小さい頃の夢

今日はちょっと【子供の頃の夢】の話を・・・
私が初めて将来の夢について考えたのは、幼稚園の時です。
(恐らく先生に「みんなは大きくなったら何になりたいのかな~?」と聞かれて考えたんだと思う・・・)

私がその時「なりたい」と思っていたのは画家です。
幼稚園から帰って両親に報告すると、
「そんな経済的に不安定な仕事はやめなさい」
と反対されました。 
(もっと大きかったら「え~、どうして~?」と反抗したのでしょうが)幼稚園児でしたのですんなり納得し、
「だったら、一体どんな仕事を選べば両親は賛成してくれるのだろう・・・」
と密かに思索にふけっていました。
小学校に上がって図書室で本を借りられるようになって間もない頃、
『おねえさんはスチュワーデス』という本(だったと思う・・・)を読みました。 
「これだ!」と思いました。
(母が北海道出身だったもので夏休みなどに)飛行機にはよく乗っていましたので、
「スチュワーデス」(日本ではアメリカ同様フライト・アテンダントと呼ぶようになったそうですが、オランダでは今でもスチュワーデスです)は案外身近な職業だったのです。
「大きくなったらスチュワーデスになる!」 
(両親の反対もなし(^_−)−☆)
(今のマリアと同じ)6歳の時でした。 
それから21歳で夢を叶えるまで15年間、スチュワーデスになることだけを考え・・・
というのは嘘で、途中、
やっぱり美大へ進んでイラストレーターになろうか、とか、
ピアノの先生が折角勧めて下さっているのだから音大に進んでピアニストを目指そうか、とか、
度々怯みそうになりながら(実は、英語が本当に本当に本当に苦手だったのです・・・)
でも諦めずにしつこく夢を追い続けた訳です。
夢が叶った時しみじみ思ったのは、
諦めさえしなければ、夢は必ず叶う!
ということ。

これは本当です。
夢が叶わないのは、途中で諦めてしまうから。
でも、何か諦めたことがあったとしても、心配は要りません。 
本当の夢というのは、諦めようと思っても諦められないもの=諦められたのなら、それは「本当の夢ではなかった」
ということなんじゃないかしら・・・ 
 

しし座流星群

11月19日といえば・・・
しし座流星群
・・・毎年11月19日未明に、
東の空に昇ったばかりのしし座の頭の部分
を中心にして
沢山の流星が見られます。 

時間が時間ですので、
実際にしし座流星群を見たのは
過去1回(過去最大規模と期待された2001年)
だけですが
(実家近くの公園で、義理の弟ふっきーと
凍えながら見ました。
ふっきー、寒いのに付き合ってくれて
ありがとう!)
きれいでしたヨ~! 
今年は、16日が満月だったので月明かり
(ふたご座の辺り)があったと思いますが、
しし座の隣のかに座には土星、
しし座に続いて昇ってくるおとめ座に木星
があり、
さぞかし美しい星空だったことでしょう・・・
見たかったなぁ~ 
プラネタリウムの操作がしたくて
中学時代に天文部に所属
(プラネタリウムも天文台もある学校だったのです)
して以来、星空に魅せられています。
乗務の時も、夜の便の時は、
休憩中にコックピットに星を見に行きます。 
雲の上から眺める星空も格別です! 
 
今月は、夕方には西の空低く”宵の明星“金星
が見え、
また、10月30日に地球最接近となった火星が
-2.3等の明るさで
ぺガスス座(ペガスス座は”ぺガススの大四辺形“と
呼ばれるように
ほぼ正方形をしているので見つけ易いです。 
20時頃に天頂辺りに見えるはずです。)
と
おうし座の間くらいに赤く輝いています。
しし座流星群も
(出現が極大になるのは19日ですが)
もうしばらくは見ることができると思うので、
眠れぬ夜には是非
星空を見上げてみてください。

感謝感激

マックス(夫)がソファで居眠りしている間に(夫は私がコンピューターの前に座っているのを嫌がるものですから・・・)、
HTMLでの画像の挿入とWindows Media Playerへの曲のアップロード(・・・というのでしょうか?)を試み、ついに成功しました
(注:ブログのスポンサー?がMSNからWordPressに変わる際、Windows Media Playerは削除されてしまいました・・・)
コンピューター音痴の私にもできた!と思うと、も~(ブログで自慢したくなるほど)感激です
画像の挿入はキムラさん、Windows Media Playerに関してはがんぶぅさんのお陰・・・
いろいろ詳しく教えて下さって本当にありがとうございました。
感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、・・・(あと100回つづく)!!です。
 
とっても勉強になり、老化の進む私の脳にも非常に良い刺激になりました。
ありがとうございました!
今夜はよく眠れそうです・・・
 
追伸 (さんざん悩んだすえ)Windows Media Player
    に入れた曲は、
エルガーElgar 作曲 
「愛の挨拶 Salut D’amour」  
    という曲です。
    エルガーが婚約の記念に婚約者の為に作曲した曲で、チェロとピアノ用、オーケストラ用の
    アレンジをよく耳にしますが、原曲はピアノ(ソロ)曲だそうです♪

すごい天気

ここ2~3日、オランダではすごい天気が続いています。
滝の様な雨が降ったと思ったら晴れ・・・しばらくするとまた雲行きが怪しくなって今度は雹や霰・・・止んだと思ったらまたどしゃぶりの雨・・・気が付くとパーッと晴れ上がり、間もなく小雨が・・・という具合に、(夫曰く)ほぼ5分間隔で天気が変わります。
「ひどい天気だねぇ」と言うと、人々は口をそろえて「秋だからねぇ」と言います。
典型的なオランダの秋のお天気だそうです。
(こんなに寒いけど、まだ秋だったのね・・・10月末にサマータイムが終わり=冬時間になり、日がどんどん短くなって、てっきりもう冬になったのだとばかり思ってました・・・)
今日はマリアのバレエ教室があり、ミハーリと二人で送りに行きました。
お天気雨の降る中、ふと空を見上げると、きれいな虹が・・・!
(こんなすごい天気にも良いところはある?!)

シント・ニコラース(Sint Nicolaas)

シント・マールテンに続いてやってくるのが・・・

シント・ニコラース
(子供達の素行が書かれている・・・
と言われている本
を見ながら
子供達へのプレゼントを考える・・・
と言われているシント・ニコラース))

シント・ニコラース
Sint Nicolaasは11月11日(シント・マーテンの祭日)の後の最初の土曜日に、
スペインから黒人ピート(Zwarte Piet)を大勢連れて汽船で到着します。
(Zwarte Pietは全員同じ名前Pietで、担当職によって「音楽ピート」とか「道案内ピート」などがいます)
今年は11月11日が金曜日だったので、シント・マーテン祭の翌日の到着となりました。
毎年、オランダの主要都市の港(海であったり運河であったり)に到着後、街をパレードします。
皆様がご想像していらっしゃるとおり、シント・ニコラース=サンタ・クロースです。
どちらも起源は同じ聖人・・・AD270年頃、小アジア=現在のトルコに生まれ、スペインに渡って、
スペインで奴隷として働かされていたアフリカの子ども達を解放し(←黒人ピートの由来)
AD340年12月6日に亡くなった聖ニコラスです。
(最近では、オランダでもクリスマスにサンタ・クロースが登場するようになり、紛らわしいのでケルスト・マンKerstman=クリスマス・マンと呼ばれています)


(左がシント・ニコラース
右がお馴染みのサンタ・クロース)

見た目もサンタ・クロースとほぼ同じで白いひげに赤い服です。
が、その赤い服が
司祭服(帽子も十字架入りの司祭の帽子)
で、杖を持ち、
ソリではなく
白い馬に乗って、黒人ピートを引き連れてやって来るのがシント・ニコラース。

(馬上のシンタ・ニコラース)
 シント・ニコラースの祭日は12月6日で、この日に再び汽船に乗ってスペインに帰るのですが、その前日の12月5日の夜、オランダの子供達はシント・ニコラスからプレゼントをもらいます。
サンタ・クロースのように「子供達が眠っている間に置いていく」というパターンよりも、「家族・親戚揃っての夕食後、誰かがコッソリ外に出てドアベルを鳴らし、(黒人ピートが持ち歩いているのと同じ)プレゼント入りの大きな袋をドアの前に置いておいて、それを子供達が取りに行ってみんなでプレゼントをわける(ちゃんと大人の分もあって、包装紙に名前が貼ってあったりする)」というパターンの方が一般的のようです。
正式にはプレゼントと一緒に詩(語尾が同じ音になるようにする等のきまりがあって結構むずかしい)を添えることになっています。 

(シント・ニコラースと並んで歩く
黒人ピート)

当日、子供達は
「
良い子ならプレゼントがもらえるが、悪い子は黒人ピートに鞭でおしおきされ、それでもきかない悪い子は(プレゼントが入っていた)黒人ピートの大きな袋に入れられてスペインに連れて行かれてしまう(・・・これは子供には怖いかも・・・)」
と聞かされ、プレゼントにわくわくしながらもちょっぴり緊張しています。
      
イベントがこの一日だけなら(クリスマスと一緒で)楽なのですが、
子供のいる家庭では、シント・ニコラースが到着した日から12月6日まで(約3週間)毎晩
、
子供達が寝る前に、子供達と一緒に「
シント・ニコラスの歌
」を歌い、
子供達に(靴下ならぬ)
靴(我が家では室内履き)を暖炉のそばに置かせ、
(シント・ニコラースとピートの絵や、シント・ニコラースの馬の為ににんじんや水を一緒に置く優しい子供もいます)

そして
子供達が眠っている間に気付かれないように靴の中に
お菓子(シント・ニコラースやピートをかたどったチョコレートなど)を入れておかねばならない
(「夜中に
Zwarte Pietが来て、歌のお礼にお菓子を入れていった」ということになっている)のです。 

(いたずら者のピート達)
毎晩ですヨ~(((꒪▿꒪;))) 
毎年、何日か入れ忘れてしまうことがあって、ごまかす(お菓子を別の場所に急いで置いて「ピートが間違ってこんな所にお菓子を置いていったよ~」と言ってみたり、子供達が学校へ行っている間にお菓子を入れておいて「さっきピートが来て、昨日は屋根で居眠りしてたって言ってたヨ」と言ってみたり・・・)のに一苦労しますxxx
・・・でも、寒くて日も短く、気分まで暗~くなりがちな冬のオランダには不可欠なお祭りです(*⌒―⌒*)

 
(シント・ニコラースとピート達)

シント・マールテンの物語

昨日、シント・マールテンのお祭りのお話をしましたが、
今日は、ユトレヒトの守護聖人でもあるこのSint Maartenがどんな人なのか、ご紹介しますネ。
 

物乞いに自分のマントの半分を
切り与える聖マルティヌス
 
Sanctus Martinus Turonensis (AD316~398年)
 
ある寒い冬の日、ローマ軍司令官だったMartinusは、裸の物乞いに出会います。
人々が無視して通り過ぎる中、
Martinusはこの哀れな物乞いを助けようと、
自分の赤いマントを剣で半分に切り、それを物乞いに与えます。 
その夜、夢の中にキリストが現れ、こう言われました。
「貧しい者を助けたのは、キリストを助けたのと同様である。」
これをきっかけにMartinusは洗礼を受け、その数年後に修道士になります。 
398年11月11日に亡くなった後、5世紀に聖人として認められました。
その後、ユトレヒト州で、
聖マールテンを祭ってドム教会Domkerk(ユトレヒトの観光名所)が建てられ、
Sint Maarten はユトレヒトの守護聖人となったのだそうです。 
(ドム教会の正式名称はシント・マールテン教会といいます)
 

 旧運河から見たドム塔


 ユトレヒトのシンボル・ドム塔

  
毎年11月11日には、
ドム教会の塔・ドム塔Domtoren(オランダで一番高い教会の塔)の上に
ユトレヒト市の市章が飾られます。
その市章は、半分に切られたシント・マールテンの赤いマントを表しているそうです。 
 

シント・マールテンの紋章
 
(ユトレヒト市の市章、そしてユトレヒト州の州章は
この紋章からデザインされています。)
 

シント・マールテン(Sint Maarten)

今日(11月11日)はシント・マールテンのお祭りです。
お祭りと言っても大騒ぎする訳ではなくて
夜(5時半くらい~8時くらい)、子供達が
あちらこちらのお宅を伺って
家の前でシント・マールテンの歌を歌うと
お菓子がもらえる
という
ちょっとハロウィーンに似た子供のお祭りです。
一昨年から、ミハーリとマリアも参加していて、
手作りのランプ(当日学校でつくります)を片手に
他の子供達と連れ立って
街をねり歩きます。
たま~に居留守を使うお宅もありますが
大抵はドアベルを鳴らすと出てきてくれます。
子供達が歌った後
バスケット等に(どっさり)用意されたお菓子
を出してくれて
子供達は好きなお菓子を選びます。
(今年はお菓子のかわりに
みかんを用意している家が多かったなぁ)
すぐに頬張る子もいれば、
袋に入れて持って帰る子も。
2時間も街をねり歩くと
袋(=スーパーの袋)はお菓子でいっぱい
になります。
凍えるように寒い
(今年は幸いそれ程でもありませんでしたが
一昨年などは手袋&マフラーをしていても
鼻がでるくらい寒かった・・・)
のにもかかわらず
子供達はこのお祭り(=お菓子?)が
大好きなのです。
(一緒にねり歩かないといけない親は
ツライけどxxx)

小さな幸せ

綾瀬から愛を込めて~再び~
 
この間オランダに戻ったばかりですが、急遽また帰国しています。 
昨日着いてもう明日オランダに戻るという強行軍です。
 
急だったのと滞在がとても短いので、地元の友人(=小学校の同級生)にだけ帰国予定を知らせま
した。
急だったのにそれでも集まってくれた小学校時代の友人達と一緒に飲みながら
「私はなんて幸せなんだろう。゚(゚ノД`゚)゚。 」
と、つくづく思いました。

そして、午前様で帰ったのに起きて待っていて
「話そう、話そう!」
と嬉しそうに出迎えてくれた両親と、朝まで語り明かしながら
「私はなんて幸せなんだろう。゚(゚ノД`゚)゚。 」
と、またしみじみ思いました。
 
異国での生活はやっぱり辛いことも沢山あって、時々不幸の波に飲み込まれてしまいそうになることがあります。
・・・
そんな時いつも私を救ってくれるのが、
普通の
何ていうことのない幸せ=お天気が良く空が青くて気持ちがいいこと、夜中に子供達がベッドにもぐり込んできて抱きしめながら眠ること、妹からメールがくること・・・etc.
普通の何ていうことのない日常の中にも、幸せ・喜びは、た~くさんころがっています。

それに気付かせてくれたのが、相田みつをさんの
「しあわせは いつも 自分の心がきめる」
という言葉です。 
(福満先生に感謝!)

小さな喜びを幸せと感じるか感じないかは、その人次第なんですよネ(*⌒―⌒*)
 

トミー

うちの庭には猫が住んでいます。
うちの猫ではないのですが、気が付いたら住みついていたのです。
数年前から、Tomyという名も付けて、餌をやったりしていますが、それ以前は、うちの庭では寝泊りだけして、餌は近所のチャイニーズレストランなどでもらっていたようです。 ですから、今でも、我が家が休暇で誰もいなくなると、どこかのレストランで餌をもらっているものと思われます。
Tomyは庭の主です。 たま~に他の猫が入ってくると追い払います。 (ありがたいことに)うちの庭の中ではけっしてウンOしません。 トイレはどこか他にあるようです。
飼い猫ではない、ということは野生の猫??・・・ですが最近随分なついて、餌のお礼でしょうか、時々玄関前にねずみが置いてあります・・・。 一度ハトも置いてありました・・・。 捕まえて殺すだけで食べないので、いつも片付けるのが大変なのですが、Tomyからのプレゼントなのだと思うと、ちょっと心が温まります・・・?!
うちの庭で撮った写真をアップロードしました。
今日はオランダの「過去100年間で一番暖かい11月3日」だったそうです。
Tomyも落ち葉のベッドで気持ち良さそうに昼寝していました

スペイン旅行記 その3

バルセロナ編
グラナダからバルセロナまで、夜行列車で約12時間・・・定刻より15分程遅れて翌朝の10時5分バルセロナ駅到着。 
グラナダ駅の食堂で出会った中国人青年が「ハロー」と声をかけてきました。 彼も同じ夜行列車に乗っていたんですね~偶然! 
 
ホテルは駅のそばの4つ星ホテル。
マドリッドと同じ4つ星ですが、マドリッドよりず~っと綺麗で、スタッフの対応もきちんとしていました。
マーガレットの花がホテルのロゴマークらしく、スタッフのユニフォームの襟元にはかわいらしいマーガレットのピンバッジが。
「素敵ですね!」
と褒めたら、サッとはずして一つ下さいました。
優しい
チェック・インの時間前だったので、荷物だけ預かっていただいて街を散策・・・と思っていたのですが、もうお部屋の用意ができているとのこと。
荷物は部屋に置き、父がシャワーを浴びている間に、翌日の「
バルセロナ半日ツアー」の予約を入れ、
父が「和食が食べたい」と言うので、散策へ出る前にホテル近くの「長瀬」というレストランへ行きました。
従業員はフィリピンの方でしたが、味の方は
本物の日本食でした!

昼食後、地下鉄でカタルーニャ広場へ。
そこから「
世界で最も美しい通り」と称されるランブラス通りを、大道芸人の芸(チャップリンの真似をしている人と、カエルの操り人形にピアノを弾かせている人が、とっても上手でした!)を楽しみながら、海へ向かって下りました。 
ランブラス通りの南端に、約60mの塔の上に立つコロンブスの像があり、その前がバルセロナ港です。
桟橋を渡っていると湿った生暖かい風が・・・空を見上げると低い黒い雲がどんどん近づいてきてきます。
急いで桟橋の先のショッピングモールへ。 入った途端、どしゃぶりの雨になりました。
スターバックスがあったので、しばらくお茶をして、雨がやむのを待ちました。
 
夕食は海の近くのレストランで、カタルーニャ名物・イカ墨のパエリア「Arros Negros」(美味しかった!)とショートパスタのパエリア「Fideua」をいただいて、いざタブラオへ。
バルセロナでは2泊。
2日目の晩はもともと
フラメンコ・ショーを見に行く予定になっていましたが、グラナダのショーがとても印象的だったので、最初の晩も(2日目とは別の)タブラオでのフラメンコ・ショーを見ることにしたのです。
ホテルのスタッフもお勧めの
EL CORDOBESというタブラオです。
EL CORDOBESはランブラス通りにあります。
店内は、入り口は
グラナダのアルハンブラ宮殿、ショーの会場はグラナダの洞窟に似せて作ってありました。 
私達は午後8時15分からのショー(ワン・ドリンク付き)を見たのですが、素晴らしかったです!!
グラナダのタブラオLOS TARANTOSと違ったのは、女性ダンサーがとてもモダンで普段着にもできそう(ちょっとヒラヒラが派手だけど)な衣装を着ていたことと、踊りも繊細で都会的だったこと。
それから
男性ダンサーが大活躍していたことです。
二人の男性ダンサーは、年齢は40~50歳(?)、一人はちょっと太め、もう一人は頭がかなり薄かったりしていたのですが、それでもカッコイイのです、これが!
”おやじ(?)”が格好良く踊る姿を見て、父がも~すっかり感動してしまい、
「日本に帰ったらフラメンコを習う!」
とまで(笑)
・・・大満足の父でした。
 
翌日は早朝から「バルセロナ半日ツアー」へ。
カテドラル教会近くの集合場所に30分程早く着いたので、集合時間までカテドラル教会の中を見学することに。
平日でしたが、教会ではミサが行われていました。

そしていよいよ、日本語が本当に堪能なスペイン人のハビエールさん(秋田出身の奥様としばらく日本にお住まいだったそうです)のガイドで、バスツアーが始まりました。
コースは、スペイン広場~オリンピック競技場~モンジュイック展望台~パセオ・デ・グラシア通り~バトリョ邸~ミラ邸~グエル公園~サグラダ・ファミリア
。
特に
グエル公園とサグラダ・ファミリアは、想像していた以上に見ごたえがあり、すっかりガウディのファンになってしまいました
ツアー解散後、昼食を取り、サグラダ・ファミリア前からバスでスペイン村へ。 
このスペイン村内にあるタブラオに、夕食+フラメンコ・ショーの予約を入れてあったので、予約の時間までこのテーマパークを見学。
スペイン各地の伝統的な建築物やアンダルシア地方の白壁の家並みなどが忠実に再現され、お土産屋さんも(割高でしたが)沢山あって楽しめました。

TABLAO DE CARMENのフラメンコ・ショーも良かったです。
が、前日の
EL CORDOBESの方が、見ごたえはあったかな・・・
すっかりフラメンコにはまってしまった父は、ショーの間(観客でただ一人)一緒になって手拍子を打ち「オーレッ!」
と掛け声を掛け、その掛け声のタイミングが良かったとギターリストに褒められ(!)超ご機嫌でした。
楽しんでもらえて私も嬉しかったです
 
以上、両親とのスペイン旅行記でした!
おまけ
両親が日本へ帰る同じ便で、今度は(秋休みで学校がお休みになった)子供達も連れて帰国したのですが、
父の為に「DVD付きのフラメンコ入門はないかしら・・・」と探していましたら、
(バルセロナで父が感動していた)例の”おやじ”ダンサー(EL TOLEOさん)がDVD付きの入門書を日本で出版していたんです!!
感動の再会(?)でした。
新星出版社 「DVDで覚える~シンプル・フラメンコ」 (¥1600+税)
という本です。
彼は、新宿の伊勢丹会館6Fにあるエル・フラメンコにも出演しているようです。
ビックリしました