コロナ規制下の乗務のお話 その3(2020年7月上海便)

6月に入ってオランダのコロナ規制が緩和され
東京便は週2便から週7便
大阪便は週2便から週5便

に増便

再度
日本ベースの日本人乗務員が戻ってくるまでの間
 どうせアサインするなら日本路線にアサインして欲しい」
と会社にお願いしたところ
7月から日本路線だけにアサインします
とのお返事をいただいたにも関わらず
アサインされたのは上海便

日本路線でなかったのは残念でしたが
上海便
一旦引退した(※)B747-400によるCargo in Cabinフライトなので
ちょっと嬉しい…というのも
B747
1971年10月〜2016年9月までの45年間
日本路線に就航していた機種で
日本ベースで飛んでいた頃の思い出の機種
引退前にもう一度乗務したかった…と
急な引退を残念に思っていたところだったのです。

(※)
2020年10月25日に引退予定だったB747−400
コロナ規制で大幅減便となった3月29日、急遽予定を早めて引退したのですが、
1ヶ月後の4月30日、このCargo in Cabinの為に戻って来たのでした。

KLMのB747-400には世界の都市の名前が付いていて
飛行機の名前をご参照ください♪)
この日は奇しくもTokyo!!

Cargo in Cabinのフライトにはお客様は乗っていらっしゃらないので
飛行機はゲートではなく
空港ターミナルから離れた駐機場に駐機されていて
わたし達も空港ターミナルからバスでシップサイドまで移動します。

風が強かった

飛行機に乗り込み
いつものようにPre-Flight Check(担当ドアと担当ドア周辺に設置してある非常用設備のチェック・担当エリアの安全確認etc.)をします。

わたしの担当はドア21(=前方右側のドア)
旅客便だったらAゾーン(=1階のビジネスクラス)を担当するポジションでした。

通常の旅客便にはない貼り紙が沢山!

Pre-Flight CheckSecurity Checkが終わったので
(通常ならギャレーの準備をするのですがj、機内サービスはありませんからギャレーの準備はありません)
後ろのキャビンを見に行くと…

こんなところにも貼り紙が
客室に貨物が搭載されるのは上海からの帰りの便なのですネ(*⌒―⌒*)

戻って来たとはいえ
お役目が終わったらきっとまたすぐに引退してしまうB747
せっかくなので機内のあちこちの写真を撮りました。
お客様が乗っていらしたらなかなかできませんから…( *´艸`)

ドア22前から1/2ギャレーを覗く
2ギャレーから見た1ギャレー /1ギャレーから見た2ギャレー
エレベーターがある4/5ギャレー
客室最後部・貨物室前の6/7ギャレー
UDへの階段と2階コートルーム前のジャンプシート
UD
(休憩中はここで食事・仮眠をとっていました)
離着陸時は担当ドア前のジャンプシートに着席

19:50アムステルダム
12:20上海
飛行時間10時間30分

夕暮れ前の美しい空 (˘ᵕ ˘人)ஐ:*
日の入り
月の出

月は東に 日は西に の逆バージョン

そして日の出

機内に搭載されているクルーミール
…では足りない同僚達から
手作りケーキ、ストロープヴァーフル、ドロッピェetc. 沢山の差し入れ ↓

時間がたっぷりあるので
いつもの紙ナプキンの薔薇も作りました

コートルームに制服の上着がズラリ…なかなか見られない光景

せっかくなので同僚達と機内のあちこちでお互いに写真を撮り合いました。
それこそお客様が乗っていらしたらできませんから…( *´艸`)

貨物室には大型医療機器が搭載されていました
屋根裏の休憩室 OCR(Overhead Crew Rest)

B747の良い思い出になりました(*⌒―⌒*)

上海到着後
貨物搭載に関する打ち合わせで現地スタッフと接触するため
コックピットクルーだけ防護服着用

上海の空港職員は全員防護服着用
感染スリラー映画を観ているような氣分になりました。

クルーホテルのスタッフも全員防護服着用

上海ではホテルの部屋に完全監禁となります。
部屋の鍵はもらえません。
ホテルスタッフに誘導されて部屋へ入り
出発日にホテルスタッフが迎えに来るまで部屋に監禁されます。

ホテルの部屋に用意されていたFoodBag
トイレにはこんなものが…
どちらか1枚選んでドアに貼っておきます

食事の時間になると
ドアの横にあるテーブルに食事が届けられます。

締め出されたら大変なので
部屋のドアが閉まらないように注意しながら取ります
スリル満点です
夕食はビール付き

朝食
昼食
ミネラルウウォーターわはは

隔離されていたお陰で沢山寝ましたzzz
ここ数年、乗務よりも乗務の合間の方が忙しくて定期的に体調を崩していたので、
ゆっくり休めて有り難かったです(*⌒―⌒*)

そしていよいよCargo in Cabinフライト

マスク入り段ボール箱が次々搭載されていきます

お客様の代わりにマスク入り段ボール箱で満席になったキャビンを
15分毎に見回り点検します。

火災発生に備え
PBE(Protective Breathing Eequipment)と消火用の水のペットボトルを持って
客室をぐるっと1周

そんな上海便 Cargo in Cabin フライトでした(*⌒―⌒*)

なお、その後
B747-400は当初の予定どおり10月25日に引退
この上海便がわたしにとってのB747ラストフライトとなりました。

つづく…

コロナ規制下での乗務のお話 その2(2020年6月トロント便)

4月に2ヶ月ぶりに乗務した後は、再び延々とスタンバイが続き
その間は老人ホームや保健所でのボランティアにアサインされていました。

保健所で受付業務

次に乗務に出たのは
4月の東京便から再び2ヶ月後の6月…トロント便でした。

日本ベースの日本人乗務員が乗務できなくなっているので日本路線に乗務させて欲しい」
と3月末から会社にお願いしていたのですが
便数が10%まで減り
「10000人を超えるスタンバイのCA達を如何に公平にアサインするか」
で手一杯で
「一人だけ特定の場所にアサインするのは難しい」
とのこと。

日本路線でないのは残念でしたが
再び飛ばせていただけることに感謝して空港へ…

ブリーフィングルームが様変わりしていました。

社会的距離を保つ為テーブルをなくし
間隔を開けて並べられた椅子

機種はB787-10 ドリームライナーです。
ビジネスクラス7名(29席Open)
エコノミークラス49名(257席Open)
合計 56名286席Open

エコノミークラスで配られるFoodBagとサンドイッチ

トイレチェックetc. 機内の安全確認業務以外はキャビンに出ることは禁じられているし
カナダ路線では日本語のアナウンスを入れる必要もないので
ますますすることがなく何時間も窓の外を眺める…

まるで海のようなオンタリオ湖と
変わった形の雲

クルーホテルは(いつもの市内のホテルではなく)空港に直結したエアポートホテル。
空港以外、外出禁止
ホテル内のレストランは閉鎖
食事はフロントで(メニューが縮小された)ルームサービスをオーダーして部屋に持ち帰っていただく。

エアコンの説明書が実物と違う( *´艸`)
トロント発のFoodBag
帰りの便はフライト先によってFoodBagの中身が変わるので
今後のフライトの楽しみにしようかな( *´艸`)

つづく…

コロナ規制下での乗務のお話 その1(2020年4月東京便)

12月27〜31日まで朝9時〜夕方5時のスタンバイ(自宅待機)のスケジュールが付いたので
(→今年はどこで年越しするかギリギリまでわかりません)
暑い国に呼ばれても寒い国に呼ばれてもいいように荷造りして
呼ばれたら直ちに空港へ向かえるよう制服も着て待機しながら
フライトに呼ばれるまで少しずつブログを書くことにしました(*⌒―⌒*)

コロナ規制が始まった3月は、たまたま丸々1ヶ月休暇(2019年度の冬休み)で
休暇明けの4月1日は東京便のリクエストが通っていたのですが
1週間前にキャンセルとなって以降ず〜っとスタンバイ状態が続いていました。

当時のスキポール空港…フライトキャンセルで青い飛行機が勢ぞろいしています
美しいけれど悲しい光景

3月末、日本のコロナ対策に
「到着空港から滞在先まで公共交通機関を使用できない」
という規定が加わったことで
日本ベースの日本人の同僚達が乗務できなくなったと聞いて
「元日本人乗務員として日本路線に乗務させて欲しい」
と会社にメールしたところ、
4月半ば(2ヶ月振り)の乗務には東京便を付けていただけました。

まずはその4月の東京便のお話から。

3月末から(=夏のスケジュールから)週10便になるはずだった東京便週2便に減便され
いつもとは違う時間帯(14:40発→16:30発)になっていました。

空港到着後
クルーセンター入り口で乗務用マスクを受け取ります。

機種はB777-300
ビジネスクラス6名(28席Open)
エコノミークラス13名(361席Open)
合計 19名389席Open

最初は50名くらいは予約があったのですが
当日蓋を開けてみたら外国人のお客様が全員抜けて、この人数になっていました。
当時、日本国籍を持っていない人は日本に入国できなかった為、
チェックインさせてもらえなかったのではないかと想像しています。

いつもなら全画面いっぱいに表示されているフライト情報
ゲート番号の表示(黄色)のないフライトは全てキャンセル
ボーディング中のお客様との会話を最小限に留める為
A~Eは手前の通路 / F~Kは奥の通路
という張り紙が…(貼り方が雑ですね(^^ゞ)

お客様との接触を最小限にするため、サービスも最小限。
温かいお食事は無し。
搭乗開始前に各お座席に遠足用お菓子セットのようなFood Bagとサンドイッチをお配りし
お飲み物はお水・ジュース・ソフトドリンクのみ。
ビールもワインもコーヒーも紅茶も(機内に搭載はされているのに)サービスできません。
(注:現在は温かいお食事も出ますし、ビール・ワイン・コーヒー・紅茶もサービスしています。)

動画 Air quality on board of KLM aircraft
動画 Enjoy a safe and smooth journey with KLM
コロナ対策も万全
お客様同様わたし達クルーも安心して乗務できます

接客業なのに接客できないという何とももどかしいフライトでしたが
わたし達CAは保安要員として
飛行中の急減圧や機内火災、急病人が出た時などの緊急事態に備え
接客以外の任務の為に乗務している…という感じでした。

ビジネスクラス6名(空席28席)
エコノミークラス13名(空席361席)
お食事のサービスが終わった客室は真っ暗

機内では日本人乗務員はわたし一人。
久しぶりに日本語の機内アナウンスをフルで入れたり
日本入国に必要な書類を日本人乗客用と外国人乗客用に分けたり
(検疫所からの書類が増えてオランダ人の同僚達は毎回困惑しています
 …日本は書類が多い!)
やはり日本路線には日本人乗務員は必要だと改めて感じました。

初めは珍しくて思わず記念撮影してしまった
マスク着用の乗務”も
今ではすっかり普通になってしまいましたね…

成田は1泊。ホテルからは出られません。
クルーホテルのスタッフの皆さまもコロナできっと大変でしょうと
オランダのチョコレートの差し入れを持って行きました。

オランダへ戻る便は
成田23:00発 翌3:45アムステルダム着というスケジュール。

成田を夜出発する便は、アンカレッジ経由便以来?

東京の夜景
オーロラ!
の下に金星!
(ぎょしゃ座とペルセウス座もよく観えています)
クルートローリーの中身は変わらず
成田からはおにぎりと手巻き寿司が…嬉しい
(夏以降搭載されなくなりました…残念)
機内食のサービスはないし
不要不急でない限り客室に出てはいけないので
緊急事態が起きない限り(もちろん起きない方がいいのですが)
機内の安全確認以外は何もすることがなく
いつもは1回しかない休憩が2回ありました。
うち1回は休憩室に行かずに
ガラガラの客室で映画を観ても構わないことになり…
これを観ました♪
とっても良かったのでDVDも買ってしまいました(*⌒―⌒*)

人気のないスキポール空港…この時間に到着したのは東京便のみ

カートも社会的距離をおいて並べてありました(^^ゞ

ここまで人がいないと
まるでSF映画のワンシーンのようでした…

つづく…

2020年近況報告

IMG_2934(写真は、8月に「ダメだ!休まなきゃ!」と予定をキャンセルして訪れたZandvoortの夕日)

1月に
【新年のご挨拶】というタイトルで書き始めたものの
新年早々(6年間順調に回復していた)頸椎ヘルニアが再発したり
1月1日付けで代表となったJWC(Japan Women’s Club in Nederland) 他
諸々の在蘭日本人の団体の庶務や
諸々のボランティア活動におわれ
乗務よりも乗務の合間の方が忙しくてフライト先で休む
…という日々が続き
今年は全くブログの更新が叶いませんでした。

思い起こせば
3年前にUtrechtから
日本人が多く暮らすAmstelveenへ引っ越して以来
乗務の合間に色々なことを引き受け過ぎて(自らオファーし過ぎて)
度々体調を崩し、
昨夏はオランダで初めて救急車でERに運ばれ…
(ちなみにオランダの救急病棟は流石”Dutch Design”な素敵空間でした

同じく3年前に
「習ってみたいけれどレッスン代が高いから断念する」
という方がいらしたら残念だから…と
1時間5ユーロで始めたオランダ語レッスンや日本語レッスンは
生徒数が増え過ぎて
(嬉しい反面、乗務の合間のスケジュール管理が大変になり)
気楽に受けられる分、気楽に休めもして
(わたしもそれで構わないと思っていたのですが)
氣が付いたら
乗務のない日は常にスタンバイ状態となり…

(現在は、真剣に勉強したい方々だけに
 1時間1人20ユーロ、2人以上の場合は1時間1人10ユーロで教えています)

また、今住んでいる家が
一人で過ごすには広い大きなバスターミナルの真正面で交通の便が良い
ということで
日本人の多いAmstelveenでワークショップやレッスンをしたい方々の為にと思って
1時間10ユーロで自宅リビングのレンタルを始めたものの
やはり安かったからなのか(高いと仰る方もいらっしゃいましたが)
自宅だから構わないと思われたのか
(キャンセルポリシーを設けなかったわたしのミスでもあるのですが)
直前キャンセルがあったり…

表向きはスペースの貸し出しでしたが
リビングを貸し出している間は結局自分も家で待機していましたので
スペースだけでなく自分の時間も貸し出していたことに後から氣が付きました…

(現在は、非営利目的の方々=無料レッスン無料ワークショップ等だけに
 無料でレンタルしています→レンタルスペースCasa misamisa

多くの方々のお役に立てたことは本当に嬉しかったのですが
氣が付いたら
自分の時間をほとんど持てなくなっていました。

昨夏突然40℃を超える高熱が出て
全身が硬直し口もきけない状態で救急車でERに運ばれ
結局原因不明という診断を受けた時、
身体はどこも悪くない…ただ
他の人の為に平氣で自分を後回しにするわたしに愛想を尽かせて
魂が肉体から出て行こうとしているそんな氣がしました。

本当はやりたくないこと嫌々やっていたら当然ストレスになるけれど
例え好きなこと喜んで楽しんでやっていても
自分自身を蔑ろにしているとストレスになる

好きなことをするにも優先順位を付けて
ちゃんと自分を優先しないといけない

どんなに
助けたい、引き受けたい
と思っても
自分を優先して
断った方が良い時には断るようにしていかないといけない

病院でそう思い知ったはずなのに
結局相変わらず
乗務よりも乗務の合間の方が忙しくてフライト先で休む
…という日々を送っていた最中にコロナが流行

元々オンラインだった諸々の在蘭日本人の団体の庶務や
乗務の代わりにアサインされた諸々のボランティア活動
オンライン化したオランダ語レッスン・日本語レッスン
の他に
オランダ出入国に関する問い合わせ
日本出入国に関する問い合わせ
帰国時のPCR検査に関する問い合わせ
機内サービスに関する問い合わせ(食事は出るのか否か等) 
も入るようになり

実は
機内サービスに関すること以外は
結局わたしも調べないとわからないことばかりなので
色々調べて勉強になりましたが
ますます自分の時間を作れなくなった2020年…

たまには
何もしない時間を作らないと…

結局アップできなかった【新年のご挨拶】というタイトルのブログには
今年の抱負として
① 本の出版準備(30年前から準備していた外国語会話の本)
② 楽譜の出版準備(ピアノ連弾アンサンブル)
(もしもどなたかこういった物の出版ルートをご存知でしたら教えてください)
そして
③ 何もしない時間を作る
と書かれていました…
何もしない時間を作ることは今年の抱負の一つだったのです(^^ゞ
抱負が実現しなかったのは今年が初めてかもしれません。

今日から「風の時代」がスタートしました♪
来年は
もっと何もしない時間=自分の時間を作って
もっとピアノを弾いて絵を描いて
そして
頸椎ヘルニアを患って以来溜まりまくっているフライト日記を書く時間を作りたい…作ります!✈️

(今更ですが折角なので今年の年賀状)3BE9BD52-04DA-406A-9170-A2EC003BBE08

 

美しい心

美しい唇である為には、

美しい言葉を使いなさい。

美しい瞳である為には、

他人の美点を探しなさい。

オードリー・ヘプバーンの名言ですが、

聖書に

たとえわたしが人のことば、また天使のことばを語っても、愛がなければ、響くどらや騒がしいシンバルに過ぎません。

とあるように、

ただ美しい言葉を使うだけでは

(そこに美しい心が伴っていなければ)

それはただの雑音でしかありません。

ただ他人の美点を探すだけでは

(そこに美しい心が伴っていなければ)

瞳は嫉妬で知らぬ間に曇ってしまうでしょう。

心のこもっていない

「誠にありがとうございます」

心のこもっていない

「誠に申し訳ございません」

は相手の心に響きません。

心のこもった

「ありがとね」

心のこもった

「ごめんね」

が心に響くのです、

目は心の窓

と言われるように

心が美しければ

自然と言葉も美しくなり

自然と他人の美点に目が行くようになり

自然と瞳も美しく澄んでキラキラと輝くものです。

氣を付けるなら

言葉遣いより

まず

遣い✨

美しい言葉を使うこと

よりもまず

美しく澄んだ心を持ち

一つ一つの言葉に

その美しく澄んだ心を込める…

それを心掛けたいものですね✨

(彼女のように素敵に歳を重ねたい…(˘ᵕ ˘人)ஐ:*)

・:*:・Happy New Year・:*:・

misae2019FB
今年は
マリアは東京、ミハーリはユトレヒト、わたしはアムステルフェーンで
新しい年を迎えました・・・(オランダはまだですが とりあえず日本時間で (^_−)−☆  )

オランダでの年越しでしたが
年神様を迎えるために身を清め(←お風呂です)、
せっかくなので日本で着ようと思っていた準備していた着物を着、
除夜の鐘を聴き(←YouTubeです)、
瞑想をして、
いつも家族でしていたように
今年の抱負を思い描きました (*⌒―⌒*)
(↑ これ実現します、おすすめです)

今年の抱負は
1.(外面内面共に)年齢設定を戻す
30歳を過ぎたあたりから実年齢は氣にならなくなっていたのですが、
ここ数年氣にするようになった途端に
体力が落ちたり体調を崩すようになったので、
実年齢は氣にせず、
年齢が氣にならなくなったあたりに年齢設定を戻す・・・
語呂がいいので33歳とする
2.体力&体型保持のために運動する(フラメンコ&卓球&独自のエクササイズ)
3.あとは今までどおり=心のまま
愛(=感謝&ゆるし)と光(=希望&信仰=ワクワクすること&信じること)を持って
平和に心穏やかに 笑顔で生きる.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))
です♪

2019年も
皆さんにとって感謝に満ちた幸せな良い一年となりますように…!

チャチャ遠藤〜亡き叔父のこと

(今日は…書きかけになっていた叔父の話を)

昨年7月末、18歳の誕生日を迎えて(=オランダでは成人して)すぐ日本へ移住し、
日本で女優を目指す!
と日大芸術学部映画学科演技コースのAO試験を受けていた娘から、
合格したとの知らせを受けた時、
感無量になりながら、
日大芸術学部OBだった叔父のことを思い出していました。

叔父はもう15年以上前に肺癌で59歳の若さで亡くなったのですが、
アメリカで本格的にダンスを学び、
帰国後、映画やテレビにも出て活躍していたJazzダンサー&振付師でした。

叔父のことで印象に残っているのは、

① 体型…50歳を過ぎてもまるで20代の青年のようだったこと…自分も50代になって、
それがいかに難しいか実感し、改めて衝撃を受けています。

② NHKのJazzダンスのレッスン番組で「ズルしない!」と生徒さんを叱ったこと…
テレビ越しにわたしまでドキっとして「わたしもズルしないようにしよう!」と思いました。

③ 赤やピンクの服は妹に譲ってブルー系の服ばかり着ていたわたしに
「misaeには赤が似合うよ」と赤い服をプレゼントしてくれたこと…それまで(ほぼ自動的に妹=赤・ピンク系、わたし=ブルー系でしたから)自分自身も含めて、わたしに何色が似合うかなんて考えてくれた人はいなかったので、後になって改めて感激し、似合う色だけじゃなくてもっともっと色々相談に乗ってもらいたかった…!と思うのでした。

オランダでサルサやフラメンコを踊るようになってから、
(踊っている時はいつも叔父がそばにいてくれているような氣がして)
叔父のことを度々思い出していたのですが、
今回、娘が叔父の後輩になることになり、なんだか無性に懐かしくなって…

ネットがなかった時代の人なので
10年前にわたしが少しだけ叔父のことを書いたフライト日記以外
検索しても何も出てこないだろうと思ったら、
松本 誠さんと仰る俳優さんのブログがヒットしました。

2015年6月25日に「お疲れ様でした」というタイトルで、
叔父のJazzダンススタジオを引き継いだ山本先生という方にダンスを習っていらしたと。
叔父に「一度お会いしたかったな…」と書いてくださっているのを読んで、
「あぁ本当に是非会って欲しかった!」と思いました。

松本誠さんのブログ記事が上手くリンクできなかったので写真を撮りました↓IMG_4398

昨夏、台風の高波で半壊してしまった館山の別荘は
元々は叔父の別荘でした。
星が綺麗で、UFOも良く現れたと叔父が話していました。

その別荘で叔父と一緒に撮った写真がどこかにあったはず…と思って
探したら出てきました…多分30年前の写真 ↓img561.jpg

今朝、急にこの書きかけのブログを思い出して
(なかなかまとまった時間を作れず
書きかけのまま下書きに残っているブログが沢山あります(^^ゞ)
もう一度、叔父の名前で検索してみたら、今回は沢山ヒットしました。

ドライフラワー雑記139
(2002年8月7日)
『伝えたかったこと』
チャチャ遠藤さんはダンサーで振り付け師だった。
個人的な思入れもあるのかもしれないが日本人ダンサーというと、彼の顔が浮かぶ。
しばらくの間、レッスンスタジオに通っていとことがあり
彼の動きを目の前で見ることが出来た。
舞台で踊るチャチャ先生に感動した記憶の一部も鮮明に残ってる。
あるラジオの番組で、映画評論家のおすぎが
すごい才能と絶賛してるのを聞いたことがある。
ボクはそれを言わなくちゃと思っていたのに、それっきりになってしまった
演出家の宮本亜門は
チャチャの才能は認めるけど、今日は気分が乗らないから、って帰って行っちゃうんだよ、、
と言っていた。
そうそう、キミには出来ないだろう、と
ボクは不思議にうれしい気分になったもんだ。
101でのレッスンの時、彼が手本を示し、その回転技のすごさに
思わずみんなで拍手したこともあった。
こんはことはめったにないことだ。
いなくなってみると、伝えておけばよかったと
残念で仕方がない。
ステージ101がNHKの番組に出ることになり
久しぶりで集った
そこで、チャチャさんが亡くなったことを聞いた
肺がんだったそうで、背中が痛いと言った時にはもう手遅れだった
今ごろは天国で踊っているんだろうか?
なんて言ったら、恥ずかし過ぎるけれど
背中に羽根が生えてたに違いないジャンプを想い浮かべると
天使も嫉妬するような振り付けを
自作自演してるに違いないとボクは思う

チャチャ遠藤先生とマイケル
(2009年6月29日)
マイケルの音楽と言えば真っ先に思い出すのは 
チャチャ遠藤先生の事だ 
チャチャ先生は一世を風靡したジャズダンスの振り付け師だ 
そのチャチャ先生も7、8年前 すでに他界している 
わたしが養成所時代その前後 チャチャにレッスンを受けていた
チャチャが踊って見せるととてつもなく格好良く あこがれて一生懸命やったが マッチョな私には限界があった 
でも頑張った。 チャチャもそれを認めて 
少数レッスンクラスにも入れてくれた。 
そりゃ叱られた。期待されてるのはわかるがあまりにも厳しく叱られた。竹下通りを一度だけ泣きながら帰った事がいい思い出だ。
レッスンはほとんどソウル系の音楽 マイケルも多かった。 
今追悼でマイケルの曲がいっぱいかかるが 
体が踊りモードに入って動きだす 
オールザットジャズ 
ロイ・シェイダーが全盛の頃だった 
ジャズダンスの衰退と共にチャチャ先生も大きい仕事をしなくなってきた。 
亡くなる二年前くらいに偶然会ったんだよねチャチャと 
もう一回 あの頃みたいな情熱的な踊りを作りたいって言ってた 
あれが最後の会話になってしまったなあ
僕に初めて芸能の厳しさを教えてくれたのは紛れもなくチャチャ遠藤先生です 
チャチャ先生 ありがとうございました。 
マイケルもそっち行ったよ 
一緒に踊ってください。チャチャ先生はひけをとらないと思いますよ 

おみつ55リハ前の上北タップリーグ
(2014年8月18日)
チャチャる。
大事な専門用語を忘れてました。
チャチャ遠藤という、有名な振付師がいて、
いつも『見て覚えろ』と、細かく教える事はせず、
ダンサー達に瞬発力と、芸は見て盗むもの、
という大切な基本を背中で教えたところから、
憲一、いや! この稽古場の先生も、
急に『チャチャ遠藤!』と叫びます。

帰ってきたFOOL’S PARADISE BBS
(2016年7月20日)
  黒柳徹子さんが司会をやっていた時代は、チャチャ遠藤さんもいた時代。
それが残っていたら、日本のモダンダンサーは泣いちゃうよ。
ほとんど映像が残ってないから。

50周年その3
(2016年10月16日)
 ジャズ界の大御所 笈田敏夫パパ、ジャズダンスのクイーン名倉加代子先生、
今は亡き素晴らしいダンサー、チャチャ遠藤さんなど・・・・
そうそうたるメンバーの中で主役!

叔父は本当にスゴイ人だったんだなぁと改めて思う。

叔父の誕生日は1月1日。
生きていたら明日何歳になっていたんだろう・・・
80歳になる父と3つ違いだから77歳?
喜寿だったのかな・・・

生きて新しい年を迎えられる・・・
(当たり前に思いがちですが)ありがたいことですネ

今年は病欠中のため
生まれて初めて家でたった一人で年越ししますが
やっぱり「おめでとう!」と乾杯できる相手がいないのは寂しいので
来年は体調に氣を付けて
家族or(乗務が入ったら)同僚と
あるいは
願わくばパートナーと一緒に
新年を迎えられますように (˘ᵕ ˘人)ஐ:*

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言霊実験

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(今日は・・・スピリチュアルなお話を)
子ども達には、正しく美しく優しい日本語を教えたいと
言葉遣いにはいつも氣を付けていましたが、
ミハーリがアムステルダム日本語補習授業校小学部5年生の時、
学習発表会ガイア・ハート・プロジェクトに向けての授業の一環として
今は亡き田原先生が、子ども達に授業で『水からの伝言』のビデオを見せてくださり、
保護者も後から見せていただいたのですが、
以来、それまで以上に、言葉を選んで、心を込めて話すようになりました。

下の記事は
(Facebookの友人)亀山雅充さんのFacebookでの投稿です。
_____________________________

〔 文字による波動実験 〕


言霊実験1

3つのタッパにご飯を分け、蓋をしてベランダで放置。

1.ポジティブな言葉を書いた紙をタッパに貼った。
(「ありがとう」「愛」「感謝」「統合」「赦す」「LOVE」)
2.ネガティブな言葉を書いた紙をタッパに貼った。
(「死ね」「殺す」「憎む」「怨む」「分離」「バカ」「HATE」)
3.何も書かない。

11日後、
それぞれカビが生えていたがタイプが全く違った。

言霊実験2

「何も書かない」→ よくあるダーク・グリーンのカビ。
「ネガティブ」→ 真っ黒。
「ポジティブ」→ 白とピンク色。

言霊実験3

※ 「想い」のエネルギーは一切送らず放置しました。
※ 途中で一度も開封していません。

文字自体が発するエネルギーが物質に与える影響は
「水からの伝言」の江本勝さんの実験が世界的に有名ですね。

http://www.ne.jp/asahi/aquarius/messenger/books_002.htm
http://ishii-juku.jp/blog/watermessage/

でも、それより「想いのエネルギー」の方が大きいとされています。

次元が変わっている今、この、言葉から発せられるエネルギーの影響は増大して来ている、
だからこれからは言霊(想いは当然)には慎重に!!
と実際に能力者の人達からよく聴きます。
(牧好成くんもこのことを強調していました。斉藤一人さんもよく言ってる。(笑))

敢えて、波動を挙げる言葉を発するのか、波動を下げる言葉をいい続けるのか、
どの世界へベクトルを向けるのか、重要なことだと思います。(。◠‿◠。)

日本人がこの基本的なことだけでも知ったら世の中が変わるんだけどな~。
みんなで拡げちゃおーー!! \(^-^)/
シェア希望~~!!

てらこや@アムステルダム & マルチリンガル教育

寺子屋宣伝-001(↑ 注:連絡先は10年前のものです)

(昨日に引き続き、教育のお話…)
10年ほど前、離婚して間もない頃、
てらこや@アムステルダムで子ども達に日本語を教えていたことがあります。

乗務の合間にユトレヒトでオランダ人に日本語や書道を教え、
土曜日は早朝から子ども達と片道1時間半かけて日本語補習校@アムステルダム、
日曜日も早朝から子ども達と片道1時間半かけててらこや@アムステルダムへ通い、
本当に大変でしたが(←今は体力的にできる氣がしません)
素直で可愛い子ども達、優秀な先生方、魅力的なお母様方との 出逢い、
本当に思い出深く、有難い、貴重な2年間でした。

「講師をしてみませんか」とお声をかけてくださったMさん、
改めて本当にありがとうございました (*⌒―⌒*)

その てらこや@アムステルダムが 今年10周年を迎え、
記念パーティー用に写真を探していたら、当時の授業報告書etcの資料を発見。

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懐かしい・・・(˘ᵕ ˘人)ஐ:*

2年前には(←氣が付いたら2年経っていました(^^ゞ)
ミハーリと一緒に
てらこやの先生方が主宰していたマルチリンガル教育セミナーのお手伝いへ。

参加された親御さん達からの最後の質問
「子育てで後悔していることは何ですか?」

「・・・ありません」
と答えたら
驚きの喚声があがったのですが、
子育てに限らず何事も(=恋愛も仕事も)
常に
自分の心(魂)の感ずるまま
素直な想いに寄り添って
真心込めて丁寧に行っていれば
(つまり、心が伴っていれば)
(失敗することはあったとしても)後悔することは決してない
・・・そう思っています。

子どもに質問されたら
面倒くさがらずに心を込めて丁寧に答え、
何か注意する時には
その理由をきちんとわかってもらえるように
面倒くさがらずに心を込めて丁寧に説明する。

ただそれだけです (*⌒―⌒*)

バイリンガル・マルチリンガル教育のコツも
一つだけです。
一人が一つの言語だけを担当し、その言語だけを真心込めて丁寧に教えること。

オランダ語はオランダ人でオランダ語が母国語のパパに任せ、
英語や他の言語は(語学教育世界一と言われているオランダの)学校に任せ、
わたしは自分の母国語である日本語を担当。

子ども達と話す時は日本語のみ。
決してオランダ語は混ぜない。
どんなに面倒くさくても
どんなに時間がなくても
子どもがオランダ語の単語を使ったら
日本語で言い直してもらい
日本語の単語をまだ知らないならor忘れてしまったなら
その都度丁寧に教える。

ただただその繰り返し。
ただそれだけです (*⌒―⌒*)

教育=共育
子育てを通じて学んだことは沢山ありますが
中でも一番の学びは
何事にも心を込めることの大切さ
何事にも愛を込めることの大切さ

ミハーリくん
マリアちゃん
ありがとう.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) ♡

 

《Welcome To Holland~オランダへようこそ》 & オランダの教育

Welcome to Holland~オランダへようこそ》

わたしはよく
障害のある子を育てるのはどんな感じですかと聞かれます。
そんな時
障害児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でもわかるように
どんな感じなのか想像できるように
こんな話をします。

赤ちゃんの誕生を待っている時間というのは
素敵な旅行の計画を立てている時と似ています。
例えば、行き先はイタリア。
ガイドブックを沢山買い込んで、素晴らしい計画を立てます。
コロッセオ。ミケランジェロのダビデ像。ベニスのゴンドラ。
簡単なイタリア語会話も覚えてしまうかもしれません。
すごくワクワクしますよね。

そして、待ちに待ったその日が、ついに訪れます。
荷物を詰め込み、いざ出発です。
数時間後、飛行機が着陸。客室乗務員がやって来て、こう言うのです。
「オランダへようこそ」
「オランダ?!? とあなたは聞き返します。
「オランダってどういうこと?!?
「わたしはイタリアへ行くはずだったのよわたしがいるべきなのはイタリアなのよ。
イタリアに行くことがずっとわたしの夢だったのよ。」

ところが、飛行計画は変更になったのです。
飛行機はオランダへ着陸し、あなたはそこに滞在しなければならないのです。
でもここで重要なのは
あなたたが連れてこられた場所というのは
疫病やら飢饉やら重病やらが蔓延するような怖くて汚れた嫌な場所ではない
と言うことです。
ただ違う場所だっただけです。

さぁ、あなたは新しいガイドブックを買いに行かなければなりません。
それから、新しい言葉も一から覚えなくてはなりません。
そうしたら、それまで出逢ったことのなかった人達との新しい出逢いもあるでしょう。
場所が違うだけです。
ここはイタリアよりも時間がゆったり流れ、イタリアのような華やかさはありません。
でも、しばらくそこにいて、呼吸を整え、辺りを見渡せば
オランダには風車があり、チューリップも咲き
レンブラントの絵もあることに気付き始めます。

しかし、あなたの知り合いは皆、イタリアを忙しく行き来し、
イタリアでどれだけ素敵な時を過ごしたか自慢するでしょう。
そして、あなたは一生言い続けるでしょう
「そう、わたしもイタリアへ行くはずだった。
わたしが計画していたのはイタリア行きだった。」
と。

心の痛みはいつまでも決してなくなることはありません。
なぜなら、失った夢はあまりにも大き過ぎるから。

でも
もし、イタリアに行かれなかったという現実を一生嘆いていたら、
あなたは
オランダならではの、とっても素敵で、とっても愛しいものを
心から楽しむことは決してできないでしょう。

(原文 http://www.our-kids.org/Archives/Holland.html

これは、
長年セサミストリートの作家を務めていたアメリカの作家/社会活動家のEmily Perl Kingsleyが1987年に書いた障害のある子を育てることについてのエッセイですが、
彼女はどうして到着地にオランダを選んだのかしら・・・??

・・・と思って調べてみたら
「イタリア旅行」=一般的な出産・育児の例え
「オランダ旅行」=特別な支援を必要とする子供の出産・育児の例え
ということだそうです・・・なるほど!

(「福島の子供たちの声をオランダの子供たちに届ける会」でご一緒させていただいた)
リヒテルズ直子さんの《オランダから地球市民社会と教育を語る》
『日本のママたちの多重苦』
先週訪れた発達障害児の親たちが全国組織として作っている「バランス」という機関で、自らも発達障害児の母でありその職場の職員である女性がこう言った。
「長い間、『彼は自閉症だ』『彼はディスレクシアだ』(he is)という言い方を世の中の人たちはしてきました。でも、私たちは、『彼は自閉症を持っている』『彼はディスレクシアを持っている』(he has)と言うべきなのです。子ども達は、自身が病気や障害なのではなく、病気や障害という問題を持っている普通の人なのですから」と言っていた。
・・・とあります。
オランダ人のこの感覚はどうやって生まれたのか。

先日Facebookに
リヒテルズ直子さんが出演されたTV番組が紹介されていたのですが、
答えはこのオランダの教育にあり。

まだご覧になっていない方は是非観てみてください。

たまたま、ご縁があって
オランダの会社に入り
オランダに移住し
オランダで二人の子どもを育てましたが
子ども達がオランダで教育を受けることができて本当に良かったと思っています(*⌒―⌒*)

ミハーリとマリアが通った小学校は
イエナプランではなくモンテッソーリ教育の学校でしたが、
全く同じシステムで、本当に目から鱗でした。

最初の頃は、日本を基準に見ていたので、
授業科目は少ないし、
宿題は出ないし
(だから教科書は学校に置いたまま、お弁当だけ持って登校します※)
こんなんで大丈夫なのかしら…
と不安に感じたこともありましたが、
見方を変えて見てみたら、
オランダという国には(オランダ人は倹約家と言われるだけあって)無駄がない!
必要ではない努力や必要ではない我慢はせず、
必要な我慢と努力だけしっかりして、あとは楽しむ感じ…教育も然り。
(※教科書も、次の年には次の学年が同じ教科書を再利用します←無駄がない!
ですし、同時に子ども達も、大切に使うことを学びます)

この動画も興味深いです。

日本とオランダの大きな違いは
(他人は他人、自分は自分、と違いを認め合うことにより)
他人の評価を氣にせず
自分で選んだ道を歩んで良い
つまり
自分らしくあっていい
ところ。

オランダでは
日本の幼稚園に当たる年齢(4歳)から
自分の意見を言い
お友達の意見を聞き
異なった意見を互いに受け入れ合う
という教育が始まります。

みんな同じじゃなくていいのです。
小学校で留年しても
本人が望まないなら大学へ行かなくても
いいのです。

それを恥ずかしいと思うのは
親のエゴです。

オランダの学校で
オランダ人のお父さんお母さんが
「あなたの子どもはどこの学校へ行きたいの?」
「あなたの子どもは将来どんなことをしたいの?」
という会話をしているのに対し、
日本語補習校で
日本人のお父さんお母さんがしているのは
「うちの子どもは○○中学○○大学へ行かせたい」
「うちの子どもは将来○○にさせたい」
という会話…

違いがわかりますか?

せっかく
他人の評価を氣にせず
自分で選んだ道を歩んで良い
オランダにいても
親の考え方が日本のままでは
日本にいるのと変わりません。

「親と子ども」ではなく「人と人」
「先生と生徒」ではなく「人と人」
「先生と保護者」ではなく「人と人」

オランダにも学校に意見する保護者は大勢います。
それでも
「オランダにはモンスターペアレンツがいない」
と言われるのは
保護者の意見を学校が
(もちろん受け入れてもらえるとは限られないけれど)
きちんと聞き入れてくれる。
先生と生徒、親と子ども、上司と部下の間でも同様です。
部下が上司に意見すること、上司がそれにきちんと耳を貸すこと、
普通に行われています。
常に「人と人」なのです。

他人が自分とは違う意見を持っていても
きちんと耳を傾け、その違いを認める・・・
オランダ人にとっては4歳の頃から学校でやってきたこと。

オランダでは
(子どもばかりか大人にも)
必要のない我慢や努力を強いません。
無理をして嫌々我慢や努力をするのではなく
自主的に我慢しよう努力しようと思ってするので
彼らは自然体です。

must」ではなく「will」で生きている・・・
それが
勉強だけでなく仕事でも
”効率の良い” 能力アップに繋がっているのだと思います。

オランダではこうやって
子供の頃から
自分らしく生きる
ことを
(教えられるのではなく自然に自ら)
学んでいきます。

それが
自信と幸福に繋がっていくのでしょう。

オランダは
《子どもが世界一幸せな国》
に何年も続けて選ばれていますが、
《ティーンエイジャーが世界一幸せな国》
《ワークライフバランスが世界一良い国》
にも選ばれています。

注目すべきポイントは
学費がどうとか
進学システムがどうとか
ではないのです。

そこに氣付くことができれば
日本でも
オランダの教育は可能だし、
日本の子ども達も(そして大人も!)
世界一幸せになれる
(世界一幸せだと感じられるようになる)
と思います (*⌒―⌒*)


オランダライフマガジンmooi-mooi9号にインタビュー記事が載りました。
尚子さん、まやさん、咲さん、
そして長~い話を素敵に編集してくださった妃美さん、
改めて
ありがとうございました ♡

(本当は今日から今年の仕事納めフライトに出る予定だったのですが、風邪をこじらせ咳のし過ぎで肋間筋損傷…思いがけず時間ができたので、ふと心に浮かんだことを書いてみました)