フライト日記 (Paramaribo)

2011年7月
(PBM)

(もうすぐ3ヶ月経ってしまいます・・・頑張って思い出しますxxx)

久し振りのパラマリボ便。 (  数年振りだと思っていたけれど、どうやら10年振りくらいらしい)
パラマリボというと・・・
以前は麻薬をソーセージのように袋詰めにして腸内に隠し密輸しようとして飛行中に袋が破けて急性麻薬中毒になる乗客や、機内で暴力を振るう乗客がいて、空港警察の私服警官が乗っていたりしたような記憶があったのですが、
今はそういうことはない模様。

機種はMD11。
担当はビジネスクラス。

乗務は、毎回異なったメンバーで(=たま~に以前一緒に乗務したことのある同僚と再会することもありますが)、全員初顔合わせの者同士であることの方が多いのに、
ブリーフィングが終わった時には、いつもガッチリ一致団結できている(◎_◎)!
・・・というのが、この会社のいいところの一つなのですが、
今回は、パラマリボ便のブリーフィングが予定されていたブリーフィングルームが、他の便のブリーフィングがまだ終わっていなくて中に入れず、
ブリーフィングルーム前で集っておしゃべりしている内にすっかり意気投合、
ブリーフィングが始まる頃にはもうまるで昔から良く知っている仲の良い友達同士であるかのような雰囲気になっていて、本当に気持ちの良い仕事始めでした(^-^)

10時間の長いフライトでしたが、本当に和気あいあいと楽しく乗務できました。
そしていつも思うのですが、乗務員が和気あいあいと楽しそうにサービスしていれば、
(もちろんお客様を蔑ろにして自分達だけが楽しんでいては駄目ですがxxx)
お客様もそれを感じ取って、客室全体の雰囲気も良くなるんじゃないかな…(*^-^*)

そうそう、珍しいことに、日本人のお客様が乗っていらっしゃいました。
スリナムに駐在されるとのこと。
日本路線以外に日本人のお客様が乗っていらっしゃることは、ヨーロッパ路線以外、特に南北アメリカへの路線では(日本から飛んだ方が近い為)まず滅多にありませんし、
同様に、日本人の乗務員が日本路線に乗務することも(オランダベースの日本人は3人しかいませんので)まず滅多にない、
ということを思うと、これもご縁なのでしょうネ。

パラマリボ到着後、クルーバスでクルーホテルへ。
途中、屋台のような所に停まり、機長と副操縦士が降りて何か買って来ました…こういうのは昔(=10年くらい前)はなかったはず。
ビールとバナナチップス\(^o^)/

←スリナムのバナナチップスは、
縦に長~く薄切りにしたバナナを
揚げて塩をからめてあります。

沖縄の甘いバナナチップスとはまた違う味わいで、とっても美味しいです。

クルーホテル到着後は、(10時間のフライトの後でオランダはもう真夜中でしたが、)
どんなに疲れていても、やはりクルードリンクは外せません!
…というか、私の感覚では、クルードリンクも乗務の内(^_−)−☆

スリナム出身のスチュワード、クインシーお勧めの地元スリナムのラム酒Borgoe(ボルグー)と同じくスリナムのフルーツMarkoesa(マルクーサ)ジュースのカクテルを頂きました。ジュースのようにゴクゴク飲めてしまうカクテル♪

↓ スリナムのラム酒

 ←マルクーサ
↓

翌日は、朝食後、皆でボートツアーへ。
クルーホテルの目の前は川なのです。
以前(=10年くらい前)、ウミガメの産卵を見に行くツアーに参加したことがあったのですが、
今回は、イルカを見に行くツアー。

↓ 船の中で食べたPompelmoes

ポンペルムース、スリナムにしかない巨大なグレープフルーツかと思ったら、
日本でいうボンタンでした。

←途中時々下船して散策。


↑『もののけ姫』に出てくる木霊がいそうな木。
こういう、他の植物が寄生した木が沢山ありました。

植物の寄生は、木だけではなくて
なんと電線にも・・・!↓

見えるかな・・・電線の上にのっかっているのは
鳥ではなくて植物なのです。
鳥の分によって運ばれた種が電線の上で芽を出し、
雨だけで育っているのだそうです。

途中スコールに遭いましたが、折り畳み傘を持参していた(←オランダ人に感心されました)ので大丈夫(*^-^*)

ランチは念願のSaoto Soep(サオトスープ)・・・大好物なのです(^-^)/

 

←このままでも美味しいのですが、
ここにご飯を入れて、
この甘辛ソースをかけると・・・
↓

さらに美味しいのデス↓

昼食後、いよいよイルカ見学スポットに到着!したのですが、同僚の一人が具合が悪くなり、早めに切り上げることに。
でも、見ましたよ、イルカ♪ (夕刻で、カメラがiPhoneだったので、写真は上手く撮れなかったのですが、可愛かったです)

ホテルに戻って部屋で少しピアノの練習(ロールアップピアノ)をし、
クルードリンクの後、夕食は美味しいと話題だという地元のレストランへ。
再びスリナム出身のクインシーお勧めのPissang Goreng (ピサンゴレン)(バナナを揚げたものにピリ辛のピーナツソースをかけて食べます。)とBami Putih(バミプティ)というのを頼んでみました。

 
↑ ピサンゴレン              ↑ 盛り沢山のバミプティ

翌日は朝食後、皆でマーケットへ。

私はピンダサンバル
(ピリ辛のピーナツソース・ペースト:お湯で溶いてソースにします)
とバナナチップスを購入♪

仮眠を取って帰りの乗務・・・の前にも、途中テイクアウトのお店に寄って、

←スリナム名物のロティを購入。

皆でバスの中で食べながら空港へ・・・
なんだか遠足のようでした(笑)

空港までの道・・・クルーバスの車窓から↓

なんだか写真だらけの日記になってしまいました(*^-^*)

フライト日記 (Singapore)

(7月初めに子供達と一時帰国し、その後フライトセイフティーの試験があったりして、またまた1ヶ月送れのフライト日記になってしまいました・・・すみません・・・(^^;;)

2011年6月
 (SIN)

夏の休暇明けのフライトは、久し振りのシンガポール便。
しかも9日間のロングトリップ。

本当はいつものように東京便と大阪便をリクエストしていました。
(東日本大震災後、ひたすら東京便だけが付いていたので、休暇明けも?・・・と期待していたのですが)
付いたのは、長~いシンガポール便でした。

いつもなら、長く家を空けたとしても、その分お休みも長いし、
9日間トリップでも全く構わないのですが、
今回は必死にスケジュール・チェンジを試みました。

なぜなら、娘のマリアの小学校卒業ミュージカルを観に行かれなくなってしまうからです。
(↑オランダの小学校は卒業式がありません。代わりに卒業生がミュージカルを公演します→長男ミハーリの卒業ミュージカル)

あちこち電話したりメールしたりしましたが、結局変更叶わず・・・(;_;)
歌の指導や大道具・小道具・衣装の作成のお手伝いもしていたので、マリアの同級生の子供達も皆
「私達も会社にお願いしてみるから!!」
と言ってくれて感動・・・。・°°・(>_<)・°°・。

マリアを悲しませることになってしまって胸が痛みました・・・
(オランダ人はもしかしたら仮病で休んでしまったりするのかもしれません)
が、仕事は仕事。
今まで学校行事にお休みを頂けていたことの方がありがたいと思い、
こういうことがあって然りの仕事を選んだのは自分なのだからと言い聞かせ、
乗務に出掛けました。

子供の頃からの夢だったこの仕事、就職して22年経った今でも毎回フライトに出るのは嬉しくて楽しくて幸せなのですが、
正直、今回初めて、家を出る時に「行きたくない・・・」と思いました。

が、落ち込んではいられません。
空港へ向かう電車の中で気持ちを切り替え、笑顔でクルーセンター到着(^-^)

今回は国際色豊かなクルーでした。
シニアパーサーのペーターはオーストラリア人、タイ人のタム、タンザニア人のアンスベルト、そして日本人の私。
外国人が私だけじゃないというのは珍しくはありませんが、大抵はオランダに多い移民(=トルコ人、モロッコ人、スリナム人、中国人、韓国人)。
オーストラリア人とかタイ人、そしてタンザニア人というのは初めてでした。

機種はB777-300。
担当はビジネスクラス。

久し振りの満席フライト。

B777のビジネスクラスは、他の機種よりも座席数が多いので、満席だと超忙しくなることで有名なのですが、
パーサーのペーターが頻繁に手伝いに来てくれて、本当に助かりました。
それから相棒のエスメラルダがまたとても陽気な人で、本当に楽しく仕事ができました。

シンガポール到着は現地時間の夕方。
クルーホテル到着後、シャワーを浴びて、いつものバー(シンガポールでは、eMというバー)でクルードリンク。
(全世界、どこのステイ先にもお決まりのバーがあって、いつも夕食前にそこにに集ります。成田ではクルーホテル内のバー。)
・・・の前に、タイ人のタムが、クルーホテル近くのショッピングモールにお寿司を食べに行くというので、連れて行ってもらいました。

腹ごしらえをしてからクルードリンクへ(^-^)

女性は相棒のエスメラルダしか来ていませんでしたが、楽しく飲んで、夕食へ。
夕食はLau Pa Satで。
そして夕食後は予想通りChijmesのInsomniaへ。

もう何年も前に香港のInsomniaで演奏していたCharcoalという香港のバンドが、
数年前にもシンガポールのInsomniaで演奏していたのですが、
今回もまた丁度遠征して来ていらして、
光栄なことに私のことを覚えていて下さって
(日本でも演奏されたことがあるそうで、日本語も少しお話しになっていました)
一緒に写真を撮らせて頂いちゃいました・・・(#⌒・⌒#)ゞ
(この方です↓)
http://www.youtube.com/watch?v=kRIsPjNoNlg&feature=related

ホテルに戻ったのは明け方5時?
でもお昼には目が覚めて(お腹が空いてしまってxxx)
ルームサービスで(フライト先ではできるだけ現地のお料理を・・・と思って選んだら)朝からいきなりカレーを食べてしまいました。

9日間トリップですが、往復共に飛行中に日付が変わる為、シンガポールには6泊しかしません。
つまり、
シンガポールへの往路乗務、到着日、オフ、デンパサール(バリ島)への往復乗務、オフ、デンパサールへの往復乗務、オフ、オランダへの復路乗務
となります。

途中2度入ったデンパサールへの往復乗務が、今までの22年ちょっとの乗務暦で恐らく最も大変なフライトでした。
それまでは、10年くらい前にボランティアでお手伝いしたヨーロッパ路線(例えば飛行時間1時間で温かいお食事をサービスするフライト)が一番大忙しなフライトだったと記憶していたのですが、
年のせいもあるのかなxxx今回のデンパサール便のサービスには驚きました・・・(◎_◎;)

飛行時間2時間(離着陸前後の時間を除くと正味1時間半くらい?)の間に、
おつまみ付きのドリンクサービス、
2Stepのミールサービス(前菜と主菜と分けてお出しするサービス)でしかもホットミールのチョイスも3つあり、
食後酒のサービスもして、
機内販売、お土産のデルフト焼のミニチュアハウスもお配りし、
合間にコックピットのケアもする(=最低30分おきにパイロットの無事を確認し、飲み物や食べ物を運ぶ)という、
本当に休む暇の全くないフライトでした。

デンパサールでは、約1時間の停泊時間中に機内で夕食をとり、
食べ終わったらすぐにまた往路の出発準備(=客室のチェックや、アメニティーキット・ウェルカムドリンクの準備etc.)に取り掛からねばならず、
ゆっくり座っている暇がないxxx
しかも、夕方からの乗務で、時差調整が苦手な同僚達は辛そうでした。

シンガポールのクルーホテルに戻ったのは午前1時過ぎ。
でしたが、それでもやっぱり乗務の後はeMでクルードリンク。
お店の方のお勧めで、私はずっとWodka+Lime Cordialというカクテルを飲んでいました。
モスコミュールのジンジャーエール抜き、という感じ・・・お勧めです(^-^)

お夕食は、最初のうちはLau Pa Satへ行っていたのですが、
後半はもっぱらNewton Circusへ。
こちらの方がお料理はずっと美味しかったので、いつかまたシンガポール便が着いたら、最初からNewton Circusに食べに来ようと思います。

相棒のエスメラルダがカラオケに行きたい!と言うので、
シニアパーサーのペーターとタンザニア人のアンスベルトと4人で、
Party World KTVというカラオケに行きました。
選曲や入力の仕方が日本より面倒でしたが、
英語はもちろん、ちゃんと日本語の歌も入っていて楽しめました♪

それから、Plaza Singapuraというショッピングモール内にヤマハ音楽教室を発見し、
お部屋を借りてピアノの練習もできました♪
(アップライトのピアノで1時間1500円くらい・・・他の国と比べると割高?)

クルーホテルの部屋では、子供達とスカイプで話したり、テレビでNHKを見たり、
フラメンコの練習をしたり(←オランダ戻った当日の夜、初めてのフラメンコの発表会があったので、練習しておかねばと衣装と靴も持って来ていたのデス)
と充実していました。

デンパサール往復乗務はあまりの忙しさに驚きましたが、
同僚達にも恵まれ、本当に楽しいフライトで、
マリアの卒業ミュージカルを見ることができなかった悲しさも紛らすことができました(感謝)

《おまけ》
フラメンコの発表会のビデオです↓


(タブラオ風の会場の後ろの方からの撮影)


(舞台袖からの撮影)

フライト日記 (Tokyo)

(この乗務の後、友人の結婚パーティーと高校の同窓会の為、再び一時帰国。戻った翌日からは娘のマリアの卒業ミュージカルのお手伝いをすることになって、毎日マリアと一緒に登校、ミュージカルの歌の指導や大道具・小道具作りをし、家に帰ってからも編曲や、衣装縫いなどをしているうちに、次の乗務が入り・・・と、またまた1ヶ月遅れのフライト日記になってしまったことをお許し下さい・・・m(_ _)m)

2011年5月
(NRT)

一時帰国(←毎年、日本のゴールデンウィークと同時期の『チューリップ休み』というオランダの学校のお休みに合わせて子供達と一緒に一時帰国するのですが、今年は原発事故のこともあり私一人で帰国しました)
から戻った4日後から再び東京便乗務。

今回も、会社のボランティアグループWings Of Supportからスーツケース2個余分に借りて、自分のスーツケースを含めて合計スーツケース3個分の救援物資を日本へ。
・・・と思っていたら、スーツケース3つに入りきらず、もう1個スーツケースを借りて、今回はスーツケース4個持って出発。

機種はボーイング747-400型機。
担当はAゾーン(=1階のビジネスクラス)。

震災後、前回までは、こんなに乗客が少なくて大丈夫なのだろうかと心配になるくらい空いていた東京便でしたが、
今回はかなり混んでいました。
外国人乗客数も大分戻り、ちょっと安心しました。

久し振りのビジネスクラス担当。
和食のミールサービスが変更されて(→元々そうあるべきだった本来のサービス方法になって)からは初めて・・・ですが、
和食を前菜と主菜に分けずにお出しする方法は、私は既に昔から試験的に度々実行していたことなので、
ようやく堂々と、見た目も美しい和食トレイをお客様にお出しできるようになって、本当に嬉しいです(*^-^*)
お客様からも好評でした♪

しかしながら、この和食トレイの出し方が変わったというお知らせが、
ギャレーに貼られるギャレーブリーフィングというものにしか記載がなく、
貼り忘れるパーサーも多いし、貼られても読まない同僚が多いので、
前回もそうでしたが、皆、変更があったことを知らない・・・(^^;
只今、会社に、社内報や社内ウェブサイトにも記載して欲しいと交渉中です。

満席でしたが、同僚達も手伝いに来てくれ、和気藹々と楽しくサービスできました(^-^)

成田空港の薄暗さにも慣れました。
今まで随分と電気の無駄遣いをしてきたのだろうな・・・と思う反面、
いつかあの明るさが戻る日が来ますように、とも願う・・・

成田のクルーホテル到着後は、いつものように、まずは救援物資の発送手続き。
より多くの救援物資を送れるようにと、会社がダンボール100箱分の箱代と送料を持ってくれることになっていたのですが、
(こちらから問い合わせた訳ではなく、私が乗務の度に救援物資を持って行っていると人伝に聞いて、是非協力したいと会社の方から声をかけてくれたのでした・・・感謝)
それは他のオランダ人の同僚達が利用できるように、私は別料金で。

スーツケース4個にぎっしり詰まっていた荷物を、種類別にダンボール箱に詰め替え、
(できるだけ送料を安くできるよう、ダンボール箱数を減らす為、隙間なく詰めるパズルをしているようでした・・・笑)
宛先を書き(福島県南相馬市の学校の校長先生宛)、
発送手続き完了。

シャワーを浴びて、2時間ほど仮眠を取り、実家へ。

翌日は例の如く朝から同僚達の東京案内。
雨模様だったので、今回は範囲を狭めて、
明治神宮→竹下通り(100円ショップ)→表参道(回転寿司)
のみで早々にクルーホテルに戻りました。

帰りの便もほぼ満席でしたが、
和食サービスが好評で、とても嬉しかったです(^-^)
(以前は、小鉢類を前菜として出し、後からご飯とお味噌汁を主菜として出すという、洋食サービスに合わせた変なサービスをしていた為、お客様からよく「ご飯は付かないのですか?」と質問されたりしたものです・・・(^^;;)

こちらは4月末に発行された社内報の記事↓

オランダでのチャリティーコンサートのこと、毎フライト救援物資を運んでいること
(震災後、3ヶ月間ずっと東京便だけをアサインしてくれた会社に感謝・・・!)
を紹介してくれ、
5月末まで、段ボール箱100箱分とその送料を会社負担にしてくれる旨書かれています。
大勢の同僚達が協力してくれ、会社が用意したダンボール箱は、東京・大阪共に、数箱を残して全て使用されたとのこと。

オランダからの救援物資として同僚達にお願いしたのは、説明がオランダ語で書かれていても困らない物。
大抵の救援物資受付窓口が、同じ都道府県内からのみの受付となっていた中、
チャリティーコンサートやチャリティーバザー、そしてこの救援物資に関しても
オランダ人の協力体制には心底感激しました・・・

東日本大震災に対する慈善イベントとしては世界最大(日本を除く)規模だったとされる『アヤックス対清水エスパルスの慈善試合』(←義捐金の総額は600万ユーロ強)では、清水エスパルスの選手達を無料でオランダに招いたと聞いています。

義捐金や救援物資への協力体制ばかりでなく、
私達日本人乗務員に対する会社の心遣いにも感動。
時々会社から電話がかかってくるのです、精神的に大丈夫かと心配して。
「自分の家族は皆無事だったけれど、祖国がこんなことになってしまって悲しいし、
原発事故のことは、離れていても毎日不安て、
正直、心配疲れを感じる。
乗務の時はもちろん笑顔でサービスするけれど、心の中は・・・。
本来日本人は、感情を表に出さないので、
こうしてそちらから聞いてもらえるとありがたい。
日本ベースの日本人の同僚達も同じだと思うので、
どうか十分にケアして欲しい。」
と話しました。

こんなに働きやすい会社とご縁があったことに改めて感謝しています。

フライト日記 (Tokyo)

2011年4月
(NRT)

(すみません、こちらは約1ヶ月前のフライトのお話です・・・(^^;;)

震災後、多分、自動的に毎回東京便を付けて下さっています・・・会社に感謝。・°°・(>_<)・°°・。

ヨーロッパの他の会社が東京に飛ばさなくなってからも東京に飛ばし続け(オランダ人乗務員を大阪で交代させていた為、成田発は関空経由アムステルダム行きでしたが)、
(会社からの説明によると、他社が東京に飛ばさなくなった理由は、危険だったからではなく、選挙が近かった為、国民の印象を良くする必要があったからだったとか・・・)
4月初めには東京直行便を復活。

震災後、初めて成田空港で飛行機を降りました。
(大阪経由の時は、成田空港に飛行機は降りても、私達は飛行機から降りられなかったので、なんだか感無量でした・・・)

大阪経由だった頃、
オランダ人乗務員は、
成田到着後に東京ベースの日本人乗務員の交代があり、
給油をし、それから更に(アムステルダムからの長時間乗務の疲れた体に鞭打って)大阪まで乗務、
日本人乗務員は、
(交通網の乱れもあったので、余裕を持って早朝から空港へ向かい)成田で乗り込んでから関空まで乗務し、
関空でオランダ人乗務員の交代とケータリングの搭載等を待って、
それから(通常の成田発直行便だったら最初のサービスが終わって休憩時間に入るくらいの時間になってから)
関空を出発してアムステルダムまで乗務、
という激務をこなしていました。
本当に大変だったと思います・・・就労時間制限ギリギリだったはず・・・
本当にお疲れ様でしたm(_ _)m
(元々寝不足に強い私は案外平気でしたが、疲れて辛そうな同僚達を見るのは辛かったです)

久し振りの成田空港は、至る所で電気が消されていて暗い・・・節電・・・関空とはえらい違い・・・
大阪では(テレビを見ない限り)あまりに変わりなく、まるで何事も起こっていなかったような錯覚に陥りましたが、
成田は、暗くなった街の照明が、大震災はやはり現実に起こり今も進行中なのだ・・・と実感させ、なんだか心も暗くなってホテル到着。

今回は、社内のボランティアグループWings Of Supportから、スーツケースを2個レンタルし、
合計スーツケース(自分のスーツケースを入れて)3個分の救援物資を運んできました。
(自分の荷物は最低限に控えて全てキャリーバッグに入れました)
中身は、オランダでの支援活動グループの仲間が用意した品々で、
南相馬の高校へ送る品々です。
まずはそれらをスーツケースからダンボール箱に詰め替えて発送する作業をしました。

その後は仮眠を取って東京の実家へ・・・行きたかったのですが、
ステイ中の行動範囲が
”1時間以内にクルーホテルに戻ることができる範囲”
(クルーホテルには緊急脱出用のクルーバスが24時間待機しており、非常事態発生時には、1時間以内に安全な場所へ全員で脱出することになっているとのこと)
とされていて、残念ながら実家へ帰ることはできませんでした。
空港職員の方は、都内であれば実家へ帰っても構わないとおっしゃって下さっていたのですが、
万が一何かあった場合、同僚達を待たせることになってしまうのはよくない、
今回は乗務員として来ているので、会社の指示に従うべき、
と判断しました。

実家へ寄れなかったのは残念でしたが、オランダ人の同僚達と過ごす成田もなかなか楽しかったです♪

夕方、ホテルのバーでのクルードリンクの後、
夕食は(いつも鉄板焼き屋さんに行きたがるオランダ人達を引き止めて)ホテルの斜め向かいの『やまと』さんで、いつものメニュー(=豚の生姜焼きセットと梅酒)。
夕食後はホテルのバーで皆でカラオケ。

翌日は、朝食後、1泊のスケジュールだった同僚達を見送った後(←私を含めて3名だけが2泊のスケジュールだったのです・・・これも恐らく会社が考慮して長いスケジュールの方を入れて下さっています(>_<))
その居残り組(?)3人で成田山新勝寺へ。
少しだけでしたが桜が咲いていて(大阪で惜しくも見ることができなかったので)嬉しかったです・・・やっぱり桜は日本で見たい(*^-^*)
帰りにショッピングモール・イーオンに寄り(イーオンも節電で暗~くなっていました・・・感心)、100円ショップで子供達へのお土産を買って、ホテルへ。

その日の朝到着した、翌日私達と一緒に乗務するクルーにジョインして、
クルードリンク以降は前日と同じスケジュール(笑)

ホテルの部屋では、乗務の時に救援物資を運ぶ活動(?)に関して会社や大阪のクルーホテルとのメールや電話の遣り取りがあってほとんどのんびりできませんでしたが、
楽しい成田ステイでした(*^-^*)

ご縁というのは面白いなぁ・・・といつも思うのですが、
100名近くいる日本ベースの日本人の同僚の中でも、(あたかも私がその方が乗務する日を狙ってリクエストしているかのように)何度も何度もお会いできる方もいれば、
一度もお目にかからないまま契約を終えて退社されてしまわれる方も・・・
今回驚いたのは、副操縦士のパスカル。
3月に乗務した東京便2本(どちらもステイは大阪)ご一緒して、それだけでもビックリしたのに、今回また一緒だったのです。
これでパスカルが独身で私の好みのタイプとかだったら”運命の人”だったかもしれません(・・・が、私はやっぱり日本人の方がいいです・笑)

よし! 明日(もう今日ですが)からの乗務の前に書き終えた~!!

今回もスーツケース3個分の救援物資を持って行きます(*^-^*)

フライト日記 (Tokyo/Osaka)

2011年3月
(NRT-KIX)

(すみません、1ヶ月半前のフライトのお話です・・・(^^;;)

休暇明けのフライト(3月15日)を(トロント便から)東京便に変えてもらい(ステイは大阪でしたが)、
戻った当日、再び会社がアレンジしてくれて、
最短のフライリーブで再び日本へ。

東京便でしたが、当時はまだ原発事故の詳細が明らかでなかったこともあり、
成田は経由するだけで、乗務員のステイ先は大阪でした。
成田が危険だから、という理由ではなく、
(危険だったら経由もしない、とのこと)
地震の危険性も考え、万が一の時に、乗務員が日本国内の1ヶ所、同じ場所にステイしていた方が便利だから、とのこと。
(↑ 注意: 4月6日より成田ステイに戻っています)

前回は出発直前に急遽大阪へ直行することになってしまったこともあり、
成田空港に着陸した時は、ちょっと感無量でした。
折角成田に着陸したのに、飛行機を降りられなかったのはやはり悲しかったです・・・(;_;)

成田では、お客様が降りられた後に、東京ベースの日本人乗務員の交代があり、
給油後、大阪へ。
成田~関空間で富士山が見られるかと楽しみにしていたのですが、残念ながら雲が厚く、拝めませんでした。
でも、関空到着前の景色は素晴らしかったです。

午後2時くらいだったでしょうか、クルーホテルに着くと、
会社とのコンタクトパーソンとして長期滞在している機長が出迎え、
チェックイン前に、地震や原発の現状と、滞在中の注意事項などをブリーフィング。

ブリーフィング後チェックイン。
通常は成田までで乗務が終わり、とっくにホテルで休んでいる時間でしたので、
成田での停泊後、更に関空まで乗務があり、お飲み物とおつまみのサービスをきちんとしましたから、
オランダ人の同僚達はもうクタクタの様子でした。
私も、今回は、いつもならまだフライトリーブ中のところ飛んできましたし、
短いフライトリーブ中も、オランダでのチャリティーイベントのお手伝い等あったので、
疲れていたと思うのですが、
気が張っているせいか全く眠くありませんでした。

オランダ人の同僚達が皆部屋に上がってしまってから、
オランダから持ってきた救援物資の発送手続きをし、
それから夕方まで2時間ほど仮眠を取りました。

夕方、母から電話。
前回に続き、今回も大阪ステイとなり、両親と妹と甥っ子が大阪まで会いに来てくれました。
・・・というか、本当のところは、私が原発と地震を心配して、
詳細がはっきりするまでは念の為東京からも離れていた方がいいのではないかと思って、
せめて私が大阪に滞在している間だけでも大阪に会いに来てもらいたいと頼んだのです。

今回の東京便(ステイは大阪ですが便名は東京便のまま)は、
冬のスケジュール最後の成田3泊5日のスケジュール、
3月末からの夏のスケジュールにはないロングステイ・フライトで、
リクエストしたけれど頂けなかった便だったのですが、
結局その便に乗務できることになった廻り合わせに、これもまた運命なんだろうな・・・としみじみ感じました。

夕食は、両親と妹と甥っ子、そしてオランダ人同僚達と、
大人数でわいわいとお好み焼きを頂き、
夕食後は両親が宿泊している部屋で家族で梅酒を飲みました。
(甥っ子は小学生なので牛乳)

翌日は、前回同様、オランダ人の同僚達を連れて京都へ。
1週間前に訪れたばかりでしたので、道案内はバッチリ(^-^)/
桜がぎりぎり咲いていなかったのだけが残念でしたが、
日本行きを怖がっていた同僚達の心も、
(前の晩のお好み焼きと、穏やかな京都の町並みで)和んだ様子・・・よかったです。

京都では、着物で散策しているカップルを何組か見かけました。
素敵でした・・・私もいつか・・・

もう何度も訪れている京都でしたが、
「本物の芸者を見てみたい」
という同僚のリクエストで、
今回初めて祇園・花街を観光ルートに取り入れてみました。
清水寺近辺で見られるのは、観光客が扮した舞妓さんですのでネ(*^-^*)

以前、前世を見て頂いたお話をしましたが(→ https://greetingsfromhollandwithlove.wordpress.com/2010/05/19/%E5%89%8D%E4%B8%96%E3%81%A8%E5%AE%88%E8%AD%B7%E9%9C%8A/ )
私の前世の一つに花街が出てきます。
初めて通った道なのに、初めて見た建物なのに、なんだか知っているような気がしてドキドキしたのは、
そのせいなのか・・・???

京都からホテルに戻り、同僚達は疲れて休んでしまい、私は
(私達が京都へ行っている間、甥っ子を連れて水族館へ行っていた)両親&妹、甥っ子と合流し、夕食。
4人は翌日東京へ・・・
原発問題が収まるまで暫くオランダに連れて行くことも考えていましたが、
仕事を休んだり、学校を休んだり・・・というのは、やはり難しいですね、日本人には。
家族の誰か一人でも残っていたら、その人を置いて自分だけ避難する・・・というのも辛いですしね。

家族を見送った後、
(オランダ人同僚達も、出発前日なのでホテルでゆっくりしているとのことだったので)
急遽、(神戸のNOTAMさんというエアライングッズを主に扱う雑貨屋さんの店長さんの計らいで)
会社の大阪支社で働く友人達に会いに行くことにしました。
(Oさん、本当にありがとうございました!)
(NOTAMさんのホームページです→ http://notamkobe.com/ )
私が日本ベースで乗務していた頃はバブル絶頂期だったので、
毎年社員旅行なるものがあり(懐かしい・・・!)、
普段お話することのない日本支社の色々な部署の方々と知り合うことができたのです。
同じ会社でも、他の部署の方々からお話を伺う機会なんて滅多にありませんから、本当に貴重な、有意義な時間でした。
オランダにベースを移してからも、時々大阪に遊びに行かせて頂いたり、
関空に就航してからは大阪便が付く度にオフィスに寄らせて頂いたりしていたのですが、
いつからか大阪ステイが1泊になり、フライトが付いても
(朝到着して、仮眠を取り、夕食を食べて寝て、翌朝出発・・・と)時間がなく、
長らくお会いできずにいた大阪支社の皆さま・・・
久し振りにお会いできて嬉しかったです。・°°・(>_<)・°°・。
震災後、当然大きな打撃を受け、皆さま大変そうでしたが、
日本とオランダと遠く離れていても心は一つ、皆で一緒に頑張ろう!
という気持ちが伝わってきて、心底感動しました・・・!(←チームワークに弱い私)

夕食は、NOTAMさんが企画されていた
間もなくオランダに引っ越されるTさんのお別れ会にジョインさせて頂きました。
Tさんには以前ユトレヒトでお目にかかったことがあるのですが、
スケジュールが変わったことによって彼女の日本でのお別れ会に出席できることになるなんて・・・
ご縁があるのですねぇ・・・(*^-^*)
(オランダでの生活を満喫されているTさんのTwitter→ http://twitter.com/#!/bebepowder )

京都から戻った日も、この日も、
ホテルの部屋に戻るとメッセージランプが点いていて、確認すると
他の便で到着したオランダ人の同僚達が救援物資を持って来てくれているとの連絡。

「私の日本滞在中に日本へのフライトが付いている同僚で、
救援物資(=救援物資受付窓口で受け付けている物資に限定)を
持って来られる人は、ホテル到着後、私に連絡下さい。
ダンボール箱の手配、梱包、発送は私が全て引き受けます。」

というメッセージを、今回出発前にFacebookの会社のグループに流しておいたのです。
予想以上に協力してくれる同僚が大勢いて、感動しました・・・(T_T)

乗務の時に救援物資を運ぶ・・・それくらいしか今の私にはできないxxx
そう思って始めた活動に、
同僚達が次々協力してくれ、いつしかそれが会社の耳に入って、会社から連絡があり、
現在は、箱代と送料を会社が持ってくれています。
感謝!!

帰りの便では、3月26日の夏のスケジュールの開始と同時に新しくなったビジネスクラスの食器の実物を初めて見ました。
マーセル・ワンダースというオランダ人デザイナーによる作品。
ゴージャスな感じでなかなか素敵・・・(*^-^*)

ただ・・・洋食用のアンダープレートのサイズが小さくなって(←以前のアンダープレートが、お皿に比べてかなり大きかったのが、ほぼピッタリのサイズになり)
(最初から無理があったと思うのですが)
(楕円形をした)和食のホットミールが、(円形の)洋食のアンダープレートにいよいよ乗らなくなり、
和食の主菜(?)を出す時に困ることになりました。

実は私は、(以前 https://greetingsfromhollandwithlove.wordpress.com/2010/11/25/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%80%80tokyo-8/ にも書きましたが、)
ホテルオークラの和食サービスが始まった当初から、
これを前菜・主菜に分けて出すのはおかしい・・・
(それより何より、楕円形の和食器を円形の洋食器に乗せて出すのは、見た目も悪過ぎる・・・)
と思っていたので、
私が日本路線に乗務し、Aゾーン(=CA1人で担当する、1階のビジネスクラス)にアサインされた時は、自分で工夫をして、
洋食は前菜ー主菜と分けて、和食は分けずに一度に、お出ししていました。
和食トレイの食器の形や配置を見たら、そのように(前菜・主菜に分けずに出すように)デザインされているのが一目瞭然だったからです。

昨秋KLM OPENではオークラの総料理長様にお目にかかる機会があり、やはり沢山のクレームがきているというお話を伺い、
度々サービスリマークスを書きましたが、
「洋食と和食で別の手順でサービスすることはできない」
と会社には聞き入れてもらえずにいました。

が、今回、実際問題として、前菜ー主菜に分けてサービスすることが不可能となり、
また、たまたまプライベートで乗っていた同僚のYさんが、
PVS(=パーソナル・ビデオ・システム)に和食サービスの紹介ページがあり、
そこに、ホットミールも一緒にセットされた、美しい和食トレイの写真が掲載されているのを発見、教えて下さり、

(↑ これです・・・この写真を見た後に、ホットミールが乗っていない和食トレイを見ると、本当にみすぼらしく見え、また、ホットミールだけが乗ったトレイも然り)
そのことも追記し、自分で撮った写真やイラスト、(実際に自分が試してみた)サービス手順例も加えて
改めてサービスリマークスを書いたところ、
ようやく聞き入れてもらえ、
現在は(オランダ人の同僚達が混乱せずにサービスできていれば・・・ですが)
和食は前菜・主菜に分けずにお出ししているはずです・・・よかった(*^-^*)
なんだか盛り沢山の長~いフライト日記になってしまいましたxxx
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
明日からまた東京便乗務なのですが、4月の東京便のフライト日記もできるだけ早くアップできるように頑張ります・・・(^^;;

4

フライト日記 (Tokyo/Osaka)

3月11日に発生した東北関東大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様、そのご家族、関係者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2011年3月
(NRT/KIX) 

3月15日、休暇あけのフライトは、
(いつものように東京便と大阪便をリクエストしていましたが通らず)
トロント便の予定でした。

3月14日(月)朝のニュースで福島原発の2度目の爆発を知った時、頭に浮かんだのは、
「明日の東京便が付いているオランダ人の同僚達は、さぞ不安に思っていることだろう・・・」
ということ。

思わずCrew Control (病欠を取る時などに連絡を入れたり、スケジュール変更があった時に連絡がくる部署)に
  私は15日からトロント便に乗務予定だけれど、今の日本の状況から、
  東京便に乗務予定のオランダ人クルーの中に、
  もしも、「できれば行きたくない」という同僚がいたら、
  私は東京に家族もいるので、よろこんで替わります・・・!
と電話を入れました。

でも、例え「行きたくない」と思っていても、ただ「行きたくない」という理由だけでは会社に連絡し辛いかもしれないと思い、試しにFacebookのコミュニティーに
  私は明日トロント便に乗務予定だけれど、
  もしも明日東京便に乗務する同僚の中に、
  できれば行きたくない、という人がいたら、
  私は日本に行かれれば家族にも連絡できるし、
  不足している物も届けられるし、
  必要なら両親をオランダにも連れて帰って来られるから、
  是非替わりたいので連絡下さい・・・!
と投稿してみたら、予想以上に(知らない同僚達からも)同情と応援のコメントやメッセージが来て、いつの間にか
  “misaeが日本に行けるように、みんなで協力しよう!”
という流れになり、
彼ら経由でこの話を耳にした東京便乗務予定のパーサーから
「明日の便は、東京経由大阪行きに変更になったので東京にはステイできないけれど、それでも構わないなら、なんとか君が東京便に乗務できるように手を尽くす」
というメールが・・・
「ステイ先が大阪でも構いません。今の状況だと、例えステイ先が東京(成田)だったとしても、ホテルの外に出るのは禁じられていたでしょうし、家族に連絡したり、物を送ったりするのは大阪からでもできますから。」
と返信し、待機していました。 

しかし、その日の夜には
「残念ながら、変更できません」
という電話がCrew Controlから(そして、「交通機関のマヒで成田空港に辿り着けない日本人クルーもいるのではないかと心配して別の同僚が連絡を取ってくれたJapanese Division =日本人乗務員が所属している部署のリタからも同様のメールが)あり、
諦めてトロントへ行くつもりで準備していたのですが、
翌朝=出発当日の朝、CCM(=Cabin Crew Management)から
「Working Crew (=乗務するクルー) になるか Dead Heading Crew (=乗客としてフライトに同行するクルー)になるかまだわからないが、君が東京便に乗務できるように必ずアレンジするので連絡を待つように」
という電話が入り、日本へ行けることに。
先述のパーサーが、CCMのマネージャー達にメールを送ってくれていたのです。

人助けのつもりが助けられて、日本に行けることになったので、
両親と弟妹、友人達に連絡して、
日本で不足しているものをオランダで買って持って行き、大阪から送ることにしました。

家族や友人へ必要な連絡をした後、(前日も結局3時間しか寝られなかったので)1時間半仮眠を取り、買出しをしてスキポールへ向かいました。

途中、WTC駅で(日本語補習校のママ友であり、mixiでのマイミクである)LUNAさんから、(日本で在庫がなくなっているという)ビニール合羽と(懐中電灯代わりになる)自転車用ランプを受け取りました。
(LUNAさん、本当にありがとう・・・!)

東京行き直行便は、
「オランダ人クルーを成田にステイさせない為、成田空港経由で関空へ飛ぶ」
と聞いていたのですが、
成田空港の安全が不確かであることを理由に
リポーティングの後に関空直行便に変更されました。

危ない場所にもギリギリまで飛ばす会社なので、成田に降りないという決定に心が震えました。

成田のクルーホテルにいたオランダ人クルーは15日(火)までに全員大阪のクルーホテルに全員移動したとのこと。

リポーティング時に、私の代わりにトロントへ行くことになった(=東京便と交換してくれた)同僚に偶然会い、直接お礼を言うことができました。(←偶然・・・ではない気がしています。) 

通常はキャビンクルーだけで行われるフライト前のブリーフィングですが、今回はコックピットクルーも全員、また、CCMのマネージャー3名と企業医師も出席し、
機長からは関空までのルートが放射能汚染の可能性のない南方ルートが取られること等の説明、
企業医師からは放射能汚染予防の為に機内にヨード薬が特別に搭載されたこと、
CCMのマネージャー達からは会社の方針の説明がありました。

こういう便での日本語のアナウンスは大変です。
幸い、日本人乗務員の中で最も乗務暦の長い大先輩のHさんがいらしたので、
安心でした。

お客様も、旅行に出ている間に日本がこんなことになってしまって、どんなにショックを受けているだろう・・・と、重苦しい雰囲気を予想して向かったゲート。

いつもと変わらぬ様子にちょっと気が抜けたのですが、
サービス中、やはりいつもと違う空気を感じました。

顔で笑って心で泣いている・・・?

そういう私達日本人乗務員もきっと同じだったと思います・・・私だって前日まで被災地の映像にショックを受け、家族を失った被災者の声に心を痛め、福島原発のことが心配で心配で、一人になっては涙していたのですから。 

外国人のお客様(皆様ジャーナリスト)の様子もいつもとは違っていました。
やけに明るく、無理にお酒を飲んで酔おうとしている感じ。
心の奥の恐怖心を隠そうとしているかのように・・・

今回のフライトで驚いたこと→機内のトイレからトイレットペーパーがいくつも盗まれました・・・東京便で機内の物が盗まれたのは初めてでした(→他の路線では時々あります)

関空到着は午後2時。
クルーホテルに着いたのは午後4時過ぎでした。

チェックインをしていると、様子を伺いながら近づいてくる私服の日本人女性に気付きました。
22年前に日本人乗務員として同期入社して、4年契約終了後、ニュージーランド航空に転職したMちゃんでした。 丁度乗務で来ていたとのこと。
彼女はニュージーランド、私はオランダに引っ越してしまったので、ずっと会えずにいたMちゃんに、こんなところで再会するとは! (←これも偶然ではないのでしょうね・・・)

翌日の朝食時は、東京ベースの方々(←大阪に一泊し、国内線で東京に帰られました)と、Mちゃんと一緒に。
いつもは日本人は私一人なのに(日本人乗務員は通常は帰国後は帰宅してクルーホテルに泊まることはないので)日本語でおしゃべりしながらの朝食・・・なんだか、日本ベースだった頃の、アンカレッジやアムステルダムでのステイ中の朝食の時間のようで、懐かしかったです。

大阪では、家族や、メールで連絡が取れていなかった友人達と電話で話し、
オランダから持ってきたものを郵送しました。

 ホテルの部屋ではついつい原発のニュースに見入ってしまい、
そんな折、会社から
「風向きが変わり、東京にも放射能が届く可能性が出てきた為、今後も東京便は、大阪行きに変更して運行する」
というメールが入り、ますます心配に・・・
(オランダ人には言いませんでしいたが、ホテルの部屋で一人になって、いつまでも不安が続く東北関東地方の人々を思うと悲しくなってしまって、涙が止まりませんでした(>_<。。。 )

オランダ人も
「2泊もしないで今すぐにでもオランダに帰りたい」
と不安そうだったので、自分の気分転換も兼ねて、雪の中、皆を京都に案内することにしました。
そう、3月半ばなのに、雪が降っていました。

半日しかなかったので、東寺(同僚の一人からのリクエスト)、清水寺、八坂神社の3箇所だけ回りました。 
思っていた以上に喜んでもらえて、私も嬉しかったです。
本当に美しい京都・・・癒しの威力はすごい・・・!
東寺で五重塔が特別公開されていて内部を見る事ができたのは、私も感激でした。
ミハーリとマリアにお守りを買いました。

京都から戻ると同行した同僚達はお腹が空いたとそのまま鉄板焼き屋さん(・・・と同僚達は言っていましたが、行ってみたら広島風お好み焼き屋さんでした)へ。

私は家族から連絡が入っているといけないと思い、念の為ホテルへ・・・と部屋へ戻るとドアの下に手紙が・・・
「19時より、地下1階のミュージックルームにて、3クルー合同ブリーフィングを行います」
という機長からの手紙でした。(その時、時刻は18時50分)

同僚達とは連絡が取れないので、一人で行ってみると、
(ミュージックルームというのがあるなんて知りませんでした・・・ヤマハのアップライトピアノが1台ありました・・・次回はここで練習させていただけるかな・・・?)
結局他のクルーも到着後既に眠ってしまっていたり、あるいは既に食事に出かけてしまっていたりで、数人しか集まっていませんでしたが、
会社から合同ブリーフィングをするように頼まれたという機長から、現在の状況の説明がありました。

① 今後は特別に雇った放射能の専門家が随時放射能の観測を行い、
   その数値により、その都度、成田便を成田に寄航させるかさせまいか決定する。
   現時点では、放射能の数値は危険なレベルにないので、
   成田寄航は問題ない。

② 成田は寄航問題ないが、万が一に備えて、
   オランダ人乗務員は1箇所に集めておいた方が連絡を取り易い為、
   暫くの間、日本でのステイは、東京便も大阪便も大阪ステイとする。

③ 成田空港から搭載される貨物に関しては、
   東京以北からの貨物は全て放射能測定を行い、
   汚染されていないことを確認してから搭載し、
   アムステルダム到着後も放射能測定を行ってから積み下ろし作業に入る。  

④ オランダの隣国(実際には国名を言っていましたがここでは伏せます)が
   成田に寄航しないことを早期に決定し、現在も寄航していないのは、
   放射能の危険性が理由ではなく、
   間もなく行われる選挙に備えた与党の政策の一環なので、心配しないように。

 ⑤ 今後会社から連絡がなければ、スケジュールの変更はない。
   「知らせがないのは良い知らせ」と思うように。

・・・とのこと。
それ以降も質疑応答が続いていましたが、忘れないうちに同僚達に知らせる為、(それに私もお腹が空いていたので)急いで同僚達の待つお店へ。

京都を案内してくれた御礼に・・・と、皆でワインをご馳走してくれました(*^-^*)

翌日は午前11時Calling(=Wake Up Call)だったので、その前に朝食を済まようと思い、9時に目覚ましをセット。

夜型の両親と1時くらいまで電話で話し、それからまたしばらくニュースを見ていると地震速報が・・・
あぁまだ収まっていないのか、まだ不安が続くのか、と思ったら心配で心配でたまらなくなり、気が付いたらまた涙があふれていました(T_T)

時間は長くありませんでしたが、十分睡眠をとり、帰りの乗務。
コックピットクルーが変わり(←私達キャビンクルーは2泊するのですが、コックピットクルーは1泊しかしない為)、新しい機長がクルーバスで皆に挨拶し、その日の飛行航路やオランダの天候などを説明、最後に
「やっと日本を脱出して家に帰れますね!」
と満面の笑顔で言ったのを聞いて、胸が苦しくなりました。

思わず
「私は日本人なので普段は気持ちを表に出さないけれど、今日は正直に言うので聞いてもらえる? あなた達はこれから家に帰るのでしょうけれど、日本人の私や(関空でジョインする)他の日本人乗務員にとっては、祖国を心配しながら家を離れるのです。 日本人の同僚達の中には、まだ家族と連絡が取れない人もいると聞いています。 日本人は仕事とプライベートをしっかり分けるので、いつもと変わらず笑顔で乗務しますが、心の中は不安や悲しみでいっぱいであることを忘れないで・・・(>_<。。。」
と伝えました。
みんなわかってくれたようでした。 

日本人乗務員は成田空港で交代、乗客も成田空港で乗り降りするので、
関空から乗り込んだのは私達オランダ人乗務員だけです。

つまり、現在、東京便は、
アムステルダム発
 ↓
成田着(成田行きの乗客降機)(成田行きの日本人乗務員降機)
成田発(アムステルダム行きの乗客搭乗)(アムステルダム行きの日本人乗務員搭乗)
 ↓
関空着(成田行きのオランダ人乗務員降機)
関空発(アムステルダム行きのオランダ人乗務員搭乗)
 ↓
アムステルダム着
という三角点飛行となっています。

アムステルダム発では、長い乗務の後、成田で降りず、そのまま関空まで乗務ればならないオランダ人乗務員が、
成田発では、(交通機関の運行が心配で念の為早朝に家を出て)早い時間から成田空港で待機後、まず関空まで乗務して、それから更にアムステルダムまで長時間のフライトをこなさなければならない日本人乗務員が、
通常よりも長い乗務時間となり、激務を強いられています。

早く通常のフライトになり、成田にステイできるようになりますように・・・

アムステルダム到着後、オランダ人の同僚達が、余った日本円や、アローワンスのユーロやドルを
「救援物資を買うのに役立てて欲しい」
と寄付してくれました。 

会社が考慮してくれ、次もまた東京便(ステイは大阪ですが)に乗務します。
これから暫くの間、最小限のフライトリーブで、できるだけ日本路線だけに乗務できるよう、会社との相談を続けるつもりです。
個人からの救援物資の受付も始まったので、オランダからの救援物資を大阪から送れたら・・・と思っています。

頻繁に乗務に出る事になり、在蘭日本人の友人達が企画している数々のオランダでのチャリティーイベントのお手伝いはできなくなってしまうかもしれませんが、
オランダでの活動は友人達に任せて、私は、私ができること、私だからできること、をやっていきたいと思っています。

今週末、再び乗務する東京/大阪便。
元々は、冬のスケジュール最後の3泊5日の東京便(夏のスケジュールでは、東京便は全て1泊か2泊)で、リクエストしたけれど頂けなかったフライトです。
大阪に3日間いられるので、翌日以降到着するオランダ人クルーの有志にも、インターネットに掲載されていた必要とされている救援物資のリストの中からオランダで購入して持って来てもらい、毎日私が代行して宅急便で送ろうと思っています。
また、時間があれば、不安な気持ちで滞在しているかもしれないオランダ人同僚達の観光案内等のケアもしてあげられたらいいなと思っています。

少しでもお役に立てますように・・・

フライト日記 (Beijing) その2

(つづき・・・)

翌朝北京到着。
と同時に盛大な拍手・・・着陸後に拍手をする国としない国がありますよネ・・・
確か南米の国々も拍手したような・・・

気温はマイナス5度。
この前のモントリオールがマイナス22度だったお陰で、全然寒く感じませんでした(笑)

クルーホテル到着後、ロビーのラウンジにあるピアノを弾いても構わないかフロントで確認。 OKが出たので、私はステイ中、買い物にも、(機長のヤン・ヨーストが皆の為に全てアレンジしてくれた)『万里の長城ツアー』(←万里の長城へは、初めて北京便に乗務した3年前?に既に訪れたので)にも行かずにピアノを弾く事にしました。

(↓ ラウンジのピアノ)

でも、まずは仮眠。
中国は丁度新年を迎えたばかりで、一日中花火の音が鳴り響き、結局1時間半くらいしか休めずxxx

幸い寝不足には強いので、気にせずシャワーして楽譜持参でクルードリンクへ。
ロビーのラウンジで、同僚達が飲んでいる間、私はピアノを弾かせて頂きました。
曲目は・・・
  シューマン 『トロイメライ』
  バッハ 『G線上のアリア』
  ベートーヴェン 『月光ソナタ(1楽章)』
  サティ 『ジムノペディ』
  ショパン 『ノクターン Op.9-2』
翌週マリアの小学校で子供達の為に演奏する曲です。
他に、同僚達からのリクエストで、
  ショパン 『ノクターン 遺作 (20番)』
  ショパン 『ワルツ Op.64-2』
  ドビュッシー 『月の光』
  中村由利子 『ウィスパリング・アイズ』
も。
最初にピアノを弾いてよいか尋ねた時は
「マネージャーに再度確認する」
「1曲だけ」
と渋っていたラウンジのスタッフでしたが、演奏を気に入って頂けたらしく、
「明日以降もいつでも弾きにいらして下さい(*^-^*)」
とおっしゃって下さいました。 よかった。

そんな訳で、夕食の後も、翌日の朝食後も、クルードリンクの時も、
沢山弾かせて頂きました♪
自身もバイオリンを弾く(←アムステルダムのタンゴ・オーケストラに所属しているそうです)という機長のヤン・ヨーストが、ちょっとだけですが(本当にちょっと・・・というか、ちょっと過ぎ・・・各曲10秒ずつくらい・苦笑)iphoneで動画を撮ってくれました。
(アップしようかと思ったのですが、iphoneで撮影したビデオはアップロードできないみたいデス)

ホテルの宿泊客も、ピアノの近くのテーブルで飲みながら、あるいは、ラウンジの上(←ラウンジは吹き抜けになっています)から、聴いていたと、同僚達が教えてくれました。
私の方は、翌週の練習を兼ねていたので、毎回同じ曲の繰り返しで申し訳ないと思いつつ・・・(^^ゞ

ホテルの部屋では、NHKを見ることができ、
花火の音も煩かったのですが(朝7時前から夜中の3時過ぎまで鳴りっ放しxxx)
いろいろ思うことあって眠れなかったので、助かりました。
『羽田空港開港80周年』の番組を見ました。
整備士の話の後に、空港案内をする”エアポート・コンシェルジェ”という仕事の紹介があって、
立ち止まることなく、困っている人を見つけてはお手伝いする、という仕事内容が、
学生時代にやっていたGoodwill Guideに似ているなぁと懐かしく思いました。
また、クラシック音楽専門チャンネルと思われるチャンネルがあって、
その時は丁度、これからバレエの放送が始まるところでした。
『天鵝湖』
わかりましたか??
チャイコフスキーの『白鳥の湖』です。
この日はチャイコフスキーの3大バレエ組曲を一挙に放送していました。

ホテルの部屋ではインターネットができたのですが、
Twitter も、Facebook も、YouTube も、skype も、ブロックされていて利用できないことに驚きました。
中国ではGoogle は使えない、というのは聞いた事がありましたが、
(ところが、そのGoogle は、香港経由で利用できたのですが)
他にもこんなにいろいろブロックされているとは・・・(O.O;)
sns、私はmixi、オランダ人の同僚達はhyvesを利用してました。 ローカルなsnsなら良いらしい(笑)

(↓ 夜中の2時半頃・・・ホテルの部屋の窓から花火の写真を撮ってみました)

北京滞在中に、4年契約を終えてアリタリアへ転職した後輩からメールが届きました。
アリタリアの先輩に、『スチュワーデスマガジン』(←今の『エアステージ』)の私の連載を楽しみに読んでいらした方がいらっしゃると、お知らせ下さったのでした。
まだ日本ベースで日本人乗務員として乗務していた頃、(1992年の夏だったと思うのですが、)インタビュー記事掲載後、しばらく小さなコラムを書かせて頂き、オランダベースに移ってからは1ページ分の連載記事『おらんだより』というのを書かせて頂いていました。
毎回心を込めて書いていたので、楽しみに読んで下さっていたと聞いて、とても嬉しかったです。

帰りの便も満席。
ノルウェイから自転車ツアーを企画しているというノルウェイ人の男性客がいらっしゃいました。
何度もギャレーに遊びにいらして、シルヴィアが話に夢中になってしまって困りましたが(笑)、私がピアノを弾くという話をしたら、
「コンサートホールの手配もしているから、是非ノルウェイでコンサートを開いて欲しい」
と言われてしまいました。
そうですねぇ~いつか、どなたかと連弾コンサートをノルウェイでできたら素敵でしょうねぇ~(*^-^*)
「グリーグの曲は必ず弾いて下さいよ!」
丁度グリーグの『ピアノ協奏曲』の連弾を練習中です♪
『ペールギュント』の連弾もいいかもしれません・・・
準備が整ったらご連絡させて頂くことになっています。
(彼の方からは既に催促のメールが届いていますが・・・まだ無理ですxxx)

アムステルダム到着が近づくと、シルヴィアが、
「もうすぐ家に帰って彼に会えると思うと嬉しくて仕方がない・・・もうすぐ彼と結婚できるんだと思うと感激で泣けてくる・・・(。♋ฺ‸♋ฺ。)うるるる 」
と本当に涙ぐんでいて、思わず”もらいウルウル”してしまいました。
愛する人のことを思うと嬉しくて泣けてくるなんて、なんて幸せなんでしょう!!

アムステルダム到着後、ゲートからクルーセンターまで機長のヤン・ヨーストとたまたま並んで歩いていたのですが、
「君、オランダでサウナ行ったことある?」
「サウナですか?! え~と、日本ベースで飛んでいた頃に1度だけ・・・アムステルダムのクルーホテルで先輩と一緒にホテルのサウナに行って、途中で裸の男性が入ってきてビックリして以来、行ってません(苦笑)」
「今度、サビナが話していたユトレヒトのサウナ(※)に一緒に行かない? 入る手順とか教えるよ(*^-^*)」
「はい・・・いいですけど・・・」
これは新手のナンパか??
でも彼は奥さんいるし、ナンパするようなタイプでは全くないし、もしかしたらオランダでは普通のことなのかも・・・?
・・・にしても、なんでサウナ??(笑)
フライトの後で疲れていて聞けなかったので、どうしてサウナなのか、今度聞いてみます(笑)

(※)パーサーのサビナが、夕食時に、ユトレヒトにとても良いサウナがあると話していて、偶然にもそのサウナ、私の家から徒歩数分の場所なのです。)

次のフライト(=休暇明けのフライト)は、シンガポール便の予定でしたが変更になってしまい、トロント便です。
(ようやく暖かい国へ行けると楽しみにしていたので、ちょっとガッカリ・・・)

フライト日記 (Beijing) その1

2011年2月
(PEK)

冬の休暇(2月20日~3月15日)に入る前の最後のフライトは北京便でした。

前回の北京フライトは確か北京オリンピックの直後だったので、約2年半ぶりくらいでしょうか。

オランダの鉄道はダイヤが乱れることが多いので、少し早めに空港へ向かい、
パーサー達に挨拶。
予想通りLocal CA (=中国路線の場合は中国人CA)だと思われ、英語で話しかけられる・・・(笑)
「あ・・・私は中国人ではなく日本人(*^-^*)」
「?? あ~! あなたはパーティーでピアノを弾いた人ね!」
会社のパーティーで、オランダ人ピアニストのヴィビ=スルヤーディと連弾したのは、もう3年以上前になるけれど、今でも覚えていてくれる同僚が多くて、なんだか光栄です。
(その時のビデオは、左の『写真と動画』のリンクからYouTubeでご覧頂けます♪)

早めにブリーフィングルームへ行って会社からのお知らせ等を読んでいると
(3月末以降の夏のスケジュールのお知らせによると、東京便の3泊5日、4泊6日のスケジュールはなくなってしまうらしい・・・結局1度も頂けなかった・・・悲)
中国人の同僚達3人が入ってきました。

(日本路線もそうですが、Local CAが乗務している路線では、Local CAは現在通常1便に3名乗務しています←ちなみに、私が日本人CAとして乗務していた頃は、Local CAが乗務していたのは日本路線だけで・・・あとはブラジル路線と香港路線にインタープリターが1名乗っていました・・・バブリーな時代だったので、1便に日本人CAが5名も乗務していました)

私を見た途端
「???」
という表情の中国人の同僚達(笑)
「はじめまして、私は日本人のmisaeです」
と挨拶すると
「あ~! あなたの元旦那さんと年末に一緒に乗務したあるよ(←なんて日本語で言ったりはしていません、英語です)」
そうだった、元夫は丁度クリスマス頃に北京便に乗務していたんだった・・・
「離婚した後1年付き合ったけど、また最近別れたって話してた」
はい、その通りです(笑)

次に入ってきたオランダ人同僚エイミーは、インドネシア系で、これまた一見中国人。

全員揃って、ブリーフィングが始まってすぐに、オランダ人CAの一人から
「いつもはLocal CAは3人だけなのに、どうして今日は5人もいるの???」
という質問が(笑)
「私達は中国人じゃないのよ(笑)」
とオランダ語で答えるエイミーと私。

今回のブリーフィング、いつもと違って、パーサーが一人一人に
「自分が一番嫌だと感じることは何か」
を自己紹介がわりに話してもらう、というものでした。
1番多かったのが『自己中な人/他の人のことを考えない人達』。
「そういう人達を教育するのは私達の仕事ではないが、他のお客様の為に、きちんと注意するように」というパーサーの指示がありました。
私は
「不満を本人に直接伝えずに別の人に陰口を言うこと」
と答えました。 
誰かに対して何か思うことがあったら、良い事も悪い事も、きちんと本人に正直に伝える・・・というのが、チームワークにおいてものすごく大切なんじゃないかな・・・と思うのです。
良くない事の場合、言い辛いこともあるかもしれませんが、本人に言わずにいて不満が積もり、本人ではなく他の人に陰口を言うというのは最悪だと思っています。 これではチームワークは成り立ちません。 
だから私は相手がパーサーや機長でも、「それはおかしいのではないか?」と思うことがあれば、正直に自分の意見を伝えます。 誠意を持って話すので、(話をした時点では意見が対立してしまうこともありますが)気持ちはきちんと伝わり、同僚としての関係もかえって深まる事が多いと思います。
エイミーも私と同じことを答えていました。

フライトセイフティー関連では、機内でのコンピューター火災の消化方法に関する話がありました。
機内でノートブックコンピューターを使うお客様が増え、機内でのコンピューター火災も増えているとのこと。
コンピューターから火が出た時には、
① ハーロン消火器で火を消す
② 電源のコンセントを抜く
③ コンピューターに水をかける
(水をかけておかないと、内部が熱くなっている為、再び出火してしまうそうです( ̄□ ̄|||))
勉強になりました・・・φ(.. ) メモメモ

ブリーフィングを終えて飛行機へ。
機種はボーイング747-400型機。
担当はエコノミークラス。 満席。
4~5ギャレーと呼ばれる、2階席への階段とエレベーター脇にあるギャレーにアサインされました。 エコノミークラス中央部を担当します。
普段はビジネスクラスか、エコノミークラスでも最前方エリアを担当することが多いので、このギャレーにアサインされたのは何年ぶりでしょう・・・10年以上ぶりかもしれません。(記憶が悪いので思い出せませんxxx)

相棒は、来月結婚式を控えたシルヴィア。
とても明るく良い子なのだけれど、おしゃべり好きで、同じくおしゃべり好きのシニアパーサーのアネリースがギャレーに遊びに来ると、仕事を忘れておしゃべりに夢中になってしまう・・・(^^;)
トローリーの準備を彼女の分と2人分するのは全く構わなかったので何も言わなかったのですが・・・
ミールサービス中、ビジネスクラス担当のヴィルマインがシルビアのエリアを手伝ってくれた為(←ビジネスクラスは満席ではなかったので、エコノミークラスよりも先にサービスが終わり、1人がエコノミークラスを手伝いに来てくれたのです)、
一人だけ先に担当エリアのサービスを終えてギャレーに戻ったシルヴィア。 私がシルヴィアだったら、ギャレーに戻る前に、反対側の通路でサービス中の相棒に「手伝うことはないか」「足りなくなっているものはないか」聞き、何もなければ、今度は一つ先のワーキングエリアの同僚に声を掛けて、必要なら手伝い、ギャレーに戻るのはエコノミークラス担当の同僚達全員がほぼービスを終えるのを確認してから・・・なのですが、シルヴィアは誰にも声をかけずにギャレーに戻ってしまった・・・
もしかしたら、先にギャレーで、コーヒー&リキュールサービスの準備をしてくれているのかもしれない・・・と思いつつ、残った同僚達で助け合いながらミールサービスを終え、ギャレーに戻ると、
シルヴィアはシニアパーサーのアネリースとおしゃべりしていて何の準備もしてないxxx
「自分のエリアが終わっても、まだ終わっていない同僚の手伝いに戻ってきて欲しかったな・・・」
と伝えると、アネリースが
「シルヴィアはたった今戻ってきたところヨ」
と答えるので
「それはあり得ない、シルヴィアはヴィルマインが手伝っていたので、大分前に一人だけ先にサービスを終えていたはず。」
「手伝ってもらったのは私だけだったの?」
とシルヴィア。
(ギャレーに戻る前に他の同僚達の様子を伺っていたらわかることなのですが・・・(-_-;)
(アネリースも他の同僚達がサービスを終えてないのを察知して、シニアパーサーとしてシルヴィアに手伝うように促すなりしてくれたらいいのになぁ・・・←でも、これは結構よくある=忙しさのタイミングを計れないパーサーが多いxxx)
「6~7ギャレーのキャシーが、自分のエリアを終えた後、相棒のサビネを助けて、その後、私のエリアも手伝ってくれたのよ・・・キャシーに申し訳なくて、それであなた達に(←アネリースにも)伝えてるのヨ。」

シルヴィアは入社して間もなかったので、もしかしたらまだそこまで気がまわらないのかもしれません。
その後も度々アネリースやお客様とのおしゃべりでサービスの準備が遅れましたが、段々と途中で気付いて
「あっ!ごめんなさい!私の分も準備してもらっちゃって!」
と言うタイミングが早くなってきていました(笑)

休憩時間中は、コックピットに星を見に行きました。
機長のヤン・ヨーストが
「正面に見えている星は赤いから惑星に違いない!」
というので、見てみると、それは『うしかい座』の1等星アルクトゥルスでした。
アルクトゥルスは、北斗七星の柄のカーブを延長してたどる『春の大曲線』と呼ばれる曲線上にあって、曲線の終点『おとめ座』の1等星スピカのすぐ近くには、さらに明るい(0等星)土星が輝いていました。
「赤い星は全て惑星だと思ってたxxx」
というヤン・ヨースト。
他にも、例えば『さそり座』の1等星アンタレスも赤いけれど惑星ではありません。
「惑星なら、丁度今、土星が見えてますヨ」
と、『春の大曲線』を説明し、『おとめ座』の1等星スピカを指して、その斜め右に見えているのが土星だと話すと、
疑い深い(?)操縦士たちがこぞってiphoneを取り出し、フライトモードでStar Walkというアプリケーションを作動させて確認していました。
このStar Walkというアプリケーションは、私も後からダウンロードしたのですが、何時間見ていてもあきません!
(iphoneをお持ちの方、おすすめデス!!!)

オーロラも見えないかなぁ~とコックピットの北側の窓の外を見てみると・・・
見えました!!!
しかも、ものすごく近くに!!!
ほとんどの場合、見えても、遠くの方にボヤ~っと/あるいはモヤモヤ~っと見えているだけなのですが、今回は目の前でカーテンが揺らめく、よく写真などで見る、まさにそのまんまのオーロラでした!
写真やビデオを試みましたが、普通のカメラでは無理ですね(>_<。。。(残念) 
こんなに近くで、こんなに大きく、こんなに見事なオーロラを見たのは初めてでした♪(感激)

(こんな感じのオーロラが、飛行機の真横で揺らめいていました・・・下から見上げるのではなく、自分の真横に見える、というのも飛行機ならではですよネ ↓ )

オーロラがあまりに美しかったので、(本当は休憩時間中ずっと眺めていたかったけれど)コックピットを後にして、他の同僚達に知らせました。
それからキャビンをまわって、起きていらっしゃるお客様にもオーロラが見えることをお伝えしました。
あまり知られていませんが、コックピットからでなくとも、キャビンが暗い時はキャビンの窓からでもオーロラを見ることができるんですヨ。
(ただし、読書灯は消して下さいネ)
(オーロラが見られるのは北極圏で日が沈んで暗くなる冬の間だけ・・・夏の間は白夜で暗くならないので見えません・・・日本路線でも頻繁に見られますから、機会があったら是非、窓の外を見てみて下さい!)
(機内からオーロラを撮影された方の写真発見→http://museum.4travel.jp/photos/10003018/)

エコノミークラス最後部で、
「ギャレーの明かりが眩しくて眠れない!(-_-#)」
と怒っていらっしゃるお客様(お酒もかなり飲んでいらっしゃるようでした)がいらしたので、その方にもギャレー横のドアの窓からオーロラをご覧頂いたら、
「初めて見ました、ありがとう!」
とご機嫌を直して下さいました(*^-^*)
オーロラ、ありがとう(*^-^*)

(なんだか長くなりそうなので、つづく・・・)

フライト日記 (Montreal)

2011年1月
(YUL)

大阪便乗務から戻ってからのフライトリーブ中は、整骨院に通って腰椎捻挫の治療に専念していました。
「乗務は立ち仕事なので、座りっぱなしの仕事より腰には負担がこないから、乗務に出ても大丈夫」
と整骨院の先生に言って頂けたので、モントリオール便、予定通り乗務しました。
(先生の指示で、乗務の間だけコルセットを使用し、またハイヒールはよくないとのことなので、機内で履くヒールの低い靴を家からずっと履いていきました。)

リポーティングは13:10。
クルーセンターへ向かう前に、丁度パナマから到着されたばかりのCさんとちょっとだけ空港駅でお茶しました。

モントリオール便、機種はMD-11。
担当はエコノミークラスの最前方エリア=最後方のギャレーからもっとも遠く、歩く量が最も多くなるワーキングエリア・・・整骨院の先生から沢山歩くように言われていたので丁度よかった♪

食事の時以外は座らずに、7時間15分の飛行時間中恐らく6時間半は立ちっ放し、歩きっ放しで、現地時間の夕方、モントリオール到着。
さすがに足が筋肉痛になりましたxxx

気温マイナス22度・・・
バナナで釘が打てる気温?

翌朝は7時からホテルでビュッフェの朝食。
珍しくクラシックFMがBGMで、父が毎朝クラシックのレコードをかけていた子供の頃を思い出して、密かに感激・・・(>_<。。。

朝食後は、完全防備で外へ・・・マイナス22度でも快晴なのでも気持ちがいい(*^-^*)自分も含めて街の人々がことごとく”エスキモーファッション”で可愛いかったです(笑)

そして前回の記憶を頼りに楽譜屋さん探し・・・結局見つからずxxx
(もう記憶はあてになりませんね・・・(^^;)途中ショッピングモールに入って温まりつつ、インフォメーションで楽譜屋さんの場所を聞いたところ、そこから徒歩20~30分とのこと。

マイナス22度の中、徒歩20~30分・・・どうしようか悩みましたが、整骨院の先生からも沢山歩けと言われているし・・・と頑張って歩きました。
鼻の穴の中が凍って痛くなったり、手足の指先がジンジンしてきたりしましたが(←もちろん手には手袋、足にはスノーブーツ)、なんとかその楽譜屋さんに辿り着きました。

(途中通りかかった変わったオブジェ ↓ )

非常に大きなお店で感動♪
Archambaultというお店です。
ピアノ連弾/デュエット譜も、2台4手や2台8手、1台6手のコーナーが3段6列、1台4手のコーナーーも3段6列あって、連弾/デュエット譜を全部見るのに1時間以上かかりましたが、見ごたえがあって楽しかったです。
腕が痺れるほど抱え込んだ楽譜をじっくり吟味して(=欲しい楽譜があり過ぎて、どの楽譜を我慢するか悩みに悩んで)8冊購入。


〆て100ドルちょっと・・・またもやアローワンスを楽譜に費やしてしまった・・・新しい服とか靴は必要でない限り買うことはないのですが、楽譜と着物(と以前は水着)は誘惑に負けてしまいがちでxxx

再び寒さと戦いながら徒歩30分、クルーホテルに戻り、Calling timeの15:40まで仮眠をとりました。
(アローワンス、使い果たしてしまったので、お昼は抜き)

帰りの便は100席以上空いていたので、とてもリラックスしてサービスできました。
夜間飛行だったので、休憩時間にはコックピットに星を見に。
機長が「真正面に火星が見える」と言うので見てみると、うしかい座の1等星アルクトゥルスでした。
「赤いから惑星だと思った(笑)」と機長。
他にも蠍座の1等星アンタレスなんかも赤く見えるけれど惑星ではありません。
惑星と間違われるほど赤く輝いていたアルクトゥルスは、北斗七星を元に簡単に見つけられます。
北斗七星のひしゃくの柄の延長線上にある最初の1等星がアルクトゥルスで、その延長線を更に伸ばすと乙女座の1等星スピカにあたります。(←”春の大曲線”と呼ばれています。)
4月半ばくらいだと午後8時くらいにこの”春の大曲線”を見ることができます。
惑星といえば、土星(明るさは0等星くらい=1等星より明るい)が、乙女座の1等星スピカのすぐそばにあるので、すぐに見つけられると思います(*^-^*)

アムステルダム到着は翌朝の7時過ぎ。
(この日は飛行時間が丁度6時間で、オランダとの時差も6時間だったので、到着時間の計算がとっても楽でした・笑)
気温はプラス6度(・・・あ、また6)
暖かく感じました(笑) モントリオールとの気温差28度です(O.O;)

赤ちゃん連れのお客様が支度を終えて降りられ、車椅子のお客様を迎える地上職員が到着。
エコノミークラス後方部担当者が客室のセキュリティーチェックをしながら前方へ。
赤ちゃん連れのお客様のお忘れ物が見つかり、私のエリアのお客様だったので、慌てて追いかけ、ゲートを出てしばらく行ったところでお客様発見。
再び飛行機に戻ると機長と副操縦士以外、皆降機してしまった様子で、私も急いで荷物(ギャレーは飛行機の最後方部なので、一番後ろまで)取りに行って、降機。
皆でクルーセンターへ行き、スーツケースをピックアップし、全員と握手して乗務終了。

・・・のはずだったのですが、そこで同僚が1人行方不明であることが発覚。
ビジネスクラスを担当していたマルルークがいないのです。 スーツケースはまだ取り残されたまま。

「直接空港駅から電車で帰ってしまったのでは?」
「でも、彼女のスーツケース、まだあったよ」

ゲートのドアにはセンサーが付いていて、誰も通過しなくなって何分か経つと、自動で閉まり、ロックがかかってしまいます。
もし、彼女がまだ飛行機に残っていたとしたら、ゲートのところで閉じ込められてしまっている可能性が・・・

「最後に降りた人、誰?」
あ、私だ・・・
「私が降りる時は、コックピットの二人しかいなかったと思う・・・」

急に具合が悪くなってトイレにいるかも・・・?
ふと心配になって言ってみると
「それなら誰かにトイレに行くと伝えてから行くでしょう」
まぁ確かに、荷物も見ておいてもらわないといけないしね・・・

パーサーがサービスデスクで彼女の携帯電話番号を教えてもらい、電話をかけてみたけれど電源が入っていないとのこと。
ついにシニアパーサーがゲートまで見に行くことに。

待つこと約30分・・・シニアパーサーが戻って来ました。
彼女、ゲートの外側で立ってたそうです。
トイレへ行っているうちに皆がいなくなり、ゲートの扉が閉まってしまったので、空港警察に電話をしたところ、助けに来てくれると言われたので、扉付近で待っていたら、たまたま通りかかった地上職員が扉を開けてくれた(地上職員とパーサーはゲートの扉の鍵を持っているのです)のだけれど、空港警察の人が来るまで待っていないと申し訳ないと、待っているところだったとのこと。
「同僚達も皆心配して待ってるわよ。」
とパーサーが伝えたけれど、やっぱり空港警察を待つことにした、とのこと。

更に待つこと約30分・・・やっとマルルークがクルーセンターに姿を現しました。
彼女の相棒だったカリーナが
「今度からトイレへ行く時はちゃんと誰かに伝えてから行くようにした方がいいわよ。
それから、今回みたいな時は携帯電話の電源を入れておくこと。何度も電話したのよ。」
と一言。

私は彼女がトイレで倒れてしまっていたりするんじゃないかと心配していたので、なんだか気が抜けてしまいましたが、ま、無事でよかったです(笑)

次のフライトは北京便です。

フライト日記 (Osaka)

2010年12月-2011年1月
(KIX)

久し振りに年末年始に乗務が入りました(*^-^*)

クリスマスから年末年始にかけては、誰だって家族や友達と過ごしたいと思うので、
【前の年に乗務した人はお休み、前の年お休みだった人は乗務】
という決まりがあって、私は本当は数年前からクリスマスand/or年末年始に乗務しないといけないはずだったのですが、
(最後にクリスマスに乗務したのは2008年のドバイ便、年末年始に乗務したのはなんと2004年・・・シンガポールで年越ししたみたいなのですが全然覚えてないxxx)
直前にスタンバイに呼ばれたり、丁度お休暇を頂けたり、いろいろ偶然が重なって、2005年以降毎年子供達と一時帰国して、日本で年越ししていたのでした。

が、今年(もう年が明けたので去年ですが)ついに久し振りに乗務することに。
6年振りの年末年始乗務・・・
(折角なので調べてみたら、前回の2004年のシンガポールでの年越しフライトの前の年末年始乗務はナント15年前で、1995年の東京便・・・12月23日アムステルダム発1月1日成田発の、ナント9日間トリップ(O.O;) そんなフライトがあったんですねぇ←覚えてないxxx)

行き先は、大阪♪
2010年は大阪便のリクエストは1つも頂けなかったので、1年以上ぶりの大阪便でした。

(クリスマスに合わせて子供達と一緒に一時帰国していた)日本から12月29日に戻ってから31日の出発の朝まで、
実は乗務に出ようかどうしようか悩んでいました。
腰の痛みがまだ完全には取れていなかったし、見た目にもわかるくらい腰がぐにゃりと曲がったままだったからです。

乗務は休みたくない・・・けれどもし乗務の最中に痛みが酷くなって仕事ができなくなったら同僚に迷惑をかけてしまう・・・それに、無理したせいで悪化して二度と乗務できない体になってしまったりしたらと思うと怖い・・・

でも、元夫とのLAT relationを解消して、気持ちを新に新年を迎えたいと思っていたので、
乗務を休んでしまったら、子供達と、そして元夫と一緒に和気藹々と年越しすることになってしまうのはどうかと思い、
腰が悪化しないことを神に祈りながら、思い切って出かけることにしました。
制服の下にはコルセットをして。

幸い1泊のスケジュールだったので、荷物は最小限にまとめ(→元旦到着なので、着物を持って行きました・・・というかキャリーバッグの中身は着物だけ)、空港へ。
久し振りに履いたハイヒールが腰に響く・・・バスや電車の中では(座ると余計に腰に負担がかかるので)立ってる様に、という整骨院の先生の指示に従い、空いているのに座らずに・・・

クルーセンターでパーサーに挨拶し、同じギャレーになる同僚達にも、腰が本調子ではないことを伝えていざ飛行機へ!

機内サービスの間は、エプロンの下に腰を補強するベルトもし、常に体勢に注意して、
いつもは行かないOCR (=Overhead Crew Rest)にもちゃんと行って横になり、
無事大阪に到着することができ、ホッとしました(*^-^*)

12月31日アムステルダム発、1月1日大阪着ですから、
年越しは機内で。
離陸後1時間~1時間半くらいに日本時間の新年、
到着前1時間~1時間半くらいにオランダ時間の新年、
・・・と、2回新年を迎えました。

飛行機には特別にシャンパンが搭載されており、
(ビジネスクラス/エコノミークラス両クラス用・・・太っ腹です(◎_◎!)
丁度最初のミールサービスの前に日本時間の新年となりそうだったので、
サービスを中断し、
お客様全員に1グラスずつシャンパン(お子様にはジンジャーエール)をお配りし、
(「カウントダウンまで飲まないで下さいネ」とお願いしながら・・・なんだか”お預け”状態で申し訳なかったのですがxxx)
機内アナウンスでカウントダウンをした後、乾杯!!


新年を祝う特別ビデオも搭載されていて、年明けと同時に放映。
なかなか素敵でした。

私達乗務員も(乗務中ですのでシャンパンではなく)ジンジャーエールで乾杯。
同僚が家から持参したお手製Appelflap(※)も頂きました。

機内での年越しは初めてでしたが、とても印象深かったです。

大阪到着直前に思い出したのですが、
良く考えたら、コックピットで初日の出を見ることができたのに、
この日に限って休憩時間にOCRに横になりに行ってしまい・・・日本行きの便は東に向かって飛んでいるので、まさに真正面から昇る初日の出を拝めたことでしょう・・・残念(T_T)

大阪到着後、Farewellのアナウンスを担当させて頂き、
日本語に続き、オランダ語で
「Hartelijk welkom in Japan! Wij, Japanse stewardessen wensen dat u van Japanse Nieuwjaar gaat genieten. Nogmaals, Gelukkig Nieuwjaar!…in het Japans zeggen we “Akemashite Omedetou!” (日本へようこそ。私達日本人乗務員一同、皆様が日本でのお正月をお楽しみになられますようお祈り申し上げております。改めまして、新年おめでとうございます・・・日本語ではこのように言います、”あけましておめでとう”)」
というアナウンスを入れさせて頂きました。

お客様が皆様お降りになってから、急いで(←到着した飛行機は、清掃が入り、ケータリングの積み下ろし&搭載作業が終わり次第、出発クルーが搭乗し、ボーディングが始まるので)ビジネスクラスのギャレーに集合し、改めて乾杯+別の同僚が作ってきたAppelflapを頂きました。

空港からクルーホテルまではクルーバスで約1時間。
バスの中では、パーサーが皆の為に買って来たピンク色のシャンパンで乾杯しました。


クルーホテルでは、女性スタッフが皆様お着物姿で艶やかでした。
BGMにはお琴の生演奏!高校の100周年記念式典で「さくら変奏曲」を演奏したことを懐かしく思い出しました・・・お琴もまた機会があったら弾いてみたいです。

オランダ人の同僚達はチェックイン後すぐに休んでしまいましたが、元旦なので御夕食のレストランを予約しておいた方がいいと思い、私だけロビーに残りました。
予想通り、ホテルのレストランは予約いっぱい、ホテルの外のレストランは1月3日から営業開始のところが多く梃子摺りましたが、
ホテルのスタッフがいろいろ調べて下さり、御夕食は『がんこ寿司』で頂くことに。

2時間程仮眠を取った後、シャワーを浴びて、着物に着替え、同僚達と夕食へ。
お寿司しかないのかと思ったら、天麩羅もお鍋もあって、それぞれ好きなものを注文し、みんな大満足の様子でよかったです(*^-^*)

帰りにスーパーへ。 
機長が、
「これが美味しいんだよ、知ってる?」
と、からしマヨネーズを大量に買いこんでいて可笑しかったです。
私は(今回唯一持ってきたキャリーバッグは着物でいっぱいで、他の物が入るスペースはほとんどなかったので)友人に頼まれたお茶漬けの素だけを買いました。
(本当は、大好物の『呼吸チョコ』は手荷物に入れることになってもいいから買って帰りたかったのですが、お店が閉まっていて買えませんでした・・・悲)

着物・・・持って行くのも着るのも大変でしたが、予想通り、オランダ人同僚達に喜んでもらえたのでよかった(*^-^*)


行きの便も予想に反して結構混んでいましたが、帰りの便はほぼ満席。
1泊のスケジュールだと仕方がないのかもしれませんが、帰りの便はオランダ人の同僚達は疲れで不機嫌になることが多いです←良くも悪くも正直者のオランダ人(笑)

赤ちゃん連れのお客様からパーサーへ直々の
「バシネットの付いてない席になっているから変えて欲しい」
というリクエスト、
(バシネット付きのお席が全て他の赤ちゃん連れのお客様でうまってる等)どうしても不可能な場合は仕方ありませんが、
バシネット付きのお席の1席が赤ちゃん連れではなかったので、当然変えて差し上げるのかと思ったら、
「床にスペースのある席なのだから、バシネットがなくても床で寝かせれば大丈夫」
と言って変えないらしい・・・(;-_-;)
怒っていなかったお客様もだんだん腹を立ててきて・・・( ̄_ ̄|||)
幸い、バシネット付きのお席におかけだった赤ちゃん連れでないお客様が申し出て下さって、一件落着しましたが・・・ε-(-_-;)ホッ
疲れのせいで、(座席の交換をアレンジするという)一手間をかけたくなくなる・・・という気持ち、わかりますが、面倒でもかえって一手間かけてしまった方が、早く丸く収まって、みんながハッピーということが多いと思います。

毎回毎回、相棒は違うし、お客様も違うし、状況も違うけれど、
とにかくその時その時に自分に何ができるか考えて、できることをできる限りやる。
「やだな~」
・・・と思ったら、思った途端に(何でもないことでも)”嫌な仕事”になってしまうので、
「楽しもう!」
という気持ちを忘れずに・・・!
サービスが終わってからも、何か他にできることはないか常に考えて、探し出して、
できる限りやる。
・・・そう思えているうちは、まだまだ楽しく乗務を続けられるな♪
と思っています。

今年も頑張りますのでよろしくお願いします!

追伸 腰椎捻挫、大分良くなって、普通の速さで歩けるようになり、
    今週から自転車も乗れるようになりました。
    あと3週間、整骨院で治療を受けることになっていますが、
    乗務は立ち仕事なので構わないとのこと。
    (座りっぱなしがよくないみたいデス)
    次のフライトはモントリオール便です。