一時帰国中

 
ソウル便の乗務から戻った翌日,ピアノを新居に運んでいただきました。
通販で頼んだベッドがまだ届かず(←注文してから4週間後に届くそうです・・・遅)、まだお引越しできていないので、
これからしばらくピアノの練習に新居に通うことになりますXXX
 
その翌日は、(2年前から4・5月だけお手伝いしている)ユトレヒトのツアーガイドをした後、
子供達と電車で空港へ向かい、日本へ・・・飛行機
 
家族や友人達の温かい心遣いに感謝しながら毎日過ごしています。
 
5月4日にオランダに戻る予定です。
 
ソウル便のフライト日記、もう少し待っていて下さいネ。

実は・・・

(ご存知だった方、なんとなくお気付きだった方もいらっしゃるかもしれませんが)
この15年余り家庭内暴力と戦っていました。
DV(←デジタル・ビデオではありませんヨ)&モラル・ハラスメント・・・
(↑本当に、本や雑誌、映画やドラマで見たとおりでした・・・非常に大変です)
暴力癖があるとわかっていながらの結婚。
全ての人同様に、良いところも沢山ある彼・・・そんな彼に暴力癖があることが残念に思えてなりませんでした。
こちらが理解を示してあげられれば良くなるのではないか、愛情を持って「暴力はいけないことだ」と伝えていけば、いつか治るのではないか・・・そう信じて、できる限りのことをしてきたのですが、結婚後、夫の家族と親しくなるにつれ、暴力癖が夫だけの問題ではないことがわかってきました。
義理母が訪ねてきていた時に、彼の機嫌が急に悪くなり殴られた私に
義理母は
「機嫌が良くなるまで口答えしないで黙っていればいい」
とアドバイスしたのです。
それでは彼の暴力癖は良くならない・・・彼がこんな風に育ったのは義理母のせい・・・?
更にわかったのは、暴力癖があるのが夫だけではなかったということ・・・夫の兄、叔父、祖父・・・どうやら義理母方の家系に暴力癖の血が流れているようなのです・・・( ̄_ ̄|||)
義理母は自分自身も暴力癖のある父親の元で成長していた訳です。
でも、だから仕方がない・・・と、何も言わないでいたら、暴力癖が代々引き継がれていってしまう・・・
暴力癖が子供達に引き継がれないように、夫の暴力を何とかしなければ!
そう思って、頑張ってきましたが・・・
「やはり専門家による治療を受けないとダメかもしれない・・・」
と悟った頃には、自分が鬱病にかかっていました・・・(;-_-;)
それまで、心配させてはいけないと思ってずっと話さずにいた実家の両親にも、その時初めて事実を打ち明けました。
テラピーを受けて鬱病が治ったと思ったら、今度は視覚異常に続いて右腕が痺れるようになり、
『多発性硬化症』の疑いがあるということで長らく検査を受けていたのですが(→http://fromholland-withlove.spaces.live.com/blog/cns!945B0BC82EE67D38!2214.entry)、
結局原因も病名もわからぬまま迎えた最後の検査の日・・・
お医者様に
「これは”zielpijn(魂の痛み)”かもしれない・・辛いことを我慢し続けていませんか?」
と言われて思わず
「・・・実は私も、もしかしたらそうなんじゃないかと、うすうす思っていました。 実は、この病状が出る約1年前に鬱病になって治療を受けていたのです。」
と答えました。暴力があまりに酷かった(=子供達の身の危険を真剣に感じた)時に、友人のアドバイスで警察にも届け出ました。

オランダでは、万が一に備えて届けを出しておくaanmeldingと、通報のaangifteの2種類の方法があって、私は前者をするつもりだったのですが、うっかりオランダ語の単語を間違えてaangifte(=通報)をしてしまったら、警察官が即座に夫を逮捕に出動しそうになって・・・慌ててaanmeldingの間違いであることを伝えましたが、お陰で、私が今まで受けてきた暴力は逮捕に値することだったんだ・・・ということがわかりました。
それからはいろいろな専門機関に相談したり、思い付くこと、出来ることは全てやってきたのですが、オランダでは外国人である私には、これ以上どうしていいのかわからず・・・
行き詰っていた頃に、当時小学校6年生だった長男ミハーリが学校の先生に相談してくれ、先生を通じてユトレヒト州の家庭内暴力の専門機関と連絡を取ることができました。
夜中に夫が大声で怒鳴ったり、物が壊れる音がする度に
「ママを助けてあげたいけど、僕はまだ小さくて弱いから助けられない・・・(>_<。。。」
と、いつも布団の中で思っていたのだそうです。
ミハーリが4歳の時、
「ママ・・・どうしてパパと結婚したの・・・?」
と目に涙を浮かべて聞いてきたことがありました。
胸が痛みました。
夫の為にと思って頑張ってきましたが、大切な子供がその犠牲になっているかもしれない・・・と。
でも、ここで夫を否定してはいけない!と思い
「怒りんぼうなのはパパの悪いところ。 パパにもいっぱい良いところがあるでしょ?
人にはみんな、良いところと悪いところがあるのよ。 だから、その人の良いところを見てあげるようにしようネ。
それに、パパと結婚してなかったら、ミハーリくんは生まれてこなかったのヨ。
ママはミハーリくんが大好きだから、パパと結婚して良かった!って思ってるのよ。」
と話して聞かせました。
その4年後、マリアが4歳の時、やっぱり
「ママ・・・どうしてパパと結婚したの・・・?」
と目に涙を浮かべて聞いてきたのです。
ショックでした。
でもその時、
 「怒りんぼうなのはパパの悪いところ。 パパにもいっぱい良いところがあるでしょ?
人にはみんな、良いところと悪いところがあるんだよ。 だから、その人の良いところを見てあげるようにしようネ。
それに、ママがパパと結婚してなかったら、マリアちゃんは生まれてこなかったんだヨ。
ね? ママ?」

と、4年前に私が話したとおりに、ミハーリがマリアに説明してくれたのです。
子供のうちに、こんな風に悟ってしまうことが良いのか悪いのかわかりませんが、
ミハーリもマリアも、相手の気持ちになって考えられる、本当に優しい子に育っています。
神様に感謝するばかりです。
家庭内暴力の専門機関から派遣された職員との面談の結果、
私と同様に、ミハーリの希望も
「パパに暴力癖治療テラピーを受けて欲しい」
というものだったので、その旨、職員が夫に伝えたのですが、
夫は、話し合いの途中で(目に怒りの炎を燃やしながら)席を立ってしまいました。
学校の先生に事実を話したミハーリに対して
「裏切られた」
と言って怒っている夫を見て、
「大好きなパパの暴力がなくなって欲しい」
というミハーリの勇気ある愛情を、この人は理解できないのか・・・
と心底ガッカリし、ようやく決心が付きました。「完璧な人はいないのだから、その人の悪い所ではなく、良い所を見るようにしないと」
と子供達に(そして自分自身に)言い聞かせてきた私ですが・・・
子供達同様、夫(の良い所)が大好きな私ですが・・・
離婚することにしました。

離婚を決心した理由はもう一つ。
体のことです。
鬱病、右腕の痺れ(=多発性硬化症の症状)の他、昨年末は突然の全身関節痛(=リウマチの症状)、そして(寝ている間にものすごい力で歯をくいしばっているらしく)奥歯が割れ・・・
知らぬうちにストレスが溜まっていたのですね・・・ストレスが形を変え場所を変え、体に現れるようになってしまっていました。
彼が笑顔の時は安心し、表情や声色が変わる度にビクっとする。
「いつまた暴力を振るわれるかわからない」
という恐怖に怯えながら暮らすことに、心がほとほと疲れてしまったようです。
びくびくしながら過ごす・・・まるでいつ爆弾が落とされるかわからない”戦場”で暮らしているようでした。
鬱病を乗り越えてから、肝がすわったのか、彼の暴力にもさほど動揺しなくなったのですが、
いつだったか、森英恵さんのインタビュー記事を雑誌で読んだ時、彼女が地震に動揺しないことに対して、
「自分は暢気なのだと笑って答えるけれど、実際は、戦争を体験して以来、怖いものがなくなって、多少のことには驚かなくなったのだ」
とおっしゃっていて、私のもこの感覚に似ているな・・・と思いました。
家庭内暴力のある家庭は、(何事もない時でも、常に、自動的に、緊張して警戒してしまうところが)
いつ爆撃に遭うかわからない戦場と似ているのです。このまま一緒に暮らしていたら、私は本当に病気になってしまう・・・子供達の為にも、私は健康でいなければ・・・!

そう思って、離婚を決意しました。
夫のことは、それでも愛しています。
15年前に比べたら断然穏やかになった夫・・・頑張って添い遂げられず、申し訳ないと思っています。
でも、子供達の為に、自分自身の為に、私は離婚します。
子供達もその方がいい、と言ってくれているのは、本当にありがたいことです。
離婚コーディネーターを介しての離婚(=二人で一人の弁護士を介して、裁判にはせずに、話し合いによって離婚を成立させる)が間もなく成立し、私は子供達と一緒に引っ越します。
生活は苦しくなりますが、子供達と平和に暮らせると思うと嬉しいです・・・(*^-^*)
「君が大変になるだけだよ。 僕がたまにアグレッシブになるのを我慢すれば、今の余裕ある生活が続けられるのに。」
と彼は言います。
「出て行かないで。 暴力癖はテラピーを受けて直すように努力するから。」
とは決して言わない・・・
だからこれでいいのです。
本当は離婚したくなかった夫を、離婚によって悲しませることになってしまったことが、唯一、悲しいです。
もうすぐ新しい生活が始まります。
夫とは、離婚後も協力し合って子供達を育てていくつもりです。
それが夫の暴力癖の快復にも役立てば・・・と願っています。

庭の桜

 
昨日、庭のが開花しました・・・!
 
以前は毎年チューリップ休み(=日本のゴールデンウィークとほぼ同時期にある、学校のお休み)中に一時帰国している間に咲き終わってしまっていた庭の
数年前から4月半ばに咲くようになりました。
 
が咲くと、なんだか嬉しい(*^-^*)のは日本人だから?
 
夏にはさくらんぼがなります♪ 
昔は毎年さくらんぼジャムを作っていたのですが、木が高くなり過ぎてさくらんぼの収穫ができなくなってしまいました・・・(T_T)
今では小鳥達が(きれ~に、残さず)食べてマス(笑)

フライト日記 (Osaka)

2008年4月
(KIX)
 
2回続けての大阪便
機種はボーイング777。 担当は久し振りのビジネスクラス(←エコノミークラス担当月が終わったのかナ・・・?)。
通常はオランダ人CA日本人CAが一人ずつ入るビジネスクラス。 私は"オランダ人CA"として入った為、日本人二人での担当になりました。
 
日本ベース日本人CAと組んでの仕事は、日本語で会話できること&文化・習慣の違いにお互い驚くことがないことetc.から、本当にスムーズ・・・(*^-^*)
 
ビジネスクラスのお食事は、和食のチョイスが、
ホテルオークラ・アムステルダムの和食レストラン『山里』
(↑オランダで本物の和食を食べたいならココ!と言われる高級レストラン)
のお料理・・・!
前回(大阪便)も前々回(東京便)もエコノミークラス担当だった為(+予想通り大人気でトレイが残らなかった為)、まだきちんと拝んだことがなかったオークラの和食ミール
ゴージャスでした・・・!!


(と~~~っても美味しい
本格和食メニュー)

東京便に乗務した際、先輩方から
「何も言わないでいると、オランダ人の相棒が、お味噌汁前菜として先に出してしまうので要注意・・・(^^;)」
とアドバイスを受けていましたが、今回は日本人が相棒ですから何の心配もありません(^-^)

お味噌汁は問題ないとして・・・あとは、和食では普通全部一緒にお出しするはずのおかずものが、(洋食に合わせて)前菜主菜に分けられてしまっていること。
洋食では、前菜をお下げしてから主菜(=ホットミール)をお出ししますが、和食はやはり、おかずだけで(横にご飯お味噌汁がないので)は、やっぱり変なので、
和食前菜主菜を同時にお出しできるように=前菜のトレイをお配りした直後に和食のホットミール(=ご飯と温かいおかず)をお出しできるように、ホットミールのオーブンのスイッチを入れるタイミングを調整しました ウインク
・・・というのは嘘で、実は、ドリンクサービスに時間がかかり、ミールサービスに入るのが遅れた為、通常なら前菜をお下げする頃にできあがるはずのホットミールが、たまたま丁度ピッタリ前菜をお配りし終わった時に温まったのです・・・(^^ゞ
 
丁度良いタイミングでホットミールが温まったので、和食のホットミールを直ちにお持ちし(→洋食のホットミールの方は、いつも通り、前菜を召し上がり終わるまでお待ちして)、同時にパーサーにお味噌汁(フリーズドライ)を作っていただきました。 
お味噌汁初挑戦(?)のパーサー、お湯の量が少なすぎたらしく、かなりしょっぱいお味噌汁だったそうです・・・外国人のお客様は(濃い味付けに慣れているのか)皆様全部お飲みになっていらっしゃいましたが、日本人のお客様は半分くらいお残しになっていらっしゃる方が多く、反省・・・(^_^;)
 
デザートは、ケーキ、フレッシュ・フルーツ・サラダ、チーズの盛り合わせからのチョイスなのですが、ケーキが・・・
以前大人気だった『蜂蜜といちじくのケーキ』復活!
感激(>_<。。。
ほんと~~~うに美味しかったです!!
(↑ケーキはいつも余分に搭載されているので必ず余るのです)
皆様もお試しあれ!
(次のフライトにも搭載されていますように・・・!!!)

 
(涙が出るほど美味しい
『蜂蜜といちじくのケーキ』)
 

最初のミールサービス終了後、エコノミークラスに乗っているはずの友人の旦那様を探しに行きました。
空港でチョコレートを買って、機内でお渡しすることになっていたので・・・照明が落ちて薄暗い、満席のエコノミークラスの中、必死に探しました(笑)
よかった、旦那様発見・・・ε-(^。^*)ホッ♪
パーサーに紹介すると
コックピットにご案内しては?」
とおっしゃっていただけたので、機長の許可を得てコックピットにお連れしました。
911のテロ以降、乗務員以外はコックピットには入れないことになっていますが、機長に事情を話して、機長からの入室許可がおりれば、お客様をお連れすることも可能です。
担当エリアが違った為それくらいしかできませんでしたが、旦那様、喜んでいただけていたら嬉しいです・・・(✿ฺ^-^✿ฺ)
 
到着前のミールサービスでは、メニューに間違いがあって(出発前に気が付いたのでお客様にきちんと訂正することができましたが)大変でした。
以前は、ビジネスクラスのメニューの校正をさせて頂いていた為、(時々手違いで校正なしで搭載されてしまったこともありましたがxxx)大抵の場合搭載前に訂正することができていたのですが、昨年末に翻訳会社がイギリスの会社からアメリカの会社に変わり、今度の翻訳会社は「校正不要!」とのことで、そのまま搭載されてしまっているのです。
2月に、日本人乗務員用に日本語のアナウンス・ブックが配布されたのですが、こちらも間違いだらけ・・・残念ですしおれたバラ
 
関空到着後、1時間クルーバスに揺られてクルーホテルへ。
もう散ってしまったと思っていたがまだ少し残っていて、ホテル前を流れる川沿いの並木がとても美しく、感動♪
 
今回は午後6時30分にホテルのロビーに集合後、貨物便のコックピット・クルー2人も加わって、クルードリンク(=夕食前に皆で飲むこと)は抜きで、いつものUSHINABE(←前の日記にリンク貼ってあります)に直行。
オランダ人の同僚達も喜んでくれて、お食事も梅酒も美味しくて、デザートのじゃんけんにも勝って(←グループの代表者が店員とじゃんけんして勝つと全員無料でデザート=バニラアイスor抹茶アイスor柚子シャーベットがいただけます♪)(→負けると全員デザートを注文しないといけなくなりますorz)、大満足 v(^-^)


(デザートじゃんけんに勝った瞬間)

梅酒がすっかり気に入った貨物便の副操縦士、レストランのお向かいのスーパーで早速購入していました(笑)
一方、"デザートじゃんけん"で見事に勝って一躍ヒーローとなったセカンド・オフィサー、明治のアーモンドチョコレートを10箱以上買占めしてました・・・大好物なんですって!
(私も高校時代、大好物で、毎日1箱食べてました・・・懐かしい)


(アーモンドチョコレート買占め)

食後は30分だけカラオケに。
オランダ人で唯一ついてきた貨物便の機長(←他の同僚達は眠気に襲われホテルへ戻りました)は、10年くらい前に札幌便で一緒にスキーに行って以来の友人で、その時に教えた日本語のコックピット・アナウンスを今でも日本路線でアナウンスしているとのこと。 最年少機長の一人で、まだ若く、ハンサム、真面目そうなのにさりげなくジョークを飛ばす、面白い人です。 そして歌もものすごく上手い!! ビックリしました。 


(真ん中に写っているのが
歌の上手な機長)

翌朝は6時起き晴れ
本当は7時に起きるつもりだったのですが、なんということでしょう・・・(-_-|||)、時差の計算を間違えてしまってxxx(恥)
大阪便に出発した日(3月30日)、オランダでは冬時間から夏時間に変わったのですが、日本時間からの逆算で間違えてしまったようなのです(←フライト先ではオランダの携帯電話を目覚まし代わりにしているもので)。

 
そんな訳で1時間余分に時間ができてしまったので、ゆっくりのんびりシャワーを浴びて、テレビのニュースもしっかり見てから、朝食に降りました。
朝食は軽めの(=果物や菓子パンくらいしか食べない)オランダ人の同僚達は、朝からご飯&お味噌汁&おかずを(しかも2回おかわりして)食べる私を見て
「・・・( ̄□ ̄;)!! 昨日あんなに食べたのに、また朝からこんなに食べるの?!」
と驚いていましたが、"睡眠よりも食事"なのです、私の場合(笑) 
 
帰りの便もほぼ満席・・・でしたが、相棒が日本人ですので断然楽です♪
 
今回は、到着後に仮眠を取り過ぎて夜眠れなくなってしまった・・・というオランダ人同僚はいなかったのですが、それでも日本路線乗務の後現地で1泊しかできないというのは当然疲れます。
最初のミールサービスが終わって、クルーミールを取りに来たオランダ人同僚の一人が、
「やっぱり1泊はキツイ・・・2泊あった頃はまだ体が楽だったのに・・・ε-(-_-;)」
とため息混じりに言うので
「あなた達(オランダ人)は皆、疲れてもいいから1泊でオランダに戻って、その分フライト・リーブ(=フライトの後のお休み)が長くなる方がいいと思ってるのでは・・・?」
と聞くと、そういう人も多いけれど、そうでない人も多いと思うとのこと・・・ひらめき
 
今までずっと躊躇していたのですが、オランダ人の同僚の中にも同意見の人がいると知って
日本路線を現地1泊でこなすのは、帰りの便での体力が万全でなく、万が一緊急事態が発生した場合に、思うように頭が働かない可能性がある。 現地での休息時間より、フライト・リーブの長さが大事だというオランダ人クルーも多いのかもしれないが、フライト・リーブよりもフライト・セイフティーの方が大切なはず。 日本路線は少なくとも2泊のスケジュールにして頂きたい。」
というリマークス(=機内で問題があった時などにかく報告書/質問書)を、思い切って書いてみました。
聞き入れて頂けるでしょうか・・・
 
アムステルダム到着後、Farewellの日本語のアナウンスを入れさせていただきました。
先月から、花の国オランダが誇る世界一の花の公園『キューケンホフ公園』が開園しているので、そのインフォメーションを日本語で加えた後、
「日本での滞在が素晴らしいものでありましたように・・・次回の日本へのご旅行でも、機上でお目にかかれますように・・・」
というメッセージをオランダ人のお客様宛てにオランダ語で入れました。
 
お客様からも、同僚達からも好評なアナウンスですが、日本人の大先輩の中には、
アナウンス・ブックにない余計な文章は入れるべきではない。 オランダ語のアナウンスはオランダ人がすればよい。」
とおっしゃる方もいらっしゃるので、毎回は入れないのですが、私は、その季節季節に合ったアナウンスを加えるのはとても素敵なことだと思っています。
日本ベースで乗務していた頃、いつも季節毎にご自身で美しい文章を付け加えてアナウンスされる先輩がいらして、当時から私も先輩の真似をして追加文章を作るように試みていました。
オランダ語のアナウンスに関しては、時々
「日本人のお客様の為に少しだけ日本語でアナウンスしてみたいからローマ字で書いてもらえる?」
と、Wellcomeのアナウンスの一部だけ、頑張って日本語でのアナウンスに挑戦するパーサーや機長がいらっしゃるのですが、そんな時はもちろん日本人のお客様に(もしかしたら外国人のお客様にも)大変喜んでいただけるので、
オランダ人のお客様も同様に、日本人CAが頑張ってオランダ語でご挨拶したら、きっと喜んでいただけるのではないかと思って・・・
 
お客様に限らず、同僚達に対しても、どんなプラスαなことができるか?を常に考える・・・これも仕事の楽しさの一つだと思います。
 
次はソウル便です。
どなたかソウルに詳しい方がいらっしゃいましたら、是非いろいろ教えて下さい・・・m(_ _)m