手術

夫が目のレーザー手術(近視が治るという手術)を受けました。 
オランダではここ数年、この手術を受ける人が増えています。 (4000ユーロくらいかかるらしいので、もっと安くできるトルコや南アフリカへわざわざ行く人も多いとか・・・)
夫が手術を受けたのは、自宅から歩いて3分程のところにある、夫の親友で眼科医のエリックの、その友人ヨルンのプライベート・クリニック。
夫の付き添いで一緒に行ったのですが、待合室で待っていたら、助手が「ご覧になりますか?」と聞いてきました。
「ご覧になるって・・・手術を見学できるのですか??」
ちょっと怖かったですが、折角だったので見学しました。 
手術室の隣に用意された、壁に薄型TVが取り付けられた小部屋に案内され(TV画面には夫の片目のアップが画面いっぱいに映し出されていました)、しばらく待っていると、さっきの助手が来て、手術(といっても片目5分ずつくらいで終わってしまったのですが)の間ずーっと、何が行われているのか事細かに説明してくれました。 
まず、眼球に麻酔をし(眼球に注射するのかと思ってゾ~っとしたのですが、液体麻酔をたらすだけだそうです)、
(サランラップのような)手術用プラスチックでカバーされた上下両まぶたを金具で大きく開き、
瞳の部分にだけ金属の輪の形をした(まん丸の目玉焼きを作る為に使う型を小さ~くした感じの)型を押し当てて、
その中に膜(全部で5層あって、そのうちの上部2層を取り除くのだそうです)をふやかせる特別な液をたらし、
数秒待ちます。
大きな綿棒の様なもので液体を吸い取り、輪型を外し、シャーっと消毒液をかけ、
ふやけた膜を瞳の上の部分だけ2層分、スプーンのようなもので丁寧に取り除いていきます。
一見、ゼリーを食べ終わった後に器にうっすら残ったゼリーを丁寧にスプーンで剥がしている
・・・そんな感じでした。
再び巨大綿棒で眼球の水分をよ~くふき取り(乾いていれば乾いている程良いらしい)、
レーザーの標的(?)を瞳の中心に合わせます。
10秒くらい照射した後、再び消毒液が吹きかけられ、ソフト・コンタクト・レンズのようなもの(=目のバンソウコウ?)がのせられて
手術終了。
5分後に季節外れのサングラス(しばらくは光に敏感になるそう)をかけて夫が登場。
少しぼやけているけれど、視力は既にすっかり回復している、とのこと。 
 
私は目が悪くなったことがない(子供の頃は両目とも1.5、昨年検査した時は両目とも1.2)ので、
この手術の”ありがたみ“が今一つピンときていなかったのですが、
夫が手術室へ入って間もなく、助手が
「もう、これは必要なくなるから」
と言って彼の愛用のメガネを持ってきた時、なぜか胸がぐっと熱くなり、
「あぁこれか・・・これが夫が感じている幸福感か・・・」
と思ったのでした(*⌒―⌒*)

ガイア・ハート・プロジェクト

昨日、子供達が通うアムステルダム日本語補習授業校の「学習発表会」というのがありました。
(いわゆる「学芸会」です・・・私が小学生の頃はそう呼ばれていましたが、今はどうなのでしょう・・・?)
マリアはまだプリクラスなので参加していませんでしたが、
ミハーリのクラス(小学5年生)は
「ガイア・ハート・プロジェクト ~地球の声を聴きながら~」
というタイトルで、
子供達がそれぞれ自分で選んだ環境問題に関する論文を発表しました。 
ミハーリが選んだテーマは酸性雨です。
「皆さん、酸性雨という雨を知っていますか?
酸性雨というのは、
車の排気ガスや
工場の煙に入っている
有毒なガスが混じってしまった雨のことです。
酸性雨が降ると、その強い酸性の毒で、
木が枯れてしまったり、
コンクリートや銅像が溶けてしまったりします。 
また、この写真のように、
毒によって緑の葉っぱが
病気になって白くなってしまったり、
湖や沼にも酸性の毒が増えて
魚が住めなくなってしまったりします。
今、酸性雨の被害が増えています。 
車や工場が増えているからです。
酸性雨が降り続けると、森がなくなって、
ぼく達の地球が砂漠になってしまいます。
ぼくは将来、地球を守るグループを作りたいです。 
そして、お金を集めて、
空気をきれいにする機械を作って、
車や工場に取り付けます。 
そうすれば、酸性雨がなくなって、
地球を救うことができると思います。
皆さんも、大きくなったら、
地球を守るグループに入りませんか?」
これが原稿です。 何度も何度も練習して、暗記し、昨日はつっかかることもなく、大きな声でゆっくりと気持ちを込めて、本当に上手に発表できました。 (よかったネ、ミハーリ!)
今回私も子供達の発表のお手伝いをさせていただきました。
子供達が歌った「いのちの森」(石田桃子作詞・作曲)という曲のピアノの伴奏を担当したのです。
ピアノの伴奏譜がなかったので、先生からCDをお借りしてオーケストラ伴奏からピアノ譜を起し、練習を重ねました。
ただでさえ、人前で弾くのは久し振りでドキドキしていたのに、ミハーリの同級生のお母様にプロのピアニストの方がいらしたり、補習校の先生方には本職が音楽関係の方が多いので、余計に緊張しましたが、何とかとちることなく弾くことができました・・・よかった・・・(ミハーリが上手にできたのに、ママがとちっては、やっぱり格好が悪いですからねぇ)
他の子供達の発表も素晴らしかったですよ。
「失われていくアマゾンのジャングルの話」「WNFの話」「地震の話」「死にゆく珊瑚礁の話」「人間が捨てたプラスティックを餌のクラゲと間違えて飲み込んで死んでしまうウミガメの話」「海の汚染・水道水の汚染の話」「地球温暖化の話(・・・人間に例えて、地球が熱を出して死にそうになっている、と上手に説明していました!)」
特に面白いなぁと思ったのが、「水道水を凍らせてもきれいな氷の結晶ができない」というお話。
なんでも、「湧き水など、きれいな水を凍らせるときれいな六角形の氷の結晶ができるのに、水道水や汚染された水を凍らせてもぐちゃぐちゃな形の結晶にしかならない」というのです。 
これに関しては、授業中に見たという実験ビデオと資料(「水からの伝言」を私も見せていただいたのですが、湧き水に「ありがとう」という言葉を何度も聞かせたり美しい音楽を聞かせると、これまた美しい形の結晶ができるのに対して、同じ湧き水に「ばかやろう」などネガティブな言葉を聞かせると、驚いたことに醜い形の結晶になってしまう上、腐る速度が速まる(!)のです。 
人間の体の約70%は水分
・・・ということは、私達の体内の水も、
優しい言葉美しい音楽を聞くと浄化され、
ネガティブな言葉を聞くと腐る
・・・他の人に対して
醜い言葉ばかり発している人の
体内の水を凍らせたら、
醜い結晶ができる?
・・・ということ?!
 
考えさせられます・・・

オランダの台風??・・・つづき

午後3時に子供達を学校に迎え
(以前にも書きましたが、オランダでは
大抵、小学校卒業まで親が
学校の送り迎えをすることになっています)
に行ったのですが、
路上に
大量の落ち葉
の実が付いたまま)へし折られた
の木の枝
などが散乱し、
暴風雨の強烈さを物語っていました。
は大分収まりましたが、
学校の帰り道では
が降ってきました・・・
(横殴りのぼたん雪です)
子供達は大喜びでしたが・・・
 はもちろんのこと
(オランダ各地で80kmを超える大渋滞)
電車もかなりの遅れが出て、
(アムステルダム・ユトレヒト間では落雷
あったらしい)
飛行機も遅延・欠航が相次ぎ
相当な打撃を受けている様子・・・
Hoek Van Hollandでは今日
最大風速144km/時間(=40m/秒)
(台風15号を超えた!!)
を記録したそうです。
こんな台風並みの大嵐なのに
日本の「台風」やアメリカの「ハリケーン」
のような特別な名称はついておらず、
オランダ人は単に
「Storm ストルム=嵐」
と呼んでいます。

オランダの台風???

真夜中にも度々
ものすごい音で目を覚ましたのですが、
今日のオランダは
台風並みのが吹き荒れています。
朝8時、まだ薄暗い中
子供達を学校へ送るのに外を見ると、
相変わらず暴風が轟音を立て、
庭の大木が前後左右に大きく揺れています。 
つぶは幸い小さいですが
横殴りで降り付けてきています。 
など全然役に立ちません。
フード付きの厚手のコートにくるまって
に吹き飛ばされそうになりながら歩いていると、
時々正面からが吹き付けてきて
(マジで)息ができなくなります。 
こんな暴風雨の中でも、
オランダ人のお母さん達は
カッパを着て、
子供と自転車で学校へやってきます。 
「気合入ってるなぁ・・・
と感心してしまいます。
外ではまだ
ゴォーゴォーと唸っています。
日本でこんな暴風が吹くのは
台風の時くらいじゃないかしら・・・
気になって風速を調べてみました。
11月25日午前8時の
最大風速
(オランダでは時速で表示されます)
ユトレヒトで風速76km/h(秒速に直すと21m)
・・・やっぱり台風並みダ・・・
ちなみに同じ時間、
アムステルダム・スキポール空港では
風速97km/h(秒速約27m)・・・
空のダイヤも乱れていることでしょう・・・
午前8時に
オランダで最大風速を観測したのは、
大西洋沿いの街Hoek Van Hollandで、
最大風速112km/h(=最大瞬間風速31m)
でした。 
最大瞬間風速が32.9m(石垣島)だった
9月の台風15号と変わりないのです。
でも、オランダの人々は
「すごいねぇ」と文句を言いながらも
いつもどおりに過ごしています。 
さすが“風車の国”オランダ。 
には慣れてる?! 
(オランダ人は、台風の時に日本に来ても
へいっちゃらで観光し続けちゃうんだろうなぁ・・・)
今日の午前8時のヨーロッパの気圧配置図

小さい頃の夢

今日はちょっと【子供の頃の夢】の話を・・・
私が初めて将来の夢について考えたのは、幼稚園の時です。
(恐らく先生に「みんなは大きくなったら何になりたいのかな~?」と聞かれて考えたんだと思う・・・)

私がその時「なりたい」と思っていたのは画家です。
幼稚園から帰って両親に報告すると、
「そんな経済的に不安定な仕事はやめなさい」
と反対されました。 
(もっと大きかったら「え~、どうして~?」と反抗したのでしょうが)幼稚園児でしたのですんなり納得し、
「だったら、一体どんな仕事を選べば両親は賛成してくれるのだろう・・・」
と密かに思索にふけっていました。
小学校に上がって図書室で本を借りられるようになって間もない頃、
『おねえさんはスチュワーデス』という本(だったと思う・・・)を読みました。 
「これだ!」と思いました。
(母が北海道出身だったもので夏休みなどに)飛行機にはよく乗っていましたので、
「スチュワーデス」(日本ではアメリカ同様フライト・アテンダントと呼ぶようになったそうですが、オランダでは今でもスチュワーデスです)は案外身近な職業だったのです。
「大きくなったらスチュワーデスになる!」 
(両親の反対もなし(^_−)−☆)
(今のマリアと同じ)6歳の時でした。 
それから21歳で夢を叶えるまで15年間、スチュワーデスになることだけを考え・・・
というのは嘘で、途中、
やっぱり美大へ進んでイラストレーターになろうか、とか、
ピアノの先生が折角勧めて下さっているのだから音大に進んでピアニストを目指そうか、とか、
度々怯みそうになりながら(実は、英語が本当に本当に本当に苦手だったのです・・・)
でも諦めずにしつこくを追い続けた訳です。
が叶った時しみじみ思ったのは、
諦めさえしなければ、夢は必ず叶う!
ということ。

これは本当です。
が叶わないのは、途中で諦めてしまうから。
でも、何か諦めたことがあったとしても、心配は要りません。 
本当のというのは、諦めようと思っても諦められないもの諦められたのなら、それは「本当のではなかった」
ということなんじゃないかしら・・・ 
 

しし座流星群

11月19日といえば・・・
しし座流星群
・・・毎年11月19日未明に、
東の空に昇ったばかりのししの頭の部分
を中心にして
沢山の流星が見られます。 

時間が時間ですので、
実際にしし座流星群を見たのは
過去1回(過去最大規模と期待された2001年)
だけですが
(実家近くの公園で、義理の弟ふっきーと
凍えながら見ました。
ふっきー、寒いのに付き合ってくれて
ありがとう!)
きれいでしたヨ~! 
今年は、16日が満月だったので明かり
(ふたご座の辺り)があったと思いますが、
しし座の隣のかに座には土星
しし座に続いて昇ってくるおとめ座木星
があり、
さぞかし美しい星空だったことでしょう・・・
見たかったなぁ~ 
プラネタリウムの操作がしたくて
中学時代に天文部に所属
(プラネタリウム天文台もある学校だったのです
して以来、星空に魅せられています。
乗務の時も、夜の便の時は、
休憩中にコックピットに星を見に行きます。 
雲の上から眺める星空も格別です! 
 
今月は、夕方には西の空低く”宵の明星金星
が見え、
また、10月30日に地球最接近となった火星
-2.3等の明るさで
ぺガスス座(ペガスス座は”ぺガススの大四辺形“と
呼ばれるように
ほぼ正方形をしているので見つけ易いです。 
20時頃に天頂辺りに見えるはずです。)
おうし座の間くらいに赤く輝いています。
しし座流星群
(出現が極大になるのは19日ですが)
もうしばらくは見ることができると思うので、
眠れぬ夜には是非
星空を見上げてみてください。

感謝感激

マックス(夫)がソファで居眠りしている間に(夫は私がコンピューターの前に座っているのを嫌がるものですから・・・)、
HTMLでの画像の挿入Windows Media Playerへの曲のアップロード(・・・というのでしょうか?)を試み、ついに成功しました
(注:ブログのスポンサー?がMSNからWordPressに変わる際、Windows Media Playerは削除されてしまいました・・・)
コンピューター音痴の私にもできた!と思うと、も~(ブログで自慢したくなるほど)感激です
画像の挿入はキムラさん、Windows Media Playerに関してはがんぶぅさんのお陰・・・
いろいろ詳しく教えて下さって本当にありがとうございました。
感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、・・・(あと100回つづく)!!です。
 
とっても勉強になり、老化の進む私の脳にも非常に良い刺激になりました。
ありがとうございました!
今夜はよく眠れそうです・・・
 
追伸 (さんざん悩んだすえ)Windows Media Player
    に入れた曲は、
エルガーElgar 作曲 
「愛の挨拶 Salut D’amour」  
    という曲です。
    エルガーが婚約の記念に婚約者の為に作曲した曲で、チェロとピアノ用、オーケストラ用の
    アレンジをよく耳にしますが、原曲はピアノ(ソロ)曲だそうです♪

すごい天気

ここ2~3日、オランダではすごい天気が続いています。
滝の様な雨が降ったと思ったら晴れ・・・しばらくするとまた雲行きが怪しくなって今度は・・・止んだと思ったらまたどしゃぶりの雨・・・気が付くとパーッと晴れ上がり、間もなく小雨が・・・という具合に、(夫曰く)ほぼ5分間隔で天気が変わります。
「ひどい天気だねぇ」と言うと、人々は口をそろえて「だからねぇ」と言います。
典型的なオランダの秋のお天気だそうです。
(こんなに寒いけど、まだだったのね・・・10月末にサマータイムが終わり=時間になり、日がどんどん短くなって、てっきりもうになったのだとばかり思ってました・・・)
今日はマリアのバレエ教室があり、ミハーリと二人で送りに行きました。
お天気雨の降る中、ふと空を見上げると、きれいなが・・・!
(こんなすごい天気にも良いところはある?!)

シント・ニコラース(Sint Nicolaas)

シント・マールテンに続いてやってくるのが・・・

シント・ニコラース
(子供達の素行が書かれている・・・
と言われている本
を見ながら
子供達へのプレゼントを考える・・・
と言われているシント・ニコラース

シント・ニコラース
Sint Nicolaasは11月11日(シント・マーテンの祭日)の後の最初の土曜日に、
スペインから黒人ピートZwarte Piet)を大勢連れて汽船で到着します。
(Zwarte Pietは全員同じ名前Pietで、担当職によって「音楽ピート」とか「道案内ピート」などがいます)
今年は11月11日が金曜日だったので、シント・マーテン祭の翌日の到着となりました。
毎年、オランダの主要都市の港(海であったり運河であったり)に到着後、街をパレードします。
皆様がご想像していらっしゃるとおり、シント・ニコラース=サンタ・クロースです。
どちらも起源は同じ聖人・・・AD270年頃、小アジア=現在のトルコに生まれ、スペインに渡って、
スペインで奴隷として働かされていたアフリカの子ども達を解放し(←黒人ピートの由来)
AD340年12月6日に亡くなった聖ニコラスです。
(最近では、オランダでもクリスマスにサンタ・クロースが登場するようになり、紛らわしいのでケルスト・マンKerstman=クリスマス・マンと呼ばれています)


(左がシント・ニコラース
右がお馴染みのサンタ・クロース)

見た目もサンタ・クロースとほぼ同じで白いひげに赤い服です。
が、その赤い服が
司祭服(帽子も十字架入りの司祭の帽子)
、杖を持ち、
ソリではなく
白い馬に乗って、黒人ピートを引き連れてやって来るのがシント・ニコラース

(馬上のシンタ・ニコラース
 シント・ニコラースの祭日は12月6日で、この日に再び汽船に乗ってスペインに帰るのですが、その前日の12月5日の夜、オランダの子供達はシント・ニコラスからプレゼントをもらいます。
サンタ・クロースのように「子供達が眠っている間に置いていく」というパターンよりも、「家族・親戚揃っての夕食後、誰かがコッソリ外に出てドアベルを鳴らし、(黒人ピートが持ち歩いているのと同じ)プレゼント入りの大きな袋をドアの前に置いておいて、それを子供達が取りに行ってみんなでプレゼントをわける(ちゃんと大人の分もあって、包装紙に名前が貼ってあったりする)」というパターンの方が一般的のようです。
正式にはプレゼントと一緒に(語尾が同じ音になるようにする等のきまりがあって結構むずかしい)を添えることになっています。 

シント・ニコラースと並んで歩く
黒人ピート

当日、子供達は
良い子ならプレゼントがもらえるが、悪い子は黒人ピートに鞭でおしおきれ、それでもきかない悪い子は(プレゼントが入っていた)黒人ピートの大きな袋に入れられてスペインに連れて行かれてしまう(・・・これは子供には怖いかも・・・)」
と聞かされ、プレゼントにわくわくしながらもちょっぴり緊張しています。
      
イベントがこの一日だけなら(クリスマスと一緒で)なのですが、
子供のいる家庭では、シント・ニコラースが到着した日から12月6日まで(約3週間)毎晩

子供達が寝る前に、子供達と一緒に「
シント・ニコラスの歌
を歌い、
子供達に(靴下ならぬ)
(我が家では室内履き)を暖炉のそばに置かせ、
(シント・ニコラースとピートのや、シント・ニコラースの馬の為ににんじんを一緒に置く優しい子供もいます)

そして
子供達が眠っている間に気付かれないように靴の中に
お菓子(シント・ニコラースやピートをかたどったチョコレートなど)を入れておかねばならない
(「夜中に
Zwarte Pietが来て、歌のお礼にお菓子を入れていった」ということになっている)のです。 

(いたずら者のピート達)
毎晩ですヨ~(((꒪▿꒪;))) 
毎年、何日か入れ忘れてしまうことがあって、ごまかす(お菓子を別の場所に急いで置いて「ピートが間違ってこんな所にお菓子を置いていったよ~」と言ってみたり、子供達が学校へ行っている間にお菓子を入れておいて「さっきピートが来て、昨日は屋根で居眠りしてたって言ってたヨ」と言ってみたり・・・)のに一苦労しますxxx
・・・でも、寒くて日も短く、気分まで暗~くなりがちな冬のオランダには不可欠なお祭りです(*⌒―⌒*)

 
(シント・ニコラースとピート達)

シント・マールテンの物語

昨日、シント・マールテンのお祭りのお話をしましたが、
今日は、ユトレヒトの守護聖人でもあるこのSint Maartenがどんな人なのか、ご紹介しますネ。
 

物乞いに自分のマントの半分を
切り与える聖マルティヌス
 
Sanctus Martinus Turonensis (AD316~398年)
 
ある寒い冬の日、ローマ軍司令官だったMartinusは、裸の物乞いに出会います。
人々が無視して通り過ぎる中、
Martinusはこの哀れな物乞いを助けようと、
自分の赤いマントを剣で半分に切り、それを物乞いに与えます。 
その夜、夢の中にキリストが現れ、こう言われました。
「貧しい者を助けたのは、キリストを助けたのと同様である。」
これをきっかけにMartinusは洗礼を受け、その数年後に修道士になります。 
398年11月11日に亡くなった後、5世紀に聖人として認められました。
その後、ユトレヒト州で、
聖マールテンを祭ってドム教会Domkerk(ユトレヒトの観光名所)が建てられ、
Sint Maarten はユトレヒトの守護聖人となったのだそうです。 
(ドム教会の正式名称はシント・マールテン教会といいます)
 

 旧運河から見たドム塔


 ユトレヒトのシンボル・ドム塔

  
毎年11月11日には、
ドム教会の塔・ドム塔Domtoren(オランダで一番高い教会の塔)の上に
ユトレヒト市の市章が飾られます。
その市章は、半分に切られたシント・マールテンの赤いマントを表しているそうです。 
 

シント・マールテンの紋章
 
(ユトレヒト市の市章、そしてユトレヒト州の州章は
この紋章からデザインされています。)