チャチャ遠藤〜亡き叔父のこと

(今日は…書きかけになっていた叔父の話を)

昨年7月末、18歳の誕生日を迎えて(=オランダでは成人して)すぐ日本へ移住し、
日本で女優を目指す!
と日大芸術学部映画学科演技コースのAO試験を受けていた娘から、
合格したとの知らせを受けた時、
感無量になりながら、
日大芸術学部OBだった叔父のことを思い出していました。

叔父はもう15年以上前に肺癌で59歳の若さで亡くなったのですが、
アメリカで本格的にダンスを学び、
帰国後、映画やテレビにも出て活躍していたJazzダンサー&振付師でした。

叔父のことで印象に残っているのは、

① 体型…50歳を過ぎてもまるで20代の青年のようだったこと…自分も50代になって、
それがいかに難しいか実感し、改めて衝撃を受けています。

② NHKのJazzダンスのレッスン番組で「ズルしない!」と生徒さんを叱ったこと…
テレビ越しにわたしまでドキっとして「わたしもズルしないようにしよう!」と思いました。

③ 赤やピンクの服は妹に譲ってブルー系の服ばかり着ていたわたしに
「misaeには赤が似合うよ」と赤い服をプレゼントしてくれたこと…それまで(ほぼ自動的に妹=赤・ピンク系、わたし=ブルー系でしたから)自分自身も含めて、わたしに何色が似合うかなんて考えてくれた人はいなかったので、後になって改めて感激し、似合う色だけじゃなくてもっともっと色々相談に乗ってもらいたかった…!と思うのでした。

オランダでサルサやフラメンコを踊るようになってから、
(踊っている時はいつも叔父がそばにいてくれているような氣がして)
叔父のことを度々思い出していたのですが、
今回、娘が叔父の後輩になることになり、なんだか無性に懐かしくなって…

ネットがなかった時代の人なので
10年前にわたしが少しだけ叔父のことを書いたフライト日記以外
検索しても何も出てこないだろうと思ったら、
松本 誠さんと仰る俳優さんのブログがヒットしました。

2015年6月25日に「お疲れ様でした」というタイトルで、
叔父のJazzダンススタジオを引き継いだ山本先生という方にダンスを習っていらしたと。
叔父に「一度お会いしたかったな…」と書いてくださっているのを読んで、
「あぁ本当に是非会って欲しかった!」と思いました。

松本誠さんのブログ記事が上手くリンクできなかったので写真を撮りました↓IMG_4398

昨夏、台風の高波で半壊してしまった館山の別荘は
元々は叔父の別荘でした。
星が綺麗で、UFOも良く現れたと叔父が話していました。

その別荘で叔父と一緒に撮った写真がどこかにあったはず…と思って
探したら出てきました…多分30年前の写真 ↓img561.jpg

今朝、急にこの書きかけのブログを思い出して
(なかなかまとまった時間を作れず
書きかけのまま下書きに残っているブログが沢山あります(^^ゞ)
もう一度、叔父の名前で検索してみたら、今回は沢山ヒットしました。

ドライフラワー雑記139
(2002年8月7日)
『伝えたかったこと』
チャチャ遠藤さんはダンサーで振り付け師だった。
個人的な思入れもあるのかもしれないが日本人ダンサーというと、彼の顔が浮かぶ。
しばらくの間、レッスンスタジオに通っていとことがあり
彼の動きを目の前で見ることが出来た。
舞台で踊るチャチャ先生に感動した記憶の一部も鮮明に残ってる。
あるラジオの番組で、映画評論家のおすぎが
すごい才能と絶賛してるのを聞いたことがある。
ボクはそれを言わなくちゃと思っていたのに、それっきりになってしまった
演出家の宮本亜門は
チャチャの才能は認めるけど、今日は気分が乗らないから、って帰って行っちゃうんだよ、、
と言っていた。
そうそう、キミには出来ないだろう、と
ボクは不思議にうれしい気分になったもんだ。
101でのレッスンの時、彼が手本を示し、その回転技のすごさに
思わずみんなで拍手したこともあった。
こんはことはめったにないことだ。
いなくなってみると、伝えておけばよかったと
残念で仕方がない。
ステージ101がNHKの番組に出ることになり
久しぶりで集った
そこで、チャチャさんが亡くなったことを聞いた
肺がんだったそうで、背中が痛いと言った時にはもう手遅れだった
今ごろは天国で踊っているんだろうか?
なんて言ったら、恥ずかし過ぎるけれど
背中に羽根が生えてたに違いないジャンプを想い浮かべると
天使も嫉妬するような振り付けを
自作自演してるに違いないとボクは思う

チャチャ遠藤先生とマイケル
(2009年6月29日)
マイケルの音楽と言えば真っ先に思い出すのは 
チャチャ遠藤先生の事だ 
チャチャ先生は一世を風靡したジャズダンスの振り付け師だ 
そのチャチャ先生も7、8年前 すでに他界している 
わたしが養成所時代その前後 チャチャにレッスンを受けていた
チャチャが踊って見せるととてつもなく格好良く あこがれて一生懸命やったが マッチョな私には限界があった 
でも頑張った。 チャチャもそれを認めて 
少数レッスンクラスにも入れてくれた。 
そりゃ叱られた。期待されてるのはわかるがあまりにも厳しく叱られた。竹下通りを一度だけ泣きながら帰った事がいい思い出だ。
レッスンはほとんどソウル系の音楽 マイケルも多かった。 
今追悼でマイケルの曲がいっぱいかかるが 
体が踊りモードに入って動きだす 
オールザットジャズ 
ロイ・シェイダーが全盛の頃だった 
ジャズダンスの衰退と共にチャチャ先生も大きい仕事をしなくなってきた。 
亡くなる二年前くらいに偶然会ったんだよねチャチャと 
もう一回 あの頃みたいな情熱的な踊りを作りたいって言ってた 
あれが最後の会話になってしまったなあ
僕に初めて芸能の厳しさを教えてくれたのは紛れもなくチャチャ遠藤先生です 
チャチャ先生 ありがとうございました。 
マイケルもそっち行ったよ 
一緒に踊ってください。チャチャ先生はひけをとらないと思いますよ 

おみつ55リハ前の上北タップリーグ
(2014年8月18日)
チャチャる。
大事な専門用語を忘れてました。
チャチャ遠藤という、有名な振付師がいて、
いつも『見て覚えろ』と、細かく教える事はせず、
ダンサー達に瞬発力と、芸は見て盗むもの、
という大切な基本を背中で教えたところから、
憲一、いや! この稽古場の先生も、
急に『チャチャ遠藤!』と叫びます。

帰ってきたFOOL’S PARADISE BBS
(2016年7月20日)
  黒柳徹子さんが司会をやっていた時代は、チャチャ遠藤さんもいた時代。
それが残っていたら、日本のモダンダンサーは泣いちゃうよ。
ほとんど映像が残ってないから。

50周年その3
(2016年10月16日)
 ジャズ界の大御所 笈田敏夫パパ、ジャズダンスのクイーン名倉加代子先生、
今は亡き素晴らしいダンサー、チャチャ遠藤さんなど・・・・
そうそうたるメンバーの中で主役!

叔父は本当にスゴイ人だったんだなぁと改めて思う。

叔父の誕生日は1月1日。
生きていたら明日何歳になっていたんだろう・・・
80歳になる父と3つ違いだから77歳?
喜寿だったのかな・・・

生きて新しい年を迎えられる・・・
(当たり前に思いがちですが)ありがたいことですネ

今年は病欠中のため
生まれて初めて家でたった一人で年越ししますが
やっぱり「おめでとう!」と乾杯できる相手がいないのは寂しいので
来年は体調に氣を付けて
家族or(乗務が入ったら)同僚と
あるいは
願わくばパートナーと一緒に
新年を迎えられますように (˘ᵕ ˘人)ஐ:*

IMG_E3313

言霊実験

IMG_2218
(今日は・・・スピリチュアルなお話を)
子ども達には、正しく美しく優しい日本語を教えたいと
言葉遣いにはいつも氣を付けていましたが、
ミハーリがアムステルダム日本語補習授業校小学部5年生の時、
学習発表会ガイア・ハート・プロジェクトに向けての授業の一環として
今は亡き田原先生が、子ども達に授業で『水からの伝言』のビデオを見せてくださり、
保護者も後から見せていただいたのですが、
以来、それまで以上に、言葉を選んで、心を込めて話すようになりました。

下の記事は
(Facebookの友人)亀山雅充さんのFacebookでの投稿です。
_____________________________

〔 文字による波動実験 〕


言霊実験1

3つのタッパにご飯を分け、蓋をしてベランダで放置。

1.ポジティブな言葉を書いた紙をタッパに貼った。
(「ありがとう」「愛」「感謝」「統合」「赦す」「LOVE」)
2.ネガティブな言葉を書いた紙をタッパに貼った。
(「死ね」「殺す」「憎む」「怨む」「分離」「バカ」「HATE」)
3.何も書かない。

11日後、
それぞれカビが生えていたがタイプが全く違った。

言霊実験2

「何も書かない」→ よくあるダーク・グリーンのカビ。
「ネガティブ」→ 真っ黒。
「ポジティブ」→ 白とピンク色。

言霊実験3

※ 「想い」のエネルギーは一切送らず放置しました。
※ 途中で一度も開封していません。

文字自体が発するエネルギーが物質に与える影響は
「水からの伝言」の江本勝さんの実験が世界的に有名ですね。

http://www.ne.jp/asahi/aquarius/messenger/books_002.htm
http://ishii-juku.jp/blog/watermessage/

でも、それより「想いのエネルギー」の方が大きいとされています。

次元が変わっている今、この、言葉から発せられるエネルギーの影響は増大して来ている、
だからこれからは言霊(想いは当然)には慎重に!!
と実際に能力者の人達からよく聴きます。
(牧好成くんもこのことを強調していました。斉藤一人さんもよく言ってる。(笑))

敢えて、波動を挙げる言葉を発するのか、波動を下げる言葉をいい続けるのか、
どの世界へベクトルを向けるのか、重要なことだと思います。(。◠‿◠。)

日本人がこの基本的なことだけでも知ったら世の中が変わるんだけどな~。
みんなで拡げちゃおーー!! \(^-^)/
シェア希望~~!!

てらこや@アムステルダム & マルチリンガル教育

寺子屋宣伝-001(↑ 注:連絡先は10年前のものです)

(昨日に引き続き、教育のお話…)
10年ほど前、離婚して間もない頃、
てらこや@アムステルダムで子ども達に日本語を教えていたことがあります。

乗務の合間にユトレヒトでオランダ人に日本語や書道を教え、
土曜日は早朝から子ども達と片道1時間半かけて日本語補習校@アムステルダム、
日曜日も早朝から子ども達と片道1時間半かけててらこや@アムステルダムへ通い、
本当に大変でしたが(←今は体力的にできる氣がしません)
素直で可愛い子ども達、優秀な先生方、魅力的なお母様方との 出逢い、
本当に思い出深く、有難い、貴重な2年間でした。

「講師をしてみませんか」とお声をかけてくださったMさん、
改めて本当にありがとうございました (*⌒―⌒*)

その てらこや@アムステルダムが 今年10周年を迎え、
記念パーティー用に写真を探していたら、当時の授業報告書etcの資料を発見。

寺子屋授業報告(3月21日)-001寺子屋授業報告(3月21日)-002おちゃらかほい(イラスト)-001おちゃらかほい(イラスト)-002.jpg

懐かしい・・・(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

2年前には(←氣が付いたら2年経っていました(^^ゞ)
ミハーリと一緒に
てらこやの先生方が主宰していたマルチリンガル教育セミナーのお手伝いへ。

参加された親御さん達からの最後の質問
「子育てで後悔していることは何ですか?」

「・・・ありません」
と答えたら
驚きの喚声があがったのですが、
子育てに限らず何事も(=恋愛も仕事も)
常に
自分の心(魂)の感ずるまま
素直な想いに寄り添って
真心込めて丁寧に行っていれば
(つまり、心が伴っていれば)
(失敗することはあったとしても)後悔することは決してない
・・・そう思っています。

子どもに質問されたら
面倒くさがらずに心を込めて丁寧に答え、
何か注意する時には
その理由をきちんとわかってもらえるように
面倒くさがらずに心を込めて丁寧に説明する。

ただそれだけです (*⌒―⌒*)

バイリンガル・マルチリンガル教育のコツも
一つだけです。
一人が一つの言語だけを担当し、その言語だけを真心込めて丁寧に教えること。

オランダ語はオランダ人でオランダ語が母国語のパパに任せ、
英語や他の言語は(語学教育世界一と言われているオランダの)学校に任せ、
わたしは自分の母国語である日本語を担当。

子ども達と話す時は日本語のみ。
決してオランダ語は混ぜない。
どんなに面倒くさくても
どんなに時間がなくても
子どもがオランダ語の単語を使ったら
日本語で言い直してもらい
日本語の単語をまだ知らないならor忘れてしまったなら
その都度丁寧に教える。

ただただその繰り返し。
ただそれだけです (*⌒―⌒*)

教育=共育
子育てを通じて学んだことは沢山ありますが
中でも一番の学びは
何事にも心を込めることの大切さ
何事にも愛を込めることの大切さ

ミハーリくん
マリアちゃん
ありがとう.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) ♡

 

《Welcome To Holland~オランダへようこそ》 & オランダの教育

Welcome to Holland~オランダへようこそ》

わたしはよく
障害のある子を育てるのはどんな感じですかと聞かれます。
そんな時
障害児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でもわかるように
どんな感じなのか想像できるように
こんな話をします。

赤ちゃんの誕生を待っている時間というのは
素敵な旅行の計画を立てている時と似ています。
例えば、行き先はイタリア。
ガイドブックを沢山買い込んで、素晴らしい計画を立てます。
コロッセオ。ミケランジェロのダビデ像。ベニスのゴンドラ。
簡単なイタリア語会話も覚えてしまうかもしれません。
すごくワクワクしますよね。

そして、待ちに待ったその日が、ついに訪れます。
荷物を詰め込み、いざ出発です。
数時間後、飛行機が着陸。客室乗務員がやって来て、こう言うのです。
「オランダへようこそ」
「オランダ?!? とあなたは聞き返します。
「オランダってどういうこと?!?
「わたしはイタリアへ行くはずだったのよわたしがいるべきなのはイタリアなのよ。
イタリアに行くことがずっとわたしの夢だったのよ。」

ところが、飛行計画は変更になったのです。
飛行機はオランダへ着陸し、あなたはそこに滞在しなければならないのです。
でもここで重要なのは
あなたたが連れてこられた場所というのは
疫病やら飢饉やら重病やらが蔓延するような怖くて汚れた嫌な場所ではない
と言うことです。
ただ違う場所だっただけです。

さぁ、あなたは新しいガイドブックを買いに行かなければなりません。
それから、新しい言葉も一から覚えなくてはなりません。
そうしたら、それまで出逢ったことのなかった人達との新しい出逢いもあるでしょう。
場所が違うだけです。
ここはイタリアよりも時間がゆったり流れ、イタリアのような華やかさはありません。
でも、しばらくそこにいて、呼吸を整え、辺りを見渡せば
オランダには風車があり、チューリップも咲き
レンブラントの絵もあることに気付き始めます。

しかし、あなたの知り合いは皆、イタリアを忙しく行き来し、
イタリアでどれだけ素敵な時を過ごしたか自慢するでしょう。
そして、あなたは一生言い続けるでしょう
「そう、わたしもイタリアへ行くはずだった。
わたしが計画していたのはイタリア行きだった。」
と。

心の痛みはいつまでも決してなくなることはありません。
なぜなら、失った夢はあまりにも大き過ぎるから。

でも
もし、イタリアに行かれなかったという現実を一生嘆いていたら、
あなたは
オランダならではの、とっても素敵で、とっても愛しいものを
心から楽しむことは決してできないでしょう。

(原文 http://www.our-kids.org/Archives/Holland.html

これは、
長年セサミストリートの作家を務めていたアメリカの作家/社会活動家のEmily Perl Kingsleyが1987年に書いた障害のある子を育てることについてのエッセイですが、
彼女はどうして到着地にオランダを選んだのかしら・・・??

・・・と思って調べてみたら
「イタリア旅行」=一般的な出産・育児の例え
「オランダ旅行」=特別な支援を必要とする子供の出産・育児の例え
ということだそうです・・・なるほど!

(「福島の子供たちの声をオランダの子供たちに届ける会」でご一緒させていただいた)
リヒテルズ直子さんの《オランダから地球市民社会と教育を語る》
『日本のママたちの多重苦』
先週訪れた発達障害児の親たちが全国組織として作っている「バランス」という機関で、自らも発達障害児の母でありその職場の職員である女性がこう言った。
「長い間、『彼は自閉症だ』『彼はディスレクシアだ』(he is)という言い方を世の中の人たちはしてきました。でも、私たちは、『彼は自閉症を持っている』『彼はディスレクシアを持っている』(he has)と言うべきなのです。子ども達は、自身が病気や障害なのではなく、病気や障害という問題を持っている普通の人なのですから」と言っていた。
・・・とあります。
オランダ人のこの感覚はどうやって生まれたのか。

先日Facebookに
リヒテルズ直子さんが出演されたTV番組が紹介されていたのですが、
答えはこのオランダの教育にあり。

まだご覧になっていない方は是非観てみてください。

たまたま、ご縁があって
オランダの会社に入り
オランダに移住し
オランダで二人の子どもを育てましたが
子ども達がオランダで教育を受けることができて本当に良かったと思っています(*⌒―⌒*)

ミハーリとマリアが通った小学校は
イエナプランではなくモンテッソーリ教育の学校でしたが、
全く同じシステムで、本当に目から鱗でした。

最初の頃は、日本を基準に見ていたので、
授業科目は少ないし、
宿題は出ないし
(だから教科書は学校に置いたまま、お弁当だけ持って登校します※)
こんなんで大丈夫なのかしら…
と不安に感じたこともありましたが、
見方を変えて見てみたら、
オランダという国には(オランダ人は倹約家と言われるだけあって)無駄がない!
必要ではない努力や必要ではない我慢はせず、
必要な我慢と努力だけしっかりして、あとは楽しむ感じ…教育も然り。
(※教科書も、次の年には次の学年が同じ教科書を再利用します←無駄がない!
ですし、同時に子ども達も、大切に使うことを学びます)

この動画も興味深いです。

日本とオランダの大きな違いは
(他人は他人、自分は自分、と違いを認め合うことにより)
他人の評価を氣にせず
自分で選んだ道を歩んで良い
つまり
自分らしくあっていい
ところ。

オランダでは
日本の幼稚園に当たる年齢(4歳)から
自分の意見を言い
お友達の意見を聞き
異なった意見を互いに受け入れ合う
という教育が始まります。

みんな同じじゃなくていいのです。
小学校で留年しても
本人が望まないなら大学へ行かなくても
いいのです。

それを恥ずかしいと思うのは
親のエゴです。

オランダの学校で
オランダ人のお父さんお母さんが
「あなたの子どもはどこの学校へ行きたいの?」
「あなたの子どもは将来どんなことをしたいの?」
という会話をしているのに対し、
日本語補習校で
日本人のお父さんお母さんがしているのは
「うちの子どもは○○中学○○大学へ行かせたい」
「うちの子どもは将来○○にさせたい」
という会話…

違いがわかりますか?

せっかく
他人の評価を氣にせず
自分で選んだ道を歩んで良い
オランダにいても
親の考え方が日本のままでは
日本にいるのと変わりません。

「親と子ども」ではなく「人と人」
「先生と生徒」ではなく「人と人」
「先生と保護者」ではなく「人と人」

オランダにも学校に意見する保護者は大勢います。
それでも
「オランダにはモンスターペアレンツがいない」
と言われるのは
保護者の意見を学校が
(もちろん受け入れてもらえるとは限られないけれど)
きちんと聞き入れてくれる。
先生と生徒、親と子ども、上司と部下の間でも同様です。
部下が上司に意見すること、上司がそれにきちんと耳を貸すこと、
普通に行われています。
常に「人と人」なのです。

他人が自分とは違う意見を持っていても
きちんと耳を傾け、その違いを認める・・・
オランダ人にとっては4歳の頃から学校でやってきたこと。

オランダでは
(子どもばかりか大人にも)
必要のない我慢や努力を強いません。
無理をして嫌々我慢や努力をするのではなく
自主的に我慢しよう努力しようと思ってするので
彼らは自然体です。

must」ではなく「will」で生きている・・・
それが
勉強だけでなく仕事でも
”効率の良い” 能力アップに繋がっているのだと思います。

オランダではこうやって
子供の頃から
自分らしく生きる
ことを
(教えられるのではなく自然に自ら)
学んでいきます。

それが
自信と幸福に繋がっていくのでしょう。

オランダは
《子どもが世界一幸せな国》
に何年も続けて選ばれていますが、
《ティーンエイジャーが世界一幸せな国》
《ワークライフバランスが世界一良い国》
にも選ばれています。

注目すべきポイントは
学費がどうとか
進学システムがどうとか
ではないのです。

そこに氣付くことができれば
日本でも
オランダの教育は可能だし、
日本の子ども達も(そして大人も!)
世界一幸せになれる
(世界一幸せだと感じられるようになる)
と思います (*⌒―⌒*)


オランダライフマガジンmooi-mooi9号にインタビュー記事が載りました。
尚子さん、まやさん、咲さん、
そして長~い話を素敵に編集してくださった妃美さん、
改めて
ありがとうございました ♡

(本当は今日から今年の仕事納めフライトに出る予定だったのですが、風邪をこじらせ咳のし過ぎで肋間筋損傷…思いがけず時間ができたので、ふと心に浮かんだことを書いてみました)

《Tomorrow Never Comes(最後だとわかっていたなら)》 & 近況報告

空.jpg

“Tomorrow Never Come”
(広く知られるようになったのは9.11同時テロの後ですが)
アメリカ・ケンタッキー州出身の詩人Norma Cornett Marekが
1989年に10歳で亡くなった息子サムエルに捧げた詩です。

そして同じ1989年にこの仕事に就いて以来ずっと
毎日わたしが意識していることです。

家族にも友達にも
また逢えるなんて保障はないから
逢えた時には感謝して
真心込めて笑顔で接したい….:♪*:・'(*⌒―⌒*)))

“最後だとわかっていたなら”

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

(原文 http://www.jhardaker.plus.com/pdf/Tomorrow%20Never%20Comes.pdf)

そして近況…
今年は(1回しかフライト日記を更新できなかったほど)
とても充実した(嬉しい楽しいことで多忙な)一年でした♪
① 今春から日本路線にも導入された
ビジネスクラスの新しいサービスAnytime For Youのプロモーションに
ひょんなことから関わることになって
YouTubeや新聞雑誌に出ることになったり、

https://www.traicy.com/20180420-KLbusiness
http://news.livedoor.com/article/detail/14761792/
http://www.jwing.net/news/1007
https://news.arukikata.co.jp/column/eating/Europe/Netherlands/AMSTERDAM/133_157986_1524465866.html#section1
https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1118100.html
http://crea.bunshun.jp/articles/-/15555
(YouTubeの方は翻訳の仕事だけの予定が急遽出演することになり、
新聞雑誌の方は掲載されることになるとはつゆ知らず説明会のお手伝いへ…
後になって、掲載を知りました(^^ゞ
教えてくださった皆さま、ありがとうございました!)
乗務の合間には、
② 昨夏のAmstelveenへの引越しと同時期に始めたヨットサークルや
アンサンブルグループMiMoSaの広報担当として
それぞれのTwitter、Facebook、ブログの更新作業をしたり、
https://jahoyacht.wordpress.com/
https://mimosamuziek.wordpress.com/
③ 音楽活動は
前述のアンサンブルグループMiMoSaでの演奏の他、
KLMのオーケストラAirchestraのコンサートでのIntermezzo
駐在員の方々と始めたバンド活動(キーボードからボーカルに転向)、
④ オランダ語レッスンやフラメンコレッスン
それから日本語の個人レッスンの生徒数も思った以上に増えて、
新しい素敵な出逢いも沢山あり
あっという間に年末を迎えてしまいました(^^ゞ
(来年はフライト日記更新の時間も作れますように…!)

皆さんの2018年が(例え辛いことや悲しいことがあったとしても、それでも)
良い年だったと微笑むことができる一年でありましたように…!

今年もどうぞ笑顔でクリスマスと新年をお迎えください(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

ジェラルド・G・ジャンポルスキー

(フライト日記をなかなか更新できなくてゴメンナサイ!)


(↑ これは先月ブレーメンで撮った写真)

ジェラルド・G・ジャンポルスキー博士(Gerald G. Jampolsky)をご存知ですか?
沢山の著書があり
多くの名言を残されています。

http://earth-words.org/archives/16723
http://www.meigennavi.net/kw/g/gerald-g-jampolsky.htm

ジャンポルスキー博士の言葉から…

*・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

ゆるすことは、幸せになるための処方箋
ゆるさないことは、苦しむための処方箋

苦しみの原因が何であれ
苦しみにはすべて「ゆるさない」という種が
宿っていないだろうか?

復讐の念を燃やしつづけ
愛や共感を出し惜しみすれば
健康を害し、
免疫が低下することはまちがいない

当然だと思われるような怒りでも
こだわりつづけていれば
神の安らぎを味わえなくなる

ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を見逃すことではない

ゆるしとは
怖れに満ちた過去に
こだわり続けるのをやめること

ゆるしとは
古傷を引っかいて
血を流し続けるのをやめること

ゆるしとは
過去の影に惑わされることなく
今この瞬間に
百パーセント生き、百パーセント愛すること

ゆるしとは
怒りからの開放であり
攻撃的な思いにさよならすること

ゆるしとは
誰に対しても愛を拒まないこと

ゆるしとは
許さないという思いから生じた、
心の空洞を癒すこと

ゆるしとは
過去に何をした人でも
すべての人の中に神の光を見ること

ゆるしとは
相手のためだけでなく
自分自身のためであり
自分が犯した間違いのためであり
くすぶりつづけている罪悪感と
自分を恥じる気持ちのためである

もっとも深い意味でのゆるしとは
愛に満ちた神から自らを
切り離してしまった自分を、ゆるすこと

ゆるしとは
神をゆるすことであり
神は自分を見捨てたという
おそらくは間違っている考えを、ゆるすこと

いまこの瞬間にゆるすということは
もう先延ばしせずに、ただゆるすこと

ゆるしは心の扉を開け
感情をスピリットと一体にし
すべての人を神と一体にする

ゆるすのに
早すぎることはない、遅すぎることもない

ゆるすにはどれだけの時間が必要だろうか?
それはあなたの価値観しだい

絶対に無理だと信じるなら、
絶対に起こらない

半年かかると信じるなら、半年かかる
一秒ですむと信じるなら、一秒ですむ

私は心から信じている
一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になるということを

ジェラルド・G・ジャンポルスキー

*・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

わたしはクリスチャン(カトリック)ですが
世界の
どの宗教もスピリチュアルな考え方も
”神様”の名称が異なるだけで
人々が
”心穏やかにより良く生きる為”
にあるのだと感じているので
他の宗教を否定したり
皆がキリスト教を信じるべきだと思ったりしません。

でも、わたしが
”愛”と”ゆるし”と”感謝”
を学ぶことができたのは
キリスト教との出逢い
聖書との出逢い
がきっかけなので
とても感謝しています(*⌒―⌒*)

「全ては愛、愛が全て」
「愛は感謝とゆるし」

いつからか(恐らく小学校にあがる前には既に?)わたしは
腹を立てなくなっていました。
友人達に
どうやったら腹を立てずにいられるのか
よく聞かれ、
「”腹を立てるには、喜ぶ以上にエネルギーを必要とする(←ただし、喜びのエネルギーが”ポジティブなエネルギー”であるのに対して、怒りのエネルギーは”ネガティヴなエネルギー”ですが)…わたしはエネルギー不足なのでしょう、嫌だな…と感じることがあっても、怒りに達する前に、身体の横からプシューッと空氣が抜けるみたいになって、腹を立てるに至らないのです」
と答えていましたが、
ジャンポルスキー博士の言葉を読んで
もっと簡単なことだったと氣付きました。

「ゆるすから腹が立たない」

わたしは
どんな相手でも
その相手のことはゆるしていました。

その相手に
されたことや言われたこと
が嫌だったら
それはきちんと伝えますが、
(嫌だと伝えるのは腹を立ててなくてもできることです)
「罪を憎んで人を憎まず」
その相手のことはゆるす…だから
腹が立たないのです。

本当はゆるしたくないのに
無理をしているわけではありません。

ほぼ即時に
ごく自然に
ゆるしてしまっている
…というより
ゆるすもなにも
ゆるさない/ゆるせない
という状態になっていることがない感じ?

わたしが怒らないことを知っている人達にそれを逆手に取られて悪用されることも時々ありますが(そういう時は、それは酷い…と残念に思いますが、腹を立てることはありません)

一番勘違いされやすいのは
「ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を見逃すことではない」
という部分ではないかしら…?

そこに氣が付いて
「一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になる」
…わたしもそう信じています.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))

フライト日記 年末年始(年始編) (Osaka)

20181月(KIX)

(確か2016年の仕事収めも東京便で2017年の仕事始めも大阪便だったと思うのですが)
今年も(1年振りの)大阪便乗務でスタート✈️

・・・ほんの数ヶ月前のフライトなのに
写真を見ないと何があったか思い出せないという・・・(^^ゞ

IMG_5142 (編集済み)
↑ これはアムステルダム発の長距離路線のエコノミークラスで
ミールサービスの合間にお配りするアイスクリーム・・・
どうしてこの写真を撮ったのかは謎ですが
こんな風にあらかじめ紙ナプキンを挟んでおくと
見た目も華やかで、配る時にも楽で早いのです♪

↓ クルーホテルの朝食
IMG_5154 (編集済み)
↑ 大阪便も東京便同様1泊しかできませんので
滞在中の楽しみは 美味しい和食 (˘ᵕ ˘人)ஐ:*
IMG_5156 (編集済み)
↑ 朝食の写真を嬉しそうに撮っているわたしを見て
お向かいに座っていた同僚が「あなたも撮ってあげる」と撮ってくれた写真

↓ クルーバスからの関空到着前の景色
IMG_5159 (編集済み)

↓ 離陸後しばらくしてサービス開始前に・・・これはどの辺りなのかしら・・・
IMG_5163 (編集済み)
IMG_5165 (編集済み)
↑ 大阪便では観られないと思っていた富士山・・・感謝✨

↓ 休憩中に・・・シベリア上空の幻想的な風景 (˘ᵕ ˘人)ஐ:*
IMG_5172 (編集済み)IMG_5173 (編集済み)

・・・それではブエノスアイレス~サンチアゴへの乗務、いってきます✈️

フライト日記 年末年始(年末編) (Tokyo)

オーロラの写真&動画を是非とも早くお見せしたく・・・
乗務に出る前に
続けて年末年始のフライト日記を・・・

有難いことに、仕事納め+仕事始め、共に日本路線を乗務させていただきました✈️

2017年12月(NRTx2)

フライトリクエストが通り、2本続けて東京便に乗務。
(注:オーロラの写真&動画2本目の東京便

1本目は大雪フライト・・・
オランダ国内にCode oranje(コード・オレンジ)という
悪天候注意報が出された雪の日の乗務でした。

ユトレヒトに住んでいた頃は
バスと電車を乗り継いでの出勤でしたから、
大雪の日は制服では寒くてとても出勤できず、
ばっちり防寒した私服で出勤し、
クルーセンターのロッカー室内にある更衣室で制服に着替えていましたが、
アムステルフェーンの新居は(10分おきに出る)空港行きバスのバス停の真ん前・・・バスに乗ったらたったの15分(!)で空港です・・・幸せ (˘ᵕ ˘人)ஐ:*

img_4704
↑ 空港バス停前

年末になると出店されるOliebollen(オリーボレン)(オランダでは年末にこれを食べます・・・日本の年越し蕎麦のようなもの?)(これがアメリカに渡ってドーナツに・・・)(ちなみにアメリカのサンタクロースも元はオランダのシント・ニコラースです)

ブリーフィングが終わってゲートへ向かい
ボーディング・ブリッジから飛行機を見たら・・・
img_4710
凍ってる・・・!❄️

img_0086
機内にも雪が・・・!❄️
窓の外はこんな感じ・・・↓
img_4715
もう少し雪や氷が付着していない窓から見るとこんな感じ・・・↓
img_4732
・・・でしたが、雪は弱まっている様子だったので
いつもどおり搭乗の準備をし
いつもどおりお客様をお迎えし
定刻にドアが閉まり
機体からゲートが離れ
これから滑走路へ向けてTaxing・・・
というところで
機長から空港閉鎖のアナウンスが😱

そしてお客様と一緒に待つこと約6時間。
img_4733img_4725img_4730img_4727img_4731
外はすっかり真っ暗に・・・
(大変でしたが、空の色の移り変わりがとても美しかったです✨)

待機中、お食事をお出しできたら良かったのですが、
Flight Safetyの規定により地上ではトローリーを出してのサービスは禁じられている為、
トレイでおつまみをお配りし、トレイでお飲み物をお出しし、
通常なら飛行中ミールサービスの合間にお出しするアイスクリームをお配りしました。

今回の長時間ディレイで、
一昔前とは全然違う✨
と感動したのは、
(機内エンターテイメントが発達して何百本もの映画を観ることができるようになり
携帯電話も普及して機内からでも遅延の連絡ができるようになったから・・・でしょうか?)
お客様から苦情が出ることもなく、
皆さま本当に静かに穏やかに、6時間お待ちくださったこと・・・本当にありがたかったです。
一昔前(クルー用仮眠室OCRがなかった頃)なら、わたし達も
4時間ディレイした辺りで勤務時間超過となり、クルーチェンジとなっていたはず・・・感謝✨

度々
もうこのままキャンセルになってしまうのか・・・??
という不安にかられましたが、
無事、出発!
・・・の前に除氷作業 。
img_4738
(↑ お隣で除氷作業中の飛行機)
翼に氷etcが付着すると
滑らかな気流が乱され揚力が低下して墜落の原因となるので、
どんなに急いでいても、除氷作業をきちんと丁寧にしていただかないと危険なのです。

ミールサービスが終わった頃にはもう腹ペコで、
エコノミークラスとビジネスクラスの和食のあまりを両方いただいてしまいました←食べ過ぎ

成田到着前・・・美しい富士山が、見えました♡

クルーホテルに到着したのは夕方。

「昨日はCode oranje(コード・オレンジ)の悪天候注意報だったが
今日はCode Rood(コード・レッド)の悪天候警報らしいので
今日のアムステルダム発東京便は、キャンセルになる可能性がある」
と機長。
Code Rood・・・オランダに住むようになって初めて聞いた氣がします。

そして機長の予想通り、夕食後にはフライトキャンセルの連絡が・・・
アムステルダム発の東京便がキャンセルになった
ということは、つまり、
=翌日東京に到着する便がなくなった
=わたし達が乗務する予定だった東京発アムステルダム行きの折り返し便がなくなった
=東京でのステイが1日長くなった

「喜んでるのはmisaeさんだけだと思った (^_−)−☆  」
と(帰りの便でご一緒した)先輩にささやかれたのですが(笑)
仰るとおり、日本に長く居られることになって、わたしは嬉しかったのですが、
予定通り帰れなくなって、オランダ人の同僚達は皆、落ち込んでいました。

そんな同僚達を全員引き連れて、翌日は、東京観光案内をしました。
東京便が2泊4日、3泊5日だった頃は、毎回同僚達を連れて観光案内をしていたものですが、
スケジュールが1泊3日に変わってしまってからは、とても東京まで出る時間も氣力もなく、
本当に久し振りの東京観光案内でした♪

いつものことながらオランダ人は”コーヒー休憩”が多くて、
結局、浅草と原宿・表参道にしか行かれませんでした(苦笑)
でも、喜んでもらえて良かった😊


(↑ 写真は、丁度一時帰国中だったミハーリが撮ってくれました・・・ミハーリくんありがとう!)

翌日の帰りの便でも、離陸後に富士山が見えて感激✨

大雪による空港閉鎖で、わたし達同様、
お客様もご出発が一日遅れたわけですが、
それにもかかわらず、
プレゼントを用意してくださったお客様がいらっしゃって感動✨

この日は、お誕生日のお客様が4名いらっしゃったので、
カードと紙ナプキンの薔薇と一緒にシャンパンを✨

紙ナプキンの薔薇は、ギャレーに用意しているお菓子にも添えています。

↑ ビジネスクラス
↓ エコノミークラス

ミールサービスの合間にエコノミークラスではアイスクリームをお配りするのですが、
東京発と大阪発で搭載している、このアイスクリームワッフルが・・・
もう本当にとっても美味しい♡(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

アムステルダム到着後、
(降機後、全員揃うまでゲート前で待機して、全員揃って入国審査へ向かうのは、
アムステルダムに限らず何処でもそうなのですが)
ゲートの所で同僚達が集まったまま動かないので
どうしたのかと思ったら、
東京観光案内のお礼にと、カードとプレゼントを用意してくれていてビックリ(◎o◎)
心底喜んでやったことだったので、わたしも久し振りの浅草etcとっても楽しかったし、
まさか同僚達がお礼の品を用意しているなんて全く思ってもみなくて恐縮してしまいました・・・
みんな、こちらこそ、ありがとう✨
帰宅すると今度はドアノブにプレゼントが・・・✨
こちらは新居のマンションの所有者協会(?)理事の方々からの贈り物でした✨

IMG_4847 (編集済み)

2本目の東京便はクリスマスフライトで、
クルーセンターでは
ホットチョコレートとクリスマス菓子がサービスされていました✨

IMG_4915 (編集済み)
ブリーフィングでは、パーサーから皆にプレゼントが✨↓
IMG_4919 (編集済み)
パーサーからのプレゼントを活用して、クリスマスらしく✨↓
IMG_4920 (編集済み)IMG_4924 (編集済み)IMG_4927 (編集済み)
この日もお誕生日のお客様がいらしたので
シャンパンのサービス ↓
IMG_4925 (編集済み)

離陸して約6時間後
コックピットから「オーロラがすごい!」との連絡が・・・
東京便でもこんな壮大なオーロラが見えることがあるのですねぇ✨(˘ᵕ ˘人)ஐ:*
PRI_7281PRI_7310PRI_7323PRI_7285
動画はこちら↓

パーサーが全クラスのパーソナルビデオシステムに
英語とオランダ語で
「左手にオーロラが見えています」
というメッセージを流してくださいました ↓
IMG_4928 (編集済み)
OCR(=Overhead Crew Rest)に行くと
そこにもプレゼントが・・・✨↓
IMG_4929 (編集済み)
そして成田到着前の美しい富士山 (˘ᵕ ˘人)ஐ:*
IMG_4939 (編集済み)
帰りの飛行機は
到着したクルーによる飾り付けがされていました✨
紙皿を使うなんて、持ってくるのにかさばらないし軽いし壊れないし、
とっても良いアイデア(˘ᵕ ˘人)ஐ:*
IMG_4945 (編集済み)IMG_4946 (編集済み)IMG_4948 (編集済み)IMG_4959 (編集済み)
紙皿なのに可愛い✨

(年始編に続く・・・)

近況報告(新居)

寒中お見舞いもうしあげます❄️
新しい年を向かえて、あっという間に1ヶ月・・・
(↑ 書き始めた頃はまだ1月末だったのです・・・(^^ゞ)

66.66…%(略して67%)で乗務していると
(100%や80%で乗務するよりはフライト・リーブは長いのですが)
4年前まで長らく50%で乗務していたせいか
(↑ 子ども達と一緒に過ごす時間&子連れ一時帰国の時間、
そしてピアノを弾く時間を作る為)
乗務の後、休んだと思ったらもう次の乗務に出る感じで💦

毎回毎回面白いこと興味深いこといっぱいのフライトを
忘れないようにと書き始めたフライト日記でしたが、
ここ数年はじっくり書き綴る時間がなかなか作れず・・・

でも!
クリスマスの乗務(東京便)で一緒だった同僚から
機内から見えた
素晴らしいオーロラの写真をいただいたので、
それを早くお見せすべく
少しずつでも時間を作ってみますネ。

まずは近況報告から。

1月末、(引越しして7ヶ月目にして)ようやく新居の改装工事が完了
2月中はフライトの合間にコツコツと家具の配置換えや荷物整理をし、
3月3日にHouse-Warmingをしました (*⌒―⌒*)

新居はこんな感じです♪
(↓ 玄関)
IMG_5574
(↓ 玄関を入ったところ)
IMG_5827 (編集済み)
(↓ 左手=玄関入ってすぐ右手にトイレ)
IMG_5830 (編集済み)
(↓ 廊下突き当たり右手がバスルーム)
IMG_5854 (編集済み)
(↓ 廊下突き当たり、バスルームの隣奥が寝室)
IMG_5831 (編集済み)
(↓ リビング)
IMG_5843 (編集済み)
(↓ ベランダがあります)IMG_5845 (編集済み)
(↓ オランダ語レッスン時)
IMG_5848 (編集済み)
(↓ リビング横のピアノの部屋)
IMG_5858 (編集済み)
(↑ 右手前にあるのはソファーベッド)
(↓ ソファーベッドと左奥の荷物を移動し、今はこの時よりももう少し広々としています)
IMG_5863 (編集済み)
(↓ キッチン)
IMG_5846 (編集済み)

(新居の見取り図 ↓)
meander-1-e8a68be58f96e3828ae59bb3.png
改装工事前の写真 ↓

改装工事中の写真 ↓

(↑ キッチンが一番大変でした・・・古いキッチンを撤去したら壁に大穴が開いていたり・・・
自分で古いタイルをはがしたり、古い釘を抜いたり、壁と天井のペンキ塗りをしたり・・・)

昨夏の引越しから9ヶ月、ようやく落ち着きました (*⌒―⌒*)

2018年は、子ども達もわたしも
(宇宙の新年に合わせたかのように)人生の新しいステージに進みました✨

住むところは3人別々になってしまったけれど、
これからも
心の中でお互いを想いながら、
それぞれの道をワクワク楽しく歩んでいけますように・・・!

(↓ 引越しのお知らせを兼ねて作った昨年のクリスマスカード)
Xmas FB

夏の休暇2016&2017

今日は
(下書きに残されたままになっていた)昨年の夏休みと、
(オランダ在住25年目にして初めて日本に帰らなかった)今年の夏休みのお話を・・・ (*⌒―⌒*)

昨夏の休暇はセビリアへ(フラメンコ)旅行に行ってきました。

セビリアは、前世をみていただいた際
「今までで一番幸せだったのはスペインで踊り子だった時代」
と聞いた時から
(訪れたいというより)戻りたいと思っていた場所…
ようやく念願が叶いました.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))

偶然通りかかった(→偶然=必然)タブラオLa Taberna
連日美味しいサングリアを飲みながら踊らせていただき
本当に幸せでした ♪(˘ᵕ ˘人)ஐ:*


そして今年の夏は、約10年ぶりに、
離婚するまでの15年間、毎夏訪れていたギリシャ北部テサロニキとカッサンドラ半島へ・・・

この10年でお洒落なホテルや新しいお店ができて、すっかり観光地化されていましたが、
変わらず美しい海に感激しました ♡(˘ᵕ ˘人)ஐ:*


初めて訪れた頃は、道路も砂利道&停電したり断水したりで大変だったのに、
今では他の欧米の国々同様
どのカフェバーでもレストランでも無料Wifiまで使える・・・!
(↑ 日本は、便利なようで、海外から訪れた人が無料Wifiを使えるお店、本当に少ないですよね・・・)

今回驚くほど沢山
ゾロ目のナンバープレートを付けた車を見ました♪
(1番多かったのは333/3333、写真には撮れませんでしたが他に777や999も)

久し振りに食べた本場のギリシャ料理がとっても美味しくて、
食べ過ぎて7kg太りました(^^ゞ
(わたしのお氣に入りのギリシャ料理はこちら

テサロニキの港に近いギリシャ料理レストラン街では
各お店でそれぞれ別のミュージシャンがギリシャ音楽のライブをやっていて
昔すごく好きだった曲を
(タイトルが思い出せなくてメロディーを歌って)リクエストしたら
「あぁ!『オラ カラ』だね!」と
すぐに歌ってくださって感謝感激でした ♪(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

咄嗟に思い立って
レストランの紙ナプキンでバラの花を作り
お礼に差し上げたら
お二人ともとても喜んで
胸ポケットに入れて演奏を続けてくださいました (*⌒―⌒*)

それを見ていたレストランの女性客(恐らく観光客)が
「この子達にもバラの花を作っていただけますか?」
と、小さな女の子2人を連れていらしたので、
更に2つ作りました。
こんな小さなささやかなことで喜んでいただけて
とても嬉しかったです (*⌒―⌒*)

紙ナプキンのバラの花は、
(機内でお客様や同僚の為に作る時もそうですが)
ただただ、感謝の氣持ちを伝えたかったり
ただただ、喜んでもらいたかったり
という
本当にごくシンプルな、素直な氣持ちで作っているのですが、
人によっては
“目立ちたいからやっている”
と見る人もいる…と知ってちょっとショックを受けました…
でも、色々な見方、受け取り方がありますものネ (*⌒―⌒*)

…そう考えると、
セビリアでのフラメンコもただ踊りたかったから踊り、
フライト先でピアノを弾くのもただ弾きたいから弾いているのですが、
これも
“目立ちたいからやっている”
と見る人もいるのかしら…
(これはどういう心理なのかしら…自分が同じことをするとしたら”目立ちたいからやる”ので他の人も同じだろうと考えるのかしら…)

“目立ちたいからやっている”のではないことは自分が一番よくわかっているので
(親しいや大切な人から誤解されたら悲しいですが)
知らない人達から誤解されるのは(氣にしていたらキリがないので)
仕方ないと、氣にしないようにしようと思います (*⌒―⌒*)

ところで、
テサロニキのタベルナ(ギリシャ語でレストランのこと)で演奏していただいた
『Όλα καλά (Ola Kala) オラ カラ』 は
Γιώργος Νταλάρας (Giorgos Dalaras) ヨルゴス ダララスの
1975年のヒット曲・・・ギリシャの懐メロです。
どうしてそんな昔のギリシャの曲を知っているのかというと、
早くに亡くなったギリシャ人の元義父(元夫の父)が(面白くてとっても優しい義父でした…)車の中でよく聞いていたのです。
オリジナルはこちら ↓

ずっと書けずにいたフライト日記も
(フライトセイフティの試験が終わり次第)また少しずつ時間を作って書きますね (*⌒―⌒*)