柔道の試験

昨日、ミハーリの柔道の試験がありました。
去年の試験で黄帯になり、5級になったミハーリ。
今年は、黄帯に付けるオレンジ色のスリップ(日本ではなんと呼ぶのかしら・・・?)獲得の為の試験です。

(本当は先生とミハーリのツーショットを

と思っていたのですが

手前の子の頭にオーブ=たまゆら

が写っていたので・・・・)

 
ユトレヒトの中心地を流れる旧運河沿いにある道場の名前は「修道館」。
ミハーリはここに7歳の時から通っています。
 
日本人(ハーフですが一応日本のパスポートも持ってますので)は、ミハーリ1人。
日本語を話すのも、ミハーリ1人。
授業中、先生(ちゃんとSenseiと呼ぶ)に日本語の発音(「始め!」とか「待て!」とか「礼!」とかも、ちゃんと日本語)の間違いを正してあげたりしているそうです。
 
試験会場には、20人近く子供達が集まっていましたが、やっぱり日本人(=ミハーリ)は柔道着似合いますねぇ~! (・・・半分親ばか?!
 
無事、試験には合格し、オレンジ色のスリップをもらいました。 

(先生と一緒に)

(ミハーリが持っているのが

オレンジ色のスリップ)

 

来年の試験でオレンジのスリップをもう一枚もらい、その次の試験に合格すると、帯の色がオレンジになります。
 
頑張って続けていってほしいな・・・

 
道場からの帰り道、お天気が良かったので、バスに乗らずに、子供達と3人で、運河沿いを散歩しながら歩きました。
 
すると、とっても素敵な家が・・・

(旧運河沿いの素敵な家)

(玄関は運河の反対側、

道路にめんして上の階にあります)

 

(お庭も素敵!)

 

(もうしばらく歩くと

こんな素敵な長屋?を発見)

 

(こちらは

ユトレヒトで私が1番気に入っている家)

(その昔、王女様がお住まいだったとか・・・)

 
 運河沿いを歩きながら、ふと上を見ると・・・
まるで、さくらんぼのようになっています。

(小粒です)

 

「日本のと随分違うねぇ~」と語らいながら歩いていると、
「あそこにローマの遺跡があるんだよ!」とミハーリ。

(ローマ遺跡前で)

 
ユトレヒトは元々はローマの要塞でしたから、街の至るところにローマ遺跡が残っているのです。
 
家に着く頃には3人ともヘトヘトでしたが、お散歩楽しかった・・・

フライト日記(Bonaire) つづきのつづき

2006年6月 つづきのつづき
(BON)
 

 

(ホテルのビーチ・バーにもイグアナが・・・!)
 
(W杯のオランダ・チーム応援の為
=ボネールはオランダ領です
ホテルの各所に
オレンジ色の飾り付けがされていました)
(でも・・・昨日負けちゃったので
きっと今頃は取り外されていることでしょう・・・) 
 
ボネールで2泊した後、3日目にリマへの往復乗務がありました。
(トラブルが起きるのは、リマからの帰路ですので、辛抱して読んで下さいネ!?)
 
Calling(クルーバスがホテルを出発する1時間前に、ウェイク・アップ・コールがあります)は午後1時50分。
朝食後しばらくホテルのビーチへ出(・・・2月、4月とボネール便が付き、もうすっかり日焼けして真っ黒だったので、今回は夕方まで部屋に篭っていようと思っていたのですが、あの美しい海を前にしたら、やっぱり勿体無くなってしまって・・・)、お昼頃部屋に戻って1時間ほど仮眠をとり、クルーバスで空港へ。
 
リマまでは飛行時間約3時間30分。
その間に、ドリンク・サービス、(前菜、主菜、デザートのフルコースの)ディナー・サービス、食後酒のサービスをします。
 
空港待合室でお待ちだったトランジットのお客様と、ボネールからご搭乗のお客様をお迎えし、いつもの様にウェルカム・ドリンク(シャンパン、フレッシュ・オレンジ・ジュース、ミネラル・ウォーターからお選びいただきます)をお出しし、イヤホン、コンフォート・バッグ(中にアイ・マスク、ソックス、歯磨きセット、リップ・クリームなどが入っています)、メニュー・カードをお配りします。
 
ふと気が付くと、本来、離陸して、ドリンク・サービスを終えてからお伺いするはずのディナーのチョイスを、相棒の(今回に限りビジネスクラスを担当することになったパーサーの)ヴィヴィアンが、いつのまにか取りに行っていました。 (相変わらずですxxx ま、いいんだけど・・・一言言ってくれるといいのになぁ・・・)
「一緒にやろうか?」と聞くと、「一人でできる」と言うので、私は離陸に備え、ギャレーの片付けをしていました。 すると、突然バタバタとヴィヴィアンが戻って来て、パーサー・ワーク・ステーション(MD-11ではビジネスクラスのギャレーの隣にある)にいるシニア・パーサーのアントワネットに「misaeが違うメニューを配った!」と訴え(・・・なんで私に言わずにシニア・パーサーに言うかなぁ・・・)、メニュー・コンテイナーの別のメニュー・カードを取り出そうとしています。 (メニュー・コンテイナーには、アムステルダムを出発する時点で、アムステルダム~ボネールボネール~リマリマ~ボネールボネール~アムステルダムの4種類のメニュー・カードが搭載されているのです。) 私もすぐに駆け寄って再確認(もちろんお配りする前に一度は確認済みですのでネ)すると・・・大丈夫、間違ってません。 (ヴィヴィアン、お願いしますよ~・・・)
 
チョイスを聞き終わると、ヴィヴィアンはオーブンの準備を始めました。 「もうすぐ離陸なのに、時間あるのかな・・・」と思いながらも、腕の4本線(=パーサー)を見るとやっぱりなんだか意見し辛い。 これが、いつもの通り、2本線(=ビジネスクラスCA)の相棒だったら、まず、離陸直前の時間のない時にオーブンの準備などしないでしょうし、しようとしたとしたら私も「離陸後にしましょうよ」と促したのですが・・・。
手伝っていると案の定、機長から「乗務員、着席」のアナウンスが。 慌てて片付けて、大急ぎでギャレーをチェックし、ジャンプ・シート(クルーが座る席)に。
 
離陸中、ギャレーで鈍い金属音がし、離陸後シートベルト着用のサインが消えてギャレーに戻ると、ウェイスト・トローリー(=ゴミ箱)が収納場所から飛び出していました。 離陸前のギャレー・チェックが不十分で、ロックし忘れていたのです。 当然シニア・パーサーのアントワネットからお叱りを受けました。 幸い、ウェイスト・トローリーはギャレー内に留まっていましたが、万が一、通路に飛び出し、客室内を後方へ滑走でもしていたら、大変なことになっていましたから。
離陸前はフライト・セイフティーにのみ集中しないと・・・反省
 
ボネール便では、アムステルダム~ボネール、ボネール~リマ往復、ボネール~アムステルダムで、コックピット・クルーが全て異なります。 
ボネール~リマ往復便では、副操縦士のヘンクがヴィヴィアンの旧友(・・・というだけではない=フライト先での恋人という噂でしたが、ホントかな・・・)とのことで、サービスの合間、ヴィヴィアンが度々知らぬ間にコックピットへ遊びに行ってしまって困りました。 (せめて一言言ってから行ってくれ~)
 
そしてリマ到着30分前、コックピットから戻ったヴィヴィアンが、「着陸の時、コックピットに座っていいって言われたから、私、コックピットに行くわね!」と言う・・・MD-11には、客室内の非常用ドア8つに対し、(前の日記に書いたとおり)乗務員が10名搭乗している=担当ドアを持っていない乗務員が2名いる+リマ往復便は飛行時間が短い為、コックピットに4席クルー・シートがあるのに対し、パイロットは2名しか乗務していない=離着陸時に、客室乗務員2名まで、コックピットに座ることができるのです。 
通常は、シニア・パーサーパーサーアシスタント・パーサーは、緊急事態発生時に大切な任務があるので、客室に残らなければなりません。 
でも、今回は、パーサーの資格を持った乗務員が(ユィックとヴィヴィアンの)2人いましたから、それにヴィヴィアンはパーサーとしてでなくビジネスクラス乗務員として乗っていましたから、彼女にとって、またとないチャンスだった訳です。 そのことがすぐに頭を過りましたので、私は「よかったネ~普段は無理だものネ~」と一緒に喜んでいたのですが・・・
その数分後、エコノミークラス担当のナタリーがコックピットから戻って来て、シニア・パーサーのアントワネットに「着陸の時、誰かコックピットに座っていいそうなので、くじ引きしていいかしら?」と聞いているのです。 (ヴィヴィアンと話が違う・・・???) 
即座にヴィヴィアンが「もう私が座ることに決まってるのよ!」
ナタリーがビックリした顔で「でも、私、たった今コックピットで聞いてきたのよ?! 公平にくじ引きにしましょうよ」
「いいえ! 私が座っていいって言ってた!」そう言って、皆が唖然とする中、そのままコックピットへ行ってしまったヴィヴィアン。 
ふと我に返った私・・・「えっ、ちょっと待って・・・こんなに早くコックピットに行かれちゃったら困る・・・着陸前の仕事がまだあるのに~」 
ギャレーの片付け、お預かりした上着の返却、イヤホンの回収、客席の最終チェックetc.・・・ナタリーが手伝ってくれて何とか終えました。
  
リマ到着後、約1時間の停泊時間があったので、何人かで空港ターミナルへ。
 
シニア・パーサーの言いつけどおり)搭乗開始の20分前に戻ると、ウェルカム・ドリンクの用意などが既にされてあったので、てっきりヴィヴィアンがやってくれたのかと思ったら、ヴィヴィアンは気分が悪くなってしまった為、シニア・パーサーのアントワネットが代わりに準備してくれたとのこと。 ありがたいなぁと思っていたら、エコノミークラス担当の子達曰く、「私が準備で忙しかったのに、みんな買い物なんかしてて!」と怒っていたらしい・・・お疲れなのかな、アントワネット。 現地の時間で午後9時過ぎ、オランダ時間で午前3時過ぎでしたから、時差ボケが残っていたりした場合、このリマ往復便は大変きついフライトなのです。
 
私はというと、ビジネスクラスで余った前菜&主菜(アムステルダム~ボネール間で既に2回お食事を出していますので、お腹一杯で召し上がらないお客様も多いのです)をいただき、満腹状態でしたので、元気ハツラツでした。 
私は、十分に食べていれば、多少の寝不足は平気なのです。 
 

(前菜のシーフード盛り合わせ)
 

(主菜のサーモンの照り焼き・・・なぜか和食)
(と~っても美味しかったです!) 
 
ヴィヴィアンが働けない、というので、アントワネットがユィック(エコノミークラスを仕切っているパーサー)に「エコノミークラスから一人、ビジネスクラスのヘルプによこしてくれ」と頼んでいます。 ビジネスクラスの搭乗人数を聞くと20名とのこと。 それならボーイング747-400の1階ビジネスクラスの満席時の人数(18名)と2名しか変わりません。 「大丈夫、20名なら私一人でサービスできますヨ」と申し出ました。
 
でも、結局、お客様の搭乗開始時には、ヴィヴィアン、けろりとした顔で、アントワネットの隣でお客様をお迎えしていたので、私は内心「よかった~一人じゃやっぱり大変だもの・・・」と思いながら、エコノミークラス担当のエレアナと一緒に、反対側のドアの前で、お客様をお迎えしていました。
 
ほとんどのお客様がご搭乗なさった頃、ニコニコ顔のお客様が乗っていらっしゃいました。 北欧系の男性のお客様です。 
入り口のところで、ヴィヴィアンととても親しそうに話していらしたので、「もしかしたら、アムステルダム~ボネール間に、彼女の担当エリアに座っていらしたお客様・・・??」とさえ思えたくらいでした。 
そのお客様は、ドア前のお席(5B)にお掛けになりました。 
しばらくして、そのお客様が、反対側の窓際のお席(5J)にお掛けのお客様に話しかけられました。 間に4席と通路もありますから、声も多少大きくなります。 
アントワネットが「お静かに! まっすぐ前を向いてお座り下さい!」と大袈裟に厳しく注意しています。 疲れからか、かなりイライラしている様子でした。 
 
私は、「その反対側の席のお客様がお知り合いでもなんでもなければ、確かに迷惑行為なので、確認してみよう」と思い、5Jにお掛けのお客様に聞いてみると、お二人はもう一人のビジネスクラス客と一緒に三人でご旅行中とのことで、三人とも席が離れてしまったとのこと。
その旨アントワネットに伝え、ビジネスクラスのお客様は既にお揃いでしたし、5Jの隣のお席(5H)がまだ空いていましたので、5Bのお客様を5Hにお移りいただいてはどうか、と話しました。 アントワネットも了解してくれたので、5Bのお客様を5Hにお連れし、様子をみていましたら、それからは普通の音量でお話されていました。 
5HJのお席は、丁度私の担当エリアだったので、私が責任を持って担当しようと思っていました。
 
ところが、ギャレーに戻ると、アントワネットが「あのお客様(5Bから5Hに移したお客様)、どう思う? 降ろした方がいいと思う? 前に、迷惑行為をしていると勘違いして無実のお客様を降ろしてしまったことがあるから、同じ間違いを繰り返したくないから・・・」とヴィヴィアンに相談しているのです。
そして(あのお客様とあんなに親しそうに話していた)ヴィヴィアンが「私、あの人、! 降ろして欲しい!」と言っているではありませんか・・・(驚)
「さっきも伝えたけど、大きな声で話していたのは、連れの方が離れていたからであって、隣同士になった今は全然問題ないわよ。」と私が言うと、ヴィヴィアンが「でも5Aのお客さんが、あの客は酔っ払ってるって言ってた! 私は!」
・・・って、ヴィヴィアン、単に、自分の気分/機嫌が悪いだけなのでは・・・それに、ビジネスクラスのお客様ですよ~~~~~
 
全然問題ない」と言った手前、きちんと様子を見てなくちゃ・・・と、離陸前の仕事(ウェルカム・ドリンクをお出ししたり、メニュー・カードイヤホンをお配りしたり・・・)をしながらちょくちょく様子を伺い、ますます「これならホントに全然問題ない」と安心していると、アントワネットが急に機長を連れて来て、例のお客様に「あなたは機内で迷惑行為を行った為、飛行機からお降りいただきます」と言うではありませんか!!
連れのお二人のお客様と共に「どうしてですか?!」と繰り返す、例のお客様を立たせ、荷物入れから手荷物を降ろさせ、ドアへと連れて行ってしまいました。 
ドアのところで「気を悪くしたのなら申し訳ない。 どうかお願いだから乗せていって欲しい」とひたすら謝るお客様・・・。 思わず機長のところへ駆け寄って「このお客様、大丈夫よ、降ろす必要ないヨ!」と伝えましたが、機長は「もう決定されたこと。 変更はしない。」と。
残された連れのお客様は当然憤慨されています。 担当の乗務員として、直ぐにお二人のところへ行って、機長シニア・パーサーの決定は覆せない旨ご説明し、お詫び申し上げました。
 
それからシニア・パーサーのアントワネットのところへ行って、
「質問があるのだけどいい? 
迷惑行為をした乗客を降ろす場合、シニア・パーサー機長がそれを決定するのは承知してるけど、決定するに当たって、該当するお客様を担当していた乗務員の意見は汲んでもらえないの?」
と聞くと、
「でも、あの乗客は叫んでいたし、まっすぐ座るように注意しても聞かなかったから・・・」
とアントワネット。
「あの時、私も見ていたけど、あのお客様は確かに大きな声で話してはいたけれど、叫んではいなかったし、それはご友人が離れて座っていたせいで、席が隣同士になってからは問題なかったはず。 どうして決定前に、担当である私の意見を聞いてくれなかったの?」
「あなたはどういう意見だったの・・・(不安気に)?」
「今、聞かれても遅いけど、私は、問題ないと思った。 降ろす必要はないと思った。 自分が責任を持って担当できると思った。 それに、ボネールまではたったの3時間半。 万が一ダメなら、ボネールで降りてもらってもよかったはず。 ビジネスクラスのお客様なのよ? ドアのところで散々謝った時点で、搭乗を許可していたら、感謝100倍、きっとまたご利用して下さったに違いないのに、これではきっともうご利用下さらないでしょう・・・」
「でも、もう決定されてしまったし、仕方がないわ・・・(ますます不安気に)」
アントワネットの返答はとても曖昧で、この決定が"彼女自身の意見によるものではない"ことが察せられました。 「降ろして欲しい!」というのは、私の相棒ヴィヴィアンの意見でしたから。
 
(シニア)パーサーに意見する、なんて滅多にしないのですが、お客様のことを思ったら言わずにいられませんでした・・・  
 
もしも、私の相棒が、4本線(=パーサー)でなく通常どおり2本線(=ビジネスクラスCA)だったら、アントワネットも機長も、きっと彼女にだけでなく、私にも意見を求めていたのでは・・・
と思うと、とても残念でしたが、ヴィヴィアンには結局何も言いませんでした。
 
彼女はいつもはパーサーなんですもの、ついついパーサーやってしまうっていうのもわかります。
"パーサーがビジネスクラスを担当する"なんてことも普通はありませんし・・・。
それに、もしも機種がMD-11(=パーサー・ワーク・ステーションビジネスクラス・ギャレーが隣り合っている)でなかったら・・・シニア・パーサーのアントワネットが、(後方のエコノミークラス・ギャレーにいる)パーサーのユィックに相談することなく、ビジネスクラスを担当しているヴィヴィアンにばかり意見を伺って彼女をパーサー扱いしてしまう、なんてことも、きっと起こらなかったでしょうしね・・・。
必然的に起きてしまったトラブルだったのかな・・・と思って。
 
でも、MD-11パーサーと組んでビジネスクラスを担当するのはもうxxx
・・・と思ったフライトでした。
 

(帰りの便では私もコックピットに・・・!)

(真っ平らなオランダ上空)

(お天気が良かったので

湖はセイル・ボートでい~っぱい!)

 
次のフライトは、久し振り(半年振り)の日本路線大阪便-です

フライト日記(Bonaire) つづき

2006年6月 つづき
(BON)
 
ボネール便の機種はMD-11
客室は、シニア・パーサー(旧パーサー)1人+パーサー(旧アシスタント・パーサー)(アシスタント・バーサーとして残っている人も150名?程います)1人+ビジネスクラスCA(キャビン・アテンダント)2人+エコノミークラスCA6人、の合計10名で乗務します。
 
ブリーフィング・ルームに入ると、制服に4本の白線の入った人(=シニア・パーサー並びにパーサー)(シニア・パーサーとパーサーは制服上は違いがありません)(ビジネスクラスCAは白線2本、エコノミークラスCAは白線1本です)が3人?!
今回は、シニア・パーサーは1人ですが、パーサーが二人いて、うち一人が、ビジネスクラスCAとして私と一緒にビジネスクラスを担当するとのこと。
ちょっと嫌な予感・・・というのは、以前、アシスタント・パーサーと組んで働いたことがあって、(当然ながら)ビジネスクラスのサービスをかなり忘れてしまっていらして働き辛かった・・・ということがあったので・・・
 
案の定、トローリーを自分の分しか用意しなかったり(通常は、先にギャレーに戻ったら、相方の状況を見て、二人分のトローリーを用意する)、ワインも自分が必要な分しか開けていなかったり(ワイン・オープナーが一つしか搭載されていないことが多いので、一人がワインを開け、もう一人は別のことをする、という流れになる=ワインは二人が必要な分=各ワイン2本ずつ開ける)、何の断りも無く先に一人でサービスを始めていたり(客室の前の方から、二人並んでサービスをするので、普通は「じゃ、行こうか!」と二人同時にサービスを始める)、驚きの連続でした。
 
こういう場合、手は二つあると思うのですが・・・一つは、自分も同じようにやって相手に同じ思いをさせてわからせる。 もう一つは、あえて相手の為にいろいろしてあげて「なるほど、こうしたらお互い気持ち良く仕事ができるんだ・・・」とわからせる。 
私は常に後者。 後者の方が効果が高いのは実証済みです。
今回もそうやって、相棒のパーサー・ヴィヴィアンもボネールに到着する頃にはすっかり要領を取り戻し(昇格前は彼女だってビジネスクラスCAだったわけですから)、チームワークばっちりで楽しく仕事を終えました。
 
唯一どうにもできなかったのは、ヴィヴィアンが、サービスが終わる度にさっさとシニア・パーサーのアントワネットところへ行ってしまって(彼女がパーサーとして搭乗していたら、それは普通のことなのですが)、ビジネスクラスのケアを忘れてしまうこと。 満席ではなかったので私一人でも平気でしたが、ギャレーに一人取り残され、ちょっと淋しかった・・・  
それと、ちょっと気になったのが、シニア・パーサーが私の相棒のヴィヴィアンとばかり話をしていて、休憩時間などを決める際にも、パーサーのユィックとでなく、(今回はビジネスクラスCAとして働いているはずの)ヴィヴィアンと相談して決めてしまっていた(しかも、決めたのは「Day Flightだから休憩はいらない」と言ったビビアンだった・・・)こと。 「・・・いいのかなぁ・・・? ユィックの立場は・・・? 彼女は、こんなことになってるってわかってるのかなぁ・・・?」と密かに心配していました。 
シニア・パーサーがいるパーサー・ワーク・ステーションというのが、MD-11では、ビジネスクラス・ギャレーのすぐ隣にあったことが大きな要因だったとも思います。 (他の機種では、エコノミークラス・ギャレーの近くにあって、エコノミークラスを仕切っているパーサーも立ち寄り易いのです)
 
それでもボネールまでは、特に問題なく行ったのですが・・・
 
ボネール滞在3日目の、ボネール~リマ~ボネール往復乗務で、問題が・・・!
 
(つづく・・・)
 

(クルーホテルのビーチから)

(着陸する飛行機)

(海の青、空の青、に美しくマッチした

ブルーの飛行機!)

フライト日記(Bonaire)

2006年6月
(BON)
 
今年はど~もボネール島ご縁があるようで・・・
2月、4月、そして今月と、2ヶ月おきボネール便が付いています。
(・・・それくらい頻繁に日本路線に乗務できたら嬉しいのに~
 
さて、今回は、いろいろな人との再会・・・のフライトでした。
 
まず、ユトレヒト駅から・・・以前大阪便を一緒に乗務して以来、クリスマスカード・年賀状のやり取りを続けているメラニーと同じ電車になり、楽しくおしゃべりしながら空港駅まで。
 
空港では・・・恭子さんとおち合って、恭子さんお手製の美味しいおにぎりクルーセンターでいただきました。
(家で朝食を取る時間がなかったので感激でした・・・恭子さん、ありがと~
 
ブリーフィング・ルームでは・・・1月のサンフランシスコ便、4月のボネール便で一緒だったサハール(アフガニスタン系オランダ人)に再会。 
 
飛行機に乗り込んでコックピットに挨拶に行くと、私が名乗る前に機長が・・・
「misaeじゃないか~! 懐かしいなぁ!!」
・・・17年前(・・・ということは、私が入社して間もない頃、まだ日本人乗務員として乗務していた頃です)に一緒に飛んだことがあるらしい・・・
「相当印象強かったんだね~」とからかう副操縦士に「ふふふっ、そうなのよ~」と笑いながらも、全然思い出せないxxx  
後で17年前のCAML(各フライトの乗務員の名前とドア・ポジション等のリスト)をチェックしてみよう・・・
 
ボネール到着後、ホテルのビーチ・バーで皆で飲んでいると、少女マンガに出てきそうなカッコイイお兄さんが・・・
「やぁ、久し振り! 君が初めてボネールへ来た時、"日本へも是非行ってみて"と君に言われて、この間ついに大阪へ行って来たんだよ! 覚えてる?」(・・・って全然覚えてないxxx)
6日間滞在しているうちにだんだんと記憶が・・・ダイビング講師の彼、2年前は肩まである長髪だったのです。 今では韓国人(中国人?)の恋人が・・・!
 
リマ往復乗務の時には・・・アムステルダムから到着した便のアシスタント・パーサーが、15年前に(私は日本人乗務員、彼女もまだアシスタント・パーサーではなくビジネスクラス担当のクルーで)同じギャレーで働き、東京の自宅にも遊びに来てくれたイングリット。 
 
そして、帰りの便で・・・新しいコックピット・クルー(ボネール便では、アムステルダムからボネール、ボネールからリマへの往復、ボネールからアムステルダムの3便で、全部コックピットのメンバーが異なるのです)(名前を覚えるのが大変xxx)に挨拶に行くと、またもや私が名乗る前に機長が・・・
「misae~!  ・・・君、ピアノ弾くでしょ? (私が驚きながら頷くと・・・)やっぱり!! 乗務員リストにあった名字(日本の名字です)を見てすぐわかったよ。 君、17年前アンカレッジのクルー・ホテルで、皆の為にコンサートを開いてくれたの、覚えてる? (覚えてないxxx) あんまり素晴らしい演奏だったから今でもよ~く覚えてるんだよ! 今でもピアノ弾いてるのかい? また聴かせて欲しいな~!」
 
そう・・・日本ベースで飛んでいた頃は、アンカレッジでもアムステルダムでも、クルー・ホテルのバーやレストランのピアノを自由に弾かせてもらえ、フライト・リーブ中も家で一日5~6時間弾いていたので、今よりず~~~っと上手だったに違いない・・・
そういえば、アンカレッジのステーション・マネージャーの退職パーティーでは、(クラシック愛好家だった彼のリクエストで)BGMの演奏をし、翌日の新聞「Anchorage Times」に載った事もあったっけ・・・光栄でした。
 
行きと帰りに、17年前に一緒に飛んだ機長(お二人とも当時は副操縦士だった)と再会・・・向こうはよ~く覚えているのに、私は全然覚えていない・・・自分の記憶力の無さを反省したフライトでもありました・・・
 

・・・と、気が付いたら、もう帰りの便のお話になっていましたxxx

それでは、乗務のお話は後日改めて・・・

 

ユトレヒト音楽院・卒業試験コンサート

私のピアノの先生
片山智子さんの
ユトレヒト音楽院卒業試験コンサート
がありました。
 
音大の卒業試験は
(私も初めてだったので、知らなかったのですが)
コンサートなんです!
 
会場はユトレヒト音大内のコンサートホール。
 
 
・・・プログラムは・・・
 
G.F. Handel
2nd suite in F major
 
W.A. Mozart
Piano sonate in Bes major KV281
 
Josef Suk
from "Erlebtes un Drtraumtes" op.30
Ⅹ. Den vergessenen Grabhugeln auf
unserem Dorffriedhofe 
from"Wiegenlieder" op.33
Ⅵ. O lieber Tod, komm sachtel
 
F. Chopin
from Piano concert No.2 F minor op.21
Maestoso
(arrangement for a string quinted
by Martijn van den Hoek)
Piano with string quinted
 
S.Rachmaninoff
Etude – Tableaux op.33 no.7
                         
どれも、とっても素晴らしい演奏で、感動しました!
 

(ショパン・ピアノ協奏曲第2番を演奏中の

智子さんと弦楽クィンテット)

 

特にショパンのピアノ協奏曲が、
(オーケストラの代わりに
弦楽五重奏と合わせていらしたのですが、
これがまた、ショパンのあの繊細なピアノの響き
より効果的に引き立てて)
本当に素敵でした・・・
 
コンサート終了後、
ユトレヒト音大内の学生食堂
演奏を終えた智子さんも交えておしゃべりしていると
試験官(教授)が智子さんを呼びにいらして別室へ。
10分ほどして
教授二人と一緒に戻っていらっしゃいました。
いよいよ試験結果発表です。
もちろん合格!
教授方もすごく褒めていらして
私まで嬉しくなりました。
 
お二人の教授のうちのお一人は、
以前、音大のオープン・デーを見に行った際
オープン・レッスンで教えていらした
Paolo Giacometti先生という
大変素晴らしい先生。
 

(Giacometti先生と智子さん)

 

そんな教授方に認められた先生に
ピアノを教えていただいている・・・
なんて幸せなことでしょう
 
智子さんのますますのご活躍を
心からお祈りしています。
 
あぁ、私も、もっと頑張ろう・・・!!
 
・・・追伸・・・
智子さんはマリンバ奏者の旦那様と
日本でもコンサートを開いていらっしゃいます。
皆さんも是非聴きにいらっしゃって下さい。
公式ウェブサイト
 

 

初夏

オランダは今日も青空
雲ひとつない空を、ツバメが気持ち良さそうに飛び交っています。
 
ここ数日、本当に良いお天気で、先週までの寒さが嘘のようです。
気温は摂氏20~25度。 
と~っても気持ちいい!
オランダ語では、「気持ちいい!」は「Lekker(レカー)!」と言います。 (「美味しい!」と言う時にも使います)
 
昨日、図書館(ミハーリのオランダ語の勉強用に本を借りたり、私はピアノの楽譜やCDを借りたりします)へ行った後、子供達の学校のお迎えまで時間があったので、少し街を散歩してみました。

 
(ユトレヒト市庁舎とドム塔)
(この右並びに図書館があります)
 
旧運河沿いのレストランの、運河に面したテラス席は、ランチタイムで賑わっています。
 
以前、雪景色を撮った同じ場所からドム塔の写真を撮ってみました。
 

(青々と生い茂った木々の向こうに、ドム塔が見えます)
 
 旧運河から郵便局前の広場へ抜ける細い道で、ステキなカフェ・レストランを発見。
 

Aperitivo
住所: Vindenburgstraat 20 
電話: 030-2331989
ユトレヒトのVVV(観光案内所)の
斜め向かいにあります。
 

(1階席)
 

(2階の窓際には、こんなスペースも・・・!)
 
 
日本が梅雨に入るこの季節、オランダは一年で一番お天気が良くなります。
日も長く、夜8時を過ぎても明るいので、子供達が「まだ夜じゃない」とか言ってなかなか寝ず、困ることも・・・夏至の頃など夜10時過ぎでも薄ら明るかったりします。
 
来週も引き続き良いお天気が続き、気温は30度を越えるとのこと。
気温が25度を超えると、街中がまるで"ビーチ"のようになります・・・「ここはビーチですか?!」という格好で人々が街角のカフェでお茶をしていたり、自宅のベランダでビキニで寝そべっていたり(時にトップレスで焼いてる人も!)、日本だったら街中では見られない光景が見られるのです。 ・・・本当に面白い!
(でも、オランダ人からしたら、夏だというのにストッキングをはいてる日本人女性の方が驚きなんだそう)
 
 

エジプト古代遺跡(Memphis&Saqqara)

今日は、カイロ滞在中に訪れたメンフィス(Memphis)サッカラ(Saqqara)のお話を・・・ 


MEMPHIS メンフィス

メンフィスは、エジプト第一王朝(BC3100~BC2100年頃)の首都として建設された古王国時代の首都。 新王朝時代トトメス三世によって都がテーベ(=ルクソール)へ移されるまで、政治・経済の重要都市として栄えていました。 残念ながら、度重なるナイル川の氾濫により破壊し尽くされ、現在ではプタハ神殿の跡地にこじんまりとした遺跡が残っているだけとなっています。

 

メンフィスのスフィンクス 

(ニコニコ顔のスフィンクス)

BC1200年頃に作られた、体長10mのアラバスター(雪花石膏・せっかせっこう・Alabaster)製。

ギザのスフィンクスには鼻もヒゲもないけれど、こちらのスフィンクスは、付け髭もある非常に端正な顔立ちのとても美しい像(ニコッと笑っています!)です。 

 

ラムセス2世の巨像 

(18年ぶりの再会!

(相変わらず大きい・・・)

BC1290~BC1224年頃に制作された新王朝のラムセス2世の像です。

高さ15m(1000t.くらい)の花崗岩製。

プタハ神殿の前に立っていた巨大な立像で、体の各部の筋肉の様子など細部まで精巧に造られています。

現在ある場所で,、畑の中から横たわった形で発見されたそうです。

かつての立像は、メンフィスの遺跡の入口を入ってすぐ右の建物内に横たえて保存されており、2階の回廊から見下ろして全容を眺められるようになっています。 

(天井はありますが、二階の窓にガラスが入っておらず、いわゆる”吹きさらし”状態になっています・・・これではいくら掃除してもすぐ砂埃まみれになるのでは・・・?)

(一生懸命お掃除なさってますが・・・) 

同時に2体発見されたこの像のもう1体は、カイロ市内のラムセス中央駅前に建っているそうです。


SAQQARA サッカラ

カイロの西南約20キロ、ギザの南約15kmにある、砂漠に囲まれた町サッカラ。 ギザ台地に連なる石灰岩の台地にあり、第一王朝のころから数多くのマスタバ(土や日干し煉瓦製の墓。 平面は長方形で、死者はその地下室に葬られたそう) やピラミッドが造られた、古代エジプトの都メンフィスネクロポリス(死者の町)でした

 

階段ピラミッド

 (犬が沢山いました)

サッカラにある多数のピラミッドの中で、最も有名なのは、古王国第三王朝時代(BC2686~BC2613年)の2代目のファラオ・ジョセル王の階段ピラミッドです。

階段ピラミッドは、世界最古(=ギザのピラミッドより古い)の石造建造物。

6重の階段状になったこのピラミッドは、(第一、第二王朝の王達の墓が土や日干し煉瓦製のマスタバ墳であったのに対し)初めて石灰岩の石材が使用されました。 高さ約60m、底辺は140×128m(=長方形)(ギザのピラミッドより少し小さい) 

階段ピラミッドは、BC2650年頃、臣下の有名な建築家イムホテプが、王を埋葬する為に建造したものと言われています。

イムホテプは、従来からあったマスタバ墳(地下深くに墓を作りその上に日干し煉瓦を積み上げたもの)の上に石を4段積み重ねて最初の階段ピラミッドを造り、その後設計をやり直して西側を拡張し、最終的に6段の階段ピラミッドになった、ということです。

 

ジォセル王のピラミッド・コンプレックス

 葬祭殿柱廊・ピラミッド・コンプレックス入り口)

ジョセル王の階段ピラミッドは、ピラミッドを中心として中庭、葬祭殿、神殿etc.が作られたピラミッド・コンプレックス(複合建設)となっており、周りは高さ10mの周壁で囲んでありました。 

テティ王のピラミッド 

 (昔は四角錐だったテティ王のピラミッド)

第六王朝最初の王・テティ王のピラミッドは、外から見ると、(はっきり言って)”単なる砂山”にしか見えませんxxx

・・・が、このピラミッドの中には「ピラミッド・テキスト(王が死から蘇生して来世で復活する時の儀式で唱えられる呪文)」があるのです! (ちなみに、ギザにある第四王朝の王達のピラミッドには、「ピラミッド・テキスト」はありません。)

最初に書かれた「ピラミッド・テキスト」は、ジョセル王のピラミッド・コンプレックスの南隣にある、第五王朝最後の王・ウナス王のピラミッド(こちらも崩れかけて、まるで”瓦礫の山“のようになっていますxxx )内にあります。

(ウナス王のピラミッド)

・・・でも、「ピラミッド・テキスト」を見学できるのは、テティ王のピラミッドだけだそうです!

天井の低~い下降通路を下りると、左右に部屋があります。 

右側の部屋の奥に、黒い石棺が置かれていました。 (石棺の蓋が壊れていて、中を覗けます・・・何も入っていませんがxxx)

(よく磨かれた石棺)

この玄室(=古墳の中の棺をおさめる室)の壁には「ピラミッド・テキスト」がぎっしりと書かれていて、テティ王の名前がた~くさん彫られてあります。 もちろん読めませんが、なんとなく、王を称える詩のように見えました。

(読めたら面白かったんでしょうねぇ・・・)

玄室の天井は切妻屋根で、一面に星が彫り込まれています。 

(一見ヒトデのような星)

ぐるりと見渡すと、所々天井部分の石がずれていて(=地震で崩れてしまったのだそう・・・)ドキッとします。

次に左側の部屋に入りますと、こちらは何もありません。 玄室に比べると天井も低く、湿った匂いがしました。

現地のガイドさんは、「右側が王の墓で、左側は王妃の墓」だとおっしゃっていましたが、ピラミッドの中にいたガイドさんは、左側の部屋を「王が食事をする部屋」だと説明していました(・・・どっちなの???)

 

メレルカのマスタバ

(マスタバの入り口)

テティ王のピラミッドの入り口の向かい側に、テティ王の宰相であったメレルカのマスタバがあります。 なんでも、テティ王の長女の旦那様だったとか(・・・と現地のガイドの方がおっしゃっていました・・・ホントかな?)。 古王国時代最大の墓で、サッカラで一番規模が大きく、32部屋から構成されており、各部屋の壁には、メレルカの肖像画が描かれています。 隣に必ず(!)奥様も描かれているのですが、メレルカの威厳を示す為に、奥様の方は彼の膝下(!)くらいの背丈で描かれ、奥様は片手に必ず蓮の花を持ってその匂いを嗅ぎ、もう片方の手は必ずメレルカのふくらはぎの辺りに添えられていて、面白いなぁ~と思いました。 メレルカの肖像画以外には、ナイル川での漁の様子(網の中には様々な種類の魚が沢山描かれていました)や、カバ狩の様子、水辺の植物やカエルなどの生き物の絵などが非常に精密に描かれていました。 

(ナイル川での漁の様子を描いたレリーフ)

玄室近くの部屋になると、奥様と手をつないだ肖像画に変わり(ここからは奥様もメレルカと等身になります・・・でないと小さ過ぎて手がつなげないからだそうです)、メレルカの指揮に合わせて奥様がハープを奏でる絵があったりして、胸にジ~~ンときました。

(本当は私も、夫と一緒に音楽を楽しみたかったなぁ~・・・)

隣接して奥様用のマスタバがあり、各部屋に奥様の肖像画(彼女の両隣には、ミニサイズで描かれた子供達の肖像画)が描かれ、また、子供達用のマスタバでは、玄室前の部屋に、「死の国を恐れるな」と勇気付ける父メレルカと手をつないだ子供達が描かれていました。 これまた感動的!

部屋によっては、絵(レリーフ)が下手(まるで子供の絵のよう?)だったりしたので、「この部屋の絵は完成していないのですか?」とガイドさんに尋ねると、「部屋によって担当アーティストが異なったので、あまり上手でないアーティストが担当した部屋の絵はいまいち」なのだとか。 

サッカラは、ネクロポリスですから、有名なピラミッド・マスタバのまわりに、まだまだた~くさんのマスタバがあって、それらも見学できるようになっています。

(あるマスタバの中で、

現地ガイドに勧められて撮った

レリーフの写真)

(また別のマスタバの入り口前で)

(「もっと中に入っていいよ」とガイドに言われましたが、

とっても狭くて暗くて気味が悪かったので

やめておきました・・・お墓ですし・・・)

 

エジプト遺跡に興味のある方は、こちらのサイトも面白いですヨ

古代文明探求 

(http://www.ohba.co.jp/poper/bunmei/egpt/egpt_03.htm)

エジプトの世界遺産

(http://www.geocities.jp/kmt_yoko/WHE_MemphisPyramids-2.html)

フライト日記(Cairo)

2006年5月

(CAI)

カイロへ行って参りました・・・

スケジュールは2泊4日。

 

リポーティングの時間が午後7時過ぎだったので、夫が子供達と一緒に車で空港まで送ってくれました。

不思議なもので、自宅で子供達に「じゃあ、ママ、お仕事行ってくるからネ!」と手を振って見送られる時は平気なのに、空港で、子供達を乗せた車が遠ざかって行くのを見送るのは、なぜか辛かったりします。

 

早めにブリーフィング・ルームへ行くと、先に来ていたスリナム系の同僚が私を見て「???」という顔を・・・アジア路線でなくても、(あれ? どうして日本人/アジア人クルーが? ブリーフィング・ルームを間違えた?)と思ってしまうようです。 

私が「カイロ便よね?」とオランダ語で聞くと、途端に安心した顔になります。

彼女と二人で待っていると、次々に他の同僚達が入ってくるのですが、皆、私達を見て「え? ここ、カイロ便のブリーフィング・ルームよね? パラマリボ便とか東京便じゃないわよね?」と入り口で一瞬立ち止まるのを、そのスリナム系の同僚と楽しんで(?)いました。

 

ブリーフィングの終わりに、現在のエジプト情勢の説明があり、「外出禁止ではないが(観光客襲撃事件があった頃は、クルーホテルから出てはいけないことになっていました)、人出の多い場所には行かないように」とのことでした。

 

同僚達からの「日本人なのに、どうしてオランダベースで飛んでいるのか」といういつもの質問に答えながら(これだけは、かなり上手にオランダ語で説明できます!)ゲートへ向かいます。

 

機種はボーイング777。 担当はエコノミー・クラス。 

担当ドアが、偶然にもこの前のフライト(デリー便)と同じドア22(=前から二つ目の左側のドア)だったので、プリ・フライト・チェック(=担当ドア付近に設置してある非常用設備の確認、並びに担当エリアのチェック)もし易かったです。

 

このドアポジションの時は、お客様の搭乗時、地上職員のお手伝いをすることもある為、機内でのボーディング・ポジション(=お客様をお迎えする際、立つ場所)がありません。 

しかし今回は地上職員のお手伝い不要とのことでしたので、ビジネス・クラスのお手伝いに。

お客様の上着をお預かりしたり、ウェルカム・ドリンクをお出ししたり、メニューをお配りしたりしていますと、日本人のお客様が3名乗っていらっしゃいました。 東京・大阪からのお乗り継ぎとのこと。 大阪からお乗り継ぎでいらしたイイダ様(乗客リストはアルファベット表示なので漢字は不明xxx)に「日本路線以外の路線にも、日本人乗務員が乗ってはるんですか?」と聞かれ、事情を説明しながら、心はもう日本へ飛んでいました。 

(そういえば日本路線、もう半年以上乗務してない・・・

 

夜遅い便だったことと、お客様の大半が別の国からのお乗り継ぎだったことから、皆様お疲れのご様子で、とても静かなフライトでした。

 

そしてカイロに到着してビックリ・・・

空港が、超近代的な新しいターミナルに変わっていました。

前回来た時はまだ、(1988年に初めてエジプトを訪れた時と同じ、)古めかしい、でも、とてもエジプトらしい空港だったのに・・・

新しい空港ターミナルは、まるでドバイの空港の様に美しく、まるでエジプトではない場所へ着いてしまった様で・・・なんだかちょっと淋しかったです。

 

クルー・ホテルは相変わらず、空港からバスで10分のモーヴェンピック・ホテル。

ホテルの入り口で、空港同様のセキュリティー・チェック(荷物をX線に通す)があって驚きました。

クルー・インフォメーションにも、いつ・どこで・どんな爆弾テロがあって・死者が何名出た・・・というリストが綴じ付けてあって驚きました。 まだかなり危ないらしい・・・残念なことです。

 

このホテル、お部屋にいつも、いろいろ置いてあるんですヨ。

お花が飾ってあるのはもちろん、フルーツ・クッキー、お茶の種類も豊富、スリッパもあります(日本のホテルでは普通ですが、アジア諸国以外の海外のホテルでは珍しいのです)。

今回目を引いたのは、ベッドの端にちょこっと置いてあったバラの花びら

(ベッドの隅にこれが・・・!)

それから、毎回「これ、いいなぁ~」と思うのが、バス・ルームのティッシュ・ペーパーとトイレット・ペーパーに押してある花のスタンプ! こうすれば、三角に折ったところがきちんととまるし、見た目もかわいい

(三角に折ったところに

マーガレットの花がスタンプされています)

さて、今回のカイロ・ステイ・・・本当はまたギザのピラミッドに行きたかったのです(何度行っても感動できるので!)が、機長の指示もあって、ギザほどは観光地化されていないサッカラのピラミッドを見に行くことに。 

翌朝9時に朝食を取り、10時ロビー集合。 現地ガイド付き貸切バスでメンフィスへ向かいました。 メンフィスの遺跡を見てから、サッカラへ。 

メンフィスサッカラのお話は後日改めて・・・

古代遺跡を満喫して、夕方ホテルへ。 

数時間ホテルのプール・サイドで過ごしてから、皆で食事に。

夕食は、ナイル川沿いにあるレストランで。

美しいナイル川の夜景を楽しみながら、エジプトのお料理を楽しみました。

 

翌日は、(本当はスークへ行ってみたかったのですが、市場も人出の多い場所ですので、断念して)一日プール・サイドでゆっくり過ごしました。

ホテルのレストランで夕食後、数時間仮眠を取って、帰りの便に乗務。 

 

真夜中発の便でしたので、離陸後は軽食だけお出ししてなるべく早くお客様にお休みいただき、到着前にご朝食をお出しする、というサービス・スケジュール

 

サービスがひと段落してから、ちょっとコックピットへ。 

夜明け前の星空見たかったのですが、残念ながらもうかなり明るくなってしまっていて、東の空に明けの明星・金星が見えるだけでした。 

でも、とってもきれいでした・・・

 

アムステルダム到着後、クルー・センターでスケジュールをチェックすると・・・

7月4日の大阪便のリクエスト(毎月毎月、東京便と大阪便をリクエストし続けて、ついにやっと!)とおっていました・・・昨年末東京便のリクエストがとおって以来、今年初めて 

7ヶ月振りの日本路線乗務・・・今から楽しみです

(その前にボネール便の乗務がありますが・・・こちらはなぜか最近よく乗務します・・・2月、4月、6月と、なんと2ヶ月毎に行ってます・・・もう日焼けしたくないのに~~~)