荷作り帰国

 
昨日無事デリーへの乗務から戻りました。
今日の便で帰国する為、これからまたスキポール空港へ向かいます。
 
実家の引越し・・・ゴールデンウィーク中に終わらなかった荷作りの続きをします。
6月1日に集荷予定なので、3日間で荷作りを終えないと・・・終わるだろうか・・・(^^ゞ
 
処分しないといけないものも沢山出てくると思いますので、
6月2日にお時間のある方、よかったら見に来てみて下さい。
 
6月3日の便でオランダに戻ります。
デリー便のフライト日記は、オランダに戻ってからになると思います。
6月6日に補習校の運動会があり(=保護者会役員の仕事があり)、7日は日本語講師の仕事があるので、
もしかしたら、8日からのアクラへの乗務の前には書き終わらないかもしれません。
もうしばらくお待ち下さいネ。
 

大阪・京都・奈良・姫路・広島・長崎 (つづき)

 
広島到着後、駅から歩いて5分程の旅館へ。
久し振りの旅館・・・ホテルじゃなくて旅館です・・・畳にお布団。 お風呂、お手洗い、洗面所は共同。
修学旅行みたいでした。
マリアの夜中のトイレに毎回付き合うのがちょっと大変でしたがxxx
 
夕食はもちろん広島風お好み焼き♪
ワンフロアーに15件ものお好み焼き屋さんが連なる、『駅前ひろば』という所に行ってみました。
エレベーターを6階で降りると、もういい香りが・・・♡
子供達と3人でとりあえず2周ほど歩いてみました。
マリアが「ここがいい!」と決めたお店"HOPE"へ。
広島風お好み焼き、初めて食べましたが、美味しいですねぇ!!!
好き嫌いの多いマリアが「美味しい!」とたいらげた、数少ないメニューの一つとなりました。
 
翌日は早朝から宮島へ。
フェリーに乗って、子供達は大喜び (*^-^*)
きれいでした、厳島神社・・・これは世界に誇れますね・・・ぴかぴか(新しい)
子供達は、そんなことより、鹿(←宮島にも鹿が沢山!)とフグ(←厳島神社からふと海を見たら、フグだらけでした・・・ご存知でしたか???)に夢中でしたが(笑)
清盛神社発見♪ 折角なのでミハーリを入れて記念撮影。
お昼は名物あなごめしをいただきました♪
厳島神社参拝中、どんどん潮が引いていっていたので、あと数時間ねばったら、鳥居まで歩いていけたのかもしれませんが、時間切れxxx
 
宮島から、今度は世界遺産航路で平和公園へ。
マリアが見たがっていた原爆ドーム(←一時帰国中に見たドラマ『広島・昭和20年8月6日』の影響)・・・迫力ありました。
広島平和記念資料館見学後、路面電車で旅館へ一旦戻り、
宮島で買った紅葉饅頭(12種類!)を食べた後、
駅前の床屋さんでミハーリ散髪。
夕食はまた前日と同じお店で広島風お好み焼き・・・マリアが、店員さんから Hello Kitty グッズを沢山お土産にいただき、それはもう大喜びでした。
二晩連続で食べても、とっても美味しかったです、広島風お好み焼き♡
 
その翌朝、新幹線で博多へ。
ミハーリの補習校の担任の先生であるM先生と合流し、折角なので博多ラーメン(美味しかったデス!)を頂いてから、長崎へ。 
 
ホテルにチェックイン後、(数年前に日本に本帰国した)マリアの補習校のお友達Rinちゃんご一家と合流。 Rinちゃんのお父様が偶然にもM先生と同級生だったことが判明。
皆でまずは出島へ。
ユトレヒトのディック・ブルーナ・ハウス(=ミッフィー美術館)では英語とオランダ語に加えて日本の表示もあるのに、
出島の展示物の表示が、英語と日本語だけだったのが、なんだか非常に残念でした。
 
夕食にはM先生お勧めのお店、九州最古の喫茶店ツル茶んへ。
念願のトルコ・ライス+長崎名物のミルクセーキを頂きました♪
美味しかったデス 指でOK
 
ホテルに戻って、部屋でテレビを見、マリアを先に寝かせて、翌日のプランを練っていると、
23時45分頃だったでしょうか、
廊下で物音がして、部屋のドアの前に人影が・・・(←ドアの下に少し隙間があって廊下の光が漏れているので、ドアの前に人が立つと陰が映るのです)
隣りの部屋のミハーリ(←ミハーリはM先生と同室)が来たのかと思って
「ミハーリくん?」
と声をかけたのですが無反応。
もう一度、もう少し大きな声で
「ミハーリくん?」
と声をかけたけれど無反応。
代わりにマリアを起こしてしまい、
「どうしたの・・・?」
と聞くマリアに、事情を説明すると
「ママ、絶対ドア開けちゃ駄目だよ。」
と冷静なアドバイス。
ドアの前の人影は、時々左右に動きながらも、まだドア前にいる・・・
(ミハーリが、私達がもう寝てしまっているかと思って躊躇してるのかな・・・)
(必要な時は夜中でも何でもノックしていいと、ミハーリに伝えておけばよかった・・・)
などと思いながら、マリアに
「部屋の中で話してる声って、廊下に聞こえる?」
と聞くと、
「隣りの部屋からは聞こえないけど、廊下からは聞こえるよ」
・・・ということは、人影がミハーリなら、中から声が聞こえる=起きている=躊躇する必要なない
訳で・・・ということは、ミハーリじゃない・・・???
だれ~げっそり???
 
午前0時をまわる頃、人影はようやくどこかへ行ってしまったのですが、
一体誰だったのでしょう・・・
 
翌日、フロントで、同じ階に他に宿泊客がいるかどうか念の為聞いてみたら、
いる、とのこと。
でも、別の宿泊客だったにせよ、オバケだったにせよ、どっちにしても不気味デス・・・げっそり
 
長崎二日目のプランは、以下の通り:
 
大浦天主堂→石のお店(石ころ館 長崎)→ガラスの絵付け(グラスロード1571)→長崎ちゃんぽん(四海楼)→原爆資料館→平和記念公園→Rinちゃん一家と合流→夕食→夜景
 
 
大浦天主堂の近くに、(尊敬してやまない)コルベ神父様の記念館を発見! 
 
お昼は、ちゃんぽん発祥の店、四海楼へ。
『ちゃんぽん』『蓋付きちゃんぽん(=大正~昭和初期の出前用ちゃんぽん)』『皿うどん』『炒麺(=細麺の皿うどん)』の4つを注文。
『ちゃんぽん』は流石100年を越える伝統の味!・・・大変美味しかったデス ぴかぴか(新しい)
 
メニューの説明を読んでいて「へぇ~!電球」と思ったのは、
 
「皿うどん」は、
四海楼初代、陳平順が
ちゃんぽんのバリエーションとして創ったもので、
ちゃんぽん麺を強火で焼き、
少なめのスープを加え残らず麺にしみ込ませた料理です。 
うどん状のものを皿にのせて出したことから
皿うどんと名付けられました。
一方「炒麺」は、
極細の油揚げ麺に五目あんかけをかけた、
カタ焼きそばのことです。
いつの間にか
この炒麺も皿うどんと呼ばれるようになり、
今日に至っています。
 
私も『皿うどん』=『カタ焼きそば』だと勘違いしていましたが、本場長崎出身のM先生もそう思っていらしたのは意外でした (O.O;)
 
昼食後、同じ建物内のちゃんぽん博物館見学後、原爆資料館へ。
その後、閉館時間ぎりぎりで浦上天主堂も見学。
 
長崎の夜景もとても素晴らしかったです。
Rinちゃん一家のお陰で、子供達もとても楽しく過ごせたようです。
 
この日の夜は、ホテルの部屋のエントランスの電気を消し忘れ(=廊下の光が漏れず)、
前の晩の謎の人影の再訪問があったかどうか、わかりませんでした。
テレビで、
「カナダのブリティッシュ・コロンビア州から帰国した横浜の高校生が、新型インフルエンザ感染の疑い」
というニュースを見て
「ブリティッシュ・コロンビア州・・・
 って、フライト先だったバンクーバーがある州?!( ̄□ ̄;)!!」
前の晩とは別の理由で少々ビビリながら就寝。
 
5月1日、あっという間の3人旅を終え、博多&姫路経由で東京へ。
この日は8時間以上電車に乗っていました・・・新幹線
車窓から見えた富士山がとてもきれいで感動しましたぴかぴか(新しい)
 
またいつか、子供達と日本国内旅行をしたいです。
(頑張って貯金せねば!手(グー)) 
 

大阪・京都・奈良・姫路・広島・長崎

子供達と一緒に
西日本を旅してきました♪
日程は以下の通り:
4月24日 オランダ発
   25日 関空着 (大阪泊)
   26日 京都・奈良 (大阪泊)
   27日 姫路・広島 (広島泊)
   28日 広島 (広島泊)
   29日 博多・長崎 (長崎泊)
   30日 長崎 (長崎泊)
5月 1日 博多・東京
4月21日にバンクーバーへの乗務から戻り、22日は日本語レッスンのアルバイト、23日はユトレヒトでのツアーガイドのアルバイトをし、
少々風邪気味のまま日本へ・・・
関空は初めてだったマリア。 しきりに「きれい~ぴかぴか(新しい)」と感動。
JRパスをゲットし、大阪市内へ。
滞在予定のホテルが、『泉の広場』という所の近くだったのですが、近くのレストランを検索していたら、
『泉の広場の都市伝説』
というのが沢山出てきて・・・これがまた結構恐い(←しっかり全部読んでしまったあせあせ(飛び散る汗)
興味がおありの方はどうぞ・・・↓
>その時は友達と待ち合わせをしていた。
>友達より早く大阪梅田の『泉の広場』についたオレは、暇なので通り過ぎる人々を何気なく見ていた。
>すると20m程向こうから、うつむいた女性がオレの方に向い、ゆっくりとした足取りで向ってくる。
>オレはその女性を見ながら内心、
>『このまま、うつむいたまま歩くとオレに当るな!』
>心の中で少しほくそえみながら、そう思った。
>しかしその女は下を見たままこっちに向ってくる。
>一切、前を見ようともしない。それ所か、通行人がその女を避けるような形で上手く道が出来ていた。
>内心、「こりゃ、可愛い人なら声かけてナンパやな」と、冗談半分思いながらニヤニヤして、その女がオレに当るのを楽しみにしていた。
>どうせ気が付き、オレには当らないはずだとも思っていた。
>しかし女はゆっくりだが確実にこっちに向ってくる。やはり通行人はその女を避けるような形で道が開かれている。
>10m程近くに女が寄ってきた時、背中に何とも言えない寒気を感じた。
>かなりヤバイと言う感覚がとっさに感じた。
>オレは金縛りとまではいかないけど、その女が近づいてくるにつれ、いてもたってもいられない様な感覚に陥ってしまった。
>取り合えず、女と接触するのだけは避けたい。そう思いながら動かない体を必死に動かし、その場から離れた。
>離れると嘘のように体は動く、振り返りその女の方を見ると、立ち止まり女もこっちを見ていた。
>そしてその女の目を見てオレは凍りついた。
>その女の目には白目が全く無いのだ。
>真っ黒な目をしていた。
>まるで人間味を全く感じない、暗闇に引きずりこまれそうな真っ黒な目だった。
>オレはまっ昼間にも関わらず、友達と待ち合わせしている事さえどうでもよくなり、泉の広場から走って逃げた。
>人ゴミの中、通行人にぶち当たろうが全く関係ないくらい、全速力で走り続けた。

>数年前の出来事だ。

>全て本当の話だ。あまりこんな話をすると気持ち悪がられるし、人に言った所で信じて貰えないので今までは嫁さん以外には話をした事がなかった。
>そしてつい最近の事、Deep関西の取材のネタを拾う為に、よく『2ちゃんねる』を見る。『2ちゃんねる』は都市伝説や、様々なエピソードの宝庫でもある。
>ふいにこの真っ黒な目をした女の事を思い出し、早速、検索してみた。
>(2ちゃんねるからの抜粋)
>三年近く前、泉の広場のところで、ヘンな女がうろついていた。
>通勤の帰りによく見かけた。

>三十前後で、赤い色のデザイン古そなドレスっぽい服着てて、小柄で、
>顔色悪く目がうつろ。髪は背中近くまであって、伸ばしっぱなしに見えた。
>目立つ服の色となんか独特の雰囲気があって目がいってしまう。

>でも怖い(キ印っぽい)感じして、
>何気なく観察はしても目はあわせんようにしてた。
>女はいつも広場の中をうろうろしてた。

>ある日の仕事帰り、広場内の薬局の店頭で
>コスメの安売り見てた。私は買い物するの時間かけるほうで、
>そん時も多分一時間近く店にいたと思う。

>その夜も女は広場をうろついていて、
>いつものことなんで特に気にとめてなかった。

>でも、店から出た時、視線感じて顔上げると、
>広場の真ん中の噴水を隔てて、女がこっち見てた。

>なんかヘンな感じがした。私は目が悪くて、眼鏡かけてても
>少し離れた場所だと相手の顔とかよく見えないのに、
>女は妙にくっきり見えたんよ。3Dみたく。
>目があった途端、気持ち悪くなった。
>何か本能的に怖くて、びしぃ!とチキン肌立って。(うわ、ヤバい)(でも何が?)

>自分でも思考回路謎のまま、それでも反射的に
>店内に戻ろうとしたけど、金縛りかかったみたいに身体が動かん。
>助け求めようとして声すら出ないことに気付いた。

>いつもふらふら歩いてるはずの女が、すっと素早く近寄ってくる。
>明らかに普通じゃない様子で、髪振り乱してドレスの裾ゆらしてこっち来るのに、 誰も気付いてくれない。

>もの凄い顔で笑ってて、その表情の怖さにふーっと気が遠くなった。
>だって、目のあるとこ、全部黒目にかわってるんやで。

>怖い、もうあかんって思ったときに、
>いきなり誰かが後ろからぎゅっと腕を掴んできた。

>驚いて顔上げる(ここで身体の自由が戻った)と、男の人で、
>話しかけようとしたら「静かにして」って小声で注意された。

>呆然として顔見上げてると、男の人はますます手をぎゅーっと
>握ってきて、怖い顔で前を見てる。吊られて視線戻したら、
>女がすぐそばに立ってて、男の人を呪い殺しそうな目つきで睨んでた。

>すごい陰惨な顔してて、怖くて横で震えてたけど、
>女はもううちのことは眼中にない感じで、

>「…………殺す……」

>って、つぶやいて、男の人の横をぶつかるみたいに通りすぎて店内に入ってった。

>男の人はその後、私をぐいぐい引いて、駅構内までくると、
>やっと手を離してくれた。

>駅が賑やかで、さっきあったことが信じられんで呆然としてると、
>「大丈夫か?」って声かけてきたんで、頷いたけど、
>本当はかなりパニクってたと思う。相手の名前聞いたりとか、
>助けてもらった?のにお礼言うとか、まともにできなかった。

>男の人は改札まで見送ってくれた。
>別れ際に、「もうあそこ通ったらあかん」
>とか言われて、
>「でも仕事あるし」
>「命惜しかったらやめとけ」

>答えようがなくて黙ってると、
>「今日は運よかったんや。あんたの守護さんが俺を呼んで
>あんたを守ってくれたんやで。
>たまたまやねん。わかるか?
>あんたが助かったの、たまたま守護さんがわかるもんが、たまたまそばにおった、それだけやで。
>あいつにとり殺されたくなかったら、 もう通らんとき」
>(守護さんって何やのん。守護霊のことか?)

>霊なんて見たことなかったから、自分の体験したのが何なのか
>わからなかった。(正直、今もわからない)

>女はどう見ても生身の人間に見えた。
>それで返答に困ってると、その人は私に何度も一人で通るなよと繰り返して行ってしまった。
>                      
>少し長くなったけど、こんな書き込みを見つけた。
>これを見た時、背筋が凍りついたのは言うまでもない。
>オレが見たのは赤い服ではなかった。白っぽいブラウスにスカートだったと思う。
>共通点と言えば白目の無い真っ黒の目、瞳もなかったように思う。
>病気なのかこの世の物では無いのかは分からず終いだけど、同じような体験をした人がいたのには恐怖を感じまくっている。

>大阪梅田の繁華街、泉の広場、
>ここは何となく嫌な雰囲気を感じているのはオレだけではなかった事、すでに都市伝説と化していたエピソード、
>後の書き込みを見ると尾ひれが付いてたり、ガセだと言う書き込みが書かれているが、
>オレが体験した事は間違えようのない真実。

>今は凄く悩んでいる。
>泉の広場には近づかないようにしている。
・・・げっそり
そんな訳で、超ドキドキしながら『泉の広場』を通ってホテルに到着。
(黒目の女の人には出会いませんでした・・・ε-(^。^;)ホッ)
仮眠を取って、その日は懐かしい大阪支店の方々とお食事。
日本ベースで乗務していた頃に社員旅行で仲良くなった同世代の方々で、大阪便が2泊あった頃は大阪ステイ中に毎回のように会いに行っていた面々です。
大阪便のスケジュールが1泊になってもう大分経ちますので、もう10年くらいお会いしていなかったかもしれません。
再会、本当に嬉しかったです (*^-^*)
ホテルへの帰り道、
『変身カラオケ なりパラ』なるものを発見♪
マリアが行きたがっていたのですが、大阪支店の皆さん曰く
「これは恐らく子供が行ってはいけない、怪しいお店ではないかと・・・(^^ゞ」
とのことだったので、そのままホテルに戻りました。
(後から検索したら、結局コスプレ用の衣装が置いてあるだけの普通の?カラオケボックスだったようですあっかんべー
翌朝は、早朝、関空にミハーリを迎えに。
ロンドンでの英語研修があった為(←ミハーリは、英語とオランダ語の2ヶ国語教育の中学に通っています)、一日遅れでの帰国。
一人でアムステルダムから関空まで飛行機で来させるのはちょっぴり不安でしたが、成田にはもう既に2回一人で行っていましたし、本人も平気だと言っていたので、やらせてみました。
関空でミハーリが出口から出てきた時は、ホッとしたと同時に、本当にしっかりしてきたなぁ・・・と感動(>_<。。。
オランダ人、そして日本人の同僚達にお礼を言って、空港駅でミハーリの分のJRパスをゲットし、そのまま京都へ。
京都では、(3年前に本帰国してしまった)ミハーリの補習校の友達のAkiraくん&お母様、マリアの補習校の友達のHirokiくん&お母様、そして元ユトレヒト在住だった私の友人Motokoさんと一緒にランチレストラン
今回は、(子供達もまだお寺には興味なさそうだし)京都の観光はナシ。
お友達との再会を楽しみました♪
京都から奈良へ。
奈良も、今回は観光はせず、
“鹿に鹿煎餅をあげる”
ことだけが目的だったのですが、
やっぱり折角だからと東大寺だけは見学しました。
境内の新緑と本堂とのコントラストが美しかったです。
でもやっぱり子供達にとっては(食いしん坊の)鹿達の方が印象的だったようです(笑)
奈良から大阪に戻り、風月でお好み焼きを頂きました。
翌朝、新幹線で姫路へ。
姫路城見学。
お菊という女性の亡霊が皿を数えることで有名な怪談『皿屋敷』。
お菊井戸が姫路城にあったなんて、知りませんでした。
マリアが大喜び。
日本語補習校で、ボランティアで子供達に本の読み聞かせをしているのですが、
昨年、マリアの学年に読んでいた『落語』の本の中に、
丁度このお話が入っていたのです↓
>町内の若者達が番町皿屋敷へお菊の幽霊見物に出かける。
>出かける前に隠居から
>「お菊の皿を数える声を九枚まで聞くと死んでしまうから六枚ぐらいで逃げ出せ」
>と教えられる。
>若者達は隠居の教えを守り、六枚まで聞いたところで皿屋敷から逃げ出してきたが、
>お菊があまりにもいい女だったので若者達は翌日も懲りずに皿屋敷へ出かけていく。
>数日もすると人々に噂が伝わり、見物人は百人にまで膨れ上がった。
>それだけ人が増えると六枚目で逃げるにも逃げられず、九枚まで数える声をまで聞いてしまう。
>しかし聞いた者は死なず、よく聞くとお菊が九枚以降も皿を数え続けている。
>お菊は十八枚まで数えると
>「これでおしまい」
>と言って井戸の中に入ろうとするので見物人の一人が
>「お菊の皿は九枚と決まっているだろう。何故十八枚も数えるんだ」
>と訊くと、お菊は
>「明日はお休みだから明日の分まで数えた」
(Wikipediaより)
姫路城見学後、再び新幹線で広島へ。
(つづく)

展覧会のお知らせ (Holland Mania 展)‏

 
オランダで頑張ってる大切な友人・麻希ちゃんの展覧会が
明日(5月16日)から始まります。
私も時々お手伝させて頂くことになっていますので、
オランダにお住まいの方、同僚の皆様、
ご都合がつくようでしたら、是非会いに来て下さい!
 
(オープニングの模様はこちら

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Holland Mania 展~アメリカと日本のオランダ認識~
ライデン市立美術館 デ・ラーケンハル
2009年5月16日~8月30日

上田麻希展示作品:
"カピタン、丸山遊女を訪問中"
"丸山遊女、カピタンを訪問中"

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[オープニング]
5月16日(土) 

14:00 - 
Molen de Valk http://www.molenmuseumdevalk.nl/ にて
Stedelijk Molenmuseum ‘De Valk’
2e Binnenvestgracht 1
2312 BZ Leiden

その後美術館に移動。

15:00 – 17:00
ライデン市立美術館
De Lakenhal Stedelijk Museum
Oude Singel 28-32
2312 RA Leiden

[上田麻希展示作品について]

今から400年前、江戸幕府はオランダ東インド会社(VOC)に交易を許可しました。当時の日本は鎖国中で、オランダ以外の国々にはこの特権は与えられませんでした。

当 Holland Mania 展に寄せて、日本とオランダの文化の邂逅と交流をテーマにした作品を制作しました。ある部分は史実に基づき、またある部分は私のイマジネーションをもとに、匂いを使ってこれらを描写しました。

「オランダ人は妻子を連れてこないで下さい。そのかわり、遊女をお世話しますから。」それが幕府の方針でした。つまり長崎の丸山遊女は、オランダ商館長カピタンにとっては現地妻のような役割を果たしました。いわば最もオランダ人に近い日本人でした。

この関係における文化の邂逅に焦点を当て、掘り下げていった結果、ふたつの環境インスタレーションができあがりました。

"カピタン、丸山遊女を訪問中" (4番ルーム)
"丸山遊女、カピタンを訪問中" (24番ルーム)

来場者の方々には、部屋にあるものは自由に触り、匂いを嗅ぎ回っていただけます。いわゆる美術館の「触らないで下さい」といったルールはこれらの部屋には存在しません。そのかわり、あたかも自分が遊女あるいはカピタンになったかのように、想像力を働かせていただきたいのです。

会期中の週末には、遊女の最高格・花魁が実際にこの部屋で皆様をお待ちしております。

[花魁コスプレの日程]

May  
* sat.16 14:00-16:30 Misae みさ枝  (関連イベント:opening)
* sun.17 12:30-16:00 Hanayoshi 花美
* sat.30 12:30-16:00 Haruka 花夏

June
* sat.6 12:30-16:00 Shinobu しのぶ
* sat.13 12:30-16:00 Misae みさ枝 (関連イベント:Japan Festival @ Scheltema)
* sun.14 12:30-16:00 Misae みさ枝 (関連イベント:Japan Festival @ Scheltema)

July
* sat.4 20:30-23:00 Fuhrori 風路里 (関連イベント:Leiden Museumnight)
* sun.5 12:30-16:00 Misae みさ枝 (関連イベント:Leiden Museumnight)

場所: ライデン市立美術館 Stedelijk Museum De Lakenhal Leiden
住所:Oude Singel 28-32, 2312 RA Leiden
ライデン駅より徒歩5分
電話: +31 (0)71-5165360
開催期間: 2009.05.16. (土)~ 2009.08.30.(日)
オープニング: 2009.05.16.
開館時間:
火-金 10:00 -17:00
土・日・祝 12:00 -17:00
web: http://www.lakenhal.nl/

フライト日記 (Vancouver)

2009年4月
(YVR)
 
(乗務してから3週間以上経ってしまい、子供達の学校のお休みで一時帰国したりもして、かなり忘れてしまっています・・・(^^ゞ
 ・・・が、頑張って思い出して書きます!)
 
4月のフライトは2本ともカナダ便
久し振りのバンクーバー
 
機種はMD-11
担当はビジネスクラス。 
 
コックピットクルーは、私達客室乗務員よりも少し遅れて(私達がキャビンのセキュリティー・チェックをしたり、ビジネスクラスではウェルカム・ドリンクの準備などをしている時に)飛行機に乗り込み、各ギャレーを回って挨拶に来てくれるのですが、
今回の機長、女性機長のシャルロットが私を見るなり
「Heeei! Mies! Leuk om je weer te zien!!」
(ヘ~イ! ミ~ス! また会えて嬉しいわ!!)
とハグしてきて、驚きました(O.O;)
・・・思い出せない・・・(-_-|||)ガーン!
Mies(ミース)というのは、オランダベースになって間もない頃の、オランダ人同僚用の私のあだ名・・・
当時、何度言っても「ミサエ」と発音してもらえず、
(「ミセア」だったり「マサイ」だったり「ミサイル」だったりたらーっ(汗)
オランダ人にも発音しやすい=オランダ人名にもあるMiesということにしておいたのです。
・・・ということは、一緒に乗務したのは相当前のこと・・・
なのに、彼女はいろいろなことをよく覚えていて・・・クルーホテルのロビーでピアノを演奏したこと、キュラソーのビーチで星座の説明をしたこと等々。
(どうやらキュラソー便だったらしい)
物忘れがどんどん悪化していることを再認識した、彼女との再会でした。
 
機内では、行きも帰りも満席でしたが、今回のメンバーはTweebander(=制服の袖に白線が2本入った、ビジネスクラス・サービスの訓練を受講済みのCA)ばかりだったからか、
ビジネスクラス、エコノミークラス、共に、非常にリラックスしたサービスができていたと思います。
 
バンクーバーは、日本ベース日本人乗務員として乗務していた頃にも何度かフライトしたことのある、思い出深い場所。
成田~アムステルダム便バンクーバー経由だったことがあるのです。
 
今から20年前の1989年、12月15日に爆発的噴火をしたアラスカ州のリダウト火山・・・
1万2000メートルにまで立ち上った噴煙にKLMのB747-400型機が突っ込み、4基全てのエンジンが止まってしまった事故を覚えていらっしゃるでしょうか・・・?
この時は、副操縦士がエンジン再起動に成功し、無事にアンカレッジに着陸しましたが、
それからしばらくの間、火山活動が収まるまで、日本路線は(アンカレッジ経由から)バンクーバー経由に変更になっていたのです。
 
懐かしさに密かにワクワクしながら飛行機を降りましたが、クルーホテルも変わってしまい、2010年冬季オリンピックに向けての開発も進んでいたせいか、当時の面影は全く見付けられず、思い出に浸ることは残念ながらできませんでした・・・がく~(落胆した顔)
 
クルーホテル到着後はクルードリンクへ。
コックピット・クルー3人+キャビン・クルー7人というメンバーでしたが、今回は、客室乗務員の半数以上がスチュワードだった為、女性は私と機長のシャルロットの2人。
しかしながらシャルロットは、長年、男性に混ざってパイロットをやってきたせいか話す内容が大変男性的(?)だったので、同僚達の会話(=男性的な話=大半が非常にHな話・・・(^^ゞ)についていくのが大変なクルードリンクでしたが、
新しいオランダ語の単語も学び、案外勉強になりました(笑)
 
翌日は、時差で早起きしてしまい(=午前5時)、テレビを見てから(→たまたまバンクーバーのあるブリティッシュ・コロンビア州を日本語で説明している番組をやっていたのでそれを見ました)、ホテルのレストランで朝食を取り、その後、ラウンジに置いてあったグランドピアノを1時間ばかり弾かせて頂きました。
楽譜を持って来ていなかったので、暗譜で弾ける曲だけ・・・丁度1時間分くらいの曲数を、まだなんとか暗譜できているようです。
調律もされていない、ところどころ出ない音がある、かわいそうなピアノでしたが、やわらかくてとても綺麗な音を奏でるピアノでした。
同僚の何人かが演奏を聴きに来てくれました。
 
その後はいつものようにCallingまで数時間仮眠を取って、帰りの乗務。
カナダ発はどこも同じメニューなのか、この前に乗務したトロント便と同じお食事でした。
魚介類たっぷりの前菜がとても美味しかったです指でOK
 
ギャレーでは、お客様がコールボタンを押すと、その座席番号が表示されるのですが、
99A
という表示が出て、同僚達と笑ってしまいました。
MD-11には、座席番号40番までしかないのですウッシッシ
 
バンクーバーから戻った3日後、子供達と一緒に(ミハーリは私達より1日遅れて)帰国。
最初の1週間、大阪から京都~奈良~姫路~広島~長崎をわまった旅行記もまた近いうちに(=記憶が薄れないうちに)アップしますネ♪
 
 

昨日の便で

無事オランダに戻りました 飛行機
晴天で、とっても気持ちの良いお天気のオランダ晴れ
ですが、
やっぱり祖国日本から戻ってきた時はちょっとガックリきます・・・ε-(-_-;)
 
日本では、最初の1週間は子供達と大阪・京都・奈良・姫路・広島・長崎をまわり、
(↑とりあえず写真だけアップしましたのでご覧下さい)
その後の1週間は東京で、実家の引越しの手伝いに毎日忙しくしていました・・・毎日4時間睡眠+リポビタンDで頑張ったのですが、結局終わらずxxx
今月末、再度"荷造り帰国"することになりました。
 
休暇明け5月25日からのフライトのスケジュールが出てから、帰国日程を決定する予定です。
 
 ~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~
 
5月5日に大きなホールで(憧れの)ベーゼンドルファーを演奏させていただく機会があったのですが・・・
オランダでも引越しによる練習不足、
(↑それでも弾ける日には毎日30分は練習するようにしていたのですがxxx)
子供達との西日本旅行中は全く練習できず、
(↑それでも楽譜は持ち歩いて、頭の中では毎日演奏していたのですがxxx)
実家で挽回するぞ!と思いきや、ピアノだけ先に引越し済みで・・・
(↑しかも館山の別荘に・・・(T_T))
 
乗務の時は弾けないことの方が多いし、長期フライトに出た時に1週間くらいピアノにさわれなかったことは前にもあったのですが、
挽回するのには、やっぱり1時間くらいは弾き込まないと、
前日の練習会と当日のリハーサルでちょっと弾いたくらいじゃあ駄目デスねあせあせ(飛び散る汗)
 
・・・という訳で
「練習が足りないと、こういうことになるんですたらーっ(汗)
という良いお手本のような、散々な演奏で、
聴いて下さっていた方々には本当に申し訳なかったです。
が、久し振りのピアノ、しかも憧れのベーゼンドルファー目がハート
コケまくり転びまくりの演奏でしたが、それでも音の違いは十分に楽しめました♡
綺麗な音色に感激しながら弾いてましたぴかぴか(新しい)
本当に幸せでしたぴかぴか(新しい)
 
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これからしばらくまた、こちらの新居の整備(?)(冷蔵庫・換気扇・バスルームの家具の取り付け、カーテンの取り付けetc.)をしながら、
3週間お休みしてしまった補習校の保護者会会長の仕事、
日本語・お習字・ピアノ講師のアルバイトに励みます!
 
あ・・・バンクーバー便のフライト日記も書かないと・・・(^^ゞ