(フライト日記をなかなか更新できなくてゴメンナサイ!)
(↑ これは先月ブレーメンで撮った写真)
ジェラルド・G・ジャンポルスキー博士(Gerald G. Jampolsky)をご存知ですか?
沢山の著書があり
多くの名言を残されています。
http://earth-words.org/archives/16723
http://www.meigennavi.net/kw/g/gerald-g-jampolsky.htm
ジャンポルスキー博士の言葉から…
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ゆるすことは、幸せになるための処方箋
ゆるさないことは、苦しむための処方箋
苦しみの原因が何であれ
苦しみにはすべて「ゆるさない」という種が
宿っていないだろうか?
復讐の念を燃やしつづけ
愛や共感を出し惜しみすれば
健康を害し、
免疫が低下することはまちがいない
当然だと思われるような怒りでも
こだわりつづけていれば
神の安らぎを味わえなくなる
ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を見逃すことではない
ゆるしとは
怖れに満ちた過去に
こだわり続けるのをやめること
ゆるしとは
古傷を引っかいて
血を流し続けるのをやめること
ゆるしとは
過去の影に惑わされることなく
今この瞬間に
百パーセント生き、百パーセント愛すること
ゆるしとは
怒りからの開放であり
攻撃的な思いにさよならすること
ゆるしとは
誰に対しても愛を拒まないこと
ゆるしとは
許さないという思いから生じた、
心の空洞を癒すこと
ゆるしとは
過去に何をした人でも
すべての人の中に神の光を見ること
ゆるしとは
相手のためだけでなく
自分自身のためであり
自分が犯した間違いのためであり
くすぶりつづけている罪悪感と
自分を恥じる気持ちのためである
もっとも深い意味でのゆるしとは
愛に満ちた神から自らを
切り離してしまった自分を、ゆるすこと
ゆるしとは
神をゆるすことであり
神は自分を見捨てたという
おそらくは間違っている考えを、ゆるすこと
いまこの瞬間にゆるすということは
もう先延ばしせずに、ただゆるすこと
ゆるしは心の扉を開け
感情をスピリットと一体にし
すべての人を神と一体にする
ゆるすのに
早すぎることはない、遅すぎることもない
ゆるすにはどれだけの時間が必要だろうか?
それはあなたの価値観しだい
絶対に無理だと信じるなら、
絶対に起こらない
半年かかると信じるなら、半年かかる
一秒ですむと信じるなら、一秒ですむ
私は心から信じている
一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になるということを
ジェラルド・G・ジャンポルスキー
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わたしはクリスチャン(カトリック)ですが
世界の
どの宗教もスピリチュアルな考え方も
”神様”の名称が異なるだけで
人々が
”心穏やかにより良く生きる為”
にあるのだと感じているので
他の宗教を否定したり
皆がキリスト教を信じるべきだと思ったりしません。
でも、わたしが
”愛”と”ゆるし”と”感謝”
を学ぶことができたのは
キリスト教との出逢い
聖書との出逢い
がきっかけなので
とても感謝しています(*⌒―⌒*)
「全ては愛、愛が全て」
「愛は感謝とゆるし」
いつからか(恐らく小学校にあがる前には既に?)わたしは
腹を立てなくなっていました。
友人達に
どうやったら腹を立てずにいられるのか
よく聞かれ、
「”腹を立てるには、喜ぶ以上にエネルギーを必要とする(←ただし、喜びのエネルギーが”ポジティブなエネルギー”であるのに対して、怒りのエネルギーは”ネガティヴなエネルギー”ですが)…わたしはエネルギー不足なのでしょう、嫌だな…と感じることがあっても、怒りに達する前に、身体の横からプシューッと空氣が抜けるみたいになって、腹を立てるに至らないのです」
と答えていましたが、
ジャンポルスキー博士の言葉を読んで
もっと簡単なことだったと氣付きました。
「ゆるすから腹が立たない」
わたしは
どんな相手でも
その相手のことはゆるしていました。
その相手に
されたことや言われたこと
が嫌だったら
それはきちんと伝えますが、
(嫌だと伝えるのは腹を立ててなくてもできることです)
「罪を憎んで人を憎まず」
その相手のことはゆるす…だから
腹が立たないのです。
本当はゆるしたくないのに
無理をしているわけではありません。
ほぼ即時に
ごく自然に
ゆるしてしまっている
…というより
ゆるすもなにも
ゆるさない/ゆるせない
という状態になっていることがない感じ?
わたしが怒らないことを知っている人達にそれを逆手に取られて悪用されることも時々ありますが(そういう時は、それは酷い…と残念に思いますが、腹を立てることはありません)
一番勘違いされやすいのは
「ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を見逃すことではない」
という部分ではないかしら…?
そこに氣が付いて
「一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になる」
…わたしもそう信じています.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))