安い)を購入してあったのですが・・・
(ケチらずに)JLも使えるチケットにしておけばよかった・・・(T_T)
AFのストライキのせいで、満席となり乗れず・・・( ̄_ ̄|||)

空港のスタッフが申し訳無さそうに
「やっぱり今日は無理そうです。ごめんなさい。」
と伝えに来ると
「やった~!!」
と子供達(笑)

一日滞在が延びて、実家の両親も喜んでいました(笑)
美味しいもの食べて、カラオケにも行って、皆で楽しみました♪

が、内心ちょっと心配事が・・・マリアは、29日(月)も臨時休校でしたが、ミハーリは(少なくとも)一日学校を休むことになってしまったし、万が一明日も乗れなかったら・・・私は31日(水)にフライト・セイフティーの試験&11月1日(木)からはフライトが・・・(汗)

そして翌日。

日曜日に既に
「明日(29日)もAFがストライキで2便キャンセルになっているので、難しいかもしれません。」
と空港のスタッフに言われていたので、
「もしかしたら今日も乗れないかもしれないな・・・」
と覚悟しながら成田空港へ。
青砥駅まで送ってくれた両親も
「また戻って来てね~(笑)」
と言ってくれていたのですが、最後の3席をいただき(=予想通りAFから流れてきたお客様も大勢いらして満席)、無事オランダに戻ってきました。

乗れるか乗れないかのストレスからか、機内で体中に蕁麻疹が出て(いつも抗ヒスタミン剤を持ち歩いているのですが、丁度前日に飲みきってしまって)大変でしたxxx

 
今思えば、この蕁麻疹が前兆だったのかもしれません。
オランダに戻った翌日の火曜日から首が痛くなり、水曜日のフライト・セイフティーの試験(→お陰様で100点満点ウインク)、木曜日からのドバイへの乗務も普通にこなしましたが、
乗務から戻った日の夜、体中の関節が痛くなってしまい、寝返りさえもうてない状態に・・・手足の指も腫れ上がり、体中に謎の赤い湿疹(←痒みはなし)が・・・
 
2日間かけて、ユトレヒトの大学病院で検査を受け、現在、検査結果を待っています。
鎮痛剤が効いて、関節の痛みは大分軽くなりましたが、薬の副作用か、ドロのように眠く、後頭部がボーッとして耳がよく聞こえません。
12月8日には墨田トリフォニーホールでの2台ピアノのコンサートがあるので、なんとかそれまでに良くなってくれるといいのですが・・・
 
今、指が思うように動かないので、ドバイへのフライト日記はもうしばらくお待ち下さいね・・・(^^ゞ