3月11日に発生した東北関東大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様、そのご家族、関係者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
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2011年3月
(NRT/KIX)
3月15日、休暇あけのフライトは、
(いつものように東京便と大阪便をリクエストしていましたが通らず)
トロント便の予定でした。
3月14日(月)朝のニュースで福島原発の2度目の爆発を知った時、頭に浮かんだのは、
「明日の東京便が付いているオランダ人の同僚達は、さぞ不安に思っていることだろう・・・」
ということ。
思わずCrew Control (病欠を取る時などに連絡を入れたり、スケジュール変更があった時に連絡がくる部署)に
私は15日からトロント便に乗務予定だけれど、今の日本の状況から、
東京便に乗務予定のオランダ人クルーの中に、
もしも、「できれば行きたくない」という同僚がいたら、
私は東京に家族もいるので、よろこんで替わります・・・!
と電話を入れました。
でも、例え「行きたくない」と思っていても、ただ「行きたくない」という理由だけでは会社に連絡し辛いかもしれないと思い、試しにFacebookのコミュニティーに
私は明日トロント便に乗務予定だけれど、
もしも明日東京便に乗務する同僚の中に、
できれば行きたくない、という人がいたら、
私は日本に行かれれば家族にも連絡できるし、
不足している物も届けられるし、
必要なら両親をオランダにも連れて帰って来られるから、
是非替わりたいので連絡下さい・・・!
と投稿してみたら、予想以上に(知らない同僚達からも)同情と応援のコメントやメッセージが来て、いつの間にか
“misaeが日本に行けるように、みんなで協力しよう!”
という流れになり、
彼ら経由でこの話を耳にした東京便乗務予定のパーサーから
「明日の便は、東京経由大阪行きに変更になったので東京にはステイできないけれど、それでも構わないなら、なんとか君が東京便に乗務できるように手を尽くす」
というメールが・・・
「ステイ先が大阪でも構いません。今の状況だと、例えステイ先が東京(成田)だったとしても、ホテルの外に出るのは禁じられていたでしょうし、家族に連絡したり、物を送ったりするのは大阪からでもできますから。」
と返信し、待機していました。
しかし、その日の夜には
「残念ながら、変更できません」
という電話がCrew Controlから(そして、「交通機関のマヒで成田空港に辿り着けない日本人クルーもいるのではないかと心配して別の同僚が連絡を取ってくれたJapanese Division =日本人乗務員が所属している部署のリタからも同様のメールが)あり、
諦めてトロントへ行くつもりで準備していたのですが、
翌朝=出発当日の朝、CCM(=Cabin Crew Management)から
「Working Crew (=乗務するクルー) になるか Dead Heading Crew (=乗客としてフライトに同行するクルー)になるかまだわからないが、君が東京便に乗務できるように必ずアレンジするので連絡を待つように」
という電話が入り、日本へ行けることに。
先述のパーサーが、CCMのマネージャー達にメールを送ってくれていたのです。
人助けのつもりが助けられて、日本に行けることになったので、
両親と弟妹、友人達に連絡して、
日本で不足しているものをオランダで買って持って行き、大阪から送ることにしました。
家族や友人へ必要な連絡をした後、(前日も結局3時間しか寝られなかったので)1時間半仮眠を取り、買出しをしてスキポールへ向かいました。
途中、WTC駅で(日本語補習校のママ友であり、mixiでのマイミクである)LUNAさんから、(日本で在庫がなくなっているという)ビニール合羽と(懐中電灯代わりになる)自転車用ランプを受け取りました。
(LUNAさん、本当にありがとう・・・!)
東京行き直行便は、
「オランダ人クルーを成田にステイさせない為、成田空港経由で関空へ飛ぶ」
と聞いていたのですが、
成田空港の安全が不確かであることを理由に
リポーティングの後に関空直行便に変更されました。
危ない場所にもギリギリまで飛ばす会社なので、成田に降りないという決定に心が震えました。
成田のクルーホテルにいたオランダ人クルーは15日(火)までに全員大阪のクルーホテルに全員移動したとのこと。
リポーティング時に、私の代わりにトロントへ行くことになった(=東京便と交換してくれた)同僚に偶然会い、直接お礼を言うことができました。(←偶然・・・ではない気がしています。)
通常はキャビンクルーだけで行われるフライト前のブリーフィングですが、今回はコックピットクルーも全員、また、CCMのマネージャー3名と企業医師も出席し、
機長からは関空までのルートが放射能汚染の可能性のない南方ルートが取られること等の説明、
企業医師からは放射能汚染予防の為に機内にヨード薬が特別に搭載されたこと、
CCMのマネージャー達からは会社の方針の説明がありました。
こういう便での日本語のアナウンスは大変です。
幸い、日本人乗務員の中で最も乗務暦の長い大先輩のHさんがいらしたので、
安心でした。
お客様も、旅行に出ている間に日本がこんなことになってしまって、どんなにショックを受けているだろう・・・と、重苦しい雰囲気を予想して向かったゲート。
いつもと変わらぬ様子にちょっと気が抜けたのですが、
サービス中、やはりいつもと違う空気を感じました。
顔で笑って心で泣いている・・・?
そういう私達日本人乗務員もきっと同じだったと思います・・・私だって前日まで被災地の映像にショックを受け、家族を失った被災者の声に心を痛め、福島原発のことが心配で心配で、一人になっては涙していたのですから。
外国人のお客様(皆様ジャーナリスト)の様子もいつもとは違っていました。
やけに明るく、無理にお酒を飲んで酔おうとしている感じ。
心の奥の恐怖心を隠そうとしているかのように・・・
今回のフライトで驚いたこと→機内のトイレからトイレットペーパーがいくつも盗まれました・・・東京便で機内の物が盗まれたのは初めてでした(→他の路線では時々あります)
関空到着は午後2時。
クルーホテルに着いたのは午後4時過ぎでした。
チェックインをしていると、様子を伺いながら近づいてくる私服の日本人女性に気付きました。
22年前に日本人乗務員として同期入社して、4年契約終了後、ニュージーランド航空に転職したMちゃんでした。 丁度乗務で来ていたとのこと。
彼女はニュージーランド、私はオランダに引っ越してしまったので、ずっと会えずにいたMちゃんに、こんなところで再会するとは! (←これも偶然ではないのでしょうね・・・)
翌日の朝食時は、東京ベースの方々(←大阪に一泊し、国内線で東京に帰られました)と、Mちゃんと一緒に。
いつもは日本人は私一人なのに(日本人乗務員は通常は帰国後は帰宅してクルーホテルに泊まることはないので)日本語でおしゃべりしながらの朝食・・・なんだか、日本ベースだった頃の、アンカレッジやアムステルダムでのステイ中の朝食の時間のようで、懐かしかったです。
大阪では、家族や、メールで連絡が取れていなかった友人達と電話で話し、
オランダから持ってきたものを郵送しました。
ホテルの部屋ではついつい原発のニュースに見入ってしまい、
そんな折、会社から
「風向きが変わり、東京にも放射能が届く可能性が出てきた為、今後も東京便は、大阪行きに変更して運行する」
というメールが入り、ますます心配に・・・
(オランダ人には言いませんでしいたが、ホテルの部屋で一人になって、いつまでも不安が続く東北関東地方の人々を思うと悲しくなってしまって、涙が止まりませんでした(>_<。。。 )
オランダ人も
「2泊もしないで今すぐにでもオランダに帰りたい」
と不安そうだったので、自分の気分転換も兼ねて、雪の中、皆を京都に案内することにしました。
そう、3月半ばなのに、雪が降っていました。
半日しかなかったので、東寺(同僚の一人からのリクエスト)、清水寺、八坂神社の3箇所だけ回りました。
思っていた以上に喜んでもらえて、私も嬉しかったです。
本当に美しい京都・・・癒しの威力はすごい・・・!
東寺で五重塔が特別公開されていて内部を見る事ができたのは、私も感激でした。
ミハーリとマリアにお守りを買いました。
京都から戻ると同行した同僚達はお腹が空いたとそのまま鉄板焼き屋さん(・・・と同僚達は言っていましたが、行ってみたら広島風お好み焼き屋さんでした)へ。
私は家族から連絡が入っているといけないと思い、念の為ホテルへ・・・と部屋へ戻るとドアの下に手紙が・・・
「19時より、地下1階のミュージックルームにて、3クルー合同ブリーフィングを行います」
という機長からの手紙でした。(その時、時刻は18時50分)
同僚達とは連絡が取れないので、一人で行ってみると、
(ミュージックルームというのがあるなんて知りませんでした・・・ヤマハのアップライトピアノが1台ありました・・・次回はここで練習させていただけるかな・・・?)
結局他のクルーも到着後既に眠ってしまっていたり、あるいは既に食事に出かけてしまっていたりで、数人しか集まっていませんでしたが、
会社から合同ブリーフィングをするように頼まれたという機長から、現在の状況の説明がありました。
① 今後は特別に雇った放射能の専門家が随時放射能の観測を行い、
その数値により、その都度、成田便を成田に寄航させるかさせまいか決定する。
現時点では、放射能の数値は危険なレベルにないので、
成田寄航は問題ない。
② 成田は寄航問題ないが、万が一に備えて、
オランダ人乗務員は1箇所に集めておいた方が連絡を取り易い為、
暫くの間、日本でのステイは、東京便も大阪便も大阪ステイとする。
③ 成田空港から搭載される貨物に関しては、
東京以北からの貨物は全て放射能測定を行い、
汚染されていないことを確認してから搭載し、
アムステルダム到着後も放射能測定を行ってから積み下ろし作業に入る。
④ オランダの隣国(実際には国名を言っていましたがここでは伏せます)が
成田に寄航しないことを早期に決定し、現在も寄航していないのは、
放射能の危険性が理由ではなく、
間もなく行われる選挙に備えた与党の政策の一環なので、心配しないように。
⑤ 今後会社から連絡がなければ、スケジュールの変更はない。
「知らせがないのは良い知らせ」と思うように。
・・・とのこと。
それ以降も質疑応答が続いていましたが、忘れないうちに同僚達に知らせる為、(それに私もお腹が空いていたので)急いで同僚達の待つお店へ。
京都を案内してくれた御礼に・・・と、皆でワインをご馳走してくれました(*^-^*)
翌日は午前11時Calling(=Wake Up Call)だったので、その前に朝食を済まようと思い、9時に目覚ましをセット。
夜型の両親と1時くらいまで電話で話し、それからまたしばらくニュースを見ていると地震速報が・・・
あぁまだ収まっていないのか、まだ不安が続くのか、と思ったら心配で心配でたまらなくなり、気が付いたらまた涙があふれていました(T_T)
時間は長くありませんでしたが、十分睡眠をとり、帰りの乗務。
コックピットクルーが変わり(←私達キャビンクルーは2泊するのですが、コックピットクルーは1泊しかしない為)、新しい機長がクルーバスで皆に挨拶し、その日の飛行航路やオランダの天候などを説明、最後に
「やっと日本を脱出して家に帰れますね!」
と満面の笑顔で言ったのを聞いて、胸が苦しくなりました。
思わず
「私は日本人なので普段は気持ちを表に出さないけれど、今日は正直に言うので聞いてもらえる? あなた達はこれから家に帰るのでしょうけれど、日本人の私や(関空でジョインする)他の日本人乗務員にとっては、祖国を心配しながら家を離れるのです。 日本人の同僚達の中には、まだ家族と連絡が取れない人もいると聞いています。 日本人は仕事とプライベートをしっかり分けるので、いつもと変わらず笑顔で乗務しますが、心の中は不安や悲しみでいっぱいであることを忘れないで・・・(>_<。。。」
と伝えました。
みんなわかってくれたようでした。
日本人乗務員は成田空港で交代、乗客も成田空港で乗り降りするので、
関空から乗り込んだのは私達オランダ人乗務員だけです。
つまり、現在、東京便は、
アムステルダム発
↓
成田着(成田行きの乗客降機)(成田行きの日本人乗務員降機)
成田発(アムステルダム行きの乗客搭乗)(アムステルダム行きの日本人乗務員搭乗)
↓
関空着(成田行きのオランダ人乗務員降機)
関空発(アムステルダム行きのオランダ人乗務員搭乗)
↓
アムステルダム着
という三角点飛行となっています。
アムステルダム発では、長い乗務の後、成田で降りず、そのまま関空まで乗務ればならないオランダ人乗務員が、
成田発では、(交通機関の運行が心配で念の為早朝に家を出て)早い時間から成田空港で待機後、まず関空まで乗務して、それから更にアムステルダムまで長時間のフライトをこなさなければならない日本人乗務員が、
通常よりも長い乗務時間となり、激務を強いられています。
早く通常のフライトになり、成田にステイできるようになりますように・・・
アムステルダム到着後、オランダ人の同僚達が、余った日本円や、アローワンスのユーロやドルを
「救援物資を買うのに役立てて欲しい」
と寄付してくれました。
会社が考慮してくれ、次もまた東京便(ステイは大阪ですが)に乗務します。
これから暫くの間、最小限のフライトリーブで、できるだけ日本路線だけに乗務できるよう、会社との相談を続けるつもりです。
個人からの救援物資の受付も始まったので、オランダからの救援物資を大阪から送れたら・・・と思っています。
頻繁に乗務に出る事になり、在蘭日本人の友人達が企画している数々のオランダでのチャリティーイベントのお手伝いはできなくなってしまうかもしれませんが、
オランダでの活動は友人達に任せて、私は、私ができること、私だからできること、をやっていきたいと思っています。
今週末、再び乗務する東京/大阪便。
元々は、冬のスケジュール最後の3泊5日の東京便(夏のスケジュールでは、東京便は全て1泊か2泊)で、リクエストしたけれど頂けなかったフライトです。
大阪に3日間いられるので、翌日以降到着するオランダ人クルーの有志にも、インターネットに掲載されていた必要とされている救援物資のリストの中からオランダで購入して持って来てもらい、毎日私が代行して宅急便で送ろうと思っています。
また、時間があれば、不安な気持ちで滞在しているかもしれないオランダ人同僚達の観光案内等のケアもしてあげられたらいいなと思っています。
少しでもお役に立てますように・・・
17日NRT発でした。
お客様の中に、Misaeさんのお知り合いの方がいらして、少しお話しました。
あとで伺うつもりが、そのあとばたばたで伺えませんでしたが・・・!
お疲れ様でした。
一日も早く元通りになるといいですね。
信頼できる情報を選び、冷静でいることの大切さを感じました。
yokoさん、コメントありがとうございます。
出発が1日早かったら大変だったのでは?
16日は、私が乗務した便が関空直行便になってしまった為、お客様は、会社が用意したバスで成田空港から関空まで向かわれたと聞きました。 6時間以上かかったと思うので、それからアムステルダムまでの乗務時間を考えると、日本人乗務員の皆さんは勤務時間オーバーになってしまいますよね? 日本人乗務員なしで飛ばせたのかしら(・・・だとしたら、そういう便に私が乗務できていたらよかったのにと思います)
本当に、一日も早く元通りになるよう祈るばかりです。
怖がり過ぎるのも、安心し過ぎるのも、駄目なんでしょうね、今は。
地震も原発も、早く落ち着きますように・・・!
たぶん、その便は日本人なしで飛ばしたのだと思います。。。
確か夜中の2時出発とかでした(涙)お客様もくたくただったことでしょうね。
私は交通も少し落ち着いたころでしたので、まだ助かりました。
いつまで続くのでしょうね。
祈るばかりです。
Yokoさん、コメントありがとうございます。
日本人なし・・・イレギュラーな便で日本語のアナウンスが入らないフライトは、お客様もさぞご不便に思われたことでしょう・・・
そんなことになってしまったのが1便だけで、本当によかったです。
大変な日々を過ごされているようですね!
同僚クルーの方達の心中もお察しします
一番の心配は放射能汚染でしょうね
ここ毎日のようにTV局はそのことばかりを流しています(怒)
どうして日本のマスコミは”馬鹿”ばかりなのか理解出来ません
それに輪をかけて無能な政府はドウシヨウモナイデス!
一刻も早くご家族やお友達をオランダに移住されたほうが宜しかと・・・
この調子でしたら首都東京どころか日本も危ないかも
此方は西日本なのですが大阪にステイされてお判りのように
何の被害もありません(買い溜めに走っているおバカはいるようですけど)
西日本も絶対安全とは限りませんし、治安住み易さ1番は”カナダ”らしいですしね
あれだけの被災地域の方達を日本の国土のどこへ?
これだけUSAやロシヤのように広大な国土があれば移転も可能でしょうけど!?
移転だけではなく生活の基盤さえ無いのですから・・・・
今こそカリスマのリーダが必要な時なのですけどね
まだ、USAの46州目の属国のほうが幸せかもしれませんね(国に殺されることはないと思いますけど)
180日の備蓄があっても被災地ではガソリンも灯油も無い
復興の重機の重油の無い、此方から行くこともままならない
個人で行ってもミイラ取りがミイラになるのがオチ
パフォーマンスばかりのこの国には未来は無い!!
misaeさんも無理をしないように個人でどうこう出来ることでは・・
まだまだ、余震は続きそうですしね(いっそのこと今の内閣ごと持って行ってくれれば役人さんのほうが手際がいいと思うのですけどね)
翡翠さん、コメントありがとうございます。
>オランダへ移住・・・
帰りの便は、実際、そういうご家族(=日本人の母親、オランダ人の父親、ハーフの子供達)でいっぱいでした。
私も、子供達に言われて、両親に一時的にオランダに来ることは打診しましたが、
弟は仕事を休めないし、誰か一人でも置いて行く、というのはやはり難しいのだと思います。
>個人でどうこう出来ることでは・・
はい、私一人では大したことはできません。が、塵が積もって山となるように、何もしないよりは、少しはお役に立てるのではないかと、
無理せず、できることをできるだけ、やっていけたらいいなと思っています。
本当に不思議ですね?
人助けの気持ちから東京便への乗務希望を申し出たことから
始まった色々な人との繋がりや再会など・・・
すべてが偶然ではなく<必然>だったと思います。
きっとmisaeさんの強い「日本を思う気持ち」が手繰り寄せた糸、
それが太い絆となって大きな力に変わったのでしょう(^^)
>“misaeが日本に行けるように、みんなで協力しよう!”
なんて素晴らしい人たちなのでしょう~
思わず感動して我がことのように嬉しくなってしまいました。
昨日も今日も余震が続いていますし、福島第一原発の放射能漏れも
まだまだ楽観視できる状況ではありません・・・
計画停電も長期に亘るため通勤だけでもストレスがかかりますが、
被災者の方々の環境や気持ちを考えれば小さなことなので
「生かされた者たちが力を合わせて必ず日本を再び元気にすること!」
そのための努力を一人ひとりが重ねていくことが大切なんです。
misaeさんなら海外に暮らしているからこそ見えてくる日本があると思いますので、
引き続き乗務を通して世界中の皆さんを元気な笑顔に変えていってくださいね(^-^)
アヌークさん、コメントありがとうございます。
>「生かされた者たちが力を合わせて必ず日本を再び元気にすること!」
>そのための努力を一人ひとりが重ねていくことが大切なんです。
同感です。
私は日本に住んでいないけれど、私もその一員となれたらと願っています。
今回、祖国から遠く離れているがゆえに、より強く日本に思いを馳せ、涙している自分に気付きました。
みさえちゃん久しぶりです。みんなお元気ですか?!
日本が大変な事になっていて、海外に移住している私たちにとっても落ち着かない日々ですね。
私も自分にできる事をやっています。
その1つとしてやはり、両親をこちらにしばらく渡豪させることなのだけれど、日本人魂というか『呑気?』というか。。。
イマイチ危機感薄でこまってますよ(笑)
でべそ達もオランダへ行けたらいいのにね!!!!
お互い海外チーム同士頑張りましょう。
ところで、子供を「バイリンガル」にするにあたり
みさえちゃんに色々ご指導いただきたい事があるので、時間がある時にでもメールください。
リアが最近言葉を発するようになってきたので♪
ではでは、身体に気をつけてみなさんによろしくお伝えください。
Love
Chieko
智恵子ちゃん、コメントありがとう!
お返事が遅くなってごめんねxxx
こちらは皆元気です。
リアちゃん、おしゃべりするようになってきたのですね!!
私が守り続けた『バイリンガル教育の掟』は、
①マックスはオランダ語Only、私は日本語Onlyで、決して混ぜないこと
(マックスや彼の家族とはオランダ語で話しても、子供達に対しては常に、義理母や義理姉からガンガン文句をいわれても、「申し訳ないけれど、子供達の為なので。あなた達に関係あることは後からオランダ語で伝えます。」と、断固として、日本語だけで話しかけてました)
②面倒くさがらずに訂正・補正
(子供達が言葉を話し始めた際、最初に覚えた言語がオランダ語だった時は=例えば、りんごをアップルと言った時は、その都度、「そう、オランダ語ではアップル、日本語ではりんごって言うんだよ~」と、面倒がらずに教えて、
日本語の文章の中にオランダ語の単語が混ざった時も=例えば、「私のタス(=かばん)はどこ?」と言った時、その都度、「タスはオランダ語だね、日本語ではかばん。もう一回言ってみて(*^-^*)」と、一々その場で訂正していました)
この2点だけです。
あとは、日本のビデオを沢山見せたり、日本の音楽を聞かせたり・・・かな。
この辺は、(日本にいると、自動的に今やってる、流行ってるものになってしまうけれど)外国だと、自分の子供時代の番組や音楽でもOKなので、自分が見たい懐かしい番組を一緒に見たり、自分が好きだった懐かしい曲を聞かせたりできて便利(?)です(笑)
また改めてメールするネ(*^-^*)
智恵子ちゃんも体に気をつけて、元気でね!!