フライト日記 (Bonaire)

2006年9月
(BON)

(ホテルのビーチから眺める
幻想的な夕焼け)
 

2月、4月、6月に続いて今年4回目のボネール便。

1年の内に同じ国へのフライトが4回も付いたのは初めてです。 ( 路線の多いアメリカでさえ、1年に4度は行きません。)

ボネール便は、7泊9日/4泊6日と長い(・・・現在は、日本路線も含めて、ほとんどの便が1泊3日の短いスケジュールとなっています)ので、夫も渋い顔
「ボネール便ばかり4回も付いているから違う便を付けて欲しい、とスケジューラーにメールしたら?」
と言うので、(仕事なのに、行き先に文句付けていいのかナ・・・)と困惑しながらメールすると、
「了解。 ボネール便はこれで最後です。  今度アップルドールン便 (注 : そんな便はありません)はいかがですか?」
という返信。 アップルドールン ???  (あぁオランダ王室の宮殿がある場所・・・日本の皇太子ご一家がいらしていたから・・・!)
こんな返信がくるとは・・・地上職も募集要項に"ユーモアのある人"という項目があるのかしら・・・?!(ちなみにキャビンアテンダントの募集要項には、昔も今も本当にそう書いてあります)。
 
4度目のボネール便乗務でしたが、今までは午前中に出発する"ボネール経由リマ(ペルー)行き"の便だったのが、今回は初めて深夜出発の"ボネール経由キト&グアヤキル(エクアドル)行き"。
リポーティングは午後10時過ぎです。
スーツケースを預けに行くと、もう私達の便のカートしか残っていない・・・最終便・・・
いつもなら、各便のフライトナンバーが付けられたカートがズラリと並び、"間違ったカートにのせてしまって到着地に自分のスーツケースだけ届かない"という事態に見舞われる(例えば597便と579便・・・私も一度やってしまいましたxxx)ので、十分に気を付けないといけないのですが、今回はその必要はありません。
 
 いつものようにブリーフィングルームへ先に行って、楽譜(今回持って行ったのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の連弾譜)を読みながら待っていると、続々と同僚たちが集まってきます。
他の時間帯だったら、部屋に入ってきた途端、私を見て(アジア路線かと思い)
「部屋を間違えた・・・」
と出て行ってしまう人が多いのですが、こんな時間にブリーフィングがあるのは私達の便だけだったので、今回はそれはありませんでした。
最後に入ってきたジュニア・パーサーのジョンが、楽譜を広げていた私に
「おぉ~~~! misaeは,もうフライトの準備をしてるよ~」
と冗談を言ってブリーフィングが始まりました。
 
機種は、MD-11。
(今年の3月に、私のファーストフライトから約17年振りにサンパウロ便で再会した)アネケと一緒にビジネスクラスを担当。
相棒のアネケをはじめ、ジュニアパーサーのジョンは、何年か前にヒューストン便を一緒に乗務して知っていたし、機長のパトリックも、私が日本人乗務員として飛んでいたころ(=彼が副操縦士だった頃)よく一緒に乗務して、よく知っていたので、いつもに増して楽しく仕事ができました♪
 
ボネールに到着したのは現地時間で午前2時頃。
クルーホテルは、今までいつも泊まっていたホテルの並びにある別のホテルです。
以前ボネール便のフライト日記にも書きましたが、ボネールには、
1) "ボネール経由リマ行き"の便でアムステルダムから到着するクルー
2) "ボネール経由キト&グアヤキル行き"の便でアムステルダムから到着するクルー
3) ボネールからリマへの往復乗務をするクルー
4) ボネールからキト&グアヤキルへの往復乗務をするクルー
5) リマから戻ってきた便を引き継いでアムステルダムへ戻るクルー
6) キト&グアヤキルから戻ってきた便を引き継いでアムステルダムへ戻るクルー
が(一日につき6組)いますので、すごい人数になりますから
1) 最初に "リマ行き"で到着したクルー
2) 最初に"キト&グアヤキル(エクアドル)行き"で到着したクルー
の2組に分かれて、別々のホテルに滞在しているのです。
 
私も今回は今までと違う便で到着したので、ホテルも別のホテル。  一度泊まってみたいと思っていたので、嬉しかったデス。
ホテル到着後はいつものようにクルードリンク。
ホテルのビーチに集まって、満点の星空の下、皆でワインをいただきました。
気が付くと、空が白み始め、海に面したレストランでは朝食のサービスが始まった様子。 (乗務の後、朝まで飲んでしまったxxx)
折角なので朝食をいただいて、午前8時半頃ベッドに入りました。

(ここで朝食をいただきます)

(時折、海鳥が来て、お砂糖の袋をつついて穴を開け、
中のお砂糖を上手に食べていました)

(奥に見えている、一番左端のパラソルの下
・・・ここで朝まで皆で飲んでました)

(6~7時間眠ると、お腹が空いて目が覚めてしまうので)もともとあんまり睡眠は取らないタチですが、12時半(=床についてから4時間後)に部屋をノックされて起きた時は流石にまだ眠かったxxx
ドアの覗き窓(?)から外を見ると、ジョギングウェア姿のパトリックが・・・あ、そう言えば、昨日、一緒にホテルのスポーツジムへ行くって約束してたっけxxx
ドアを開けようとして、ふとわれに返る ・・・あ、そう言えば、何も着てなかったxxx
「先に行ってて!」
と、ドア越しに伝え、急いで支度をしてジムへ。
 オランダ人の同僚には、フライト先で毎日ジムへ通う人が多いのですが、私は初体験。
パトリックにやり方を教えてもらって、自転車を30分こぎ、それから1時間ベルトコンベアーのようなもの(器具の名称がオランダ語でしかわかりませんxxx)の上を走りました。
ホテルのスポーツジムは、クーラーも効いていて気持ち良く、テレビもあるし、何だかとても居心地がよかったので、決めました・・・今回のボネール滞在中のテーマは
"スポーツ&美白"
 
常夏のカリブの島で美白?!
と思われたかもしれませんが、もう今年4回目なのです、ボネール・・・2月に来た時に既に真っ黒に焼けて、4月、6月にも焼いて、ボネール以外でも、カイロやデリーで焼いてましたから・・・今年は本当に一気にシミが増えましたxxx
それで、今回は、夕方まではなるべく外に出ないようにして、持参した美白用化粧品(ホワイトニング・パックやら何やら)で真面目にお手入れすることにしたのです。
(ちゃ~んと行きよりも白くなって帰ってきましたヨ!)
御篭り(?)ついでに手足の爪にも、シールを貼ったりしてみました。
乗務したらほとんど取れてしまいましたがxxx

(左手の小指&右手の親指)

途中一日だけ、リマへの往復乗務が入りましたが、それ以外は、毎日ジムへ行って、自転車こいで&走りました。
(誰もいない時には、デューク更家のウォーキング・ダイエットのウォーキングもこっそり・・・) 
 
リマへの往復乗務では、サービスを終えてから、余ったミールを休憩中にいただいたのですが、ビジネスクラスの機内食の美味しさに感動・・・!
アムステルダム-ボネール間で、既に2回お食事をお出ししてありましたし、長い飛行時間でお疲れだったこともあり、お客様のほとんどが食事は取らずにお休みになっていらしたので、沢山のミールトレイが余っていたのです。
ボネールは食べ物が美味しい!

(前菜 : ペッパー・スモークサーモンと車海老)

(主菜: チキンカレー、鮭のコリアンダーバター焼き、
マッシュルームのクリームソース・パスタの中からのチョイス)

 パーサーのミイケ(オランダ人女性の名前には、最後が"~ケ"で終わる名前が沢山あります。 日本語でいう"~子"みたいな感じなのでしょうか???)に誘われて、リマ往復便の翌日、(機内で余ったパンをお土産に)ロバ牧場なる場所へも行きました。
ここでは、島で露頭に迷ったり怪我をしたりしたロバを保護しています。

(ロバの赤ちゃんって、体毛が長いのですねぇ~
・・・知りませんでした)

次のフライトは、お正月以来の東京便
東京便乗務の前日に、年に一度のフライト・セイフティーの試験があるので、頑張らないと・・・!  (試験に落ちると乗務停止になってしまうのデスxxx)

フライト日記(Hong Kong)

2006年7月
(HKG)
アムステルダム・スキポール空港内にある、クルー・センター。
乗務の前には、ここの1階(オランダでは0階)でリポーティングをし(パスポートをコンピューターに読み込ませて、各便に乗務する乗務員のデータを作ります)、スーツケースを預け、メールボックスをチェックし、アローワンス(滞在先での食費など)を引き出し(専用のATMがあります)、2階(オランダでは1階)へ上がります。
時間がない時は、そのままブリーフィング・ルームへ直行。 時間があれば、ここでお茶したり(コーヒー・紅茶・ジュース・お菓子・スープなどが売っています)、クルー用の免税店でお買い物をしたり、コンピューターでスケジュール・チェックしたりします。
ブリーフィング・ルームの手前に、パーサー用のブリーフィング・ルームがあって、パーサー達はCAよりも30分早くリポーティングして、それぞれの便のテーブルに分かれて打ち合わせをし、CAML(誰がどこで働くかなどが指示されたプリント)を作成します。 
私は大抵少し早めに空港に入るようにしているので、1階でのリポーティングなどを済ませた後、2階のパーサー用のブリーフィング・ルームへ行って、ブリーフィング前にパーサー達(シニア・パーサーと、パーサー又はアシスタント・パーサー)に挨拶し、簡単に事情(日本人だけれどオランダベースで乗務していることなど)を説明しておきます。
今回も、そんな訳で、ブリーフィング前にパーサーに挨拶に行くと、丁度、中国人の同僚達も挨拶に来ていました。 (日本人・中国人・韓国人等、外国ベースの外国人乗務員は、ブリーフィング前に必ず挨拶に行くことになっています。)
「あら? 3人目の中国人??」と顔を見合わせるパーサー達と、「誰?!」と驚いている中国人の同僚達に挨拶(=握手をしてお互いの名前を伝える)し、「オランダベースの日本人CAで、中国語は話せない」旨、オランダ人にはオランダ語、中国人には英語で説明。
他のオランダ人の同僚達へは、ブリーフィングの最初に、パーサーが事情を説明してくれました。
機種はボーイング747-400。
担当は、Aゾーン(1階席の最前部)。
ここは、その昔、ロイヤル・クラス(=ファースト・クラス)だったエリアで、現在はビジネス・クラスになっているのですが、その日はエコノミー・クラスがオーバーブックだった(=予約数が座席数を超えていた)為、エコノミー・クラスになっていました・・・と言っても、サービス内容がエコノミー・クラスになるだけで、座席はビジネス・クラスのままですので、Aゾーンにお席をゲットしたお客様は”ラッキー”な訳です。
ほとんどのお客様がご搭乗された頃、Bゾーン(1階席、Aゾーンのすぐ後ろの、一番前のドアと二番目のドアの間のエリア)にお掛けのオランダ人男性客が「自分はゴールド・エリート(=フリークエント・フライヤー・プログラムの会員/獲得マイル数によって、ブルー→シルバー→ゴールド→プラチナの順に昇格)なのに、どうしてビジネス・クラスのシートのエリアに席をもらえないのか」と聞いていらっしゃいました。 続いてもう一人、オランダ在住らしき中国人男性も「自分はプラチナ・エリートだが、マイルのポイントで、ビジネス・クラスのシートのエリアに席を替えてもらえないだろうか」とおっしゃる・・・
地上職員は、チェック・インの時、フリークエント・フライヤー・プログラムの会員(しかもゴールドやプラチナの)であるような大切な顧客を優先してAゾーンにするなど、考慮しないのか(?!)・・・ちょっと驚いてしまいました。
パーサーに伝えると、彼も(当然、会員優先だと思っていたので)驚いて、地上職員に連絡。
地上職員からは次のような返答がありました。
「Aゾーンがエコノミー・クラスになった場合、コンピューター上は、Aゾーンを他のエコノミー・クラスと同じ扱いにするように設定されている為、特に会員優先とはならない。
通常(=Aゾーンがビジネス・クラスの場合)は、Bゾーンが(エコノミー・クラスで予約した)会員優先エリアとなっている為、Aゾーンがエコノミー・クラスに変更された場合でも、(エコノミー・クラスで予約した)会員はBゾーンに優先されてしまう。」
とのことでした・・・知らなかった。 
Aゾーンのビジネス・クラスのシートに感激していらっしゃる(会員でない)お客様に今更「席を替わって下さい」なんて言えませんので、Bゾーンの会員のお客様お二人にその旨説明して今回は諦めていただきましたが・・・コンピューターの設定を変えればいいだけのことなのに・・・
そのお二人のお客様も苦情の手紙を書いていらっしゃいましたが、パーサーも会社にサービス・リマークス(機内で発生した問題を報告する書類)を書いていました。
早期改善を願うばかりです。
今回の香港滞在のメイン・イベントは、元同僚のM君との再会。
クルードリンクからジョインしてもらって、美味しい四川料理のお店に連れて行ってもらいました。
オランダ人も大喜びでした。 
M君、ありがとう~!!
日本での強行軍の後、オランダで2泊しかしないで香港便に乗務したせいか、香港では変な夢を沢山見ました。 特に面白かったのは、2泊目の夜に見たUFO試乗の夢・・・お友達の宇宙人が「乗っていいヨ」というので彼のUFO(二人乗り)に同乗する、という夢です。 あまりの速さに驚きながらも、貴重な体験に感謝感激でした・・・?!
帰りの便は、Aゾーンはいつもどおりビジネス・クラスでした。 
ついにこの数週間の疲れが出たらしく、この日は変な失敗ばかりしていました・・・
ワインとお水を頼まれて、トレイの上に普通のグラスとワイン・グラスをのせたところまではよかったのですが、ワインを普通のグラスの方に注いでしまったり・・・コーヒーとコーラを頼まれて、トレイの上に普通のグラスとコーヒー・カップをのせたところまではよかったのですが、氷をコーヒー・カップの方に入れてしまったり・・・
Aゾーンは客室の中央辺りで一人でサービスするので、↑のような失敗をしては、回りを見渡し(幸いお客様は誰も見ていらっしゃらなかったようなのですが)、一人で赤くなっておりましたxxx
これから9月まで夏休み。
次のフライトまでは、自宅でのプライベート・スチュワーデス(=ソファーに寝そべった夫からの食べ物や飲み物の注文を承る仕事)に忙しくなりそうです・・・実は家の方が機内よりも忙しかったりして(!?)

フライト日記(Osaka)

2006年7月
(KIX)
1年3ヶ月ぶりに大阪便のリクエストが通りました!
今年初めての日本路線乗務 (*⌒―⌒*)
大阪で、美味しいお好み焼きをいただき、美味しい冷酒&梅酒を飲み、懐かしい友人に会い、本当に楽しいフライトだったのですが・・・行きの便に(オランダ人もビックリの)
ダイパー・マザーが出没!
・・・大変でした(^^ゞ
大阪便の機種はボーイング777です。
担当は、エコノミークラス。 
ビジネスクラスにアサインされていた日本人乗務員の方(昨年3年契約で入社されたばかりの、大阪ベースの乗務員)が、「交代しましょうか?」と気を遣って下さいましたが、(東京便乗務時に、大先輩がエコノミークラス、私がビジネスクラスにアサインされてしまった時には、やっぱり私も先輩に交代を申し出ますが、そういう時には先輩は決まって「あなたはオランダ人として乗務しているのだから、気にしないでビジネスクラスにお入りなさい」とおっしゃって下さるので、それを真似して)「私はオランダ人として乗務しているのだから、気にしないでビジネスクラスを担当なさって下さいね」と申し上げました。
オランダ人の同僚の中には、「エコノミークラスの担当が嫌だから、はやくビジネスクラスの資格を取りたい」というEenBander(=1本線乗務員=制服の袖に白線が1本だけ付いている乗務員=エコノミークラスしか担当できない乗務員)や、たまたまエコノミークラス担当にアサインされてしまったTweeBander(=2本線乗務員=制服の袖に白線が2本付いている乗務員=エコノミークラスとビジネスクラスの両方を担当できる乗務員)がエコノミークラスの担当を嫌がったり・・・ということがありますが、私は、どちらのクラスも好きです。
ビジネスクラスにはビジネスクラス、エコノミークラスにはエコノミークラスのサービスがあって、どちらも異なった遣り甲斐があって楽しいです。
お客様方との会話を楽しみながら、いつものようにサービスをし、飛行機は順調に大阪へ向かっておりました。
時々コールボタンがなって客室へ出ると、お座席(12ab)から身を乗り出して大きく手を振る、お子様連れの女性客がいらして(・・・最後の方に飛行機に乗って来られて、怯えた目をした2歳くらいのお子さんを抱っこしながら、ひどく乱暴にベビーカーを手渡してきたお客様だったので印象に残っていました)、「一体何事?!」と思いましたが、ご用件は「ジュース下さい」といった普通のことだったので、それ程気にしていなかったのですが・・・
最初のミールサービスが終わって一息ついていましたら、例の女性客を担当している日本人同僚が、「ちょっと変なお客様がいらっしゃるんです」と・・・その”大手を振る“お客様のことでした。 
なんでも、そのお客様、サービス中お手洗いに行っていらしてお席にいらっしゃらなかったので、同僚がとりあえず次のお客様に先にミールトレイをお出ししていたら、お手洗いから戻っていらっしゃったそのお客様に
「トイレに行ってただけじゃないのよっ!! なんで私を抜かすのよっ!!」
と怒鳴られたとのこと・・・
変わったお客様がいらっしゃるのだなぁ~・・・(何年飛んでも、新しい発見があります)
それからしばらくは(相変わらず、お座席から身を乗り出して手を振っていらっしゃった以外は)何事もなかったのですが、到着前の朝食のサービス中、ギャレーに戻ると、先程の日本人の同僚から驚きの報告が・・・なんと先程のお客様、お子様のオムツを座席で替えた上、その汚れたオムツをミールトレイの上にのせて同僚に渡してきた、というのです。
そう言われてみれば、飛行中、あの辺りを通るとなんとなく臭くて・・・お手洗いから近いところでしたので、どなたかご利用になった直後だからかと思っていたのですが・・・お座席でオムツ替えをしていたからだったのですね・・・
あ~それで、お隣のお席(12c)にお座りだったお客様が、いつの間にか別のお席に移っていらしたのか・・・
同じギャレーのオランダ人同僚とシニアパーサーに伝えたら、「えぇ~~~っ?!」と仰け反って驚いていました。
その時から、そのお客様には
ダイパー・マザー(オムツ・お母さん)
というニックネームが付けられました。
同僚は
「あまりの驚きに口も聞けぬままオムツを受け取り、処理した」
とのことだったので
「他のお客様にもご迷惑なことですから、きちんと吐袋に入れてトイレのゴミ箱に捨てるよう、ご注意した方がいいですよ」
と伝え、私は担当エリア(同僚の担当エリアよりもさらに後方のエリア)に戻ったのですが、
途中、ふと目を降ろすと、
例のお客様=ダイパー・マザーのお座席の下にまた新たに“使用済み”のオムツが・・・!
「お客様、オムツは吐袋に入れて、お化粧室内のゴミ箱に捨てていただけますか?」
と拾ったオムツを差し出しながら申し上げましたら、
「ちょっと落っことしちゃっただけじゃないのよっ!」(そうくるか・・・)
とイキナリ逆ギレされてしまいました。 
「では、恐れ入りますが、吐袋に入れて、お化粧室内のゴミ箱に捨てていただけますか?」
とそのオムツを手渡すと、そのままシートポケットに。 
「いえ、シートポケットではなくて、吐袋に入れて、お化粧室内のゴミ箱に捨てていただけますか?」
サービスの途中でしたので、それだけ申し上げて、私は自分のエリアでの仕事をし、ギャレーに戻るとまたコーリングボタンが・・・
ダイパー・マザーです。
「お呼びですか?」
と伺うと、
「オムツを吐袋に入れてトイレのゴミ箱に捨てなきゃいけないのなら
 乗って来た時すぐにそう言って吐袋を渡してくれなきゃわからないじゃないっ!」
と怒鳴られました・・・
「失礼なんだよっ! 責任者呼んで来なさいよっ!」
とおっしゃるので、シニアパーサー(女性)に来てもらったのですが 
ダイパー・マザー 英語はおわかりにならず・・・

「日本語がわかる責任者を連れて来てよっ!」
とおっしゃるので、
「申し訳ございません。 オランダの航空会社ですので、責任者は全員オランダ人でございます。」
「日本語がわかる責任者はいないのっ?」
「おりません」
それからは、日本語で機関銃のように捲り立て、
「他の赤ちゃん連れの乗客が、オムツをちゃんとトイレのゴミ箱に捨てているというのなら、証拠を見せろ!」
とか
「自分だって全部トイレに捨てていた。 トイレのゴミ箱を開けて見てみろ!」
とか
こちらが真剣にお話を伺おうという姿勢を見せても、訳のわからないことをおっしゃるばかりで埒があかなかったので、
そばで「???」状態で立っていたシニアパーサーにダイパー・マザーの言い分をオランダ語に訳して伝えると、
「言ってることはわからなくても、目を見れば 精神異常者であることはわかる。 話しても無駄だから、席に戻ってもらいなさい。」
との指示だったので
(精神異常者かもしれないと思ったらなんだか気の毒になって、余計に優しい口調で)
「おっしゃりたいことはよくわかりました。 間もなく到着いたしますので、お座席にお戻り下さい。」
と申し上げると
「何笑ってんのよー!」
「・・・これは地顔でございます」
「さっきはスッゴイ怖い顔してたじゃないっ! 鏡で見てみなさいよっ! 失礼なんだよっ!」

お座席に向かう間ずっと、汚い言葉を吐き捨てながら歩くダイパー・マザーの後姿を見つめながら、
「・・・これでいいのだろうか・・・?」
と考えてしまいました。
大阪到着後、パーサー(男性)にも報告しましたら、
「何があっても客を立てる日本人には難しいことなのかもしれないが
そういう場合、乗務員は、もっと強い態度にでないといけない。
知っていたら僕が対処したのに・・・残念!」
と言われてしまいました。
確かに、
周りのお客様に対する迷惑行為(座席でのオムツ替え+汚れたオムツの放置)をする
+乗務員の指示(汚れたオムツをトイレのゴミ箱へ捨てる)に従わない
=(出発前なら)強制降機
=(飛行中なら)逮捕した上、到着後警察に引き渡し
となるはずなのです・・・通常なら(=オランダ人パーサーが対応していたなら)。
・・・日本路線では、言葉の関係で、日本人乗務員がパーサーの役割を果たさないといけなくなってしまうことも多いので
こういった事態を想定した(パーサーが受ける)訓練を、日本人乗務員も受けるべきなのではないか・・・と思いました。
ご機嫌の悪いお客様、怒りっぽいお客様の場合、どんなに怒っていらっしゃっても、こちらが誠意を持ってお話を伺えば、必ずご機嫌は直り、到着時には気持ちよく飛行機をお降りいただける・・・そう信じています。
しかし、精神を病んだお客様(あるいは、泥酔状態のお客様)の場合は、優しくお話を伺うだけではダメな(だけでなく、かえってエスカレートさせてしまう)ケースもあり、そういう場合は対処方法を変えて、厳しい態度で臨まないといけない、ということを学んだフライトでした。
ダイパー・マザーが、一時帰国だったのか本帰国だったのかわかりませんが、万が一またご一緒することがあって、また同じことが起こったら、今度は(心を鬼にして)
「おっしゃりたいことはよくわかりましたが、他のお客様に対する迷惑行為をなさったこと、また、乗務員の指示にお従いいただけなかったことは事実です。 これ以上、私共の指示にお従いいただけず、騒ぎを大きくするようでしたら、業務執行妨害となりますので、直ちに逮捕し、到着後警察に引き渡すことになりますが・・・よろしいですか?」
とお伝えできるようにがんばります🌿

フライト日記(Bonaire) つづきのつづき

2006年6月 つづきのつづき
(BON)
 

 

(ホテルのビーチ・バーにもイグアナが・・・!)
 
(W杯のオランダ・チーム応援の為
=ボネールはオランダ領です
ホテルの各所に
オレンジ色の飾り付けがされていました)
(でも・・・昨日負けちゃったので
きっと今頃は取り外されていることでしょう・・・) 
 
ボネールで2泊した後、3日目にリマへの往復乗務がありました。
(トラブルが起きるのは、リマからの帰路ですので、辛抱して読んで下さいネ!?)
 
Calling(クルーバスがホテルを出発する1時間前に、ウェイク・アップ・コールがあります)は午後1時50分。
朝食後しばらくホテルのビーチへ出(・・・2月、4月とボネール便が付き、もうすっかり日焼けして真っ黒だったので、今回は夕方まで部屋に篭っていようと思っていたのですが、あの美しい海を前にしたら、やっぱり勿体無くなってしまって・・・)、お昼頃部屋に戻って1時間ほど仮眠をとり、クルーバスで空港へ。
 
リマまでは飛行時間約3時間30分。
その間に、ドリンク・サービス、(前菜、主菜、デザートのフルコースの)ディナー・サービス、食後酒のサービスをします。
 
空港待合室でお待ちだったトランジットのお客様と、ボネールからご搭乗のお客様をお迎えし、いつもの様にウェルカム・ドリンク(シャンパン、フレッシュ・オレンジ・ジュース、ミネラル・ウォーターからお選びいただきます)をお出しし、イヤホン、コンフォート・バッグ(中にアイ・マスク、ソックス、歯磨きセット、リップ・クリームなどが入っています)、メニュー・カードをお配りします。
 
ふと気が付くと、本来、離陸して、ドリンク・サービスを終えてからお伺いするはずのディナーのチョイスを、相棒の(今回に限りビジネスクラスを担当することになったパーサーの)ヴィヴィアンが、いつのまにか取りに行っていました。 (相変わらずですxxx ま、いいんだけど・・・一言言ってくれるといいのになぁ・・・)
「一緒にやろうか?」と聞くと、「一人でできる」と言うので、私は離陸に備え、ギャレーの片付けをしていました。 すると、突然バタバタとヴィヴィアンが戻って来て、パーサー・ワーク・ステーション(MD-11ではビジネスクラスのギャレーの隣にある)にいるシニア・パーサーのアントワネットに「misaeが違うメニューを配った!」と訴え(・・・なんで私に言わずにシニア・パーサーに言うかなぁ・・・)、メニュー・コンテイナーの別のメニュー・カードを取り出そうとしています。 (メニュー・コンテイナーには、アムステルダムを出発する時点で、アムステルダム~ボネール、ボネール~リマ、リマ~ボネール、ボネール~アムステルダムの4種類のメニュー・カードが搭載されているのです。) 私もすぐに駆け寄って再確認(もちろんお配りする前に一度は確認済みですのでネ)すると・・・大丈夫、間違ってません。 (ヴィヴィアン、お願いしますよ~・・・)
 
チョイスを聞き終わると、ヴィヴィアンはオーブンの準備を始めました。 「もうすぐ離陸なのに、時間あるのかな・・・」と思いながらも、腕の4本線(=パーサー)を見るとやっぱりなんだか意見し辛い。 これが、いつもの通り、2本線(=ビジネスクラスCA)の相棒だったら、まず、離陸直前の時間のない時にオーブンの準備などしないでしょうし、しようとしたとしたら私も「離陸後にしましょうよ」と促したのですが・・・。
手伝っていると案の定、機長から「乗務員、着席」のアナウンスが。 慌てて片付けて、大急ぎでギャレーをチェックし、ジャンプ・シート(クルーが座る席)に。
 
離陸中、ギャレーで鈍い金属音がし、離陸後シートベルト着用のサインが消えてギャレーに戻ると、ウェイスト・トローリー(=ゴミ箱)が収納場所から飛び出していました。 離陸前のギャレー・チェックが不十分で、ロックし忘れていたのです。 当然シニア・パーサーのアントワネットからお叱りを受けました。 幸い、ウェイスト・トローリーはギャレー内に留まっていましたが、万が一、通路に飛び出し、客室内を後方へ滑走でもしていたら、大変なことになっていましたから。
離陸前はフライト・セイフティーにのみ集中しないと・・・反省
 
ボネール便では、アムステルダム~ボネール、ボネール~リマ往復、ボネール~アムステルダムで、コックピット・クルーが全て異なります。 
ボネール~リマ往復便では、副操縦士のヘンクがヴィヴィアンの旧友(・・・というだけではない=フライト先での恋人という噂でしたが、ホントかな・・・)とのことで、サービスの合間、ヴィヴィアンが度々知らぬ間にコックピットへ遊びに行ってしまって困りました。 (せめて一言言ってから行ってくれ~)
 
そしてリマ到着30分前、コックピットから戻ったヴィヴィアンが、「着陸の時、コックピットに座っていいって言われたから、私、コックピットに行くわね!」と言う・・・MD-11には、客室内の非常用ドア8つに対し、(前の日記に書いたとおり)乗務員が10名搭乗している=担当ドアを持っていない乗務員が2名いる+リマ往復便は飛行時間が短い為、コックピットに4席クルー・シートがあるのに対し、パイロットは2名しか乗務していない=離着陸時に、客室乗務員2名まで、コックピットに座ることができるのです。 
通常は、シニア・パーサーとパーサー(アシスタント・パーサー)は、緊急事態発生時に大切な任務があるので、客室に残らなければなりません。 
でも、今回は、パーサーの資格を持った乗務員が(ユィックとヴィヴィアンの)2人いましたから、それにヴィヴィアンはパーサーとしてでなくビジネスクラス乗務員として乗っていましたから、彼女にとって、またとないチャンスだった訳です。 そのことがすぐに頭を過りましたので、私は「よかったネ~普段は無理だものネ~」と一緒に喜んでいたのですが・・・
その数分後、エコノミークラス担当のナタリーがコックピットから戻って来て、シニア・パーサーのアントワネットに「着陸の時、誰かコックピットに座っていいそうなので、くじ引きしていいかしら?」と聞いているのです。 (ヴィヴィアンと話が違う・・・???) 
即座にヴィヴィアンが「もう私が座ることに決まってるのよ!」
ナタリーがビックリした顔で「でも、私、たった今コックピットで聞いてきたのよ?! 公平にくじ引きにしましょうよ」
「いいえ! 私が座っていいって言ってた!」そう言って、皆が唖然とする中、そのままコックピットへ行ってしまったヴィヴィアン。 
ふと我に返った私・・・「えっ、ちょっと待って・・・こんなに早くコックピットに行かれちゃったら困る・・・着陸前の仕事がまだあるのに~」 
ギャレーの片付け、お預かりした上着の返却、イヤホンの回収、客席の最終チェックetc.・・・ナタリーが手伝ってくれて何とか終えました。
  
リマ到着後、約1時間の停泊時間があったので、何人かで空港ターミナルへ。
 
(シニア・パーサーの言いつけどおり)搭乗開始の20分前に戻ると、ウェルカム・ドリンクの用意などが既にされてあったので、てっきりヴィヴィアンがやってくれたのかと思ったら、ヴィヴィアンは気分が悪くなってしまった為、シニア・パーサーのアントワネットが代わりに準備してくれたとのこと。 ありがたいなぁと思っていたら、エコノミークラス担当の子達曰く、「私が準備で忙しかったのに、みんな買い物なんかしてて!」と怒っていたらしい・・・お疲れなのかな、アントワネット。 現地の時間で午後9時過ぎ、オランダ時間で午前3時過ぎでしたから、時差ボケが残っていたりした場合、このリマ往復便は大変きついフライトなのです。
 
私はというと、ビジネスクラスで余った前菜&主菜(アムステルダム~ボネール間で既に2回お食事を出していますので、お腹一杯で召し上がらないお客様も多いのです)をいただき、満腹状態でしたので、元気ハツラツでした。 
私は、十分に食べていれば、多少の寝不足は平気なのです。 
 

(前菜のシーフード盛り合わせ)
 

(主菜のサーモンの照り焼き・・・なぜか和食)
(と~っても美味しかったです!) 
 
ヴィヴィアンが働けない、というので、アントワネットがユィック(エコノミークラスを仕切っているパーサー)に「エコノミークラスから一人、ビジネスクラスのヘルプによこしてくれ」と頼んでいます。 ビジネスクラスの搭乗人数を聞くと20名とのこと。 それならボーイング747-400の1階ビジネスクラスの満席時の人数(18名)と2名しか変わりません。 「大丈夫、20名なら私一人でサービスできますヨ」と申し出ました。
 
でも、結局、お客様の搭乗開始時には、ヴィヴィアン、けろりとした顔で、アントワネットの隣でお客様をお迎えしていたので、私は内心「よかった~一人じゃやっぱり大変だもの・・・」と思いながら、エコノミークラス担当のエレアナと一緒に、反対側のドアの前で、お客様をお迎えしていました。
 
ほとんどのお客様がご搭乗なさった頃、ニコニコ顔のお客様が乗っていらっしゃいました。 北欧系の男性のお客様です。 
入り口のところで、ヴィヴィアンととても親しそうに話していらしたので、「もしかしたら、アムステルダム~ボネール間に、彼女の担当エリアに座っていらしたお客様・・・??」とさえ思えたくらいでした。 
そのお客様は、ドア前のお席(5B)にお掛けになりました。 
しばらくして、そのお客様が、反対側の窓際のお席(5J)にお掛けのお客様に話しかけられました。 間に4席と通路もありますから、声も多少大きくなります。 
アントワネットが「お静かに! まっすぐ前を向いてお座り下さい!」と大袈裟に厳しく注意しています。 疲れからか、かなりイライラしている様子でした。 
 
私は、「その反対側の席のお客様がお知り合いでもなんでもなければ、確かに迷惑行為なので、確認してみよう」と思い、5Jにお掛けのお客様に聞いてみると、お二人はもう一人のビジネスクラス客と一緒に三人でご旅行中とのことで、三人とも席が離れてしまったとのこと。
その旨アントワネットに伝え、ビジネスクラスのお客様は既にお揃いでしたし、5Jの隣のお席(5H)がまだ空いていましたので、5Bのお客様を5Hにお移りいただいてはどうか、と話しました。 アントワネットも了解してくれたので、5Bのお客様を5Hにお連れし、様子をみていましたら、それからは普通の音量でお話されていました。 
5HJのお席は、丁度私の担当エリアだったので、私が責任を持って担当しようと思っていました。
 
ところが、ギャレーに戻ると、アントワネットが「あのお客様(5Bから5Hに移したお客様)、どう思う? 降ろした方がいいと思う? 前に、迷惑行為をしていると勘違いして無実のお客様を降ろしてしまったことがあるから、同じ間違いを繰り返したくないから・・・」とヴィヴィアンに相談しているのです。
そして(あのお客様とあんなに親しそうに話していた)ヴィヴィアンが「私、あの人、嫌! 降ろして欲しい!」と言っているではありませんか・・・(驚)
「さっきも伝えたけど、大きな声で話していたのは、連れの方が離れていたからであって、隣同士になった今は全然問題ないわよ。」と私が言うと、ヴィヴィアンが「でも5Aのお客さんが、あの客は酔っ払ってるって言ってた! 私は嫌!」
・・・って、ヴィヴィアン、単に、自分の気分/機嫌が悪いだけなのでは・・・それに、ビジネスクラスのお客様ですよ~~~~~
 
「全然問題ない」と言った手前、きちんと様子を見てなくちゃ・・・と、離陸前の仕事(ウェルカム・ドリンクをお出ししたり、メニュー・カードやイヤホンをお配りしたり・・・)をしながらちょくちょく様子を伺い、ますます「これならホントに全然問題ない」と安心していると、アントワネットが急に機長を連れて来て、例のお客様に「あなたは機内で迷惑行為を行った為、飛行機からお降りいただきます」と言うではありませんか!!
連れのお二人のお客様と共に「どうしてですか?!」と繰り返す、例のお客様を立たせ、荷物入れから手荷物を降ろさせ、ドアへと連れて行ってしまいました。 
ドアのところで「気を悪くしたのなら申し訳ない。 どうかお願いだから乗せていって欲しい」とひたすら謝るお客様・・・。 思わず機長のところへ駆け寄って「このお客様、大丈夫よ、降ろす必要ないヨ!」と伝えましたが、機長は「もう決定されたこと。 変更はしない。」と。
残された連れのお客様は当然憤慨されています。 担当の乗務員として、直ぐにお二人のところへ行って、機長とシニア・パーサーの決定は覆せない旨ご説明し、お詫び申し上げました。
 
それからシニア・パーサーのアントワネットのところへ行って、
「質問があるのだけどいい? 
迷惑行為をした乗客を降ろす場合、シニア・パーサーと機長がそれを決定するのは承知してるけど、決定するに当たって、該当するお客様を担当していた乗務員の意見は汲んでもらえないの?」
と聞くと、
「でも、あの乗客は叫んでいたし、まっすぐ座るように注意しても聞かなかったから・・・」
とアントワネット。
「あの時、私も見ていたけど、あのお客様は確かに大きな声で話してはいたけれど、叫んではいなかったし、それはご友人が離れて座っていたせいで、席が隣同士になってからは問題なかったはず。 どうして決定前に、担当である私の意見を聞いてくれなかったの?」
「あなたはどういう意見だったの・・・(不安気に)?」
「今、聞かれても遅いけど、私は、問題ないと思った。 降ろす必要はないと思った。 自分が責任を持って担当できると思った。 それに、ボネールまではたったの3時間半。 万が一ダメなら、ボネールで降りてもらってもよかったはず。 ビジネスクラスのお客様なのよ? ドアのところで散々謝った時点で、搭乗を許可していたら、感謝100倍、きっとまたご利用して下さったに違いないのに、これではきっともうご利用下さらないでしょう・・・」
「でも、もう決定されてしまったし、仕方がないわ・・・(ますます不安気に)」
アントワネットの返答はとても曖昧で、この決定が"彼女自身の意見によるものではない"ことが察せられました。 「降ろして欲しい!」というのは、私の相棒ヴィヴィアンの意見でしたから。
 
(シニア)パーサーに意見する、なんて滅多にしないのですが、お客様のことを思ったら言わずにいられませんでした・・・  
 
もしも、私の相棒が、4本線(=パーサー)でなく通常どおり2本線(=ビジネスクラスCA)だったら、アントワネットも機長も、きっと彼女にだけでなく、私にも意見を求めていたのでは・・・
と思うと、とても残念でしたが、ヴィヴィアンには結局何も言いませんでした。
 
彼女はいつもはパーサーなんですもの、ついついパーサーやってしまうっていうのもわかります。
"パーサーがビジネスクラスを担当する"なんてことも普通はありませんし・・・。
それに、もしも機種がMD-11(=パーサー・ワーク・ステーションとビジネスクラス・ギャレーが隣り合っている)でなかったら・・・シニア・パーサーのアントワネットが、(後方のエコノミークラス・ギャレーにいる)パーサーのユィックに相談することなく、ビジネスクラスを担当しているヴィヴィアンにばかり意見を伺って彼女をパーサー扱いしてしまう、なんてことも、きっと起こらなかったでしょうしね・・・。
必然的に起きてしまったトラブルだったのかな・・・と思って。
 
でも、MD-11でパーサーと組んでビジネスクラスを担当するのはもうxxx
・・・と思ったフライトでした。
 

(帰りの便では私もコックピットに・・・!)

(真っ平らなオランダ上空)

(お天気が良かったので

湖はセイル・ボートでい~っぱい!)

 
次のフライトは、久し振り(半年振り)の日本路線–大阪便-です

フライト日記(Bonaire) つづき

2006年6月 つづき
(BON)
 
ボネール便の機種はMD-11。
客室は、シニア・パーサー(旧パーサー)1人+パーサー(旧アシスタント・パーサー)(アシスタント・バーサーとして残っている人も150名?程います)1人+ビジネスクラスCA(キャビン・アテンダント)2人+エコノミークラスCA6人、の合計10名で乗務します。
 
ブリーフィング・ルームに入ると、制服に4本の白線の入った人(=シニア・パーサー並びにパーサー)(シニア・パーサーとパーサーは制服上は違いがありません)(ビジネスクラスCAは白線2本、エコノミークラスCAは白線1本です)が3人?!
今回は、シニア・パーサーは1人ですが、パーサーが二人いて、うち一人が、ビジネスクラスCAとして私と一緒にビジネスクラスを担当するとのこと。
ちょっと嫌な予感・・・というのは、以前、アシスタント・パーサーと組んで働いたことがあって、(当然ながら)ビジネスクラスのサービスをかなり忘れてしまっていらして働き辛かった・・・ということがあったので・・・
 
案の定、トローリーを自分の分しか用意しなかったり(通常は、先にギャレーに戻ったら、相方の状況を見て、二人分のトローリーを用意する)、ワインも自分が必要な分しか開けていなかったり(ワイン・オープナーが一つしか搭載されていないことが多いので、一人がワインを開け、もう一人は別のことをする、という流れになる=ワインは二人が必要な分=各ワイン2本ずつ開ける)、何の断りも無く先に一人でサービスを始めていたり(客室の前の方から、二人並んでサービスをするので、普通は「じゃ、行こうか!」と二人同時にサービスを始める)、驚きの連続でした。
 
こういう場合、手は二つあると思うのですが・・・一つは、自分も同じようにやって相手に同じ思いをさせてわからせる。 もう一つは、あえて相手の為にいろいろしてあげて「なるほど、こうしたらお互い気持ち良く仕事ができるんだ・・・」とわからせる。 
私は常に後者。 後者の方が効果が高いのは実証済みです。
今回もそうやって、相棒のパーサー・ヴィヴィアンもボネールに到着する頃にはすっかり要領を取り戻し(昇格前は彼女だってビジネスクラスCAだったわけですから)、チームワークばっちりで楽しく仕事を終えました。
 
唯一どうにもできなかったのは、ヴィヴィアンが、サービスが終わる度にさっさとシニア・パーサーのアントワネットところへ行ってしまって(彼女がパーサーとして搭乗していたら、それは普通のことなのですが)、ビジネスクラスのケアを忘れてしまうこと。 満席ではなかったので私一人でも平気でしたが、ギャレーに一人取り残され、ちょっと淋しかった・・・  
それと、ちょっと気になったのが、シニア・パーサーが私の相棒のヴィヴィアンとばかり話をしていて、休憩時間などを決める際にも、パーサーのユィックとでなく、(今回はビジネスクラスCAとして働いているはずの)ヴィヴィアンと相談して決めてしまっていた(しかも、決めたのは「Day Flightだから休憩はいらない」と言ったビビアンだった・・・)こと。 「・・・いいのかなぁ・・・? ユィックの立場は・・・? 彼女は、こんなことになってるってわかってるのかなぁ・・・?」と密かに心配していました。 
シニア・パーサーがいるパーサー・ワーク・ステーションというのが、MD-11では、ビジネスクラス・ギャレーのすぐ隣にあったことが大きな要因だったとも思います。 (他の機種では、エコノミークラス・ギャレーの近くにあって、エコノミークラスを仕切っているパーサーも立ち寄り易いのです)
 
それでもボネールまでは、特に問題なく行ったのですが・・・
 
ボネール滞在3日目の、ボネール~リマ~ボネール往復乗務で、問題が・・・!
 
(つづく・・・)
 

(クルーホテルのビーチから)

(着陸する飛行機)

(海の青、空の青、に美しくマッチした

ブルーの飛行機!)

フライト日記(Bonaire)

2006年6月
(BON)
 
今年はど~もボネール島にご縁があるようで・・・
2月、4月、そして今月と、2ヶ月おきにボネール便が付いています。
(・・・それくらい頻繁に日本路線に乗務できたら嬉しいのに~)
 
さて、今回は、いろいろな人との再会・・・のフライトでした。
 
まず、ユトレヒト駅から・・・以前大阪便を一緒に乗務して以来、クリスマスカード・年賀状のやり取りを続けているメラニーと同じ電車になり、楽しくおしゃべりしながら空港駅まで。
 
空港では・・・恭子さんとおち合って、恭子さんお手製の美味しいおにぎりをクルーセンターでいただきました。
(家で朝食を取る時間がなかったので感激でした・・・恭子さん、ありがと~)
 
ブリーフィング・ルームでは・・・1月のサンフランシスコ便、4月のボネール便で一緒だったサハール(アフガニスタン系オランダ人)に再会。 
 
飛行機に乗り込んでコックピットに挨拶に行くと、私が名乗る前に機長が・・・
「misaeじゃないか~! 懐かしいなぁ!!」
・・・17年前(・・・ということは、私が入社して間もない頃、まだ日本人乗務員として乗務していた頃です)に一緒に飛んだことがあるらしい・・・
「相当印象強かったんだね~」とからかう副操縦士に「ふふふっ、そうなのよ~」と笑いながらも、全然思い出せないxxx  
後で17年前のCAML(各フライトの乗務員の名前とドア・ポジション等のリスト)をチェックしてみよう・・・
 
ボネール到着後、ホテルのビーチ・バーで皆で飲んでいると、少女マンガに出てきそうなカッコイイお兄さんが・・・
「やぁ、久し振り! 君が初めてボネールへ来た時、"日本へも是非行ってみて"と君に言われて、この間ついに大阪へ行って来たんだよ! 覚えてる?」(・・・って全然覚えてないxxx)
6日間滞在しているうちにだんだんと記憶が・・・ダイビング講師の彼、2年前は肩まである長髪だったのです。 今では韓国人(中国人?)の恋人が・・・!
 
リマ往復乗務の時には・・・アムステルダムから到着した便のアシスタント・パーサーが、15年前に(私は日本人乗務員、彼女もまだアシスタント・パーサーではなくビジネスクラス担当のクルーで)同じギャレーで働き、東京の自宅にも遊びに来てくれたイングリット。 
 
そして、帰りの便で・・・新しいコックピット・クルー(ボネール便では、アムステルダムからボネール、ボネールからリマへの往復、ボネールからアムステルダムの3便で、全部コックピットのメンバーが異なるのです)(名前を覚えるのが大変xxx)に挨拶に行くと、またもや私が名乗る前に機長が・・・
「misae~!  ・・・君、ピアノ弾くでしょ? (私が驚きながら頷くと・・・)やっぱり!! 乗務員リストにあった名字(日本の名字です)を見てすぐわかったよ。 君、17年前、アンカレッジのクルー・ホテルで、皆の為にコンサートを開いてくれたの、覚えてる? (覚えてないxxx) あんまり素晴らしい演奏だったから今でもよ~く覚えてるんだよ! 今でもピアノ弾いてるのかい? また聴かせて欲しいな~!」
 
そう・・・日本ベースで飛んでいた頃は、アンカレッジでもアムステルダムでも、クルー・ホテルのバーやレストランのピアノを自由に弾かせてもらえ、フライト・リーブ中も家で一日5~6時間弾いていたので、今よりず~~~っと上手だったに違いない・・・
そういえば、アンカレッジのステーション・マネージャーの退職パーティーでは、(クラシック愛好家だった彼のリクエストで)BGMの演奏をし、翌日の新聞「Anchorage Times」に載った事もあったっけ・・・光栄でした。
 
行きと帰りに、17年前に一緒に飛んだ機長(お二人とも当時は副操縦士だった)と再会・・・向こうはよ~く覚えているのに、私は全然覚えていない・・・自分の記憶力の無さを反省したフライトでもありました・・・
 

・・・と、気が付いたら、もう帰りの便のお話になっていましたxxx

それでは、乗務のお話は後日改めて・・・

 

エジプト古代遺跡(Memphis&Saqqara)

今日は、カイロ滞在中に訪れたメンフィス(Memphis)とサッカラ(Saqqara)のお話を・・・ 


MEMPHIS メンフィス

メンフィスは、エジプト第一王朝(BC3100~BC2100年頃)の首都として建設された古王国時代の首都。 新王朝時代トトメス三世によって都がテーベ(=ルクソール)へ移されるまで、政治・経済の重要都市として栄えていました。 残念ながら、度重なるナイル川の氾濫により破壊し尽くされ、現在ではプタハ神殿の跡地にこじんまりとした遺跡が残っているだけとなっています。

 

メンフィスのスフィンクス 

(ニコニコ顔のスフィンクス)

BC1200年頃に作られた、体長10mのアラバスター(雪花石膏・せっかせっこう・Alabaster)製。

ギザのスフィンクスには鼻もヒゲもないけれど、こちらのスフィンクスは、付け髭もある非常に端正な顔立ちのとても美しい像(ニコッと笑っています!)です。 

 

ラムセス2世の巨像 

(18年ぶりの再会!)

(相変わらず大きい・・・)

BC1290~BC1224年頃に制作された新王朝のラムセス2世の像です。

高さ15m(1000t.くらい)の花崗岩製。

プタハ神殿の前に立っていた巨大な立像で、体の各部の筋肉の様子など細部まで精巧に造られています。

現在ある場所で,、畑の中から横たわった形で発見されたそうです。

かつての立像は、メンフィスの遺跡の入口を入ってすぐ右の建物内に横たえて保存されており、2階の回廊から見下ろして全容を眺められるようになっています。 

(天井はありますが、二階の窓にガラスが入っておらず、いわゆる”吹きさらし”状態になっています・・・これではいくら掃除してもすぐ砂埃まみれになるのでは・・・?)

(一生懸命お掃除なさってますが・・・) 

同時に2体発見されたこの像のもう1体は、カイロ市内のラムセス中央駅前に建っているそうです。


SAQQARA サッカラ

カイロの西南約20キロ、ギザの南約15kmにある、砂漠に囲まれた町サッカラ。 ギザ台地に連なる石灰岩の台地にあり、第一王朝のころから数多くのマスタバ(土や日干し煉瓦製の墓。 平面は長方形で、死者はその地下室に葬られたそう) やピラミッドが造られた、古代エジプトの都メンフィスのネクロポリス(死者の町)でした。

 

階段ピラミッド

 (犬が沢山いました)

サッカラにある多数のピラミッドの中で、最も有名なのは、古王国第三王朝時代(BC2686~BC2613年)の2代目のファラオ・ジョセル王の階段ピラミッドです。

階段ピラミッドは、世界最古(=ギザのピラミッドより古い)の石造建造物。

6重の階段状になったこのピラミッドは、(第一、第二王朝の王達の墓が土や日干し煉瓦製のマスタバ墳であったのに対し)初めて石灰岩の石材が使用されました。 高さ約60m、底辺は140×128m(=長方形)(ギザのピラミッドより少し小さい) 

階段ピラミッドは、BC2650年頃、臣下の有名な建築家イムホテプが、王を埋葬する為に建造したものと言われています。

イムホテプは、従来からあったマスタバ墳(地下深くに墓を作りその上に日干し煉瓦を積み上げたもの)の上に石を4段積み重ねて最初の階段ピラミッドを造り、その後設計をやり直して西側を拡張し、最終的に6段の階段ピラミッドになった、ということです。

 

ジォセル王のピラミッド・コンプレックス

 (葬祭殿柱廊・ピラミッド・コンプレックス入り口)

ジョセル王の階段ピラミッドは、ピラミッドを中心として中庭、葬祭殿、神殿etc.が作られたピラミッド・コンプレックス(複合建設)となっており、周りは高さ10mの周壁で囲んでありました。 

テティ王のピラミッド 

 (昔は四角錐だったテティ王のピラミッド)

第六王朝最初の王・テティ王のピラミッドは、外から見ると、(はっきり言って)”単なる砂山”にしか見えませんxxx

・・・が、このピラミッドの中には「ピラミッド・テキスト(王が死から蘇生して来世で復活する時の儀式で唱えられる呪文)」があるのです! (ちなみに、ギザにある第四王朝の王達のピラミッドには、「ピラミッド・テキスト」はありません。)

最初に書かれた「ピラミッド・テキスト」は、ジョセル王のピラミッド・コンプレックスの南隣にある、第五王朝最後の王・ウナス王のピラミッド(こちらも崩れかけて、まるで”瓦礫の山“のようになっていますxxx )内にあります。

(ウナス王のピラミッド)

・・・でも、「ピラミッド・テキスト」を見学できるのは、テティ王のピラミッドだけだそうです!

天井の低~い下降通路を下りると、左右に部屋があります。 

右側の部屋の奥に、黒い石棺が置かれていました。 (石棺の蓋が壊れていて、中を覗けます・・・何も入っていませんがxxx)

(よく磨かれた石棺)

この玄室(=古墳の中の棺をおさめる室)の壁には「ピラミッド・テキスト」がぎっしりと書かれていて、テティ王の名前がた~くさん彫られてあります。 もちろん読めませんが、なんとなく、王を称える詩のように見えました。

(読めたら面白かったんでしょうねぇ・・・)

玄室の天井は切妻屋根で、一面に星が彫り込まれています。 

(一見ヒトデのような星)

ぐるりと見渡すと、所々天井部分の石がずれていて(=地震で崩れてしまったのだそう・・・)ドキッとします。

次に左側の部屋に入りますと、こちらは何もありません。 玄室に比べると天井も低く、湿った匂いがしました。

現地のガイドさんは、「右側が王の墓で、左側は王妃の墓」だとおっしゃっていましたが、ピラミッドの中にいたガイドさんは、左側の部屋を「王が食事をする部屋」だと説明していました(・・・どっちなの???)

 

メレルカのマスタバ

(マスタバの入り口)

テティ王のピラミッドの入り口の向かい側に、テティ王の宰相であったメレルカのマスタバがあります。 なんでも、テティ王の長女の旦那様だったとか(・・・と現地のガイドの方がおっしゃっていました・・・ホントかな?)。 古王国時代最大の墓で、サッカラで一番規模が大きく、32部屋から構成されており、各部屋の壁には、メレルカの肖像画が描かれています。 隣に必ず(!)奥様も描かれているのですが、メレルカの威厳を示す為に、奥様の方は彼の膝下(!)くらいの背丈で描かれ、奥様は片手に必ず蓮の花を持ってその匂いを嗅ぎ、もう片方の手は必ずメレルカのふくらはぎの辺りに添えられていて、面白いなぁ~と思いました。 メレルカの肖像画以外には、ナイル川での漁の様子(網の中には様々な種類の魚が沢山描かれていました)や、カバ狩の様子、水辺の植物やカエルなどの生き物の絵などが非常に精密に描かれていました。 

(ナイル川での漁の様子を描いたレリーフ)

玄室近くの部屋になると、奥様と手をつないだ肖像画に変わり(ここからは奥様もメレルカと等身になります・・・でないと小さ過ぎて手がつなげないからだそうです)、メレルカの指揮に合わせて奥様がハープを奏でる絵があったりして、胸にジ~~ンときました。

(本当は私も、夫と一緒に音楽を楽しみたかったなぁ~・・・)

隣接して奥様用のマスタバがあり、各部屋に奥様の肖像画(彼女の両隣には、ミニサイズで描かれた子供達の肖像画)が描かれ、また、子供達用のマスタバでは、玄室前の部屋に、「死の国を恐れるな」と勇気付ける父メレルカと手をつないだ子供達が描かれていました。 これまた感動的!

部屋によっては、絵(レリーフ)が下手(まるで子供の絵のよう?)だったりしたので、「この部屋の絵は完成していないのですか?」とガイドさんに尋ねると、「部屋によって担当アーティストが異なったので、あまり上手でないアーティストが担当した部屋の絵はいまいち」なのだとか。 

サッカラは、ネクロポリスですから、有名なピラミッド・マスタバのまわりに、まだまだた~くさんのマスタバがあって、それらも見学できるようになっています。

(あるマスタバの中で、

現地ガイドに勧められて撮った

レリーフの写真)

(また別のマスタバの入り口前で)

(「もっと中に入っていいよ」とガイドに言われましたが、

とっても狭くて暗くて気味が悪かったので

やめておきました・・・お墓ですし・・・)

 

エジプト遺跡に興味のある方は、こちらのサイトも面白いですヨ!

古代文明探求 

(http://www.ohba.co.jp/poper/bunmei/egpt/egpt_03.htm)

エジプトの世界遺産

(http://www.geocities.jp/kmt_yoko/WHE_MemphisPyramids-2.html)

フライト日記(Cairo)

2006年5月

(CAI)

カイロへ行って参りました・・・

スケジュールは2泊4日。

 

リポーティングの時間が午後7時過ぎだったので、夫が子供達と一緒に車で空港まで送ってくれました。

不思議なもので、自宅で子供達に「じゃあ、ママ、お仕事行ってくるからネ!」と手を振って見送られる時は平気なのに、空港で、子供達を乗せた車が遠ざかって行くのを見送るのは、なぜか辛かったりします。

 

早めにブリーフィング・ルームへ行くと、先に来ていたスリナム系の同僚が私を見て「???」という顔を・・・アジア路線でなくても、(あれ? どうして日本人/アジア人クルーが? ブリーフィング・ルームを間違えた?)と思ってしまうようです。 

私が「カイロ便よね?」とオランダ語で聞くと、途端に安心した顔になります。

彼女と二人で待っていると、次々に他の同僚達が入ってくるのですが、皆、私達を見て「え? ここ、カイロ便のブリーフィング・ルームよね? パラマリボ便とか東京便じゃないわよね?」と入り口で一瞬立ち止まるのを、そのスリナム系の同僚と楽しんで(?)いました。

 

ブリーフィングの終わりに、現在のエジプト情勢の説明があり、「外出禁止ではないが(観光客襲撃事件があった頃は、クルーホテルから出てはいけないことになっていました)、人出の多い場所には行かないように」とのことでした。

 

同僚達からの「日本人なのに、どうしてオランダベースで飛んでいるのか」といういつもの質問に答えながら(これだけは、かなり上手にオランダ語で説明できます!)ゲートへ向かいます。

 

機種はボーイング777。 担当はエコノミー・クラス。 

担当ドアが、偶然にもこの前のフライト(デリー便)と同じドア22(=前から二つ目の左側のドア)だったので、プリ・フライト・チェック(=担当ドア付近に設置してある非常用設備の確認、並びに担当エリアのチェック)もし易かったです。

 

このドアポジションの時は、お客様の搭乗時、地上職員のお手伝いをすることもある為、機内でのボーディング・ポジション(=お客様をお迎えする際、立つ場所)がありません。 

しかし今回は地上職員のお手伝い不要とのことでしたので、ビジネス・クラスのお手伝いに。

お客様の上着をお預かりしたり、ウェルカム・ドリンクをお出ししたり、メニューをお配りしたりしていますと、日本人のお客様が3名乗っていらっしゃいました。 東京・大阪からのお乗り継ぎとのこと。 大阪からお乗り継ぎでいらしたイイダ様(乗客リストはアルファベット表示なので漢字は不明xxx)に「日本路線以外の路線にも、日本人乗務員が乗ってはるんですか?」と聞かれ、事情を説明しながら、心はもう日本へ飛んでいました。 

(そういえば日本路線、もう半年以上乗務してない・・・)

 

夜遅い便だったことと、お客様の大半が別の国からのお乗り継ぎだったことから、皆様お疲れのご様子で、とても静かなフライトでした。

 

そしてカイロに到着してビックリ・・・

空港が、超近代的な新しいターミナルに変わっていました。

前回来た時はまだ、(1988年に初めてエジプトを訪れた時と同じ、)古めかしい、でも、とてもエジプトらしい空港だったのに・・・

新しい空港ターミナルは、まるでドバイの空港の様に美しく、まるでエジプトではない場所へ着いてしまった様で・・・なんだかちょっと淋しかったです。

 

クルー・ホテルは相変わらず、空港からバスで10分のモーヴェンピック・ホテル。

ホテルの入り口で、空港同様のセキュリティー・チェック(荷物をX線に通す)があって驚きました。

クルー・インフォメーションにも、いつ・どこで・どんな爆弾テロがあって・死者が何名出た・・・というリストが綴じ付けてあって驚きました。 まだかなり危ないらしい・・・残念なことです。

 

このホテル、お部屋にいつも、いろいろ置いてあるんですヨ。

お花が飾ってあるのはもちろん、フルーツ・クッキー、お茶の種類も豊富、スリッパもあります(日本のホテルでは普通ですが、アジア諸国以外の海外のホテルでは珍しいのです)。

今回目を引いたのは、ベッドの端にちょこっと置いてあったバラの花びら。

(ベッドの隅にこれが・・・!)

それから、毎回「これ、いいなぁ~」と思うのが、バス・ルームのティッシュ・ペーパーとトイレット・ペーパーに押してある花のスタンプ! こうすれば、三角に折ったところがきちんととまるし、見た目もかわいい

(三角に折ったところに

マーガレットの花がスタンプされています)

さて、今回のカイロ・ステイ・・・本当はまたギザのピラミッドに行きたかったのです(何度行っても感動できるので!)が、機長の指示もあって、ギザほどは観光地化されていないサッカラのピラミッドを見に行くことに。 

翌朝9時に朝食を取り、10時ロビー集合。 現地ガイド付き貸切バスでメンフィスへ向かいました。 メンフィスの遺跡を見てから、サッカラへ。 

(メンフィスとサッカラのお話は後日改めて・・・)

古代遺跡を満喫して、夕方ホテルへ。 

数時間ホテルのプール・サイドで過ごしてから、皆で食事に。

夕食は、ナイル川沿いにあるレストランで。

美しいナイル川の夜景を楽しみながら、エジプトのお料理を楽しみました。

 

翌日は、(本当はスークへ行ってみたかったのですが、市場も人出の多い場所ですので、断念して)一日プール・サイドでゆっくり過ごしました。

ホテルのレストランで夕食後、数時間仮眠を取って、帰りの便に乗務。 

 

真夜中発の便でしたので、離陸後は軽食だけお出ししてなるべく早くお客様にお休みいただき、到着前にご朝食をお出しする、というサービス・スケジュール。

 

サービスがひと段落してから、ちょっとコックピットへ。 

夜明け前の星空を見たかったのですが、残念ながらもうかなり明るくなってしまっていて、東の空に明けの明星・金星が見えるだけでした。 

でも、とってもきれいでした・・・

 

アムステルダム到着後、クルー・センターでスケジュールをチェックすると・・・

7月4日の大阪便のリクエストが(毎月毎月、東京便と大阪便をリクエストし続けて、ついにやっと!)とおっていました・・・昨年末東京便のリクエストがとおって以来、今年初めて。 

7ヶ月振りの日本路線乗務・・・今から楽しみです

(その前にボネール便の乗務がありますが・・・こちらはなぜか最近よく乗務します・・・2月、4月、6月と、なんと2ヶ月毎に行ってます・・・もう日焼けしたくないのに~~~)

フライト日記(Delhi)

2006年5月
(DEL)
 
約1年ぶりのデリー便。
機種はボーイング777(今月末からMD-11に
なるらしい)です。
 
ブリーフィング前から、オランダ人同僚達は買い物
の話で持ち切りでした。
デリー便は、副業をしている同僚達に大人気の
路線なのです。
 
雑貨屋さんは、陶器製のドアノブ、
きらびやかなランプetc.、
靴屋さんは、ビーズの飾り付きのサンダルetc.、
かばん屋さんは、象などの模様が型押しされた
皮製のバッグetc.、
装飾品屋さんは、パシュミナ、インド・ビーズ製の
アクセサリーetc.
・・・を買って帰るのだそう。 
そして一番多いのが、ビーズ・アクセサリーを自分
で作って販売している人達。 
もちろん買うのはインド・ビーズです。
流石、商いに長けたオランダ人・・・!
(もちろん、乗務の時にあんまり大量に買い付け
をするのは法に反しますので、皆それを考慮して
のお買い物ですが・・・)
ちなみに私の今回の買い物ターゲット(?)は、
Mayitaさん用のベリー・ダンスの衣装
残念ながら(私は踊れないので)自分の分は
買えませんが、と~ってもゴージャスで素敵な衣装
なので、いろいろ見て選べるだけでも、ものすごく
楽しみでした。
 
担当はエコノミー・クラス。
サービスの方はいつもどおりスムーズに終わり、
下降体勢に入った頃、ワールド・ビジネス・クラスの
片付けのお手伝いに行くと、ビジネス・クラス担当の
オランダ人同僚の一人が、ジャンプ・シート(乗務員
が離着陸時に座る席)に辛そうに座っています。 
両耳には紙コップが・・・航空中耳炎のようです。 
紙コップの中には、熱いおてふきが入っていて、
気圧の変化で耳が痛くなった時、この
"熱いおてふき入り紙コップ"
を両耳に当てると痛みが和らぐらしいのです。 
ただし、重症の風邪や鼻炎などで鼻が完全に
つまってしまっていたりして、耳管が開かず、中耳が
炎症を起してしまったり(=中耳炎)、副鼻腔の中
の空気が膨張収縮して
副鼻腔炎(以前、一度だけ、風邪気味だったのに
無理して乗務して、下降体勢中に、この副鼻腔炎
になってしまったことがあるのですが、前頭部や目の
上下、目と目の間など、顔中の空洞がそれはそれは
もうひどく痛んで・・・本当に辛かったです・・・)に
なってしまったりした場合は、紙コップ程度じゃあ効果
はありません。
 
彼女も紙コップではもう駄目そうでした。 
飛行機が高度を下げるにつれ痛みが増してきている
様子。
 
霊気治療してみようか、どうしようかさんざん迷った
(・・・「先月のボネール便の時の様に、また悪いところ
をもらってしまったら怖い・・・」と思って・・・)のですが、
彼女があんまり辛そうだったので、先日霊気をお勉強
なさっていらっしゃる方からいただいたアドバイス
(=自分は単に仲介者となり、宇宙や太陽をイメージ
するようにする)を思い浮かべながら、やってみました。 
彼女の額に手を翳し、(前回は"悪いエネルギーを
自分側に吸い取る"ことだけをイメージしてやったの
ですが、今回は"星空に解き放つ"ことをイメージして
やってみましたら、悪いところをもらうことなく治療でき
ました。 
彼女も(半信半疑だったのでしょう)驚いていましたが、
私も内心(実はやっぱり半信半疑だったので)「・・・
またホントに治療できちゃった・・・」と驚いていました。
 
現地時間の午後8時過ぎ、デリーに到着。 
空には、蠍座の上、天秤座わきに、
木星が輝いていました・・・
 
クルーホテル到着後、クルー・ルーム(英国航空、
ルフトハンザ航空、エチオピア航空などと共同の
クルー・ルームです)でのクルー・ドリンクへ。
 
テレビでは丁度、サッカーのヨーロッパ・チャンピオン・
リーグの決勝戦をやっていました。 
スペインのチームとイギリスのチームの試合で、後半
あと20分程で終了という場面でした。  
スペインのチームに私の妹の旦那さんにそっくりな
選手がいて、昨年両親とスペイン旅行した際、
その選手のユニフォームをお土産に買って帰った
こともあって、私はなんとなくスペインの方を応援
していましたが、1対0でイギリスのチームがリード
していました。
 
皆が緊張した面持ちで試合に集中していた時
です。 
コーヒー・マシーン(クルー・ルームでは、コーヒーや
紅茶が自由に飲めるようになっています)の横に
あったゴミ箱のフタ(ステンレス製)が突然はずれ、
大きな音を立ててゴミ箱のわきに転がったのです。 
一同ビックリして(テレビとは反対側にある)ゴミ箱
の方を振り返った瞬間、スペインの選手がゴール
・・・みんなしてゴールの瞬間を見逃してしまい
ました。 
「あんな重いフタがどうして・・・?」と不思議に
思いながらも、皆またテレビの方に・・・。
すると今度は、コーヒー・マシーンの上に置いて
あった紙ナプキン・ホルダー(銀製)が、突然落下。 
皆が振り返ると、またその瞬間にスペインの選手が
ゴール・・・
またもやゴールの瞬間を見逃してしまったのです。
・・・誰か(=目に見えない何か?)いる??? 
ゴミ箱のフタも紙ナプキン・ホルダーも、自然に落ちる
ような状況ではなかったので、ふとそんな気が・・・
みんな(口に出さなくとも)していたに違いない・・・
 
ちなみに、試合の方は、3対1でスペインのチームが
優勝。 
ヨーロッパ・チャンピオン・リーグの優勝チームって、
確かトヨタ・カップに出場する為に来日するのでは
なかったかしら・・・? 
(実は1995年に、トヨタ・カップに出場すべく東京へ
向かったオランダ・アムステルダムのサッカー・チーム
AJAXを乗せた便に乗務したことがあるのです。 
アヤックスはブラジルのグレミオと対戦し、優勝。 
主将のダニー=ブリンドが最優秀選手賞を取ったか
と思います。 
当時はサッカーはほとんど知らなかったのですが、
ちゃっかり選手の皆さんのサインをいただいてしまい
ました。 ミハーリ用に・・・と思っていたのに、今では
私の宝物?!)
今年のトヨタ・カップは、スペインのFCバルセロナが
来日ですヨ!
 
さて、翌日は同僚達とマーケットへ。 
外の気温は摂氏42度。 前回程暑くありません。
皆それぞれ目的の品をゲット。 
私も素敵なベリー・ダンスの衣装を購入。 
大満足でホテルに戻り、皆で食事をし(私は大好物
のDosaをいただきました!)、乗務の前に数時間の
仮眠を取り、空港へ・・・。
 

  (Masala Dosa)

 

クルー・バスが空港の出発ロビーに近づくにつれ、
車窓から見える景色に唖然。 
何十台、何百台(?)もの車が、ぐっちゃぐちゃに
路上駐車され、バスがこれ以上出発ロビーに近づけ
ないのです。 
国際空港でこんなに混沌とした風景を目にしたのは
初めてでした。 
なんとか出発ロビー前に駐車し、ロビー内に入ると、
出発ロビーも負けず劣らずすごい混雑・・・
「これではお客様は飛行機に乗る前に疲れてしまう
だろうなぁ・・・」
(=「ご機嫌の悪いお客様がいらっしゃっても仕方ある
まい」)という覚悟で飛行機へ。
 
幸い、私が担当したエリアにはご機嫌の悪いお客様
はいらっしゃいませんでしたが、その代わり(?)
「扁桃腺が腫れて息もできない」と言って激しく咳き
込みながら大泣きしている6歳くらいの男の子が。 
再び霊気治療を・・・泣きじゃくる男の子の喉にそっと
手を当てると途端に大人しくなって・・・
治療した後しばらく、両手から何か目に見えないもの
が放出し続けているような感じで、両手の指先が
モワ~っとしていました。
世の中には、目には見えなくても、科学で証明でき
なくても、不思議なことがあるものですね・・・
「絶対に存在しない」と証明されない限り、
いろいろな事を信じてみたい・・・と思う今日この頃。 

 
休憩時間には、
を見るべくコックピットへ。
その日の彗星の位置は、ペガサス座の辺り。
丁度、東の空にペガサス座が昇ったところで、
一生懸命目を凝らして探したのですが、
飛行機はオランダに戻るべく西に向かって飛行中で
東側が非常に見づらかった上、月明かりもあって、
ついに見つけることができませんでした・・・残念!
(1997年には、コックピットから、宇宙のかなたを
飛行機と並んで走る、美しいヘール・ボップ彗星
の姿を見ることができたのですが・・・) 

 

フライト日記(Shanghai)

2006年4月
(PVG)
 
4月27~30日、上海へ行って参りました。 
スケジュールは2泊4日。
初めての上海便・・・
 
まず楽しめる(?)のは、日本以外のアジア路線で毎回見られる、ブリーフィング・ルームでのオランダ人同僚達の混乱。
上海便には上海ベース、北京便には北京ベース、香港便には香港ベースの中国人クルーがおり、韓国路線には韓国ベースの韓国人クルーが乗務するので、アジア路線に乗務する時は、毎回必ず、私も現地人クルーの一人だと思われ、英語で(現地人クルーはオランダ語の資格は必要ありませんので)現地の事情などを尋ねられる訳です。
「上海は初めてだから、あんまりわかんないのよ~」とオランダ語で答えると、「・・・? 上海に住んでるんじゃないの? オランダ語も話せるの?」と不審そうなオランダ人同僚達。 しばらくして"本物の"中国人クルーがブリーフィング・ルームに入ってくると、彼らも「あれ?」という表情で私に挨拶。 オランダ人同僚達も「おや? 一人多いのでは??」と顔を見合わせる。
「misaeは元日本人クルーで、今はオランダベースで飛んでるのよ。」とパーサーから説明があってやっと、一同納得。
 
機種はボーイング747-400。
担当はUD(アッパー・デッキ=2階)のビジネスクラスで、相棒は中国人クルーのマリリンです。
 
ただでさえややこしいのに、今回は相棒が中国人で、機内では余計にお客様が混乱なさっていました。 
普通に中国語で話しかけてくる中国人のお客様、片言の中国語で「謝謝」とおっしゃるオランダ人のお客様。 
「・・・実は私は中国語は話せないのです・・・」と申し上げると皆様「???」というお顔に・・・(中国語も勉強したいな・・・と思ってはいるのですが、なかなかxxx)
フライト半ばくらいまで「え~っと・・・どっちが中国人の方だっけ?」と皆様混乱されてました・・・。 
 
アジア路線では、中国・韓国・シンガポール・タイ、どこへ行っても現地人に間違われ、現地の言葉で話しかけられますが、私は特に中国人に見えるようなのです。 (なんでも、中国人女優の誰かに似てるとか。 誰でしょう・・・? どなたかご存知ですか?)
 
行きの便には、訓練を終えたばかりの上海ベースの新人クルーが7名乗っていました。 男性クルー1名と女性クルーが6名。 女の子達はなかなか美人ぞろいでしたヨ!
私の相棒も、まだ入社3ヶ月目とのことで初々しく、"若い頃の松田聖子"という感じでかわいらしかったです。 
そして嬉しかったのは、相棒はじめ新人中国人クルー達が、私も同世代(=27、28歳?)だと思ってくれたこと
すっかり気を良くして上海に到着しました。
 
他のアジア路線同様、早朝の到着でしたので、夕方まで一眠り・・・と思ったら、オランダ人同僚達は数時間の仮眠だけで、大はりきりでショッピングに出かけました。 私は夜、大切な約束がありましたので、ショッピングはパス。
 
夜の大切な約束とは・・・丁度ご出張で上海にいらっしゃったがんぶぅさんと、上海にお住まいのしほりさんにお会いすること。 
美味しいお食事、素敵な夜景、楽しいお話・・・
ありがとうございました
 
翌日は、朝食後、オランダ人同僚達と一緒にマーケットへショッピングへ。 子供達用に靴、日本のDVD(スタジオ・ジブリのDVD全集他)を買って大満足。 
一旦ホテルに戻って、今度はネイル・サロンへ。 
ペディキュアをやってもらうのに、オランダ人同僚2人と並んで座って待っていると、担当の女の子がやってきて、私に「ユー! リトルビット チャイニーズ!」・・・中国系オランダ人だと思った様子。
次に「ユー! ベリー ヤング!」と言うので、
「まぁ、ありがとう! ・・・で、何歳だと思う?」と聞くと・・・
なんと「25!」ですって! 25歳ですよ~ 
よく若く見られますが、これは新記録です。 (ちなみにサロンの女の子は26歳でした。)
オランダでは"アジア人だから"若く見られるんだと思っていましたが、アジアでも若く見られるんだ~嬉しい!・・・と、またまた気を良くして帰りの便に乗務しました。
 
帰りの便では、「オランダ女王の日」を祝ったチョコレートが搭載されていました。
 

 

(オランダ王室の色=オレンジに包装された
"女王の日"チョコレート
をいつものチョコレートに添えて)
(後ろのバラの花は
紙ナプキンで作りました!)
 
4月30日は「女王の日」(前オランダ女王の誕生日)。 
今年は日曜日にあたっていた為、オランダでは前日の29日にお祝いしたそう。
私は ("ゴールデンウィーク"=オランダの"チューリップ休み"中、一時帰国しているか、あるいは一時帰国できるようにフライトをリクエストしているので)「女王の日」にオランダにいたことはあんまりないのですが、街中にフリー・マーケットが開かれ、オレンジ色に着飾ったオランダ人達で賑わいます。
そして「女王の日」から5月5日の「終戦記念日」までが、"チューリップ休み"で学校がお休みになります。 丁度日本の"ゴールデンウィーク"と同じ時期なのです!
 
さて、オランダに戻って来て、不思議なことに気付きました。
「25歳に見える」と言われてから白髪が減った気がするのです・・・!
「病は気から」ではありませんが、「自分は若く見える」と思い込むことで、本当に若返ることがあったりして・・・?!
以前にも、「痩せるジェル」やら「デューク更家のウォーキング・ダイエット」で効果をあげていた私ですが、もしかしたらそれも「(これは効くに違いない!という)思い込み」が功を奏していたのかも・・・?!